#43.5 いともった?
「なぁ、お偉いさんってのはバカなのかね」
薄暗い地下の控え室には、換気扇が回る音と、その男の愚痴だけが嫌にうるさく響いていた。
青白く輝く天井近くのディスプレイには消音されたテレビ放送が流れている。
教会幹部や財界人が一発芸や歌唱を披露する講演会だ。会場は大入り満員、わざとらしいまでの大盛り上がり。購入されたチケット代や視聴者からの投げ銭は、浄財として教会の異端信仰弾圧事業に全額寄付されるチャリティ番組だ。現在は食料鉱石調達局の局長が、人間の忍耐の限界を確認するための独創的実験手法とも考え得る極めて独創的な歌唱を行っている。
なお視聴率が落ちた場合は番組の演出が悪かったものと見做され、番組スタッフが祝福的に責任を取るシステムとなっていた。ステージ脇には人がひとり入れる大きさの檻が並んでいて、『40%』『30%』と書かれた檻には炭化した人型の物体が入っている。現在は『20%』の檻に入ったAD(電球付きハチマキのような超高圧電流発生装置を装着している)が『21.2%』という視聴率表示を青い顔で眺めていた。
男の愚痴はこの番組に向けられたものだろうか? いや、違う。こんなものはいちいち論うに値しないほどありふれた光景だ。
「せっかく100年以上追いかけてたカルト連中の巣を見つけたんだ。すぐにでも軍を流し込んで皆殺しにするべきじゃないのか? なんでまた俺らだけを出す?」
愚痴を言う男は、外見的には30代半ばほど。
小さな体をサイバーガジェットの鎧で包んでいる、技師風の男だ。いや、鎧のように無数のサイバーガジェットを身につけていると言うべきなのかも知れない。暗視ゴーグルのようなもので視界を覆い、その表情を伺うのは難しい。
不気味で胡散臭い姿をした男だが、彼の顔の下半分を覆っている、金白の装飾が施され聖印が刻まれた神聖ガスマスクを見れば、彼がそれなりの地位にある事は誰にでも分かるだろう。
技師風の男は口の中でこまめに悪態をつきながら、籠手状の端末に何かを撃ち込んでいた。
彼が話しかけている相手は(その愚痴が誰かに向けたものであるとするならばだが)、壁際に座り込んでいる四十がらみの男だ。
こちらはかなり体格が良い。荒縄のごとき髪は、何故か真っ白で、それを後頭部で括っていた。
全身を、細かくパーツ分けした黒灰色の鎧で覆っている。サイバーガジェットではなくただの鎧だ。人間工学に沿った機能美溢れるデザインの鎧は、人型戦闘ロボットのような印象すら受ける。
瞑想するように目を閉じていた重装の男が、目を開ける。そして手にしていた劣化タングステン製ティーカップから、原料の半分が非公開の青白く輝く合成ルイボスティーを啜った。飲んでも3時間は死なない程度に安全な飲料だ。
技師風の男はかまわずしゃべり続けた。
「おまけにリクエストもおかしい。お前はいつも通りだから良いとしてよ。
俺のこれ、リモート回線を閉じて! 有線で指令を出せってんだぞ!
何を心配してるんだって話だよ。こいつがハッキングされるとでも?」
ブツブツと続く愚痴を見かねたように、重装の男は口を開いた。
「……お前と仕事をするのは二度目だが、前回は言わずにおいてやったことをひとつ忠告してやろう」
重々しく、しかしその口調は嘲笑うようでもあった。
「おしゃべりが過ぎる奴は長生きできんぞ。胸に秘めるということを覚えろ」
「じゃあお前は納得してるのかよ」
あからさまに気分を害したらしい技師風の男が、作業の手を止めて睨み付ける。
それを重装の男は鼻で笑った。
「納得もクソもあるか。いいか? 俺達が受けた命令は『移動中を襲え』だ。出るのは俺達だけで、装備も手順も指定された。
敢えてそのような作戦を採る以上、そこには意味があるのだろう。……少なくとも、そう思ってやるしかない。
それでこれまで上手くいってきたんだ……次も上手くいくと信じるしかなかろう」
「へぇへぇ。お利口さんですね、っと」
技師風の男は、道端に労働ガム(噛んでいる間、多幸感に満たされて疲れを忘れられるガム)を吐き捨てるように言った。
「それに」
重装の男は静かに付け加える。
「何の心配がある? カルト連中ごとき、俺の剣とお前のお人形遊びで皆殺しにできるだろう」
「そいつぁ違いねぇ」
『お人形遊び』という侮蔑じみた言い方をされても、技師風の男が気を悪くした様子は無かった。
重装の男は、自分の隣に立てかけてあった剣を鞘から抜き放つ。
それは、巨大な日本刀だ。
画像加工ソフトを使って、柄の太さ以外を2倍に拡大したような歪な代物。相当の重量があるであろうそれを、重装の男はピタリと構え、刃の煌めきを確かめるように眺めてから鞘へと戻した。
彼は教会のサイバネ強化兵だ。サイバネによって異常強化された肉体と武術によって戦う一騎当千の戦士。
火器類は確かに強力かつスタンダードな武器だが、力が無くても扱える代わり、誰が撃っても同じ威力しか出せない。
そして携行可能な火器の威力では、サイバネによる防御力増強や魔法による防御に対する有効打撃にはなり得ない場合も多いのだ。……少なくとも、方舟における現在のテクノロジーレベルでは。
それ故、サイバネ強化兵はまるで中世のそれのような武器を好んで使う。人が強くなりすぎたために武器が退行するという、奇妙な現象が起きているのだ。
では、技師風の男は何者か?
腕の端末を操作する技師風の男の傍らには、もうひとつの人影があった。
それは、細く、小さく、歪だった。
外見からは男女どちらとも付かないが、少なくとも10代前半程度に見える。……それが生きた人間であるとすればの話だが。
ボディスーツのような装甲は光を吸い込むかのごとき漆黒で、半ばボンテージ衣装めいた雰囲気を醸し出す。
『人形』と言われたものは、頭に奇妙な機械を被っている。黒光りするそれは、原始期のVRヘッドセットのようでもあった。小さな体とは不釣り合いで、頭でっかちなシルエットを描き出す。
辛うじて露出している口元は作り物めいて動きが無く、何の表情も読み取れない。
ほっそりとした腕には、趣味が悪い装飾品か何かのように、いくつもの魔晶石が輝いていた。これだけではなく胴体の装甲の下にも魔晶石が存在する。
本来、魔晶石はひとりひとつしか装着できない。
複数個装着しても、魔法を処理する方舟の一般魔術師用サーバーが遺伝子認証を行い、ひとつの魔晶石しか有効化しないためだ。
しかし教会は、身体の部位毎に遺伝子操作を行って別人であると偽装し、複数の魔晶石を身につけた兵器を作り出すことに成功した。
それが、魔人である。
重装の男は魔人を見て鼻を鳴らした。『野蛮な技術だ』とでも言うように。
複数の魔晶石を装着させる事によって、魔人の実質的な魔法力は常人離れしたレベルに引き上げられている。
だが、魔晶石から多重の精神的同調を受け、高負荷に晒された精神は崩壊する。
そのため、基本的には、インプラントコンピュータに戦闘AIをインストールして体を動かさせるしかないのだ。いわば、肉の体を持ち魔法を使える戦闘アンドロイドである。
無理な身体改造により免疫系の拒絶反応が起こる事も多く、その命は短い。
……通常であれば非人道的技術と呼ぶべきだろうが、教会のすることなので祝福的である。
AIだけでは作戦行動に不足が生じる場合もある。そんな時に同行するのが魔人に指示を出す『人形師』……オペレーターだ。技師風の男はつまり、この魔人のオペレーターだった。
サイバネ強化兵と魔人。それは教会にとって秘された戦力。特に重要な戦場に出向き、秘密裏に全てを平らげる。
だが教会内部どころか所属する人員にすら隠された本来の存在理由は『対神戦力』。教会の切り札だった。
「支給品だ。なるべく破損させずに返せ、とのお達しだぞ」
「分かってら」
サイバネ強化兵の男が、オペレーターに何かの包みを放って渡す。
包みを解いて広げるとそれは鈍色のレインコートのようなものだった。
オペレーターにレインコートを押しつけられた魔人は、機械的な動作で袖を通す。
天井近くのディスプレイの中では、新たに『10%』の檻に入れられたディレクター(電球付きハチマキのような超高圧電流発生装置を装着している)が祈りを捧げていた。
「では、手筈通りに」
「ああ」
サイバネ強化兵が立ち上がり、出入り口の扉に手を掛けた。
オペレーターは魔人を伴い、静かに続く。仕事の時間となれば、それ以上の言葉は要らない。協力して作戦を遂行するだけだ。
表舞台に立つことが無い、教会の切り札……
教会の影に属する者同士として、2人の間には奇妙な仲間意識も存在しているのだった。
彼ら3人(あるいは2人と1体と言うべきか)が身にまとったのは、今やオーパーツと化した武装。
天罰を含む光学兵器を無効化する外套……対神兵装『驕らぬ者の翼』である。