恋に気がついた大狼王子と不穏な気配
僕は一度部屋を出た。客室を確認。確かに僕の為に用意された客室だ。そういえば、護衛騎士がいない。しかし、白銀月国へ来るたびにこの客室を用意してもらっているので、間違える訳がない。
「幻覚?」
もう一度入室。セレーネは、今度はソファの前に立っていた。両手を腕の前で握りしめている。幻覚ではなさそう。
「ニ、ニ、ニールが……あの……話をした方が……良いって……。あ、あの……その……」
しどろもどろ、という様子でセレーネは視線を彷徨わせた。
「話? セレーネ、まだ顔が赤い。熱だろうから休……」
……あれ、顔が赤いのは照れ? 急にそんな疑問が湧いてきた。雪を溶かしたように白い、それもどちらかというと青白いセレーネの肌のうち、赤いのは主に頬と耳。
「ね、熱は無いわ! 元気よ! あの、その……はな、話の続きというか……」
何だか良い予感がする。僕はセレーネの方へと近寄った。そうしたら、セレーネは困り顔で後退り。この態度の意味が読み取れなくて、僕は困惑に襲われた。
「ちか、近いと話せないから……その、そのままで……。あの、あのね……あのですね……」
「ああ、何だい?」
期待と不安が揺れ動く。僕を断固拒否、もう流星国で働くのは辞めます、だったらどうしよう? 顔の筋肉に力を入れても、自然と眉尻が下がるのが自分でも分かった。
「わた、私……。私は……。わた、私は明日レクスとお出掛けしたいです!」
へ?
ギュッと目を瞑って叫ぶと、セレーネは隣の部屋へ続く扉へ向かっていった。彼女が扉を開けると、ニールが立っていた。ニールは冷めた表情をしている。
「む、無理。無理よニール! 言えないわよ! 今ので精一杯よ!」
セレーネがニールの胸元を掴み、彼を前後に揺らした。
「うえっ、止めろ。揺らすな」
「助けてニール。練習したのに出てこないわ!」
「レクス王子の為に言え。だから、揺らすなって! レクス王子が察して下さい。今ので分からないのは鈍感を通り過ぎて罪深いですよ。まあ、あとは二人でごゆっくりどうぞ」
ニールはクスクス、ニヤニヤ笑いながら僕に近寄ってきた。
「察し……」
セレーネを見て、ニールを見る。全身真っ赤にして小さく震えているセレーネと、愉快そうなニール。
「おや、おやす、お休みなさい!」
突然叫ぶと、セレーネは脱兎の如く部屋から出て行った。
すれ違いざまに「私も好き」という小さな声がした。
——好きよ
——好きよ
——好きよ
甘ったるい響きが心の中を木霊する。
「逃げるなセレーネ! あーあ、まあ、レクス王子。明日はデートを楽しんで下さい」
ニールが目の前で手を振っている。しかし、反応出来ない。セレーネの言葉が繰り返し、繰り返し、反響していて、全身に力が入らない。
「レクス? レクス? 分かりやすいのにまだ気がつかないとかないよな? 二人は今日から想い合う恋人。話の流れ的にそうなった。そう理解しろ。よし、これでやっと解放された」
ぽん、と肩を叩かれた瞬間、僕は崩れるようにしゃがんだ。ニールはケラケラ笑いながら「面倒事が終わった」と部屋を出て行った。この夜、僕は寝台の上でゴロゴロ転がりながら、眠れない夜を過ごした。
【翌日昼頃 岩窟龍国 野菜畑】
ルタは雑草を抜きながら、その雑草を食べる謎の巨体蜂プチラを眺めた。ティアが世話をする畑に、秘密裏に通い始めてもうどれくらい経つだろう?
「父上や国の為にティア……蜜蜂姫に取り入らないとならない……。彼女も俺を好いてくれている……。しかし……煌国や大蛇連合国の本国に睨まれることになる……」
勿論、話しかけてもプチラから何の反応も無い。この蜂みたいな謎の昆虫は、人の言葉を理解していない。だから、ほぼ独り言である。
「彼女はこんな貧乏小国で暮らさせて良い娘ではない。可哀想に、日焼けで赤らんで痛そうな肌。白魚のような手にはマメ。ふわふわしていた髪は少しくすんで見えるし、元々細いのにたった3ヶ月でもっと痩せた……」
何故、彼女は自分を好きなのか? この国には何もない。何とか生きて行くのが精一杯。煌国の属国になるか吸収されそうな、歴史だけは古い弱小国。
やはりプチラからの反応は無い。ムシャムシャ、ムシャムシャと雑草を食べている。
「死の森、そこに住まうという巨大昆虫……。化物……。そんな話を聞いたことがあるが、化物とは程遠いな……」
見慣れてきたので可愛くも見えてくる。ティアがいつも可愛がっているからだ。赤い産毛があまりにもふわふわして見えるので、そっと撫でてみた。柔らかくて肌触りが良い。プチラはチラリとこちらを見て、草を食べるのを止めた。三つある瞳がサアッと緑に変わり、その後すぐに青に戻った。
「何だ? 俺が情けなくて抗議か? これでも立ち回りを考えている。外交の為の下調べもしている」
ほんの数十年前に、大々的な戦争をした大蛇連合国と煌国。巻き込まれたり、便乗して煌国に討って出た近隣諸国。それに乗じて、他国と戦争となった国もある。その爪痕、溝はまだまだ深い。ルタはまるで先の読めない未来を憂い、大きなため息を吐いた。
【翌日夕方 大蛇連合国本国 ドメキア王国】
俺は大きく深呼吸をした。夕焼け空に忍び寄る薄い青い霧。目の良い自分なら気がつくけれど、一般人には分からないだろう。嫌な予感がしてベランダに出たら、不穏な気配。
〈ドメキア王国の人が掟を破った。この代償を牙で贖ってもらう。現王へ宣言する。牙には牙で贖え〉
低く唸るような声が脳内に響く。初めて聞く声だ。
〈バシレウス、ココトリス、今のは誰だ? 誰が何をした?〉
〈レークス。インセクトゥムを統べる王だ。インセクトュムの巣は我等の管轄外なので分からん〉
〈我等の王も協力するそうだ。飾りの王には退いてもらう。愚かな人間達が誰を新たな王に選ぶのか、その結果何が起こるのか見ものだ〉
どういう意味だ? 俺の問いかけを、バシレウスとココトリスは無視した。
〈この世は因縁因果、生き様こそがすべて也。裏切りには反目。信頼すれば背中を預ける。それが、この地に残る掟だ。エリニス、その名前に恥じる生き様を見せたら噛み殺すからな〉
〈三つ子はこの地の全ての命を守り、助けた。彼等は人だった。だから、それに免じて仕方なく掟を結び、この地に住まわせてやっているのに、人はすぐ掟を破る〉
その話は何だ? 三つ子? この地に残る神話に現れるのはエリニースとシュナの双子神だ。この問いかけも無視された。おまけに、次の瞬間ブツリと切れた。嫌でも聞こえていた、様々な声が何も聞こえない。異生物達から弾き出された。こんなの、十八年間生きていて初。
あと十日もすれば、連合国会議。その時、脅しに脅して、父からも圧をかけてもらい続けているドメキア王に、新たな王太子の指名をしてもらう予定になっている。確か今夜、父は白銀月国の王に協力を依頼する。それも後押しになる筈だったが……。
不気味なほどの静寂。耳を塞ぎたくても聞こえてきていた、人外の者達の声。それが消えると、どう立ち回って良いのか判断がつかない。
俺は両手の拳を強く握りしめて、遠くを見据えた。連合国会議まで、ジョンを蹴落とす事がバレないようにしないとならない。それに加え、薄霧の正体を暴く必要がある。
「一気に減って、駒が足りねえな……。役に立つのはセレーネか?」
飛行船を借りて、一度流星国へ帰ろう。嵐の予兆のような霧に背を向けて、室内に戻った。




