デレデレ王子、焼け野原を作る
身支度オーケー。銀刺繍のされた紺色のジャケットに、黒いズボン。装飾品はバックルのみ。護身用の剣を携帯。清潔感のある髪型。
姿見の中の自分を三回確認。これなら、女神セレーネの隣でも、何とか霞まないだろう。
午前が半分終わりという、教会の鐘の音が聞こえてきた。朝の礼拝時間の終了を知らせる音色。つまり、まだまだ1日は長い。
「まず、父上のところへ行く。外出と、君の舞踏会参加許可だ。その後は薬草園……いや、巣の方が先かな?」
ソファで待ってもらっていたセレーネの前へ移動。彼女はぼんやりとしていた。熱があるように、頬が赤らんでいる。
「セレーネ? 疲れているなら、出掛けるのは止めないとならないな」
隣に腰掛けようと思ったら、セレーネは勢い良く立ち上がった。
「つ、疲れてないわ! レクスって、レクスって本当に王子様ね!」
「本当に? 偽物に見えてたのか」
「そ、そういう意味ではなくて……。えっと、キラキラしているっていうか……」
キラキラ?
「ああ、この銀刺繍は割と煌びやかだからか。母上が似たような柄のショールを持っている。セレーネ、素敵な装いだけど、肩周りがあられもない。母上に借りよう」
疲れていないなら、外出出来る。僕はセレーネの手を取り、自分の腕へと誘導した。
「ええ⁈ お妃様のショールだなんて悪いわ」
「使わないと、勿体無い。そう言って快く貸してくれるのが僕の母だ」
「お妃様、優しい方だものね。私、気がついたら姉様と喧嘩した話をしていたの。それで、レクスやラスさん、ハンナさんに相談しなさいって言ってくれて……」
続きがありそうなので、僕は待った。
「ラスさん、娘がいたらこんな事をしたかったって色々親切にしてくれるの。ハンナさんも、娘が増えたみたいって。でね、アンリエッタとも友達になったの。私、人の友達って初めてよ! 皆に良くしてもらって、とっても楽しいわ!」
歯を見せて、心底嬉しそうに笑うセレーネに、僕は驚いた。
人の友達が初めて?
「あの、レクス。舞踏会ってこっそり見学出来たりする? ベランダからチラッて覗くとか。元々、姉様が参加するから盗み見するつもりではいたんだけど……」
セレーネの期待の眼差しに、僕は首を捻った。
「こっそり見学? まさか」
「あー、そうよね……」
しょんぼり、とセレーネは俯いてしまった。どうした? 僕はセレーネの顔を覗き込んだ。
「君は僕の初めての個人的な来賓だ。流星祭りでは舞踏会を含めて何もかも、僕がエスコートする。父上の許可を得るのを忘れていたけれど、父上は絶対にノーとは言わないだろう」
僕はセレーネを促して、歩き出した。
「何もかもエスコート?」
「ああ。君をもてなさないと。だからセレーネは僕の隣だ。公務中はニール……いや、ニールはダメだ。カール……いや、アンリエッタだな。アンリエッタの方が君の世話役に相応しい」
コンコココン。ノック音がして、扉が開く。返事を確認しないで勝手に入室してきたのは、ニールである。隣室と続く扉なので、まあニールかアンリエッタしかいない。全く、ニールはもう一度礼儀作法を学ぶべきだ。
「ニール、返事をしてから入れ」
「ひっ! 俺なら、 いつものノック音を立てれば、返事は要らないって言ってくれているじゃないですか! 遅いから様子を見にきました。レクス王子。元気になったのは良いですが……何です、その服」
ニールが頬を引きつらせた後に、あんぐりと口を開いた。
「セレーネが素敵なのに、エスコートする僕が珍妙だと困るだろう? 至極当然の身だしなみだ」
「いや、あの平服で良いかと……」
「外交なのだから、公務服の方が良いと気がついたんだ。これならセレーネの隣でも見劣りしないだろう?」
僕はニール、セレーネと順番に見た。セレーネはまたしても、ぼんやりとしている。ニールはまだ引きつっている。疲れているのだろう。
「セレーネ?」
「ほ、本当に⁈ わ、私も舞踏会に⁈ 驚きで放心してしまったわ!」
両手を胸の前で握りしめると、セレーネは左右に揺れた。感激という様子に、僕はとても嬉しくなった。
「勿論。僕が招く。父上に話をしに行こう。その後は薬草園に行く。昼食を摂って、休憩後に少し踊りの練習。最後に巣。疲れてしまうかな?」
「ううん。私、体力には自信があるわ」
セレーネから満面の笑顔が返ってくる。僕は歩き出した。去り際に、ニールの肩を叩いた。
「ニール、君は僕の心配で疲れているようだ。しっかり休むと良い。恋人のアンリエッタに世話をしてもらうと、更に良いかもな」
「ちょっと、レクス王子。いや、あの……」
ニールが照れた。可愛い奴だな。部屋を出る直前、隣室と繋がる扉、開いている扉の向こうにアンリエッタの姿が見えた。
「お見舞いやセレーネの世話をありがとうアンリエッタ。ニールを宜しく頼む」
サッと手を挙げ、敬意を込めて軽く会釈。アンリエッタも照れているらしく、曖昧な笑みが返ってきた。
こうして、僕達は玉座の間へ向かった。ニールは疲労が強そうなので置いていく。
父は玉座の間にはいなかった。探したら、談話室でアクイラ、オルゴと談笑していた。僕は手短に外出許可の嘆願をし、セレーネを晩餐会や舞踏会へ招きたい旨も説明した。
「レクス王子、その格好はどうされました?」
「その格好……。レクス王子、薬草園へその格好で?」
アクイラとオルゴが、不審そうな目を僕に向けた。僕はニールへ話した事と同じ内容を口にした。
「まだ見劣りするのか……」
「見劣り? まさか! レクスは素敵な王子様の装いよ」
「そうかな? それなら、アクイラやオルゴに咎められない。本国建国式の時に着た礼装の方が良かったのか?」
僕の問いかけに、アクイラとオルゴは首を横に振った。今の服装の方がマシらしい。一張羅が似合わないとは、僕はそんなに困った容姿なのか? 父に似て、それなりに整った顔立ちだと思っていたが……体型か? いや、鍛えている
自問自答していたら、父に名前を呼ばれた。
「レクス。自分の立場は分かっているか? セレーネさんを晩餐会や舞踏会に参加させるには、根回し不足だ」
予想外の拒否に、僕は驚きを隠せなかった。それに、落胆。
「父上、根回し不足とはどういう意味です?」
「そのままの意味だ。私に良い案がある。いきなり披露されるなど、セレーネさんは緊張してしまう。レクス、招待客を驚愕させるのも良くない。なので、流星祭りの日は、レクスとセレーネさんは特別な場所で会うと良い」
「特別な場所?」
「屋上が良いだろう。満点の星空の下で食事をして踊る。流星祭りの日に雨が降ったことはない。飾りつけなど、この父が手伝おう」
父は良く変な事を言い出すけれど、今回は素晴らしい提案。
「父上! そうします!」
「かつてのように、アクイラ、オルゴも手伝ってくれるだろう」
「かつてのように?」
「ああ、昔、そうやってコーディアルと仲を深めた」
懐かしいと目を細めた父に、僕は背を向けた。セレーネを促す。父が母との馴れ初めや、思い出話をすると長くなる。
「父上。その話はまた後で聞きます。行こう、セレーネ」
「オルゴ、護衛などを頼む。レクス、ニールはどうしたんだ?」
「ニールは僕の看病で疲れたようなので休むように言いました」
「……。フィズ様、ヴァルに声を掛けます。それから、カール」
サッと立ち上がると、オルゴは父に軽く会釈した。
「カール? カールならアンリエッタの方が……いや、アンリエッタは恋人のニールの世話があるか……」
時は金なり。とっとと出掛けよう。セレーネに見せたいものが沢山ある。聞きたい話も星の数くらいある。
こうして、僕はセレーネとの外交に向かった。早く城を出たいのに、オルゴがヴァルとカールを呼ぶと聞かない。教育係の指示には基本的に従わないとならないので、仕方がない。
流星祭りまで、あと2日。城のあちこちで、城に泊まる各国の要人と会った。僕は簡潔明瞭かつ丁寧な挨拶を心掛けた。
まだまだ足りないのか、幾人かの姫様やご令嬢に、渋い表情や困惑の顔をされた。僕は父や母に、挨拶の練習を頼まないとならないらしい。
フィズは息子を見送ると、唸った。
「なあ、アクイラ。もしや、レクスは何もかも気がついていないか?」
「ええ。あんな締まりのないニヤケ姿、女の戦いが勃発しますよ。彼女もかなり鈍そうだ。まあ、気がついてオルゴを付けてくれて良かったです」
アクイラが大きな溜息をついた。
「オルゴやヴァルならレクスに説教してくれるだろう。子供達の事はなるべく子供達に解決させたいのだがな。いつまでも親がいる訳ではない」
フィズは立ち上がり、頭を掻いた。
「仕事が増えたな。アクイラ、レクスへの縁談話を一先ず全部断りに行く。リチャードに誠心誠意、謝罪せねば。まあ、婚約話など出してなくて良かった。リリー姫なら良い方と縁があるだろう。バースと共に付き合ってくれ。あとは……エリニスを使うか」
玉座の間に、ニールが駆け込んできた。ニールは泣きそうである。
「フィズ様——! 俺……私には無理です! 手に負えません! レクス王子は人の話を全然聞きません!」
「苦労をかけてすまないないなニール。しかし、官僚となる予定なのだから励めニール。フィズ様はオルゴとヴァルを支援に送った。カールもいる」
爽やか笑顔を浮かべ、アクイラはニールの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「ニール、目付けで監視役なのだから、説教その他も許される。バチンッと殴って自覚させるとかもだ。レクスを頼む。一番、レクスに寄り添ってくれると思っている」
フィズもアクイラ同様に笑った。ニールの肩をポンポンと優しく叩く。
「オルゴ様とヴァル? い、い、行ってきます! 信頼に応えます! フィズ様直々に頼まれるなんて誇らしいです!」
こうして、 ニールは意気揚々と玉座の間を出た。しかし、レクス王子に合流する前に、心が折れそうになる。
城の廊下のあちこちで、お姫様やご令嬢が泣いていたり、何人か集まってヒソヒソ話をしながら怒りを露わにしている。
玄関ホールの隅で、可哀想なくらい泣いていたのは、レクス王子と親しい太陽国リリー姫。ララ姫とルル姫が慰めている様子。清楚可憐な美少女のすすり泣きは心臓に悪い。
大蛇連合国一、鈍感かもしれないレクス王子は、罪深い男だな。そして、多分ティア姫も友人達の失恋に気がつかない。エリニス王子も怪しい。三つ子揃って恋愛事にかなり疎い。両親似だと、古くからの城の従者達は、口を揃えてそう言う。
ニールはレクス王子への説教内容を考えながら、レクス王子を追った。




