思い込みで失恋。ただしそれにも気がつかない
全然死ぬ気配はない。思っているより軽い病気?
セレーネと向かい合うエリニスが腕を動かす。セレーネの手を取って、挨拶の手に甲にキスだろう。何故か、僕は走り出していた。
エリニスは予想と違う動きをした。彼は腕を振り上げている。その腕が、セレーネに向かって勢い良く振り下ろされた。
僕はエリニスに飛びかかり、エリニスの手首を掴んでいた。それも、力強く。
瞬間、僕とエリニスは、ぶん投げられた。何に?
勢い良く、海に向かって落下。反転する世界にセレーネの姿を捉える。両手で口元を覆い、驚愕というように、目を大きく見開いている。
「ごめんなさい! つい!」
セレーネの悲鳴が響く。
バシャーン!
僕とエリニスは海に沈んだ。激しい海流で泳げない。なのにエリニスが僕の腕を引いて、力強く泳いだ。海面に顔を出すと、海蛇達が僕達の体を海の上へ押し上げる。
激流にもまれたせいか、体が怠くて上手く動かない。海水を飲んだようで、むせ返る。
「お、お、俺より強いとは本当なのか……」
僕の隣から震え声。エリニスが呻いている。エリニスのこんな声、聞いたことない。
「ゆ、許せん! この他国荒らしの雪姫が! 俺とバシレウス、ココトリスの友情を破壊するとは最悪な女性だ!」
はい?
海蛇の上を走り出したエリニスが、抜剣して海岸にいるセレーネに襲いかかる。僕は歯を食いしばり、気怠い体を動かして、後を追った。
セレーネはひらひら、ひらひらとエリニスの剣から逃れている。素早い突きを、蝶のように華麗に避ける。おまけに、彼女はエリニスを蹴り飛ばした。
エリニスに蹴りを入れた⁈
流星国一の手練れ。隠さないで本気を出したら大蛇連合国一強そうなエリニスを、蹴り飛ばす⁈
空色のドレスの裾がバッと広がり、ドロワーズが剥き出し。僕は慌てて彼女のドレスの裾を直した。
「セレーネ! 淑女がドロワーズを見せるものではない!」
「へ? き、きゃあ! つい!」
真っ赤になったセレーネがしゃがんだ。
エリニスは砂浜に何度も跳ねながら、遠くまで飛ばされていく。
「きゃあ! ごめんなさい! 手加減出来なかった! 絶対怪我をしたわ!」
セレーネが慌てた様子でエリニスに駆け寄っていく。僕も後を追う。途中で、セレーネは足を止めた。僕も止まる。
「嘘……。私の馬鹿力で平気なんて……」
エリニスは砂浜に両手両膝をついて、髪を逆立て、震えている。ゆらり、というようにエリニスが立ち上がった。激怒だ。髪が逆立っているエリニスというのは、激怒の時である。年に一度、見るか見ないかという姿だ。
「俺を赤子扱いなど、あり得ん! 何者だ!」
確かに、その通りである。しかし女性にこんな態度のエリニスは変だ。
性格が良かろうが、悪かろうが、容姿がイマイチでも、すばらしくても、年齢も関係無く、女性というだけで愛でるのがエリニス。相手によって、多少の態度の差はあれど、他の男性に比べると、過剰な程に愛想を振りまく。
なのに、女性に殴りかかり、怒鳴るとは、エリニスはおかしくなっている。
立ち上がったエリニスが、再度セレーネに斬りかかる。僕はセレーネの前に飛び出て、抜剣して、エリニスの剣を受けた。
「エリニス! 女性に何て態度だ! 父上の顔に泥を塗るな!」
「お前に用は無いレクス!」
エリニスの膝が、僕の腹を狙う。エリニスの手首を右手で握り、支えにして倒立。そのまま一気にエリニスの背中に蹴った。
当たった。エリニスに一撃なんて、二年ぶりか? 少し掠った、それ以外なんて初めてだ。
エリニスの体が砂浜に転がる。
「は、はああああ! レクス! お前、今まで手加減してやがったのか! 弟の接待に長年気がつかなかったとは……なんたる屈辱……」
エリニスは立ち上がり、頬を引きつらせた。接待? 手合わせで、僕が手を抜いたことは無い。エリニスに勝てたこともない。今のはなんだか分からないが、上手く蹴りが入っただけ。エリニスの動揺が激しいからだろう。
「ち、畜生! 王の上に立つ、特別な俺がこんな弱そうな女性や凡人弟に劣るとは、あり得ん! 許せん! これでは太陽のような矜持を有せない!」
両手で髪をぐしゃぐしゃにすると、エリニスは砂浜に両膝をついた。落胆、という様子。こんな悔しそうなエリニス、見たことがない。
トトッ、トトッと動物の足音。フェンリスだった。フェンリスはエリニスに近寄り、彼の頬を舐めた。
僕と目が合うと、フェンリスはペッと唾を吐いた。これは、怒っている。しかし、僕だってフェンリスの謎の行動には腹を立てている。僕はフェンリスから顔を逸らした。
「フェンリス、本当か? 俺を鍛え上げて最高の男にしてくれるのか?」
顔を上げたエリニスが、フェンリスを見据えた。エリニスがフェンリスの首に抱きつく。
「そうだ。俺は頂点に登りつめる男だ。この世の全てを掌に乗せる。弟や可愛らしい女性など、少し鍛えれば越えられる」
フラフラしながら、エリニスは立ち上がった。
「あ、あの! いきなり決闘だなんて言われて、訳が分からなくて……。手加減を忘れてごめんなさい! 怪我がないなんて、とっても強いのね」
セレーネがエリニスに駆け寄る。追おうとすると、蛇達に威嚇され、邪魔された。シュルシュルと、蛇達がエリニスとセレーネを取り囲んでいく。
見つめ合う、不機嫌そうなエリニスと不安げなセレーネ。しばらくすると、二人は笑い出した。くすくす、くすくす、とても楽しそう。
「ふはははははは! 世界は広い。レクス、可愛い姫は俺が預かる。案内を頼むセレーネ」
「あの、レクスも一緒に行くわエリニス」
エリニス? どうして、急に親密になった。見つめ合っていただけなのに。セレーネが振り返る。
胴体に巻きつくお揃いの角蛇。お揃いの冠様の小蛇。神に愛されると豪語する王子に、女神のようなセレーネ。実に似合いの二人。
僕は自然と後退りしていた。
「レクス? レクスなんて連れていってどうする。あいつは俺達のようには喋れない」
エリニスは僕を見ない。今のは、わざと声に出した。一線引かれた気がする。
僕を無視したエリニスは、周囲の蛇達を次々と撫で、笑いかけていく。頷いたり、首を振ったり、悪戯っぽく歯を見せたかと思えば、顔をしかめる。どう見ても、海蛇達と意思疎通しているような印象。
「いいえ、レクスもよ。レクス!」
セレーネが僕の名を呼び、手を振ってくれた。
僕は更に後退。くるりと体を回転させ、駆け出した。
今日は、祝うべき日だ。実にめでたい。友人は多くても、人外みたいな才覚を有するエリニスは、いつもどこか寂しげだった。しかし、これからは違う。ついに、エリニスは運命の女性と知り合った。
案内? 案内って何処へ? 巣だ。二人は巣とやらに行くのだろう。そこに、僕の居場所はない。
エリニスとセレーネ、赤い糸で惹かれ合い、出会った二人は、あっという間に結ばれるだろう。そうすると……セレーネは僕の妹になるのか。根回しして、祝いの準備が必要。
砂に足を取られて、僕は砂浜に頭から突っ込んだ。胸痛が悪化している。呼吸器症状もだ。口から心臓が出そうな程、気持ちが悪い。
この後、僕の記憶は曖昧。気がついたら城の私室のベッドの布団の中で体を丸めていた。




