無意識に口説く
父と話をして、異国文化と医療を学ぶ為に、旅人を城に招く了承を得た。エリニス、海蛇、白狼フェンリス、それから父が指名した騎士2名を連れていくこと。日没までに戻るように。それで、外出許可を得た。
中々戻らないニールが迷子かもしれないから迎えに行きたい。そう話したので、あっさり許可が下りた。
シャルル王子の到着が、想定外の速さなので、城中慌しい様相。
「異国文化、異国の医療ねえ。レクス、医学に興味を持つのは良い事だが、もっと政治にも関心を持て。ニールは何処をほっつき歩いているんだか」
横に並ぶエリニスがぼやいた。ニールが街にいる事は分かっても、正確な居場所や目的は分からないのか。
「それはエリニスの方だ。僕は父上の仕事を手伝い、あれこれと学んでいる」
エリニスから返事が無い。兄は遠くを見て、ぼんやりとしている。
「ふむ。シャルルの到着が早そうだ。ニールよりもシャルルを迎えに行くぞ」
ニールの居場所は分からなくて、シャルル王子の到着は分かる。何故? エリニスは、三つ子の兄なのに、実に奇妙奇天烈な人間である。
「シャルル王子の出迎えは最優先だが、ニールと彼女も……」
「彼女? あの生真面目君が恋人を作ったのか?」
問いかけの後、エリニスは急に目を丸めた。ニールの恋人ではない。そう、言いそびれた。
「おいレクス、どうして怒る」
トントンと背中を優しく叩かれる。
「怒る? 何故、僕が怒る」
「いや、怒り顔だったぞ。ニールに先を越されたからか。王族と市民では立場が違う」
「まさか。怒っていないのに、怒り顔な訳が無い」
僕は首を傾げた。自己認識と表情の不一致は困る。
「エリニス、手鏡を持っているかい? 表情の確認が必要だ」
「もうそんな顔はしていないから、今更遅い。手鏡で確認とは……レクス、お前は意味不明な男だな」
「それは君の方だエリニス」
言い合いをしながら歩いていたら、坂道をニールが登って来るのが見えた。隣には、街で出会った医者の少女。
「妙だな。ニールの奴がこんなに近くにいたのに、気が付かなかったとは。へえ、あれがニールの彼女か」
フワフワと揺れる白いワンピース。下は素足に灰色の羽毛付き長靴。朱色に花柄の煌国製らしき織物のショール。
太陽がキラキラと織物を光らせる。そのせいか、眩しい。目がチカチカする。
「凡庸だが、愛嬌と素敵な笑顔が加われば満点ってところだな。よし、挨拶をしよう。で、シャルルの出迎えだ」
行くぞ、とエリニスに背中を押される。またしても、彼女はニールの恋人ではない。そう、言いそびれた。
凡庸? 僕はエリニスの腕を掴んだ。
「凡庸? あれほど可愛らしい方に失礼だ。花の妖精のように可憐ではないか。そもそも、女性の容姿に評価を下すな」
「へえ、珍しいな。レクス、お前がお世辞抜きで女性の容姿を褒めるなんて」
ニール、彼女と距離が近くなり、二人が目の前に立った。エリニスが割と大袈裟な会釈をする。
「初めまして、花の妖精のような可憐なお嬢さん。エリニスと申します」
きょとん、と彼女が目を丸めた。子供っぽい、あどけない表情。
「花の妖精? 可憐? まあ、ありがとうございます。エリニスさん、セレーネです。初めまして」
白い歯を見せながら、セレーネが笑う。心底嬉しいというような、愛くるしい笑みだ。
「ニールが世話になっています」
エリニスがセレーネに向かって腕を伸ばした。挨拶の手の甲にキスだろう。
「おいっ、何をするレクス」
ふと見たら、僕はエリニスの手首を握っていた。
「いや、何を? さあ?」
「さあ? さあって何だ」
僕はエリニスの手首から手を離し、自分の手を見つめた。無意識に動くなんて、神経の病気?
「変な奴め。おっと、シャルルを迎えに行かねばならん。すみません、セレーネさん。とても大事な友人を迎えに行くので失礼します」
礼をすると、エリニスは優雅な足取りで歩き出した。僕に目配せしてきたが、足が動かない。
「エリニスさんって、レクス王子様のお供ですか? 騎士? ふふっ、本当に王子様や騎士っているのね。絵本の中から飛び出したみたい」
「いや、彼は兄です。この流星国の王太子」
「あの、それは失礼しました。とても強そうだったので……。レクス様は王子様らしい王子様ですし、二人は似てなかったので、てっきり騎士かと」
衝撃的発言。逆は言われるが、これは初。
肩を揺らして笑いながら、セレーネが僕の顔を覗いてきた。興味深そうな瞳は、星のように煌めいて見える。
「騎士は後ろの二人で、この国ではあのような服装です。あの……珍しい、綺麗な虹彩の瞳ですね」
あまりにも美しいので、思わず褒めていた。
「まあ、あの方達が騎士……。騎士? あっ、いえ、珍しい? ありふれた目ですが……この国では珍しいのですね!」
ニコニコと笑うセレーネは、実に無邪気。三つ子の妹、ティアを彷彿させる屈託の無さ。これなら、直ぐに仲良くなれそう。
「ありふれた? まさか。夜空の星のようだ。珍しいのはその通りです。この国の多くの人は、青い瞳ですから」
「でも、レクス王子様は黒ね」
「父上の瞳を継いだのです。父は東の煌国出身なので」
チラリと視界に入り、僕は迷った。異国の服装をとやかく言いたくはないが、素足は寒そう。それに、セレーネがこんなに大きな面積の素肌を見せるというのも気になる。
「素敵なショールですね。とても似合っています。いや、貴女の良さを引き立てていますよ」
「はい! これは姉様が織ってくれた一張羅です。ありがとうございます」
セレーネはショールを手にして、大きく広げた。それからショールを畳んで、僕に差し出してきたので、受け取って観察してみる。やはり、煌国製のものと似ている。質の良い素材ではないけれど、実に丁寧な作りに繊細な柄。
「お姉様がいるのですね。とても素晴らしい出来ですし、柄も良い」
ショールを返そうとした時に、あっと気がついた。
「日が落ちるにつれて、冷えてきます。特に足元が寒くなる。気をつけて下さい」
彼女のショールを、セレーネの腰に回して、ふんわりと結ぶ。ふと見たら、セレーネの髪に枯葉がついていたので、取り除く。
セレーネはパチパチと瞬きをしながら、桃色の頬である。
「ほら、もう風邪を引いたのかもしれない。こんな所で立ち話をしているからだ。セレーネさん、ニールから聞いたでしょうが僕は異国文化や医療などにとても興味があります。是非、この国の為に色々と教えて下さい」
誠意を込めた会釈と迷ったが、セレーネは僕が選んだ国賓である。最大限の敬意を示そうと、僕は片膝を付き、セレーネの左手をそっと取った。
スラリとして見えるのに、手は豆だらけで硬かった。思っていたよりも大きい。働き者の手とは素晴らしいではないか。父上や母上もセレーネを褒め称えるだろう。
僕はセレーネの左手の甲、薬指の位置に軽くキスした。
「レクス王子、少々宜しいでしょうか?」
声を掛けられて、立ち上がる。ニールが彼女の隣から、僕の横に移動した。それで、耳打ち。
「ん? 何だ?」
「どうしたんですか。その態度は何です? 異文化交流だと……」
ニールの指摘に、僕は戸惑った。
「その態度とは、どんな態度だい? そうだ、彼女から色々と話を聞きたいから、早く城の応接室へ案内しないとならない」
セレーネの風邪が悪化したら最悪。飲み物の選択肢に、蜂蜜入りミルクを追加しよう。
ニールが頬を引きつらせた。
「おい、レクス! 何をしている! 行くぞ!」
エリニスに呼ばれて、一瞬迷った。シャルル王子は国賓の中でも最重要人物。セレーネは、今日街で見つけた予定外の国賓。
「ニール、シャルル王子が戻るまで、彼女を丁重にもてなしてくれ。セレーネさん、申し訳ないのですが少々お待ち下さい」
ニールの肩を三回叩き、セレーネには挨拶の頬にキス。僕の名を呼ぶエリニスに向かって駆け出した。