第9話『再来』
壊れた牢の中で一人の魔人族が嗤っていた。感情の読み取れないその笑みは不吉である。果たして、何を考えているのか。
「やあ、また会ったね。」
魔人族は王に対して、僕に対して言う。いつ攻撃をされるか分からない状況に張り詰めた空気が漂う。
「……どうして、ここにいる。」
「そんなに怖い顔で見ないでよ。ボクだって戦いたい訳じゃないんだ。」
嘘か本当か分からない嘘を付く。それが魔人族だ。変わらず浮かべている笑みには嗜虐心さえあるのではないかと思わせる。
僕は徐々に距離を取っていた。魔人族と戦闘する事を考えれば、距離は遠い方が良い。魔人族の前に距離など無いに等しいが、無いよりはマシである。
「逃げないでよ、勇者。君の恐れは手に取るように分かるよ?」
魔人族は僕に一歩ずつ近付いていた。この場で最も強いであろう二人の行動に他の者は口出しできないでいた。口出しした先に見えるものが何か分かっているのだろう。
「お前の目的を教えろ。」
「ボクは誰かと戦いたいだけだよ?」
先程と真逆の事を言っている。悪びれた様子もなく嘘をつく様子を見れば、何が正解か分からなくなってしまうのだ。心理戦においても魔人族は常に優位を占める。
「他所でやってくれ。魔人族が戦えば、この国の半分は蒸発する。」
「巻き込まれる方が悪いのさ。逃げようとしない弱者が強者に責任を押し付けるのは良くないと思うな。」
魔人族は弱肉強食。人としての考え方は通用しない。話は噛み合わないままに続く。
「君は勇者だ。どうしてこの国を心配するの?関係ないじゃないか。君は記憶を探している。この国はどうでも良い。心の内ではそう思っているよ。」
心を読む魔人族が言えば、本当のように聞こえてしまう。だが、それは必ずしも真実とは限らない。
「勇者殿……それは本当か?」
王様は心配げに僕に訊ねる。
「全くの嘘です。どうして魔人族の言うことを信じられるのですか?」
「君は嘘つきだ。苦しんでいる。二つの人格の中で。ボクと一緒に来れば楽しいよ?」
嘘に真実が混ざれば、それはあたかも本当であるのかのように聞き手は受け取ってしまう。魔人族の言葉に惑わされやすいのか、王様は再び訊ねる。
「……勇者殿。其方に二つの人格がある事を、この魔人族は知っておる。本当は……。」
「王様!どうして魔人族の言葉を信じるのですか!」
強面も王様に訴える。僕も王様を見る。その姿にどこか違和感を感じる。無言で儀法を使って調べてみる。
「……王様は【呪法】を受けています。呪いです。」
王様には精神を不安定にする呪いが掛けられていた。この短時間、僕と話していたあの魔人族は、王様に呪いを掛けていた。だが、それに僕は気付かなかったのだ。
儀法を使い、即座に呪法を解呪しようとする。だが、魔人族の力が強いため、儀法に対する抵抗力が大きいのか、簡単には呪いが離れない。
「今すぐその呪法を解呪しろ。」
「そう言われて大人しく解呪するとでも?」
「勿論、そうは思わない。だから解呪させる……!」
剣を抜き、魔人族へ飛び込む。魔人族を見れば、こちらを見ていなかった。これなら……!!
剣先が魔人族と触れる瞬間、生じた勢いにたたらを踏む。
見れば、その剣先は魔人族の親指と人差し指に挟まれて抑えられている。
「まだまだだね。弱い……弱いよ!勇者は強くなければ!」
声から発する衝撃で僕は剣もろとも吹き飛ばされる。
「くはっ!」
原型を留めない牢の壁の残骸に背中を打ち付ける。気絶しそうな痛みに耐える。剣が地面に転がる音がする。目を開くと、手は届く位置だ。剣を手に取ろうとする。
「その意地は見事だよ。だけど、君の人格は痛みに対する抵抗が少ないみたいだ。どうして剣を取らせてもらえると思ったのかな?」
「痛いっ!」
手を踏まれ、剣を遠くに蹴飛ばされる。手はグリグリと足で踏みにじられる。苦痛に顔を歪ませる。
「どうしたの、勇者?これが勇者なら、早くネルロと変わるんだね。」
心を読み、ネルロの名を口にする魔人族。
「ナメるな……よ!」
踏まれていない左手を軸に魔人族の膝関節を回し蹴りする。
「おっと。」
膝が蹴られた勢いで踏む足の力が弱くなる。手を抜き、剣の元へ駆けた。剣を手に取るが、構える前に魔人族は攻撃を仕掛ける。
「どうした、どうした!剣は持つだけじゃ、使えないぞ!」
魔人族は魔力を纏った手刀で襲い掛かる。剣で防げば、威力をいなせず、剣に罅が入った。
「剣が……!」
勇者の剣と言えども、特別な剣ではない。ただの鉄剣だ。使いこなせなければ、すぐに折られてしまう。
「勇者なのに、ね!」
魔力を纏った手刀を握り締めたその拳は、僕の腹部へと吸い込まれるかのように────
「まだだ……!」
────折れた剣でその拳を防ぐ。魔人族は拳を引っ込めると同時に脛を蹴る。
「……!」
強烈な痛みに声も出ない。そんな僕を嘲笑うが如く、魔人族は倒れた僕の前に立つ。
「本当に残念だよ、勇者。人が弱点とする場所ぐらい鍛えておくべきだ。もしくは必死に防ぐべきだ。もっと食らい付くかと思ったけどな~。」
魔人族は嗤う。その笑みは変わらない……いや、変えられない。僕は魔人族の顔の表情一つすら変えられないのだ。
「……興ざめだ。鍛えろ、勇者。そして、ボクの前に立ちはだかるんだな。ボクは魔人族三人と魔獣十万匹でこの王都を襲う。月日は来る一週間後────」
……魔人族は消えていた。僕は魔人族に傷一つ付けられなかったのだ。折られた剣を見れば、悔しさが募るばかりだった。
地下牢にいる人々の中を重い空気が満たす。誰も言葉を発さなかった。ただ勇者と、折られたその剣を見ていた。
「王様……解呪されたようですね。……良かったです。」
僕は一刻も早くこの場を抜け出したかった。王様が解呪されているのを見ると、部屋へ転移した。
転移する一瞬で見た、王様達の表情は僕を憐んでいるようだった。全ては僕の心を蝕む。そして、二つ目の人格は僕に囁く。
『全ての苦しいことを忘れたいなら、僕と変わるんだな。魔人族も言っていたが、お前は弱い。何にもなれない存在は生きている価値も無い。』
『……』
『言い返すこともできないのか。』
『……』
『僕を呼び出すその時まで僕は笑いながら君を見るとしよう。』
僕のもう一つの人格は、僕だが僕ではない。それどころか僕に敵対するかのようだ。四面楚歌。かの戦士も同じ事を考えていたのだろうか。僕に味方はいない────
ベッドに身を投げだす。既に真夜中。窓から見える月は仄かに部屋を照らしている。
眠れないまま、静かに時が過ぎていた。月は少しずつ流れてゆく。流れる星は僕の願い事など叶えてくれない。
自然と僕は魔人族の言葉を思い返していた。
『弱い……弱いよ!』
頭の中で反響する魔人族の嗤い。まるで呪いのように僕を確実に蝕んでいた。この時、僕は一時も魔人族三人と魔獣十万匹による王都襲来の予告など頭から抜けていた。
「……神様、いるんだろ?」
「いつも見てるよ?」
ベッドから起き上がった僕は虚空を見ていた。声を掛ければ、僕の目の前に姿を現す。
「……ウケてくれない。」
「悪い……そんな気分じゃないんだ。」
「君の望みは分かる。だけど、口に出さなければそれは望み────願いにはならないよ?」
全てが白い少年は笑っている。笑いからは何の感情も読み取れない。本当に何も感じていないかのように。
「知っている。」
「嘘だ。神は全てを知っているんだよ。」
博識な少年は僕に語りかける。その言葉は耳から入っては、抜け出す。どこまでも声は本当の僕には届かない。
「────そんな勇者サマにアドバイスをあげよう!」
手を大きく広げ、声高らかに言った。
「君はまだまだ強くなれる!別にそれが勇者である必要はないんだ────」
「……勇者である必要はない?」
「そうさ。君は君。ネルロじゃないんだよ。今、ネルロは見ていないよ。君の願いを叶えるんだ────」
僕は心の中に一つ願いを浮かべる。一言。だが、今の僕には一番叶えて欲しい事だった。
「────」
僕はそれを口にする。少年────いや、神様は笑った。
「ああ、叶えてあげよう。」




