無自覚、動揺王子
流星国城から、西へ向かうと、ほど遠くない所に、小さな海岸がある。白い砂浜に、透明な澄んだ海水。砂浜には、よく色とりどりの貝殻が落ちている。
フェンリスの背中からセレーネを下ろした。彼女は瞬きもせずに、食い入るように海を見つめている。
「広いわ。うんと広い泉みたいって聞いていたけれど……想像以上。それに凄く綺麗。地平線、大地じゃないから海平線? どこまで続いているのかしら」
「僕らの国では水平線って呼びます。どこまで……そういえば、そんな事を考えたことも無かったです」
セレーネがしゃがんで、砂を手ですくった。さらさら、さらさら、砂がセレーネの手から流れ落ちる。
「水平線。この砂は、何て言うのですか? あと、この固い石? 宝石? 不思議な形です」
砂の次に、セレーネは貝殻を摘んだ。しげしげと眺めている。
「砂は砂ですね。こういう場所、海の近くの砂場は砂浜って言います。これは、貝殻です」
「砂浜。砂浜って、とっても美しいですね。かいがら? 」
こてん、とセレーネは首を傾げた。貝を知らないのか。
「貝という海の、いや川にもいるんですけど……生き物がいるんです。その殻。貝、夕食に出てくるかな。出てこなかったら、明日の朝、市場に行って貝を見せます」
ふと、思い出す。ティアは貝殻を集めて、ネックレスを作っている。確か、アンリエッタの結婚祝いにするとか。彼女の嫁ぎ先なんて、まだ聞いたことがない。ティアはいつも気が早い。そうだ、貝殻を集めて髪飾りを仕立ててもらおう。それが良い。
「レクス王子様は物知りですね。それに、とっても親切。家族も優しくて、こんなに素敵な景色や、可愛くて豪華なドレスを着て……夢の世界に迷い込んだみたいです」
セレーネが近くに落ちている貝殻を拾い始めた。
「もし、僕が君の村へ訪れたら、同じようにもてなしてくれるでしょう? 街で、国民の怪我をすぐに手当てしてくれるような、素晴らしい女性ですから」
セレーネが僕を見つめた。途端に息が苦しくなる。僕は胸を押さえた。
「まあ、レクス王子様。大丈夫ですか?」
「いや、少々息が……。心臓ではなく呼吸器系の病気なのか?」
立って、体を動かす。すごぶる調子が良い感じがする。しかし、謎の息切れ。それにまた脈が速い。
「大丈夫みたいです」
「顔色は良いですよ。でも念の為、休みましょうか」
「いや、貝殻を拾おう。髪飾りを仕立てます。海のない故郷へ帰るのに、良い土産になるでしょう」
「あの、髪飾り?」
「ええ。髪結いと言っていましたから」
僕はセレーネが砂に足を取られて転ばないように、手を差し出した。
「転ばないように、どうぞ」
僕の手をしばらく見つめてから、セレーネが僕の左手に手を重ねた。やはり、働き者の良い手だ。彼女の手を引いて、海岸を歩く。
「セレーネさんには、青系や白が似合うと思います。でも、女性には趣味や好みがある。好みの色は何ですか?」
風に揺れる髪で、セレーネの顔がよく見えない。僕は彼女の顔を覗き込んだ。
「え? あの、色は水色とか桃色が……」
セレーネの視線が揺れている。彼女の頬は赤らんでいた。
「寒いです? 顔が赤いです」
自分が暑いからと、気が利かなかった。女性の方が寒さに弱い。僕はジャケットを脱いで、セレーネの肩に乗せた。
「いえ、平気です。寒くないです」
ジャケットを返されそうになる。僕は小さく首を横に振った。
「そうでなくても、体を冷やさない方が良い。熱は……なさそうですね」
セレーネの額に手の甲を当てて熱を確認。
「腫れてもないですね」
首を触診。問題無さそう。
「頬の赤みは寒さのせいですね。海の観光や、貝殻拾いは、もっと温かい時間にしましょう。二週間、滞在するなら時間はうんとあります」
僕が呼ぶよりも早く、フェンリスが駆け寄ってきた。セレーネをフェンリスの背に乗せる。女性なので横座り。
「あの、道が分かったので一人で来れます」
「まさか! 襲われたりしたら困る。女性を一人で遠出させるなんて言語道断。そんな教育は受けていません」
困惑気味のセレーネが、はにかんだ。
「私、そんな風に言ってもらったの、初めてです」
これは、どういう意味だ?
「私、強いんですよ。あちこち、いつも一人で出歩いてます。ドレスといい、こんな扱いをしてもらって、本当にお姫様になったみたい。ふふっ、レクス王子様は本当に王子様ですね」
花が咲いたような笑顔。花は花でも、道端の小さな花ではない。向日葵みたいな、大きくて明るい素敵な花。セレーネがますますキラキラしてみえる。彼女の向こうにある、海の水面の反射だろう。
「強い? 君の暮らすところでは、女性に護身術を学ばせているのです? 悪漢に襲われた時、身を守る術を持っている方が安心ですものね」
「お父さんが、あの、私を拾ってくれた義理のお父さんなんですけど……。お父さんが自分の身は自分で守れるように励みなさいって。好きに、自由に生きる為に必要だって」
僕はフェンリスの背によじ登り、跨った。セレーネの体を支える。
フェンリスは行きとは違い、ゆっくりと歩き出した。穏やかで、柔らかな風が吹き抜けていく。僕とセレーネは、お互いの家族や暮らしについて話した。
セレーネは僕の同い年だった。急に親近感。彼女は今の両親に、10歳の時に引き取られたという。その両親に本当の子供みたいに育ててもらった。義理の姉も同じく、本物の妹みたいに扱ってくれているそう。
村の名前は陽国。話を聞いた限り、村というには大きく、国というには小さそう。長がセレーネの義父。
セレーネは羊飼い、糸紡ぎをしながら薬師として勉強中。髪結いもするし、祈祷の踊り役もする。
「私、変人だから人と馴染めなくて……。家族以外と、こんなにお喋りするのは初めてよ」
「変人? そうは見えないけど……まあ、この国は変人だらけ。僕達三つ子なんて、最たる例だ。エリニスは謎の蛇、僕はフェンリス、ティアは蜜蜂もどきと仲良し。化物三つ子と呼ぶ人もいる」
謎の蛇、フェンリス、蜜蜂もどきプチラは化物では無い。なので、化物三つ子と呼ばれても、気にならない。
彼等はとても優しい世話係。生まれた時から、自分達を見守り、助け、遊び、叱責してくれてきた。両親は神の遣いだろうとまで呼んでいる。化物と呼ぶ人は単に見る目が無い。そう思う。
「化物? 人の方がよっぽど化物よ。狩ろうとしたり、襲撃してくるの。でも、お父さんが言う通り、色々な人がいるのね。私、この国は好きだわ」
今、大事な話を聞いた気がするが、それよりも一つの単語が、僕の脳内をぐるぐると回った。
好きだわ。
私、貴方が好きだわ。
え?
動揺で、後ろに倒れた僕を、フェンリスの尾が支えてくれた。




