#56 塩水は案外溶けない
忙しくて更新できないうちにだいぶ間が空いてしまいましたが、いろいろ片付いたので徐々に更新頻度を上げていこうと思います。
大地を切り裂いて進む戦闘艇。
豪雨に煙る、さらにその向こう。進行方向に不穏な巨影が現れる。
視認は難しいだろうが、俺の魔法感覚はそれを明確に捉えていた。
アルマジロの甲羅のような鉄装甲を付けた、巨大なナメクジだ。
暴徒鎮圧用大型鉄装ナメクジは、30年ほど前にガッデム社によって開発された生体兵器だ。
ナメクジの魔物であるジャイアントスラッグに装備を載せたもので、その名の通り暴徒(民主主義者とか)を轢殺するために用いられる。
ジャイアントスラッグの側に知能らしい知能は無いものの、機械部分には各種センサーと高度に祝福的なAIが搭載されており、容赦の無い索敵および無慈悲な攻撃の判断が可能。そしてジャイアントスラッグに突き刺した電極によって、その行動を(食欲以外は)完全に制御している。
……という目眩がするような解説を出発前にアンヘルから聞いた。
とにかくこいつらは、その巨体と堅さから、突撃してくる暴徒(民主主義者とか)やサンタクロースカルト過激派のトナカイバイクを阻止するために肉の盾として利用されるのだとか。
足止め用のナメクジを取り囲むように、周囲には戦車や大砲を備え付けた軍隊がスタンバイ。魔導兵っぽい連中も混ざってる。だが気休めだ。第一防衛線にはサイバネ強化兵も魔人も居ない!
塞がれていた天井のレーザーガンは、戦闘艇から10km圏内に入るにつれて魔法で開栓されていく。
そのまま撃ったところで魔導兵に防がれる可能性は高いし、実際魔導兵は上空へ向けて対エネルギー兵器のバリアを張っている。しかし、俺だって無策じゃない。
『……鎮まれ!』
心の中で叫ぶと同時、俺は最大出力で魔法を放った。
10km圏内全てのナノマシンに『何もしない』をさせることで行動を占有する。
……ただし、船の周囲だけをドーナツ状に対象外としてだ!
なにも俺はこの5日間、作戦会議だけやってたわけじゃない。
魔法の制御、特に魔法封じの範囲制御訓練だけを徹底して積んできた。
俺は魔法力を事実上無限と言えるほどに持っているが、魔術師としてのキャリアは約10日。器用にあれこれやれるレベルになるのは無理だ。
だからとにかく一点突破! これだけでもできるようにしておいたのだ!
『千里眼』の視界に映るのは、魔法が突然使えなくなり狼狽える魔導兵たち。周囲がその異常に気が付くよりも、俺の『天罰』の方が早い!
Zap! Zap! Zap!
豪雨に色を添えるかのように裁きの光が降り注ぎ、周辺に展開した兵士達を、巨大な人型ロボを、暴徒鎮圧用大型鉄装ナメクジを貫く!
大地を駆ける船は全くスピードを緩めず、一瞬で静まりかえった防衛線を突破していった。
*
「50km防衛ライン、無抵抗で突破されました!」
教会本部上層124階にある、祝福的異端排斥司令室に緊迫した声が飛ぶ。
「落ち着け、あんなものは小手調べだ。次に備えろ」
「はっ!」
壇上から重々しく言う者があって、司令室に生まれかけた動揺は、若芽のうちに踏み潰された。
司令室は例によって、大学の講堂か何かのように奥に向かってすり鉢状。
ただし最奥中央は杯のように高くなっており、白と金に装飾された神聖円卓に軍の最高幹部達が座す。そしてそれを取り囲むように端末とオペレーター達が整然と並んでいた。
この司令室が事実上、教会軍事の頂点だ。
普段の仕事は暴徒(民主主義者とか)や魔物、カルトを駆除する程度。
時には重武装犯罪組織と鍔迫り合いをすることもあるが、全面戦争はしない。お互いに得るものより失う物が多いからだ。
そうした仕事内容に見合わないほど教会軍は強大な組織である。
理由はただひとつ。『この日のため』。
正面切って神と戦うという事態を想定し、100年以上もの間、無駄飯食いの汚名に耐えてきたのだ。
「……奴の狙いをどう見る?」
将官のひとりが切り出すと、円卓に座す幹部達と、一段下の席についた参謀官僚達が意見を述べ始めた。
「やはり水攻めかと」
「汚染海水を毒として用いるのでは?」
「雨はチャフ対策に過ぎないのではないでしょうか」
「水ではなく、あの船が要という可能性も」
皆、自分自身の意見にすら釈然としないようだった。
拍子抜けするくらい敵の戦力規模が小さいのだ。この状況下でどうする気なのか、今ひとつ見えてこない。
「……ところで、電力の状況はどうなっている?」
「はっ、先程停止致しました教会地下の『雷泉』全七基、未だ復旧の目途は立っておりません」
将官に問われ、参謀官僚のひとりが答えた。
それを聞いて将官達は同時に溜息をついた。
「復旧は無理だろう。おそらく、元から止められている」
「備蓄電力は」
「通常業務でしたら2ヶ月間、戦闘配備の場合は概算44日間、『ミストルテイン』を撃ち続けた場合は103発に相当します」
「十分だな。もっとも、我らはそのつもりで備えてきたわけだが」
7基の『雷泉』の上に建つ教会本部だが、もし神との戦いになれば、『雷泉』からの電力供給が止められることは想定済みだ。地下には超大型複合バッテリーユニット室が存在し、『雷泉』から供給された電力を常時溜め込んでいる。
いつ『雷泉』を止められようが、しばらくは籠城できるのだ。
「しかし何故、奴はもっと早く『雷泉』を止めなかった? 多少はストックを減らした状態で当たれただろうに」
「そこは察しが付くぞ」
年配の将官が、整えられた白いヒゲをいじりながら言う。
「もし『雷泉』を早期に止めれば、我々は市民からバッテリーを徴用して戦いに備えただろう。
我らはさして困らず、民は苦しむ。それを厭ったわけだ」
「なるほどな」
話を聞いていた将官が顔をしかめた。
「高潔すぎて嫌になる」
戦いの場においてすら清き理想を追求する。
愚かに思いながらも、それを貶めることは憚られた。
理想。置き去りにしてきた言葉だ。
理不尽と折り合いを付け、時に自らの手を汚し、甘い汁を啜りながら不完全な解決策を模索していく。それが教会幹部の仕事だ。
その一瞬、将官達は己の行いをしみじみと省み、わずかばかり良心を痛ませた。
「それにしても、敵はなぜ『雷泉』を止めるような力を……?」
参謀官僚のひとりが疑問を口にする。
その言葉には、将官のひとりが鋭く反応した。
「それは教会の機密だ」
「「「了解致しました、祝福的です」」」
将官の一言を受け、参謀官僚達は一斉に了解の意を示した。疑問を呈した者以外も全員。
祝福的精神培養プログラムによる条件反射だ。彼らはもうこの件に関して考えない。
この部屋で、神の真実を知るのは一握りの幹部だけ。
他の参謀官僚やオペレーターは、優秀だが家柄や学歴の問題で幹部になれない者達を引き抜き、非常に高コストなプログラムを経て、高い思考能力と教会に疑問を持たない祝福性を両立させた神聖歯車だ。
いくら賢くても思考能力の根幹を破壊されているためこれ以上の出世は望めないが、教会本部の司令室勤務という時点で十分に祝福的なので概ね問題無いだろう。
ちなみに雑用は他の部署と同じように、低コストなプログラムによって祝福的な精神を促成培養した者達が勤めている。
「私は祝福的で心穏やかです」
穏やかな表情の雑用係が、束にした書類を持ってきた。
司令室長(防衛作戦の指揮官でもある)はそれを受け取って、実印が確かに押されていることを確認してから読み始めた。
そしてすぐに彼は顔を上げ、皮肉めかして笑った。
「あー、諸君。試運転の許可が下りたぞ」
円卓に並んだ将官達に緊張が走った。
「これが敵への挨拶代わりだ……『こんにちは』が『さようなら』になるかも知れんがな。
さっそく『ミストルテイン』をぶち込んでやるとしよう」