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大狼王子と蛇鷲神話 1

【舞踏会の日の夜 セレーネ】


 部屋に飛び込むと、私は扉にもたれかかった。


「言った……言ったわ……言えたわ……。レクスが好きって言ってくれて……私が好きって言えたから……恋人? 王子様と?」


 お父さんと姉様にくっついて、アシタバの巣へ行く。アシタバアピスと仲良くなって、巣の知恵や植物を分けてもらう。それが目的なのに、あれよあれよという間に流星国城でお世話になり、もう少し居たいと告げたら仕事を紹介してもらえた。そして今日。


「私……帰らないのかしら? ロトワの皆と離れ離れは寂しい……」


 化物と捨てられた私を仲間に入れてくれたのはロトワアピスだ。お父さんと暮らすようになっても、それは変わらない。村で除け者にされている私を、毎日心配してくれている。


 よろよろ歩きながらドレスを脱いで、箪笥に綺麗にしまう。借り物だから、皺にしてはいけない。代わりにラスティニアンが用意してくれた寝巻きを取り出す。白くて裾の長いワンピースは、寝巻きというより質素なドレスみたい。


——セレーネ、僕は君が好きで、とても愛おしい


 不意にレクスの言葉が蘇る。私はソファに飛び込むように座り、変な声を出した。爆弾みたいな破壊力抜群の台詞。頬をつねってみたけど、痛い。夢じゃない。


——延々、君のその煌めく星空を閉じ込めたような瞳を見つめていたい


 ぼほっ。中途半端みたいな咳が出た。手足が勝手にバタつく。私を見つめながら、柔らかく微笑むレクスの姿がまぶたの裏に浮かぶ。余計におかしな声が漏れた。


「ね、寝よう。ね、寝て頭を冷やして……」


——閉じろ姫。


 突然、全身が燃えるように熱くなった。熱い、痛い、苦しい。閉じろ? この声の響きはロトワアピス。


——アラクランは怪我をし、リーマークスが丁寧に手入れした庭は踏み荒らされ、リベッルラの卵を大量に割られた


——巣が炎で燃え上がった。


——牙には牙で贖ってもらう。


 紅蓮の波が押し寄せてくる。熱い、熱い、痛い、苦しい、熱い。この憎悪の波は誰? ロトワではない。アシタバアピスの気配がする。


「セレーネちゃん?」


 憎い。


 憎い


 なんて憎い。


 愛する子達を奪った。また人が掟を破った。


「————————!」


 人が何かを叫んでいる。


 憎い相手の事など理解出来ない。


「アピスは前線指揮官にして司令官。境界線にて王を待つ。賠償を提示せよ。罪には罰。蛇神が裁く」


 これは自分の意思でも声でもない。私に蛇神と言わせたのに、バジリスコスやココトリスでもない。これは……レークスだ。


 蟲の王(レークス)が強制的に私の意識を乗っ取った。反抗してみるけれど、未熟なので抗えない。慄き、青ざめ、震えるラスティニアンの姿が薄ぼんやりした紅の視界に滲んでいる。怯えられている。


「アシタバの人々へ告げる。新たな王を選べ。それが猶予だ。我等が認められない愚王の場合、毒霧と病で滅びるだろう」


 止めて! 意識の中で大絶叫しても、インセクトゥムを統べる王には逆らえない。お父さんに閉じる訓練をしなさいと、散々言われていたのに……。


 部屋の窓ガラスが次々と割れ、次々とリベッルラが飛び込んできた。一匹が私の体を掴む。あっという間に白銀月国城が遠ざかっていく。胸の奥から突き上げてくる、激しい憎しみ。このままでは彼等は争い、殺し合うことになる。


「レクス……を……助けて……」


 暗転する世界。意識が遠のいていく。絞り出すように声を出した時、私の自我は完全にインセクトゥム達に飲み込まれた。


 何かで腹を叩かれて僕は目を覚ました。次に感じたのは冷気。氷のような温度の風が吹いている。勢い良く体を起こして、寝台から飛び出し、周囲を確認。暗い部屋の中に、薄ぼんやりと浮かぶ白。


「フェンリスか。随分乱暴な起こし方だな。寒っ……」


 ベランダへ続く窓が開いているから寒いのか。風でバサバサとカーテンが翻っている。時刻は分からないが、多分まだ夜明け前。分厚い雲が空を覆っている。フェンリスの黄金太陽のような瞳が、僕を不安げに見据える。


「ウォン」


「フェンリス、どうしたんだ? 何かあったのか?」


 フェンリスはもう一度吠えると、ベランダの外へと出た。黒い法衣の者が居る。フェンリスが背が高い黒法衣の者へと近寄っていった。


「エリニースさんですか?」


「ああ」


 あれ? と思った時、彼の姿はもうなかった。そのすぐ後、背中に激痛。振り返ると黒い布がバサリと広がり、体を床に叩きつけられた。思わず呻き声が出る。


「忠告をしたし、娘の事も頼んだ。落胆したよレクス君。まあ、情状酌量の余地はある。アシタバの巣へ行ってセレーネを連れ戻してくれ」


 髪を掴まれて、顔を持ち上げられた。フードの下から覗く、エリニースの怒りの滲んだ鋭い眼光に気圧される。押さえつけられている体はまるで動かない。何て強い力なんだ。


「連れ戻せ? セレーネなら我が国の秘書官と寝て……」


 パッと髪を離されて、危うく床に顔がぶつかるところだった。


「らしいな。褥を共にしていたら気がついただろう。婚姻前にそんな事をしていたら、それこそ頭蓋骨粉砕するところだった。よって、許す」


 体が軽くなった。エリニースが上から退いて、前に立つ。


「そんな事しません。許すならこのような、いきなり乱暴するのは止めて下さい。それからセレーネに何があったのか教えて下さい」


「今のは単に父親としての八つ当たりだ。誰かがアシタバの巣を蹂躙し、小蟲を攫った。小蟲殺しは最も罪深い。しかし、アピスは閉じている。私は人の味方をすると、追い出された」


 トンッと跳ねると、エリニースはベランダの手すりの上に立った。軽やかな身のこなしはセレーネそっくり。


「蹂躙? 小蟲を攫った?」


「フェンリスによれば、セレーネは目を真っ赤にさせて飛び出したらしい。アピスが迎えに来たそうだ。探したが、レークスに隠されていて見つからない」


 静かな声なのに、圧迫感が強い。それに悲痛も伝わってくる。


「レークス?」


「蟲の王レークス。インセクトゥムを統べる王。奇しくも君と同じ名だな。彼は策略家で、私とは折り合いが悪い」


 エリニースの肩が揺れる。小さなため息も聞こえてきた。続きがありそうなので待つ。何かが引っかかる。僕にセレーネを探せというところだ。彼等の世界を知らない僕に務まるとは思えない。


「レークスがセレーネを何に使うつもりなのか少々検討がつく。レクス君頼む、巣に行ってくれ。アピスに好かれている君なら、セレーネに会える筈だ。娘の為に戻って来たが、私は中央で起こっているいざこざを放置しておけない」


 強い懇願の響きだが、何か引っかかる。嘘の臭いがする。彼の目的は別にある気がしてならない。


「僕に何をさせたいのです? それとも何かを試したいのですか? その頼み事、僕に頼まなくてもご自分で成せる筈ですよね?」


 試したいということは、半分認められているようなものだ。それなら期待に応えたい。


「その目……眩いな。左様。君に行かせたいのは娘の為だ。巣へ行きセレーネに会え。その度胸があるならな。我等の世界に足を踏み入れてみよ。覚悟があるならな。下手をすると何もかもを捨てることになる。裏切らないと信じている。単刀直入に言うとそういうことだ」


 ふんっと鼻を鳴らすと、エリニースは僕に背を向けた。彼に向かってフェンリスが唸りを上げて、牙を剥き出しにした。全身の毛が逆立っている。


「喧しいフェンリス! レクス、巣に生身で入ると死ぬ。巣の植物の大半は人には毒だ。巣に入るのなら全身を覆え。フェンリス、これで良いだろう? 分かっている。こいつに任せて、私はやるべきことをする。だから、喧しい!」


 怒鳴り声が響き渡る。エリニースとフェンリスは向かい合ったまま。


「分かった、分かった! 腹立たしい程認めざるを得ない男で最悪だ……。だから分かったフェンリス! おいレクス、仕方なく信頼して今のセレーネの事を任せる事にした。私達を別方向から援助してくれると期待している。娘を宜しく頼む。君の決断や行動は、必ず正しい道となるだろう」


 そう言うと、エリニースは手すりを蹴って飛び降りてしまった。フェンリスが唸るのを止める。慌ててエリニースの姿を目で追った。もう姿は見当たらない。地上から何メートルもある高さなのに、もうどこにも居ない。


「あの! エリニースさん! 僕は必ず期待に応えます!」


 当然だが、返事は無かった。しかし、代わりなのか額に何かが飛んできた。かなり痛い。床に落ちた物を拾うと、どんぐりだった。痛む額をさすると、フェンリスが僕に寄り添ってくれた。


「ウォン!」


 フェンリスの尾が僕の背中を撫でてくれた。その次はそっと押された。部屋へ入れという事だろう。支度しろ、そういう意味に違いない。フェンリスとはずっと共に育った。だから言葉を交わさなくても以心伝心。


「フェンリス、僕がこのままだと巣に行けないから、エリニースさんに通訳を頼んだのかい?」


 僕の問いかけに、フェンリスは頭部を縦に振った。


「全身を覆えか……」


 どんな服を着るべきなのか思案していたら、背中に何かの気配。振り返ろうとした時に、ドコドコと何かが背にぶつかった。そんなに痛くない。そこまで硬くないものと思ったら、足元に落ちた物は白い服だった。それから飛行機乗りが使うゴーグルや帽子。


 着替えていると、不思議な予感に襲われた。異種生物の世界に足を踏み入れたら、僕はもう今の生活には戻れない。そういう予感。


 僕は今、人生の岐路に立っている。


 決断の時。


「フェンリス、セレーネの所へ連れて行って欲しい。まだ未熟者で君と横並びではなけれど、背を貸して下さい」


 膝をついて、敬意を込めた会釈。フェンリスは高らかに三回吠えて、僕を背中に乗せてくれた。


 ★★★は言いました。


——人と蟲を繋ぐ絆を持つ者。それは化物ではなく偉人だと思うよ☆☆☆。


 ☆☆☆は決意しました。


——私なら皆を繋げられる。手を取り合って共に生きましょう。きっと、鮮やかで美しい世界が待っているわ。


 その結果……


 ★★★は紅蓮の炎に燃やされ炭となりました。


 ☆☆☆は青紫の炎に毒され燃やされ炭になりました。


 共有出来る意識の中に残ったのは憎悪と軋轢。


 ●●●は言いました。絶対に許さない。永遠に許さない。永遠に復讐する。愚かな人など死ね。人など近寄らせない。



——蛇鷲神話の失われた物語より


——歴史は形を変えて繰り返す

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