噛み合わない会話
ハフルパフ公爵の屋敷を訪れると、ハンナが出迎えてくれた。
「アンリエッタのお見舞いと、セレーネさんのお姉さんに、挨拶をしにきました」
フェンリスと並んで、しっかりとした会釈。ハンナは優雅な会釈を返してくれた。流石、大蛇連合国一の貴族派閥に属する御婦人である。実に素晴らしい所作。
「ありがとうございますレクス王子。あら、一人? フェンリス様がいらっしゃるからとはいえ……感心しませんよ」
諭すような視線に、僕は首を縦に振った。フェンリスが小さく唸る。自分を信頼しろ。そういう意味だろう。しかし、約18年もフェンリスと接し続けているハンナは、全く怯えたりしない。
「ええ。しかし、もう間も無く成人。過保護は卒業しようと思いまして」
「過保護? また何だか分からない事を考えているのですね。まあ、良いです。フェンリス様に免じて、見逃します」
ハンナの発言に、フェンリスは唸るのを止めた。
「アンリエッタ、風邪はもう良いみたいで、カールと出掛けたわ。アフロディテさんを呼んできますね。応接室でお待ち下さい」
さあ、と応接室に案内された。フェンリスもついてくる。大理石の床に、フェンリスの足跡はつかない。実に不思議。何故なのだろう?
大狼という生物は、謎に包まれ過ぎている。大蛇連合国にはフェンリス一頭しかいない。祖父の国、煌国近隣ではたまに見かけるらしいが、人に寄り付かないか襲ってくるらしい。
応接室のソファに腰掛けて待っていると、程なくしてアフロディテが現れた。それに侍女のアルセ。先に入ってきた、涼しげな目をした、色っぽい黒髪美人がアフロディテだろう。後ろにはあどけない感じの、可愛らしい女性。
二人とも、アンリエッタのドレスを着ている。桃色のドレス、アイボリーに花柄のドレスには、見覚えがある。
「レクス王子、こちらがアフロディテさんです。隣はアルセさん」
ハンナの紹介で、アフロディテは実に美しい動きで会釈をした。アルセはぎこちない動作。アフロディテを真似たという様子。
「大陸中央、ナルガ・カドゥル霊峰の麓にございます、陽国から参りました。皇帝第一子にして唯一の子、アフロディテと申します。隣は侍女のアルセです。縁あって、ハンナ公爵夫人に、流星祭りの舞踏会に招いていただきました。ありがとうございます」
陽国? 皇帝の娘? セレーネは村、村長の娘。そう言っていた。
アフロディテはほぼ無表情。セレーネと同じく、青白いというほどに白い。まるで、人形みたいだ。
「あ、あ、あ、アルセです! お、お、王子様! きゃあ、アフロディテ様。本物の王子様ですよ。絵本の中の王子様が目の前に……。格好良い……」
ぽぽぽっと顔を赤らめたアルセに、僕は戸惑った。少し前なら、熱を出したのか? などと思うところだが、今朝のニールの話を思い出す。
これって、もしや、アルセは僕に照れている? エリニスが居ないので、絵本の中の王子様や格好良いは僕への評価で間違いない。
「初めましてアフロディテ姫、アルセさん。流星国第二王子レクスと申します。遠路遥々、ようこそいらっしゃいました」
ボーッと僕を見つめるアルセに困惑。アフロディテは無表情なので、別の意味で当惑。手を取って、甲にキスは躊躇われる雰囲気。しかし、挨拶くらいしないとならない。
僕はソファに置いておいた、ダリアの花束をアフロディテへ差し出した。一本抜いて、アルセにも渡す。それから、チョコレートの包み紙入った紙袋もアルセに手渡した。
やはり、挨拶くらいと思い、アフロディテの手を取り、手の甲にキス。キスといっても手袋に唇を付ける寸前で止める。次はアルセ。
「小さな国ですが、自慢の国です。楽しんで、良い思い出を作って帰って下さい」
顔を上げると、アルセが真っ赤だった。挙動不審。花を見つめて、ぼけーっとしている。え? 挨拶をしただけでこれって何故?
だが、何か、既視感。こういう反応、見たことがあるような……無いような……。アフロディテは特に変わらず。
「夢みたい……。アフロディテ様……。アルセは胸がいっぱいで、気絶しそうです。素敵……」
「アルセ、気持ちは分かりますが、今はお黙りなさい」
小声で囁き合うアフロディテとアルセ。
「このような贈り物、ありがとうございますレクス様。それに、迷子になった妹を保護して下さったそうで、ご迷惑をお掛けしました」
そう言うと、アフロディテは僕に頭を下げた。相手から話を切り出してくれるとは、助かった。
「迷惑とはとんでもない。異国文化の御教授に、外交の練習相手になってくれて、助かっています」
僕の発言に、アフロディテは微かに眉根を寄せた。それにしても、このアフロディテは、本当に表情に乏しい。
「帰国まで、城で過ごしてもらいたいくらいでして。本人の了承は得ているのですが、ご家族にも確認をと思いまして、どうでしょうか?」
返事が無い。アフロディテは表情を変えず、ジッと僕を見据えている。
「いえ、なにもかも至らない娘でございます。ご厚意に甘え、多大な迷惑を掛けると困ります。ハンナ様にも話をして、迎えに行く予定になっています。お世話になりました」
抑揚のない、冷たい響きの声。アルセはオロオロしている。僕は無理矢理笑顔を浮かべた。本当なら、しかめっ面になりたい所だが、我慢である。
「では、迷惑をかけられたら迎えを頼むことにします。今のところ、何一つ問題ありません。それどころか、傍に居て欲しいです。とても素晴らしい、素敵な女性ですから」
アフロディテは無反応。アルセは、え? と驚きの声を出した。
「では、失礼します。良かった、了承を得られて」
僕は軽く礼をして、応接室を出ることにした。二人の脇をすり抜ける。
客観的考察の第一弾は、セレーネの言い分が合っていそう。本心かどうか分からないが、捨て子だった義理の妹に「他人」と言い放つのは良くない。
このアフロディテは、高圧的だし、セレーネへの思慕は薄そう。義理の妹の存在を、好意的に思っていないのかもしれない。
「お待ち下さい。妹は王子様に世話になるような子では……」
アフロディテに呼び止められて、僕は振り返った。彼女は心底悲しそうな瞳をしている。ふむ。アフロディテは、単に口が悪いか言葉選びが下手なだけかもしれない。彼女はセレーネに言い過ぎたと思っていそう。
「いいえ。この国に、何より私に必要な女性です」
「あの……」
アフロディテの瞳は、ゆらゆらと揺れている。
「言い過ぎたと思って、謝罪をするつもりなら相談に乗りますよ。セレーネは、このまま僕と暮らしても良いそうです。でも、貴女とセレーネにとって、このままは良くないと思います」
チラリとアルセを確認。アフロディテを諭すような目をしているかと思ったら、大きな目を、更に見開いていた。アフロディテは……無表情のままだが、瞬きせずに僕を凝視。
「ど、どういうことですか王子様⁈ セレーネと城で暮らす? セレーネはお姫様になるのですか?」
え? はい? アルセの発言に、僕は固まった。城で暮らす女性は、姫になると思うなんて、アルセという娘はどうかしている。自然と頬がひきつる。
「いや……。アルセさん……。城で暮らしても姫にはなれません。そんなこと、常識です」
次の瞬間、アフロディテの平手が飛んできた。気配を察知出来たけれど、想像以上に速くて避けられなかった。そのことに驚愕。僕の身のこなしは、中々良いのに、回避出来ないなんて……。それに、いきなり初対面の女性に、理由もなくぶたれたことに唖然。
「田舎娘だからだと、弄ぶなど、我が妹を食い物にするなど許さん! 何が東には素晴らしい王子がいるだ! 父上の大嘘つき!」
女性に飛びかかられるなんて初。押し倒され、馬乗り。女性に手を挙げるなんて言語道断なので、なすがまま。ぼくはもう一回、ビンタを食らった。




