誤解を解こうとしたら、更に誤解を作る
西森から城へ帰ってきた。途中、雨が降り始め、僕は自分の外套を傘代わりにした。セレーネが濡れないように、細心の注意を払う。フェンリスは僕とセレーネを城の入り口まで運ぶと、雨の中何処かへ去ってしまった。
城の扉を開き、玄関ホールへ踏み入れる。
「セレーネ、僕の上着のポケットにハンカチが入っている。とりあえず、それで拭いていてくれ」
「私より、レクスの腕……きゃっ」
突然、セレーネが僕の近くから消えた。玄関ホールを見渡すと、階段の手摺りの上にエリニスが立っていた。それで、セレーネはそのエリニスの腕の中にいる。セレーネ片腕に乗せるように抱っこ。セレーネはポカーンと目と口を開いている。
「この阿呆、お前は流星祭りを台無しにするつもりか。父上にも迷惑をかけやがって」
「エリニス、それはどういう意味だ。あと、淑女に気安く触るな」
僕はエリニスに駆け寄った。
「お転婆娘は淑女とは呼べん! バシレウス、ヴァル、ニール、レクスを確保!」
エリニスが叫ぶと、エリニスの胴体に巻きついていた大蛇バシレウスが僕に襲いかかってきた。更に、柱の陰からヴァルとニール。
「確保って何だ⁈」
ヴァルとニールの腕を避けるのは簡単。しかし、バシレウスから逃げるのは難しい。太腿くらい太い胴体に、3メートルはある大きさなのに、かなり俊敏。
「おい、エリニス! 確保ってどういう事だ⁈」
「遊んでないで、仕事をしろって事だ!」
信じられないことに、エリニスが唐突にセレーネの頬へキスをした。セレーネは真っ赤になり、固まってしまった。
「それはお前だエリニス! 何しやがる!」
自分でも驚くくらい、荒い言葉が口から飛び出した。次の瞬間、僕はバシレウスの尾に足を引っ掛けられ、転んだ。ヴァルとニールが僕の腕を両端から掴む。
「レクス王子、エリニス王子の言う通り、働いてもらいますよ」
「外交という名のデートは終わりです」
ヴァル、ニール共に僕に囁いてきた。デート? デートなんてしていない。セレーネは僕の恋人ではない。
「セレーネお嬢様、我が弟は多忙です。代わりにこの私とアンリエッタがお相手します。親友のシャルル王子もご紹介します。トランプは好きです?」
ぴょんっと手摺りから降りると、エリニスはスタスタと階段を登り始めた。
「あ、あ、あ、あ、あ、あの! な、なんで今……」
「キスの事ですか? 単にご挨拶です。我が国流で緊張させてしまったようですね」
「エリニス! 嘘をつくな! 今のが挨拶の場合、家族への挨拶だろう! 君とセレーネは家族ではない!」
「レクス、何故怒る。挨拶で無かったとして、悪いか? 彼女を口説く権利は誰にでもある」
はああああああ⁈ 悪いに決まっているだろう! 叫ぶ前に、セレーネがくすくす、くすくすと笑い出した。僕はそれで、言葉を失った。
「口説く? 王子様が私を? ふふっ、揶揄う遊びってことね。トランプってなぁに? アンリエッタと遊べるの?」
エリニスは目を細め、肩を揺らした。
「あー……。まあ、俺の場合はそうだ。しかし……まあいい。面倒事はお断りだ。それにしても、セレーネは本当にアンリエッタが好きだな」
エリニスがセレーネをポイっと放り投げた。そのような雑な扱いをするなと注意しようとしたが、セレーネはくるりんと回転し、エリニスの隣に立った。
「アンリエッタとね、刺繍をする約束をしているの。それから剣で手合わせ」
「剣? 剣も扱えるのか?」
「剣、槍、弓、トンファー、一通り教わっているわ」
「トンファー? トンファーとは何だ?」
この二人、こんなに親しくなっていたのか。セレーネは、エリニスを苦手だと言っていたのに……違うのか。
久々に二人が並んだのを見て、僕はやはりお似合いだなと感じた。これなら、一ヶ月もしたらエリニスとセレーネは婚約だろう。祝いの式典内容を考えないとならない。
「痛い……。いたたたた……」
胸痛の再発。僕は小さく呻いた。
「まあレクス、どうしたの? 大丈夫?」
セレーネが振り返る。僕は首を縦に振った。
「いや、大した事ない。大丈夫……」
「辛そうですレクス王子」
「休みましょう。行きますよ、レクス王子」
ヴァルとニールが僕を引きずり始めた。結構乱暴な扱い。
「ニールは医者見習い、そこに俺の側近のヴァル。セレーネさん、任せて大丈夫です」
エリニスがニコリと笑い、セレーネの肩を抱いて彼女を連れていく。
「だから、淑女に気安く触るなエリニス!」
「だから、お転婆娘は淑女ではない。あばよ。休んで働け」
こうして、僕は訳が分からないまま、私室までヴァルとニールに引きずられた。何だか急に脱力。エリニスとセレーネは、やはりとてもお似合いだった。有している才覚が似ているからだ。二人は、僕とセレーネでは分かち合えないものを分かち合える。
部屋に入ると、オルゴが待っていた。腰に手を当てて、仁王立ちである。隣にいたカールがさっと部屋から出て行った。
「レクス王子! 勝手に居なくなる。それに、誤解を招く言動ばか……レクス王子? レクス王子?」
急な体調不良で、オルゴに返事が出来ない。
「すまないオルゴ……。病気なのに、動き回り過ぎたようだ……」
ヴァルとニールが僕をソファに座らせ、腕を離した。上体が支えられなくて、ゴンッとテーブルに頭をぶつける。
「レクス王子⁈」
ニールが僕の体を起こしてくれた。
「ありがとうニール。命の灯火が消える前に、僕は残せるだけのものを残さないとならない」
怠くて、ムカムカして仕方ないが、僕は立ち上がった。必要なのは羊皮紙とペン。
「エリニスの婚約祝いの概要くらい……」
「っとに、父親そっくりだな。レクス王子、失礼」
僕の前に移動してきたオルゴに、ベシベシと頬を叩かれた。本気ではないようだが、結構痛い。
「エリニス王子は婚約していません。そのような他国に誤解を与える発言はしないように」
「いや、オルゴ。今はまだ……」
話の途中なのに、オルゴはまた僕の頬を叩いた。教育係りなのに、人の話を途中で遮るとはどういうことだ。これは彼の今後の勤務に悪影響。指摘しておいた方が良いだろう。
「人の話を遮るのは失礼? ワザとですから問題ありません。次に、大切な宝物のような存在を見つけたのも結構。しかし、流星祭り目前。自重しなさい」
……。
……?
「オルゴ、それはどういう意味だ?」
僕が質問した時、部屋の扉が勢い良く開いた。扉を開いたのはカールで、少し後ろに父がいる。
「レクス! 公開プロポーズなど何を考えている! おまけに婚前日帰り旅行! そのような息子に育てた覚えは無いぞ!」
「フィズ様、それはまた少し話が違います」
「いいや、オルゴ。私はそう耳にしたぞ」
……。
……?
父とオルゴに、懇々と説教された。どうやら、僕の外交は失敗らしく、方々に誤解を与えたらしい。父とオルゴでさえ勘違いしている。父は元々、思い込みや勘違いが激しいけれどオルゴまでというと、僕が悪いのだろう。
エリニスと婚約目前のセレーネは、何故か僕の恋人だという噂になっていた。これは、セレーネに大変失礼な事。
「父上、オルゴ、僕は自らの失態は自ら拭います! 僕なんかの恋人とは……セレーネの名誉を守らねばなりません!」
僕は誤解を解いて回る事にした。父に呼び止められたが、善は急げと部屋を飛び出す。
好都合な事に、小ホールで、ティアが王子や姫君達を集めて、踊りの練習会をしていた。中止ではなく、ティア一人に任されたのか。これか、エリニスが働けという意味。エリニスはエリニスで、王太子としての挨拶回りがある……筈。なのに、セレーネとトランプ? 許せん。
「あら、レクス。もう具合は良いの?」
ティアが僕に駆け寄ってくると、王子や姫達も集まってきた。
「ああティア。心配をお掛けしてすみません。あの、妙な噂が立っているそうです。皆さん、何か聞いたかもしれませんが誤解です」
何だ、何だ? という王子達の騒めきと、不審そうな瞳の姫君達。女の情報網は広くて早い。王子達は噂を知らなくて、姫達は知っているのだろう。王族が婚前旅行なんて不誠実だと、悪い評価を付けられたに違いない。
「僕に恋人はいません。未熟な若輩なので至極当然な事です」
小ホール内が静まり返った。王子達が僕を取り囲んだ。
「レクス、レクス、レクス。せっかく、良い雰囲気になっていたのに止めろ」
この中で一番親しい王子、エルリックに囁かれた。
「まあ、レクス様。縁談のお断り理由はそういう事なんですか?」
この声はリリー姫。少し背伸びをしたら、彼女の顔が見えた。目が合う。僕は首を傾げた。
「縁談のお断り? 僕は君との縁談話など知らない。太陽国と流星国の縁組みは、素晴らしい事だと思うが……父上か? 僕は両国が発展するような結婚なら、大手を振って賛成する。父上に確認します」
次の瞬間、リリー姫の顔色が真っ青になった。
「あの、レクス様……。そのような言い方はあんまりです……」
リリー姫の隣に立つ、ララ姫が小さく首を横に振る。
「レクス様がそんな人だったなんて! お噂の方を、恋人とも呼ばない、妾扱いだなんて酷い話です! 一般庶民を娶るなんて、大変な事ですが覚悟と勇気がある。応援しましょうと話していたのに!」
ララ姫の隣で、ルル姫が眉を釣り上げて叫んだ。
「リリー姫に対してあんまりです! 政略結婚ならしてやっても良いとは! レクス様が乙女の純情を踏み躙るような方だとは思いませんでした!」
次々と非難の声。えーっと……。どういう事だ? 乙女の純情?
「妾など作りません! 妻一筋が至極当然です! 噂が誤解です! 外交なのに、妙な話に捩くれてしまっただけです!」
恋人が居ないなら、何故次々と縁談を断るのかという非難が始まった。縁談話のえの字も知らない。僕の耳に入っていない事を、誠心誠意伝える。
あちこちで喧嘩が始まった。貴女もレクス様に縁談を持っていっていたの? とか、抜け駆けがどうとか。
リリー姫も他の姫に言葉で噛み付かれている。権力を盾にレクス様と結婚しようとしていたなんて、女狐姫! とか酷い罵倒。しかも、物静かでいつもニコニコ笑っている姫とか、僕に熱心に帝王学を質問しにくる姫だとか。
ええええええ……。
茫然と眺めていたら、エルリックに肘で小突かれた。
「エルリック、これはどういう事だ? あと、乙女の純情って……リリー姫の純情? 彼女……僕……」
あらゆる事に動揺していて、言葉が上手く出てこない。
「レクス。本気で鈍いのか。姫達の自分への初恋を知っていて、軽くあしらっているのかと思っていた。これは……逃げよう。失恋した隙間に誰かが入るから、問題無い」
僕への初恋? 各国のお姫様達の初恋? そんな素振り、見たことも聞いたこともない。そう口にしたら、エルリックに背中をぶたれた。いつもなら避けられるのに、動揺が激しくて避けられなかった。




