流星の夜の2人 5
脛に何か硬いものがぶつかったような感触。見下ろすと小蛇のココトリスが僕を見つめていた。ツンツン、ツンツンと嘴みたいな頭部で脛を小突かれる。かなり痛い。
「ココトリス! 手加減でも痛い。止めてくれ。エリニスが呼んでいるのかい?」
僕の問いかけに、ココトリスは頭部を横に振った。
「違うわ。ロトワのセルペンスよ。鱗が少し赤いもの」
しゃがんだセレーネが、ロトワのセルペンスに向かってふむふむというように頷く。確かに、小蛇の鉛色の鱗は少し赤みがかって見える。
「レクス、お父さんが迎えに来たみたいなの」
ロトワのセルペンスを手に乗せると、セレーネは立ち上がった。
「君のお父上が?」
「西の森の前で待っているから来いですって。私、光苔の栽培をレクスに教えたいって頼んでくるわ」
シュルリとセレーネの腕を登ったロトワのセルペンスがツンツン、ツンツンと彼女の頬を突っつく。
「急かさないで。折角、レクスと踊ってお姫様気分だったのに……。片付けだってしないと」
しょんぼりしながら、セレーネはテーブルの方へと移動した。
「片付けは僕がするので良い。僕が君を招いたのだから当然だ。セレーネ、君のお父上に僕からも話をしたい」
セレーネの肩に乗るロトワのセルペンスに牙を向けられた。真紅の瞳が僕を睨む。
「セルペンス、レクスの言葉が分からないからって失礼よ。レクスは優しいの。私達に何もしないわ。ごめんね、レクス。ロトワは人嫌いばっかりなの」
ロトワのセルペンスを撫でながら、セレーネは小さなため息を吐いた。
「一人で早く来なさいですって。レクス、今夜もありがとう。こんなに素敵な夜は初めてだった。私、絶対に忘れない」
僕は慌ててセレーネに駆け寄った。上着の内ポケットから箱を出す。
「また会おう。会って欲しい。セレーネ、どうか何も告げないでこの国を離れないで欲しい。これは僕に新たな世界を教えてくれた事へのお礼だ」
セレーネの右手を取り、膝をついて小箱を手渡す。彼女は目を丸めてから、ぼんやりと小箱を見つめた。
「あ、あの……お礼?」
「うんと沢山の露店を見て、君に似合うと思う物を選んだ。気に入ってくれると嬉しい」
セレーネは急かされているので少し迷ったけれど、選んだ首飾りが気に入ってもらえるのか大変気になる。僕は立ち上がり、小箱のピンク色のリボンをほどき、箱を開けた。ピンクゴールドの首飾り。飾りはオパールで作られた2つ並びの星。
「綺麗……。こ、こんなの……貰えないわ……」
「好みではなかった? それではお礼にならないな……」
セレーネの眉間には皺が出来て、眉尻は下がっている。
「まさか……。お礼って……私……大した事をしてないわ……。私ばっかり色々して貰って……」
つまり、遠慮ということか。
「大した事なのか、違うのか決めるのは相手だ。つまり僕。これは君の為だけに買った。だから嫌でなかったら、単に遠慮なら受け取って欲しい。使わないで売ったって構わない」
僕はセレーネの手を離し、3歩後退した。
「売らないわ! 真心こもったものを売ったりなんてしないわよ」
「なら、また会う約束の証ということにしよう。次に会った時、君がこの贈り物を持っていたら僕は心底嬉しい」
「約束……。レクス、この首飾りは預かっておくわ。それで、必ず返す」
「ありがとう」
よし! これでまたセレーネに会える。次に会う時までに、求婚出来るようにしておこう。セレーネを幸せに出来る人生設計を提案する。それがないと口説けない。僕は首飾りを手に取り、セレーネの首に付けた。遠慮がちだが、微笑んでいてくれている。公務の隙間にあれこれ探し回って良かった。
お互いが軽く会釈をすると、ロトワのセルペンスがセレーネの頬を突っついた。結構激しい。
「ロトワのセルペンスさん、人の女性の顔というのは尊い。手加減しているだろうけど、止めて欲しいです。何か間違いがあってセレーネの可愛らしい顔に擦り傷がついたら困る」
つい、注意していた。ロトワのセルペンスは僕を見て、青い瞳を真っ赤に変色させた。次ば牙を剥いて威嚇体制。
「ち、違うわよ! そんなんじゃないわ! お父さんも早く早くって煩い! こんなに一度に話しかけてきて、頭が割れそう! レクス、ありがとう。私、必ず返しに来るわ! 光苔の栽培も絶対に教える!」
手を小さく振りながら、セレーネは軽やかに走り出した。まるで蝶のようにひらひらとした動き。屋上の端まで行くと、セレーネは躊躇いもなく飛び降りた。追いかけて彼女の姿を目で追う。暗闇に浮かぶ黄色が、ふわふわと落下していく。この下は壁しかないのに。
セレーネを示す黄色が消えても、僕はぼんやりと屋上下の暗闇を眺めた。もうトラーティオも流星のような灯りも降ってこない。まるで、先程までの時間は幻だったというように、ありふれた夜空。しかし、虹色に輝く床が嘘ではないと告げている。
胸がいっぱいで苦しい。目を瞑ると、セレーネの愛くるしい笑顔が瞼に映る。
「はあ……セレーネ……」
つい名前を呼んだら、ベシリッと背中を叩かれた。この感触はフェンリス。気配の無さからしてもそうだろう。振り返るとフェンリスがニヤニヤ笑いを浮かべていた。大狼なのに実に人らしい表情である。
「揶揄いは止めてくれ。友が運命の女性を見つけたのだから、この想いが成就するように願ってくれ。僕は代わりに君の幸せを祈る。君の頼み通り、ホルフルアピスの子だって助けたぞ。いいか、フェンリス。真剣な気持ちを面白がるものではない」
ツンっと澄ますと、フェンリスは歩き出した。一度振り返り、トントンと前足で床を叩く。次は尻尾で屋上の出入り口を示された。
「舞踏会に戻れって事だな。まあ、確かに仕事をしないとならない。侍女達やエリニスにもお礼を言わないと。後で父上や母上のところにも行かないとな」
その通り、とフェンリスが頭部を縦に振る。仕事が優先なので、片付けは後回し。屋上から出たら、古参の侍女達の背中が見えた。慌てた様子で階段を降りていったのは、絶対にハンナ達だ。ハンナの赤みがかった金髪は、この城だと他にはアンリエッタしかいない。アンリエッタはティアの側近として舞踏会に参加している。
「監視されていたのか。まあ、良かった。僕は理性を保ち続けていた。何もやましい事はない」
フェンリスの前足が僕の足を払おうとした。跳ねて避ける。フェンリスは何故か呆れ顔をしていた。
「何だフェンリス。その顔は」
不審そうに僕を見ると、フェンリスは大きなため息を吐いた。訳が分からないので無視。それより舞踏会に戻って、招待客のもてなしをしないとならない。
フェルリス「どこがだ!」




