まだまだ気がつかない
「レクス?」
「え? ああ。いや。僕も好きだ」
何だ? 一瞬、意識を失っていた気がする。今、何の話をしていた? 僕の体を支えるフェンリスの尾に、体の位置を戻された。その後、尻尾で背中をドスドスと突かれる。
セレーネは足をぶらぶらさせて、爪先を見ている。彼女の頬は、やはり寒さのせいか赤い。
「貴方の国だものね。あのね、お父さん、王様に顔が似ているの。私、びっくりしちゃった。でね、お父さんは姉様をお見合いさせる為にこの国へ来たの。私、海を見たかったし、アシタバアピスと会いたかったからついてきたの」
ようやく、ここで「巣」が何なのか判明した。秘密よ、と言いながらセレーネが教えてくれた。流星国城近くの森に、アピスという生物が住んでいるらしい。入るのを禁じられている西森のことだ。アシタバアピスはセレーネととても親しいという、ロトワアピスの親戚。
「レクスなら、巣に行っても良いみたい」
セレーネの言葉の端々に、違和感を感じる。それが何だか分からない。知り合ったばかりで、深く踏み込むのは躊躇われる。それにしても、セレーネからの信頼の強さに、軽い目眩がする。
「姉様のお見合いに……私、邪魔そうで……。本当は喧嘩したの……。アピスの子達が私と暮らしたいって言うから、お父さんが戻ってくるまで姉様と離れていようと思って……」
時折、セレーネはぼんやりと遠くを見る。これは、エリニスに似ている。多分、セレーネはアピスと話せる。それも、目の前にアピスがいなくても。その事について質問する前に、セレーネが続けた。
「あの、えっと……私達がお世話になる方、城にいたの。ハンナさんという方……。お妃様とハンナさん、レクスが私と話をしたいようだし……。きっとレクスが仲直りを手伝ってくれるから、いくらでも城に滞在して良いって……」
母は聞き上手なので、セレーネが迷子ではないと見抜いたのか。自分はちっとも気がつかなかった。
「嘘をついて、ごめんなさい……」
「謝る程の嘘じゃない。巣に行くとか、殆ど真実だろう?」
顔を上げたセレーネが「レクスはやっぱり優しいのね」と笑ってくれた。やっぱり、という評価には胸が熱くなる。
「喧嘩か。兄弟喧嘩というのは、時に厄介だ。理由は何だい?」
「あの、えっと……。私が勝手で我儘だから……。それで、怒られて……。嫌なら出て行け、他人なんだからって言われて……。私、分かったって言ったの。でも、姉様は本気じゃないわ。私から謝れば、ごめんねって言ってくれる……」
セレーネは唇を尖らせて、視線を落とした。また、自分の爪先を眺めだす。
「セレーネは謝りたくないのか」
こくん、セレーネが小さく頷く。
「でも……明日、ハンナさんに頼んで姉様に会いに行くわ……」
「いつも君が謝っている。それに、他人って言われたことに、とても傷ついた。そんなところかな? 僕が君のお姉さんから話を聞いてみよう。喧嘩するにしても、言葉は選ばないとならない。君の言い分だとお姉さんも反省した方が良い」
そっと、セレーネは僕を見上げた。
「どうして謝りたくない理由が分かったの?」
「酷く傷ついた様子なのと、話し方かな? お姉さんにも言い分があるだろう。少し離れて、お互い自分を見つめる時間を持った方が良い。明日、僕がお姉さんに会ってみる。代わりに、薬草園の感想やアピスの事を教えて欲しい」
瞳を涙で滲ませながら、セレーネはブンブンと首を縦に振った。
「ハンナさんも同じ事を言ってくれたの。お妃様は、レクスは気配り上手だから頼んでみると良いって。頼む前に察してくれて、助けてくれるって言ってくれてありがとう。同い年なのに、レクスは凄い人ね」
笑いかけられて、僕は照れ臭くて視線を彷徨わせた。セレーネからの褒めが嬉しいし、母が知らないところで良い評価を下してくれたことも喜ばしい。
ウォン! と吠えて、フェンリスが駆け出した。フェンリスにしてはかなり速度が遅い。森を抜けて、丘を登りはじめると、フェンリスは更に速度を落とした。
フェンリスは城ではなく、城下街へ向かった。太陽の高さが、かなり低くなってきている。フェンリスは建築物の上へと登っていく。
「フェンリス、何処へ行くんだ? 薬草園は向こうだ」
僕の問いかけを無視して、フェンリスは教会の屋根へと乗った。
「歩いていても広いと思ったけれど、上から見てもそうね。夕焼けが綺麗……」
セレーネが瞳を星のように輝かせながら、感嘆の声を出した。僕も思わず息を飲んだ。
「君は幸運だセレーネ。こんなに美しい流星国は、僕も初めて見る」
約18年間も暮らしてきて、城下街は今日が一番美しく見える。それに流星国城もだ。小さく、質素な作りの、丘の上にある流星国城も煌めいて見える。
僕達は夕暮れに染まっていく街並みを眺めながら、お互いの暮らしについて話をした。僕とセレーネは、あまりにも違う世界で生活している。けれども、こうして同じ景色を見ながら、未知を既知に変えられるなんて、素晴らしい出会いではないか。
フェンリスは日が沈む前に教会の屋根から降りた。それから、城門の前まで、僕達を運んだ。城門の表ではなく、裏側。
到着すると、僕の背中を尻尾でつつき、降りろという仕草。僕達がフェンリスから降りると、フェンリスは颯爽と去ってしまった。フェンリスはよく居なくなる。
疲れただろうセレーネを部屋に連れて行き、会食の準備だな。僕はセレーネをエスコートしながら城へ入った。夕食に貝が出るか確認しておこう。
「レクス王子!」
突然、ニールの声がした。談話室から飛び出してきて、僕達の前まで駆けてきた。
「何処へ行って居たんですか! 待ってましたよ!」
「何処へって海だ。ただいま、ニール。僕はこれからセレーネとの会食準備をする。君はセレーネを部屋まで……案内しなくて良い。君はこの件では何もしなくて良い」
自分の来賓は自分でもてなすべき。僕はニールにセレーネを頼む事は止めた。誠意が大事。
「レクス、疲れた? 顔色が悪いし、表情が険しいわ。休んだ方が良いと思う」
「ん? まさか。このくらいで疲れたりしない。気にかけてくれてありがとう、セレーネ」
僕がセレーネに御礼を言った時、いきなり、ニールが手を伸ばしてきた。思わず仰け反る。
「避けないで下さいよ! セレーネにレクス? 何でそんなに親密になっているんですか!」
何だか分からないが、ニールは怒っている。そういう表情。
「そんなに親密? ああ、僕達は同い年だったんだ。親しいように見えるとは、異文化交流は順調ということだ。僕は外交も学びたかったので、良かった」
さあ、行こうとセレーネに声を掛けて歩き出す。瞬間、またしてもニールの手が伸びてきた。思わず、振り払う。
「あー! もう! 護身術が身に染みているのは感心ですが、向こうで話しましょうという意味です!」
憤慨、というようにニールが怒る。
「なら、そう口で言いなさいニール。急用か? 来賓の食事を遅らせる程の? 僕は夕食内容の確認と、ランプや簡易暖炉の手配をしないとならない」
「ひっ、何で怒るんですか? え? ランプや簡易暖炉?」
ニールは何故か少し怯んだ。
「フェンリスが飾ってくれたので、中庭で会食する。時は金なりニール。僕が仕事を色々と抱えているのは知っているだろう? 優劣をつけてくれ」
全く、困った奴だ。そう思った時、首根っこを掴まれた。気配がしたのに、避けられなかった。振り返ると父だった。
「フィズ様! あの、どうかレクス王子と……」
「レクス、せっかくなら座り心地の良いソファなども必要ではないか? 準備を手伝おう。懐かしい。かつて私も、あれこれ手配をした」
ソファ? ソファ!
「ありがとうございます父上! 外交のアドバイスとは有り難いです」
「え? 外交?」
父が首を傾げた。また、何か妙な勘違いをしているのだろう。長所の多い父の欠点。
「セレーネ、部屋まで送る。会食準備が出来たら呼びに行くよ。ニール、急用ではなさそうだから後で話そう」
「あの、会食って何?」
「ん? ああ、夕食の事だ」
「会食なら、コーディアルに頼んで、彼女に着替えてもらうと良い。髪も整え直したり、女性は色々気にする」
僕はセレーネと父と共に歩き出した。旅行鞄を持ったアンリエッタとすれ違う。彼女は目を丸めて固まっていた。幼馴染のニールの、微妙な仕事ぶりに驚いたのか? アンリエッタの後ろで、カールは珍しく顔色を悪くしていた。
城に住み込む、ティアの侍女が流星祭り前に旅行? 僕はアンリエッタに軽く会釈をした。後でティアやカールに聞いてみるかと、胸に留め置く事にする。カールの診察も必要だな。僕は振り返り、ニールの名を呼び、カールの体調を診るように頼んだ。
よし、今日は我ながら中々の気配りが出来ている。珍しく、僕は胸を張り、誇らしい気持ちを抱けた。




