#42.5 Perhaps your next clone will do better.
#41の次に#42.5になってますがミスではありません
一時は姿をくらましたというのに何事も無かったように典礼への出席予定をこなさせられたシャルロッテは、その晩、理由さえ判然としないまま、宿泊予定を取りやめて密かに教会本部街へと戻るよう祖父エーリックから指示を受けた。
理由が説明されないとは言え、シャルロッテ本人は少なくとも察しが付いている。
何があったのか、聞き取りをするためだろう。
おそらくは、エーリック直々に。
天を突くような教会本部は、三層ぶち抜きの構造であるため、この世界で最も高い建物だ。
その麓には方舟最大の都市『聖都』が広がっている。……名前を持たぬ街であり、『教会の街』や、ただ単に『聖都』と呼ばれている。
『聖都』でも教会本部に特に近い場所は、教会の高官のみが住むことを許される最高級の住宅街だ。教会軍によって厳重すぎるくらい厳重に警備され、間違って近付いた巡礼者や観光客が射殺される事件も少なくないが、この世界を導くVIP達をカルティストや暴徒(民主主義者とか)から守るために必要な措置なので祝福的であり概ね問題は無い。
シャルロッテが向かわされたのは、神の住居である『神殿』ではなく、ハセガワ家の邸宅だった。
西暦時代の王族の宮殿のごとき邸宅に数日ぶりで戻ったシャルロッテは、古代野外劇場の観客席のような階段をひとりで下り、地下へ向かった。この先は普段、護衛すら付いてこない。最も近しい護衛であるクララさえも立ち入りが禁じられている。その時々、必要に応じてエーリックが呼びつけた人物のみが立ち入りを許されるのだ。無断で立ち入る者は無人定置機銃で蜂の巣にされる。
「何故、このような場所に呼んだのじゃ……?」
シャルロッテは、あまりこの場所に来たことが無い。
飾り気の無い気密シャッター扉が並ぶ。
これは、教会本部にも通じている地下施設だった。そんな教会本部を私物化するようなマネは、他のどの枢機卿も許されていない。ただ、その無理を押し通すほどにエーリックの影響力が強大なのであった。
秘密研究所のような無骨な地下通路は複雑に枝分かれしており、まるで迷路だ。しかし、今は分かれ道に来る度、一本の道だけに照明が灯されているので迷わずに済んだ。
自分の足音が嫌に大きい。誘うような照明をたどっていくうちに、少しずつ鼓動が強く早くなっていった。
「あっ……」
やがて、シャルロッテを導いていた照明はぶっつりと途切れる。目の前の一本道には闇がわだかまり、代わって隣の気密シャッター扉が、獲物を丸呑みにするヘビの口のように開け放たれていた。
「……お祖父様?」
呼びかけつつ入室すると、シャルロッテのすぐ背後で滑るように扉が閉まった。
そこはいかにも何かの研究施設らしき部屋だった。
壁際に何らかの機械や、機械制御のタンクらしきものがいくつも並び、床には巨人向けのパスタの如く無数のパイプがのたくっている。
天井から垂れ下がる細いケーブルと、床を走るパイプは、全て、部屋の中央にある筒状のデバイスに接続されていた。
シャルロッテは、『千里眼』の画面で見た、神の体を収める保護筐体を思い出した。ちょうどそれと同じような、円筒形の物体なのだ。ただし、曇ったようになっていて、中に何が入っているかは見通せない。
「よく来た、シャルロッテよ」
声が降ってきて、シャルロッテは振り仰ぐ。
部屋の高いところには、部屋をぐるりと囲うようにテラス上の通路が渡してあって、そこからエーリックが見下ろしていた。
人間味の無い、彫像めいた、それでいて突風のような圧を感じる眼差しが降ってくる。
シャルロッテは、後ずさりしそうになる足を意識して引き留めた。
己を神の立場に据えて、自らが実権を握った、教会権力の頂点に立つ化け物じみた老爺だ。
いわば、今シャルロッテはこの世界と対峙しているようなものだ。
「お祖父様……いや、教皇と呼ぶべきか?」
「お祖父様で構わんよ。プライベートの話だ」
全く親しさを感じさせない口調でエーリックは言った。
シャルロッテの頭の中で、様々な計算が渦巻く。
今、シャルロッテは知り得たばかりの世界の真実について、この化け物を問い詰めたいという怒りに似た衝動を覚えていた。
しかし……そんな事をして何になるだろうか? 問うまでもなく、エーリックはシャルロッテが言いたいことを把握しているだろう。こんな場所に呼びつけたくらいなのだから。
なれば、まずは穏便に出方をうかがい……
――否。
ふと、シャルロッテは、たった今自分が空を飛べるのだと気付いたヒナ鳥のように、世界の広がりを感じた。
自分は吹けば飛ぶような小さき存在で、エーリックの気まぐれひとつでいかようにでもできるのだと思っていた。そしてそれは、未だに客観的事実であるのだろうが……だからと言って、甘ったれたことは言えない。
――臆するな! わらわこそが神ではないか。
わらわが奴を止めねば、誰が止めるのだ!
たとえ傀儡・道具であろうと、もはや自分はエーリックが教皇として権勢を振るうため不可欠なパーツのひとつだ。
10のうち9を思い通りにできぬとしても、残りの1を押し通す。そのためには最初から気持ちで負けているわけにはいかない。
でなければいつまでも操り人形のままだ。
「行方知れずになったと聞いた時は、心配したぞ」
「心配を掛けたようじゃな。痛み入る」
――心にも無いことを言う。
シャルロッテは心中で、エーリックと自分を同時に嘲笑う。
そして小さく息を吸って、シャルロッテは覚悟を決めた。
「少しばかり外の空気が吸いたくなったもので、散策に出ておったのじゃよ」
「……ふむ」
エーリックの相づちは、全く意外そうではなかった。
――落ち着け。ペースを飲まれるな。
「その折に、面白いことを聞いたのじゃ」
「だろうな。実は私もその要件でお前を呼んだのだ。……ご覧」
パンパン、と良い音を立ててエーリックは手を叩いた。
ゴボッ……
怪しげな音が、部屋の中央にある円筒形の物体から響く。
シリンダーは急激に曇りが薄れていき、中に入っているものを露わにした。
「な、あ、あ、あ……!?」
流石のシャルロッテも完全に絶句した。
容器の中には蛍光グリーンの液体が満たされ、その中にはひとりの少女が浮かんでいた。
年齢相応に均整の取れた体格。一糸まとわぬその体は、未だ女性らしさの見えないものなれど、磨き上げた大理石のような玉の肌だ。あどけなさと気品が同居する顔立ちで、眠るように安らかに目を閉じている。
そして浮力を受けてふわりと広がり、体を包む美しい金髪……
そこには、シャルロッテが居た。
「なんじゃ……!? なんじゃこれは!?」
「クローン、というやつだ。
肉体の調整が終わったのはついさっきだが……もう使えるぞ」
「使う!? 何にじゃ!?」
「知れたこと」
エーリックは低い声で、押し殺したように笑った。
「お前の代わりだ」
「ぐ……!?」
心臓に刃を突き込まれたような思いと共に、シャルロッテは全てを理解した。
僅かに嫌な予感はしていた。
こっそりと抜け出すような夜中の帰還。
見送りすら無かった。
そう、まるで、神が居なくなったことを隠しているようだった。
しかしシャルロッテが想像していたのは、聞き取りの後に、睡眠の代わりに祝福的労働薬(用法用量を守ってご利用ください)を飲ませて、朝が来るまでに強行軍で帰らせ、翌日の予定を何食わぬ顔で消化させる……程度がせいぜいだった。
まさか、代わりを送り込むだなんていう、倫理観をαケンタウリ星系に置き去りにしてきたような手を取るとは、いくらなんでも考えていなかったのである。
「……お前の記憶、その脳に存在する精神の全ては、魔晶石を通じてデジタル化したデータの吸い出しを行い、毎晩24時にバックアップが行われている。
それを植え付ければ正真正銘、このクローンがお前……ただし、今日という日を知らぬお前だがな」
背中を虫が這い回っているかのような、寒気と嫌悪感を、シャルロッテは感じていた。
「教会が隠しておった、この世の真実をわらわは知った。
察しておろうが、真の神と出会い、直々にな。
……それを知ってしまったわらわは、もはや不要と言うか」
「まさか。その程度で首をすげ替えていられるか。
……『代わり』を見せて脅し、言うことを聞くなら、まだよしと思っていた。だが、こうしてお前を見て気が変わった。今のお前は危険だ」
「危険じゃと?
万民の幸福と世の安寧を願うこと。己が保身のため世を蝕む教会に疑問を抱くこと。それを危険と申すか、お祖父様」
「教会に反抗的である、というだけなら、凡百のカルティストと変わらぬ。そんなものは、ただの利かん坊よ」
矢を射かけるように見上げ、エーリックを睨み付けるシャルロッテ。
それを見下ろすエーリックは……シャルロッテが見たことも無いような表情をしていた。
己の手を血で汚しながら、どす黒く腐臭漂う組織内政治を戦い抜いた古強者エーリック。彼が政敵と向かい合う時の顔だった。
「その目だ! 腹をくくったな。もはや、お前は昨日までのお前と違う……!
何を見たか、何を聞いたか、ここで敢えては問わぬ。
だがお前は、もはや傀儡の神になど収まらぬ。この私にすら取ってかわる者、覇者の器となった!」
エーリックはシャルロッテを、自らに匹敵しうると認めた。少なくとも、一矢報いるだけの力はあると。思うままに飼い慣らすことはかなわぬと。
シャルロッテはその自分自身の変化を、朧気に感じ取ってはいた。だが、こうしてエーリックから指摘されたことで、より明確に自覚した。
人の本性や性質を見抜くことに掛けて、エーリックは熟達している。そうでなくば魑魅魍魎うごめく教会組織を頂点まで上り詰めることなどできなかっただろう。
あの祖父を自分が恐れさせている……
それはシャルロッテにとって殊勲でもあったが、同時に、今ここでこうしてエーリックに警戒され潰されてしまうという絶望でもあった。
「故に、お前が神として存在してはならぬ。
クローンを目覚めさせよう。お前が『シャルロッテ』として表舞台に立つのも、今日限りだ」
「くだらぬ。わがお祖父様ながら、どうしようもない小物ぶりよ。
それで何が変わる。次のわらわが反抗するようになれば、またクローンを増やすのか?」
「いいや、まさか」
自分自身に呆れているような力の無い口調だった。
「このクローンは、昨日までのお前の記憶を書き込むために……インプラントコンピュータを埋め込む処置を施してある。
これから先の記憶もコンピュータに保存することで、その部分的削除や改変などの編集が容易となる……
はじめからこうしておくべきだったのかも知れない……私は、らしくもなく情けを掛けてしまった。このようなやり方をお前相手にしたくはなかった!
だが、次のお前は、もっとうまくやる。二度とこんな失敗はしない」
「外道が……!」
シャルロッテは吐き捨てた。
あくまで外付けの通信機でしかない魔晶石に対して、インプラントコンピュータは実質的に脳そのものの改造だ。
どちらかと言うと非人道的な改造と思われており、抵抗感を持たれることも多い。まして他人に無理やりインプラントを植え付けるなど言語道断で、法的にも重い処罰の対象になっているほどだ(祝福的な理由がある場合を除く)。
侮蔑を込めたシャルロッテの視線を、エーリックは受け流す。
「道も徳もあったものではなかろう。我らが務めは、この世を正しく導くこと、ただそれだけだ」
「ちゃんちゃらおかしいわ! 貴様らがこの世を導いた結果がこれなら、何もかもが間違っておる!」
シャルロッテの抗弁にも、エーリックは溜息をついただけだった。聞き分けの無い子だ、とでも言うように。
そして、厳しく自分本位でありながら、多少は家族の情というものを感じさせる、幼き日のシャルロッテが見た祖父としての顔になる。
「安心しろ、シャルロッテ。お前を処分するようなことはしない。
何一つ不自由はさせない……それに、神という立場の重圧と責務は今日限りだ。
お前は鳥籠の中に居る限り、自由だ」
――そんなもの、死ねと言うに等しいではないか……!
この期に及んで自らのことなどシャルロッテは顧みなかった。
傀儡の神であろうと、この世界のためにできることがあるはずだと思ったのに、ただ、その道が断たれようとしていることが、我が身を切り刻まれるかのように無念だった。