流星の夜の2人 3
ソファから落下して床に座ってしまってから、そのままの体制で夜空を見上げ続ける。虹の雪の向こうで、星が流れた。一つ、二つ、三つ……。
「流星群? いや、少し違うな……」
星は動いていない。星空よりも低い位置で落下する光。流星群のような輝きが、七色の光と混じっていく。
「レクス、大丈夫?」
セレーネが僕の隣に移動してきてしゃがんだ。顔を覗き込まれて、僕は体を引いた。
ち、近い、近い、近い、近い、近い!
「お、驚いただけだ。トラーティオとは何だい?」
「巣にある光苔の一つよ。無害の筈。皆、人に害が有るものと無いものは分かるみたいだから」
セレーネがは僕の腰を掴み、立ち上がった。軽々と持ち上げられて驚愕。こんな細い体のどこにこんな力がある。
「光苔……。栽培出来たら便利だと父上とたまに話す。何度実験しても上手くいかないんだ」
「そうなの? そんなに難しくないわよ。ああ、この国は寒いからかしら。でも、海もあるし……コツを知った上で色々試せば上手くいくと思うわ」
降り注ぐトラーティオを眺めながら、セレーネが「綺麗……」と微笑む。その横顔こそ、絵に残して飾りたい程に美しい。
「君も綺麗だ、セレーネ。トラーティオも霞んでいる」
「へっ?」
バッと勢い良くセレーネが僕の顔を見る。しまった。つい、本音を口にしてしまった。これは……このまま押し通そう。褒められて嫌な気分になる人は滅多にいない。
「そのドレスもとても似合っているし、髪型も良い。元々の良さが引き立っている」
セレーネの反応は……固まっている。抽象的な褒めでは喜ばれないらしい。失敗だ。僕は髪を軽く掻きながら、セレーネを席へ促した。時間を稼いで、具体的な褒め言葉を探そう。
「デザートはチョコレートなんだ。今、用意するよ」
鞄から箱を出す。鞄には小さな皿も入っていた。箱の蓋を開けると、聞いていた通り、中身はチョコレート。丸い形のチョコレートが六粒。小皿に準備して、次はマグカップと水筒を取り出す。
「セレーネ、チョコレートが苦手だったりしないかい?」
問いかけに返事がない。セレーネはぼんやりと座っている。
「寒い? それとも疲れたかい?」
「さ、寒い? ううん……あ、どちらかというと熱いわ……。何でかしら……。疲れていないわ。私、レクスと踊ってもらうのだもの……」
疲労の否定は遠慮かもしれない。急に元気がない。紅茶を注いだマグカップとチョコレートを乗せた小皿を持って、セレーネの側へ移動した。
「甘いものが好きなら、このチョコレートも好むと思う。甘いものは疲労にも良い。髪をまとめあげていると大人っぽいな。こういう雰囲気も素敵だ」
少しは良い褒め言葉に……ならなかったらしい。セレーネはそんなに嬉しくなさそう。俯いてチョコレートを見つめている。また失敗。これは困った。僕は空を見上げた。極彩色の幻想的な光景。それなのに、ちっともセレーネを楽しませたり、喜ばせられないとは悲しい。
「ありがとう……」
「どういたしまして。熱いなら、簡易暖炉を少し離すよ」
コルネットがセレーネに貸してくれたケープはとても役に立っているようだ。僕は簡易暖炉の取っ手を持って、少し離れた位置に移動させた。
着席して、セレーネの様子を窺う。まだぼんやりして見えるが、興味津々という表情で指で摘んだチョコレートを眺めている。
えいっとチョコレートを口に運んだセレーネは、しばらくして目を丸めた。次は僕を見て瞳を煌めかせ、ギュッと目を瞑る。最後は小さく震えて口元を綻ばせた。
「そんなに美味しい?」
「ええ、ええ! こんなに美味しいお菓子は初めてだわ!」
セレーネが春満開の花畑というように笑ったので、大変満足。古参の侍女達に何かお礼をしないとならない。
「良かった。それなら、チョコレートを使ったケーキなんかも好きだろう。近いうちにご馳走するよ」
自分もチョコレートを口に運ぶ。僕はあまりチョコレートは好きではない。毎年、新年明けにやたらと贈られるからだ。理由もないのに、あちこちの国や貴族から渡される。
「お店を教えてくれれば、姉様達と帰る前に行くわ。お父さんにも教えてあげたいもの」
帰る前に、その言葉を耳にした瞬間、僕は凍りついた。
「お父さん、いつ戻ってくるのかしら……。王達と会談をして、お祭りの日には一度戻ってくるって言っていたのに……」
セレーネが小さなため息を吐いた。憂いを帯びた視線が宙を彷徨う。王達と会談? セレーネの義父は何者なんだ?
「でも、せっかく出来た友達と長く一緒にいられて嬉しい。王子様やお姫様が本当にいて、舞踏会を覗き見したり、こんな素敵な場所でご飯を食べられて幸せ。私、人を好きになれそう」
チョコレートを頬張りながら、セレーネは可憐に笑った。目と目が合って、ドキリと胸が弾む。
「それなら……。それならお父上が迎えに来ても、しばらく逗留すると良い。君に教えて欲しい事が山程あるし、見せたいものもうんとある。僕は時期にこの国を離れて東へ行くつもりだ。その前に……」
その前に、僕はセレーネとどうなるつもりだ? 彼女を口説き落として、結婚して、自分に付き合わせる? それは……セレーネにとって良い未来とは思えない。
エリニスは王太子の座を捨てて、荒れているらしい大陸中央に手を差し伸べたいという。そのエリニスに付き合うということは、恐らく普通の生活は送れない。
エリニスの代わりに王太子になり、励みに励んで王になる。それで、口説き落としたセレーネを王妃にする。彼女にとって良い未来はそっちだろう。いや、セレーネは故郷で暮らしたいかもしれない。
僕もエリニスと離れ難い。特別で特殊なエリニスと人を繋いでいるのは、多分三つ子の弟妹である僕とティアだ。そして、エリニスが隣に立って支えになって欲しいと言ってくれたのは二人のうち僕である。エリニスは、ティアにこの国を任せるつもりだ。ティアだけでは足りないので、隣に誰かを采配しようとしている。
エリニスを支えながら、僕はどうセレーネを幸福にするんだ? ある程度の計画性が無いと、求婚なんて出来ない。
「……ス。レクス?」
「ん? ああ、すまない。また考え事をしていた。この、つい自分の考えに没頭する癖は直さないとな……」
「考え事? 東へ行くっていう話?」
「いや、君を幸福にする方法」
「私? 私を幸せに? こんなに親切にしてもらって、うんと優しくしてもらっているわ! そんな顔をさせるなんて、私の感謝の言葉やお礼が足りないからね!」
急にセレーネが立ち上がったので、僕は目を丸めた。口を滑らせた事への羞恥心、何やら誤解を与えて本音が正しく伝わらなかった安堵、それに単純に驚きで言葉が出てこない。
「そうよ。楽しかったり、うっとりして、流されるままにこんなに良くしてもらって……。光苔の栽培を手伝ってから帰るのは当然として、他に何か私に出来そうな事ってある? 私、何でもするわ!」
ソファを離れて、セレーネは僕に近寄ってくる。
「何でも?」
「ええ、そうよ。何でも。こんなに良くしてもらっているのだもの。当然よ。お父さんに頼んで、すぐに帰らないようにするわ」
真剣な眼差しのセレーネに顔を覗き込まれた。近い、顔が近い!
「レクス、私にして欲しい事って何がある? もっとお礼をしたいの」
虹色に照らされるセレーネの姿に、彼女の瞳の奥の煌めく光のせいで、目が泳ぐ。簡易暖炉を離したのに熱い。これは……みっともない。僕は意を決してセレーネと目を合わせた。
「レクス?」
ゆっくりと立ち上がる。頼み事は礼儀正しくだ。
「光苔の栽培を手伝ってくれれば十分だ。この流星国により良い生活が訪れるだろう。是非、お願いします。お父上には僕から頼む」
セレーネが帰るまでに、エリニスと今後のことをもっと語り合う。同時並行で、セレーネが僕と結婚した場合にどんな得をして幸福になれるかを説明出来るようにしないとならない。流星国を託すティアへの支援もしておかないといけないな。
求婚するのに必要な事がハッキリして良かった。全部の準備が出来たらセレーネを口説こう。
「それじゃあ足りないわ。私、本当に、とっても良くしてもらっているもの。他には何かない?」
期待の眼差しが眩しい。何か? それなら踊って欲しい。誕生日に愛する人と踊れたら天にも登る気持ちになれるだろう。
僕は大きく深呼吸をしてセレーネに会釈をした。
「それならセレーネ、今夜は僕にとって特別な日だからどうか一曲、踊って下さい」




