第2話:【蜃気楼】
日が地平の果てに沈み、夜の帳が下りかけた頃。とある街の片隅にあるバー『白詰草の黄昏』に、一人の青年が姿を現した。
ダークブロンドの髪色をした、取り立てて特徴のない、どこにでもいそうな平凡な顔立ち。そんな彼がカウンターの片隅に腰掛けると、マスターが声をかけてきた。
「いらっしゃい。何にする?」
「そうだなぁ、とりあえずコーヒー、ブラックで」
「ブラックコーヒーだって? 正気か? グリーンティーならまだ分かるが」
「うわぁ出たよアンタもそのクチか。ほんと日陰者だよなブラック派って」
「そりゃあそうだろ。あんな苦いだけの液体なんて飲めたもんじゃない。草場で親が泣いてるぜ?」
「理解されないってのは悲しいことだね。こんなんじゃ俺達ブラック派の行く先なんて真っ暗闇じゃないか」
「おっとこりゃあ重症だ。ずいぶん根っこが深いようだな」
端から聞いてて呆れるような下らない会話。しかしやりとりが途切れたとき、二人の目は笑っていなかった。その雰囲気に表情がついていき、マスターも青年も真顔となる。
呟くような小さな声で、マスターが名乗る。
「【白詰草】クロッカスだ」
「【蜃気楼】ミラン」
軽く頭を下げて、同じような声量で呟く青年ミラン・バーシュ。その名前を聞いたクロッカスの眉がわずかに動く。
「ほう、お前が【蜃気楼】か。確か『月光妖眼』の持ち主と聞いたが?」
「誰彼構わず怖がらせても仕方ない。普段は隠すようにしている」
そう言って面を上げたミランの眼を見て、クロッカスは内から湧き上がる不安感に襲われた。月光の如き光を湛えるその眼は、確かに人心を揺さぶる魔眼だ。
相手が十分理解したと見て、ミランは眼に幻術をかけ直す。安堵した様子のクロッカスが、厳かに告げる。
「さて、【蜃気楼】。ダーク・シャドウからの伝言である。『召喚された勇者の影に潜み、探れ。委細は任せる』」
「……これはこれは、大仕事だな」
表情に出さないようにしつつも、驚きを隠せないミラン。その顔を見たクロッカスが、頬を歪める。
「それがお前の能力に対する評価だ。【図書館の番人】も、信頼と期待を寄せているようだ」
「ん……なるほど、あの情報オタクの差し金か。ということは連中、『勇者』をとことん潰すつもりだな?」
「ご名答。で、どうする? 選択はお前の自由だが」
「面白そうな話じゃないか。せっかく買ってもらったんだ。せいぜい期待に応えてみせようじゃないか」
不敵な笑みを口の端に浮かべ、ミランが答える。その返答に満足したクロッカスは、マスターとしての営業の顔に戻る。
「さて、何か欲しいものはあるかい? 軽食くらいなら出せるぞ」
「だったら、甘い蜜たっぷりのパンケーキが食べたいな。あと、【烏】の居場所が知りたい」
「……情報料は高くつくぞ? と言いたいところだが。ちょうどあちらさんから来たようだぜ」
マスターの視線を追い、新たにやってきた客の姿を見る。
こちらへ向かってくるその客は、幼い一人の少年だった。