第3話:【烏】の口上
濡れ羽色の髪にバンダナを巻いた、十歳かそこらと思しき少年。周囲を見渡したかと思うと、こちらを見てニヤリと笑ってきた。
その笑みを見たミランは、えもいわれぬ不安感に襲われた。『月光妖眼』かと思ったが、少年の目は金色ではない。
あまり関わり合いになりたくないタイプだと思いながら、正面に向き直る。そんなミランの隣の席に、例の少年が腰掛けた。
ミランと同じような様子のクロッカスが問う。
「やぁ坊や。お父さんのお迎えか何かかな?」
「何言ってんの、ボクは立派な客として来てるんだよ。ここ最近何度か顔出してるし、見覚えない? この黒い髪」
「そ、そうだったか? 毎日毎日大勢の客が来るからね、一人一人の顔なんか覚えちゃいられないさ」
「ふぅん、ま、いいけど。あぁそうだ、注文なんだけど、あれが気になってるんだよね。何なのあれ?」
「あれって?」
「あれだよあれ。棚の上から二番目、左から四本目の」
クロッカスの問いに、少年は狙いのものを指で示す。クロッカスの眉がわずかに動いた。
「……あの緑の液体の瓶か?」
「そうそう、それそれ」
「あれはシャルトリューズといって、薬草系のリキュールつまりはお酒だ。子供の君にはまだ早いよ」
「なぁんだ、お酒なのか。てゆーか、お酒って薬草からも作れるの? 日陰に干してお湯とかで煮出したりする感じで?」
「いや、何も薬草から直接作るわけじゃない。出来上がってるお酒に薬草を漬け込んで、風味や香りを酒に移すんだよ」
「へぇ、そうなんだ。入れる薬草って何でもいいの?」
「いや、種類は決まってたはずだ」
「ふーん、無闇矢鱈に入れちゃいけないのね。根っこも入れるの?」
「いや、さすがに根っこまで入れないと思うが――」
「――あ」
「フフッ、符牒成立」
マスターと少年の会話を隣で聞いていたミランが、思わず声を上げた。少年の顔が、これ以上ないほど意地の悪い笑みに染まっている。その顔を見た途端、ミランの背筋に冷たいものが走った。
苦り切った顔のクロッカスが、肩を落とす。
「……ハァ、ほんとに、来る度にこれなんだからなぁ。むやみに言わせんでくれってのに。ほんと、噂どおりの【悪戯小僧】だよ」
「クソガキ結構、悪ガキ結構。今や至高の褒め言葉」
飄々と言ってのける少年を呆然と見ていると、相手が不意にミランに目を向けた。
「で、さっきの会話で反応したって事は、おにーさんも〈黒影衆〉の構成員、影ってわけだ」
ミランの顔から、血の気が失せる。たった一度呻いただけで自分の正体がバレてしまったのだ。ましてや自分より年下の子供が看破してきたとあれば、疑問より先に恐ろしさが湧き上がってくる。
顔面蒼白の青年を見て苦笑しつつ、クロッカスが紹介してきた。
「まぁ、気持ちは分かるが落ち着こうや。余計な傷口が増える前にな。このクソガキが、お前が探していた【烏】だ」
クロッカスの言葉を受け、少年がミランの方に体を向ける。不敵な笑みを浮かべ、口を動かす。
「知らざぁ言って聞かせやしょう。齢十一子供のうちと、ナメてかかれば大火傷。頭回して知恵絞り、舌を動かし人を食う。このボクこそ、天下御免の悪戯小僧、【道化烏】のヴンダーさ」
周囲に配慮してか小さな声量、しかし淀みなく堂々と見得を切ってみせる少年、ヴンダー。その姿を見ていたミランは、諦めたように口を歪めた。
「ハハッ、降参だ。こいつにゃ敵いそうにない……一応聞くが、信用度は?」
尋ねられたクロッカスが答える。
「能力面については、ご覧のとおりだ。〈黒影衆〉にいたって立派に草が務まるだろうぜ。現時点でな」
「人間的な意味での信用ってんなら、まぁ、自分で言うのも何だけど信じてもらうより他にないよね。でも、誓ってコイツに泥を塗るような真似はしない」
どこかおどけたようなヴンダーの態度が、真剣なものへと急変する。彼が示したウエストポーチには、獅子を象った意匠のピンバッジがついていた。
ミランが笑みを深める。
「そいつぁちょうどいい。お前さんとこから受けた依頼について、相談したかったんだよ」
「へぇ、そりゃあ面白そうな話だ。でも時間が時間だし、場所もここじゃない方がいいよね。明日、太陽が顔出したくらいにまたここに来るよ。そん時にマスター、奥の部屋使わせてよ。いいよね?」
「あ、ああ」
クロッカスの了承を得たヴンダーは、んじゃそゆことでよろしく、と席を立つ。ふと疑問に思ったミランが問う。
「時間がって、何か予定があるのか?」
「何言ってんのさ。もう夜だよ? 子供はそろそろ寝る時間さ」
呆気にとられるミランをよそに、ヴンダーは片手を上げて挨拶し店を出ていった。
後に残されたミランに、クロッカスが言葉をかける。
「どうだ? 【烏】と顔合わせた感想は?」
「……恐ろしい男だよ。あれは。ホントに十一歳か? 大人が子供に化けてるんじゃないのか?」
「まぁ、そう思うのも不思議じゃないな。あれが天性ってやつなんだろう」
「とりあえず、あれは敵に回したくないな。いや、こっち側の誰を敵に回しても厄介なんだけど、あれは特に」
「同感だ」
ミランは気持ちを落ち着けるため、強めの酒を注文した。チビチビと時間をかけて飲み終えたところで、ようやく血色を取り戻したのであった。
翌日。ヴンダーとミランは、店の奥にある秘密の部屋で再度顔を合わせ、今回の任務について作戦会議を行った。
それから約一ヶ月後。『勇者』の下に、影が忍び込む。