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王子、怪我をする

 手と足の位置を確かめながら、亀裂の中を下へと進む。雨で緩んだ土、岩場は気をつけないと崩れる。暗くて見えにくいので、手足の感触で確かめるしかない。


 背丈の倍以上まで進むと、ようやくアピスの子の黄色い瞳がはっきりしてきた。点滅している。落ち着いてきて思う。目の色が変わる生物とはかなり珍しい。この生き物はいつ誕生したのだろう?


 セレーネやエリニスと意思疎通が出来るようだが、離れた距離で会話するなど、どういう原理だ? 僕はあれこれ考えながら、体を動かし続けた。亀裂伝いに流れてくる雨で、手が冷えて感覚が鈍くなっているし、かなり滑る。雑念を追い払って集中しないと危険。


 背の三倍くらいまで進むと、ようやく、足が底に着いた。黄色い目はもうすぐ左手側。両足を踏みしめて、地盤を確認。問題ない。


「アピスの子、もう大丈夫だ」


 人の言葉を理解出来るのか? 僕は声を出した。目を凝らしてみる。薄っすらと、アピスの子の鉛色の体が見える。相変わらず三つ目は黄色でチカチカと点滅。動きはない。足場を確認しながら、そっと近寄る。降りてきたところより狭まっていく。


「怪我か?」


 狭くて屈むのは難しい。体の向きを変えるのもかなり困難。僕は何とか体を斜めにして、しゃがめるだけしゃがみ、腕を伸ばした。濡れた毛の感触。多分、産毛だ。


「痛かったらすまない」


 僕はアピスの子の産毛を鷲掴みして、引っ張った。生まれたばかりくらいの赤ん坊程重いけれど、持ち上がった。体を起こし、後ろに下がりながら、腕の中にアピスの子を持ってくる。上にいる子達よりも一回り小さい。感触は金属のようで、冷えている。しかし、自分側は温かい。アピスの子の体は殻みたいだが、腹側は柔らかそうだった。そこからの体温だろう。


 腕の中を覗き込むと、アピスの子の三つ目は緑色だった。新緑のような色。いつの間に? 怖いと黄色でホッとすると緑なのか? 帰ったらセレーネに聞いてみよう。左腕でアピスの子を抱え、僕は右手で岩を掴んだ。足をかけられる場所を探る。あとは戻るだけだ。


 足を滑らせると一気に下へ落下してしまう。注意深く登る。右手だけだと登り辛い。それに爪と指の間に土か小石が入ったのかズキズキ痛む。すっかり冷えて、感覚が鈍いのに痛みは増している。それに左腕。上腕部分がヒリヒリする。歯を食いしばって、体を動かす。急がないと、体がもたなそう。


 出口が近くなる程、左腕の痛みが増していく。あと少し、あと少し、あと少しと自分に言い聞かせる。何とか登ってくると、フェンリスの尾が垂れてきた。左腕の中にいるアピスの子を手で掴み、フェンリスの尾へと伸ばす。


「フェンリス頼む。っ痛」


 激痛が左腕に走った。岩に引っ掛けたりなど、怪我なんてしていないのにどうした? フェンリスの尻尾がアピスの子を掴むと同時に僕は呻いた。痛みで吐きそう。ここまで痛い思いをした事はない。意識が朦朧とする。せっかく空いた左手は燃えるように熱い。まるで火傷のような痛み。


 このまま痛みに負けると落ちる。僕は気力を振り絞って体を動かした。足には問題無いのが不幸中の幸い。フェンリスの尾がまた垂れてきた。しかし、右手を離すと落ちる。フェンリスの尻尾を掴む事が出来ない。僕は自力で登りきった。亀裂から体を出そうとしていると、フェンリスの尾が僕の体をすくうように包み、持ち上げてくれた。


「ありがとう……フェンリス……思ったより深かった……」


 焼けるように痛む左腕。上着は破れていない。しかし、上腕部分の上着の濡れ方が違う。灰色の上着は、そこだけ明らかに濃い色に変色している。何かに触れた?


 アピスの子は、フェンリスの横に集まっている。それに、枝に止まっていた親であろうアピスもいる。亀裂の底から連れてきたアピスの子は、もう安心だろう。


「こういう天候の時は親から離れない方が良い。次から気をつけろよ」


 口にしてみたが、反応はない。僕は彼等と語り合う事が出来ないのがより明白になった。それに、フェンリスとは違って、アピスは人の言葉を理解していないようだ。


 激痛に耐えながら、雨足の弱い木陰に移動。木の幹を背もたれにして、腰を下ろした。そっと上着を脱ぐ。その下のジャケットも脱いだ。白いシャツが暗い緑色に汚れている。苔みたいな色。その部分がヒリヒリ、ヒリヒリとするので、僕は白いシャツも脱ぎ捨てた。


 肘より少し頭側の上腕部分が赤くなって、腫れている。掌くらいの範囲。丁度、シャツが苔色に汚れていた部分。見なきゃ良かった。視覚のせいで痛みが増した気がする。


「ウォン! ウォン! ウォン!」


 フェンリスの吠え。三回連続は滅多に聞かない。僕はずるりと倒れそうになるのを、なんとか我慢した。短剣でシャツの左袖を切り落とす。残りのシャツを火傷のようの部分に巻く。痛いけれど、痛み止めなんてないので仕方がない。


 巻いたシャツで厚くなった左腕は上着に腕を通せない。右腕だけを袖に通す。フェンリスが近寄ってきて、僕の体を囲った。フェンリスの尻尾が僕の頭を撫でる。次は体を包み、持ち上げた。背中に乗せられる。僕はフェンリスの背に腹這いになった。フェンリスの尻尾は僕の背中の上。これなら脱力しても、落ちないだろう。僕は目を閉じた。あれだけ痛かったのに、左腕はもう痛みを感じない。


「役に立てたようで良かった……」


 ウォン、ウォン、ウォンとまた三回の吠えが返ってくる。誇らしい気持ちが湧いた。フェンリスが動き出す。やはり、僕の体は落ちたりしない。フェンリスがしっかりと支えてくれている。痛みが消えたので、元気が出てきた。僕は途中で体を起こし、自分の手でフェンリスの背中の毛を掴もうとした。しかし、左手が上手く動かない。神経障害? それは厄介。おまけに原因不明。治療出来るのか?


 フェンリスは城へ戻らなかった。街へと向かっていく。


「フェンリス? 何処へ行くんだ?」


 街の中心地からも逸れていく。東地区の方角。東地区の街並みを抜けて、この先は畑や川だ。人だかりや馬が見えた時、フェンリスが吠えた。馬に乗った、灰色の上着の者が振り返る。フードを被っているのは父だった。雨が酷いので、災害が起こっていないかの確認や、避難指示を出しに来ているのだろう。


 父の顔がぼやける。次はグニャリと歪んだ。


 僕はそこで気を失った。気がついたら見知らぬ天井を眺めていて、部屋を見渡すとやはり知らない部屋。小さな寝台の上に寝ていて、隣には父。目を開けた僕と視線が合うと、父は柔らかく微笑んでくれた。


「この雨の中、何処へ行ったレクス」


 父の問いかけに、僕は反射的に、素直に返事をした。


「禁じられている西の森です」


「呼ばれたのか。なら、いつか治る。無理をするなよ」


 そう言うと、父は僕の髪を撫で、その後に左手を握りしめてくれた。握り返そうとしたが、力が入りにくい。しかし、指も手首も動く。僕は体を起こし、左腕を持ち上げた。やはり、ゆっくりなら動く。


「動くのか。なら、良かった」


「父上、父上は西の森にあるものを知っているのですか? 教えを守らず、すみません」


 父の目を見据えると、父は首を横に振った。


「神や人あらざる者達の住まう土地だ。そのせいか人の体に害がありそう。それ以外は調べても分からない世界だ。行くなと教えて行ったのなら、理由があるのだろう? かつて、私も呼ばれて似たような怪我をした」


 僕の頭を撫でると、父は嬉しそうに歯を見せて笑った。


「あらゆる命に感謝し、愛でなさい。そう教えたつもりでいたので、本当にそう育ってくれて誇らしい。私の怪我は治った。似ているし、私より軽度なのでレクスも治るだろう」


 褒められて、抱き締められた。胸が熱い。別に褒められたくてアピスの子を助けようと思った訳ではないが、僕は父と同じように彼等に信頼されたということだ。セレーネやエリニスがいたのに、僕が呼ばれた。


 父の前で気絶した僕は民家で休ませてもらったらしい。父は川の氾濫防止や避難指示、畑の保護対策をし終わったところだという。僕達は二人で城に戻った。それから、父と風呂に入り、その後は父の私室へ行った。その間、父は昔語りをしてくれた。


 仲の良かった黒狼に呼ばれて、西の森へ行くと、蛇神とプチラの仲間が何匹かいた。怪我をしたプチラの仲間の止血が全然出来ず、結局父はプチラの仲間を救えなかったという。プチラの血液のせいなのか、父の両腕は赤く腫れ上がった後、痛みが消失。灰色になり、動かなくなってしまった。今の僕の左腕上腕部分はその時と瓜二つの見た目らしい。


「不思議だろう? 蛇神から賜った流星を食べたら治った。コーディアルの病に民に蔓延していた謎の奇病もだ。あれは、恐らく私達がプチラの仲間を気にかけたお礼なのだろう」


 蛇神を名乗る、顔を見せない男が、流星を食べろと言った。食べたら完治。この奇妙な話は、何度も聞いたことがある。従者や民が、父や母を讃える為に話すから。蛇神に愛される王と妃。この奇跡は、流星国の名前の由来。


 しかし、その前に父が西の森へ行ったり、プチラの仲間と接触したことは聞いたことがなかった。


「レクス、私は秘密にしている。隔たれた世界は、隔てたままの方が平穏。共に生きるのは難しそうだからだ。私はそう思っている。しかし、子供達と異生物の交流を見ると、違うという気持ちも抱く。しかしなあ……やはり、こういう事になるのか……」


 あっさり謎の異生物を受け入れたという父にも、葛藤があったことを初めて知った。


 父は蛇神神話についても少し語った。国教なので僕も知っている。蛇神の怒りや災害の伝承。

 

 僕と父は時間が許す限り、語り合った。結論として、僕も西の森で見聞きした事は黙っている事にした。父と同じ道である。


 ただ、僕と父の違いはセレーネとエリニスだ。特にセレーネ。未知の世界を知り、隔たれた世界を繋げる。そうしたら、互いにより豊かになるかもしれない。僕は父と別れた後、セレーネとエリニスに会いに行こうとして、止めた。


 恋人になった二人を見るのは耐え難い……。僕は私室に戻り、寝台に倒れ込んだ。腕より、胸の痛みや苦しみの方が辛い。

ただ、フェンリスやアピスからの信頼を思うととても高揚した。偉大な父と同じように頼られた。それは、素晴らしい事だろう。

 

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