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#32.5 パンキッシュ・ラム

 母子家庭で育ったレオンは、過労で体を壊した母が診察申請を却下されて病院にかかれず死んだことで幼い頃から教会に疑問を抱き、批判的に見ていた。

 ……教会職員であった叔父は、母の葬儀で『私立病院にもかかれないほど貧乏なのが悪い』と言い放った。それは教会への不信感を決定的にする出来事だった。

 だがレオンは、教会への批判が絶対のタブーである事も子どものうちから分かっていた。母を見捨てた教会への不信を口にするだけで、周囲の人間から諫められるか、叱られるかのどちらかだったから。


 教会がどんなに不満を言う口を塞いでも人々に不満は溜まっていくわけで、ネット上には匿名で教会政府を批判する声が少なくない。レオンもまた、そのひとりだった。

 発信元の情報を偽装し慎重に行動していたが、発言の内容そのものは(『嘘とデマを言わない』という以外は)自重しなかった。たとえ教会に届かないとしても胸の中に渦巻く怒りをどうにかして吐き出していないと、おかしくなりそうだったから。


 ――いつかこんな日が来るかも知れないと、考えた事もあったなあ。


 荷運びトラックのような外見の護送車は、後部が拘束スペースになっている。

 拘束用の反重力タンカに縛り付けられ、さらにその状態で社内に係留されているレオンは、分厚くクッションが張られた天井を睨みながら自分の人生に想いをはせていた。


 これから自分はどうなるのだろうか。少なくとも、今日中に無事に家に帰って、いつものようにパソコンでゲームをしながら違法アーカイブで西暦時代の違法アニメ(民主主義とか、教会の治世に相応しくない概念が山ほど含まれているので流通や視聴が禁止されている)を見て晩酌する未来だけはあり得ない。

 裁判で死刑になる? いやいや、批判だけしかしていないのだから宗教教育付きの懲役刑がいいとこだ。それは裁判まで生きていられればの話だけれど。


 警察は自分たちこそが教会正義の執行者だという妄念を抱いており、思想犯に対しては取り調べの過程で苛烈な私刑を行うというのは、もはや公然の秘密状態だった。思想犯の取調中の自殺・・率は他の犯罪に比べて異常なまでに高かった。

 筋論から言えば、裁判所が罪を認定して罰の量を決める前に勝手に犯罪者を罰していいはずはないのだが、警察は『手を汚す英雄ダークヒーロー』を気取っている。


 絶望を通り越して今は怒りがわき始めていた。


 ――もし俺に罪があるのだとすれば、それは、教会の統治で幸せになれなかったということだけだ。


 どうせ、このままやられるのなら一矢報いて死んでやろうか。

 従順に従ったところで死ぬだけなら命を懸けて暴れてやろうか。


 そう物騒な考えでアドレナリン漬けになりかけた時だった。


『正しき神の子よ。この声が聞こえるだろうか』


 不思議な声が聞こえた。

 まるで頭に直接響いているかのようなそれは、若い……しかし年齢不詳気味な男のものだった。

 周囲を見回しても声の源が見当たらない。それどころか、拘束スペースに同乗し監視している警官は全くの無反応だった。


 ――こいつには聞こえてない……? まさか、幻聴か?


 妙に思ったその時、再び声が響いた。


『偽りと虚飾にまみれ、堕落した教会に対して、君が抗う姿を見せてもらった。

 私は神だ。かつて教会が捨てた真の神だ。

 間もなくこの世界は変化するだろう。虐げられてきた者達が光の下に出るだろう。

 だからそれまで、今しばらく、生き延びることを考えてほしい。

 反抗せず、ただ従順に、戸惑ったふりをして、己の罪と行いを否定するのだ。

 さすれば君は助かるだろう……』


 レオンは感動にうち震えて動けなかった。

 今し方聞いた声が幻覚でないことを願い、そして、生まれて初めて神に祈った。


 今の教会がおかしいのは、かつて神を捨てたから……自分たちの邪魔になる真の神を廃し、偽りの神を立てているから……そんな陰謀論みたいな話をネット上で見た事がある。

 『どこかに捨てられてる神様が復活して、教会に虐げられてる人達を助けてくれたらいいのになあ』とか思った事もある。教会の支配はあまりにも盤石で、これをひっくり返せる何者かが居るとしたら、それは神しか思い浮かばなかったから。


 もはや怒りも絶望も無く、その心には希望と、切なる祈りだけがあった。


 ――どうか……俺たちを助けてください、神様……!


 * * *


 同じ頃。

 警察署内、思想犯罪課のフロアではいつも通り書類仕事が行われていた。


 デスクが6つずつ並んで作られた島の上には、どれもこれもグランドキャニオンのごとく書類が積み上げられている。この世界を祝福的に管理するためには数多の書類が必要なのだ。そして教会本部にコネを持つコンサルタント(高給取りだ)の助言により、手続きと書類の数は定期的に増やされ続けている。

 これだけの書類を処理しきるのは至難であるが、彼らは経験則で重要な書類とそうでない書類を見分ける術を心得ているので概ね問題は無い。重要な書類から順次処理し、そうでない書類は適切に分類しておいて必要な時に取り出せばいいのだ。


 思想犯罪課に所属する刑事・ハインリッヒは、自分のデスクに届けられたその書類の束を見て顔をしかめた。


 ――逮捕状発行事由に対する意見書だと?


 タイトルは丸みを帯びたポップな文字で書かれており(役所の書類はこのフォントを使うと太古から決まっている)数枚の本文と共にワニ口クリップで留められていた。

 これは重要な書類で、しかも面倒な書類だと彼は理解し、うんざりした。おそらく逮捕してはいけない相手を逮捕してしまったのだ。


 相手が一般市民なら冤罪で逮捕しても問題無い。その場合は捜査員の責任問題にならないよう、どうにかして証拠をでっち上げることになるし、異議申し立ては裁判所を抱き込んで却下する流れになる。

 しかし相手が偉いと……例えば相手が教会高官の息子なら、冤罪どころか証拠が揃いきったレイプでも殺人でも逮捕をためらう。そういう相手が被疑者である場合、まずは手を出していいか上層部にお伺いを立てるのが先だ。

 それでも捜査員は対象者が空欄の逮捕状(裁判所押印済み)を持ち歩いているので、そんなヤバイ相手にうっかり無断で手を出してしまうこともある。そんな時は記録に残らない非正規の書類で指摘が来て、そこからは内々に祝福的な処理を行うことになる。


 ハインリッヒは進行中の全ての仕事とプレイ中の携帯端末ゲームを投げ出して意見書を読み始めた。


 ――ああ、助かった。思ったより軽い案件だ。


 読み始めてすぐに彼は胸をなで下ろした。

 罪も軽ければ役者も軽い。ネット上に批判的書き込みをしただけという比較的軽微な罪であり、さらに罪人は教会軍士官令嬢の恋人という微妙な立場だ(検証しにくい嘘をアンヘルがでっち上げただけだが彼はそれを知るよしも無い)。これ以上重い罪なら揉み消せなかっただろう。そこまで扱いに注意しなくてもいいし、()()()()()()()()()()()()()()


 それが偽書類である可能性には思い至らなかった。その判別は通信担当者の仕事だ。とは言え、128種類から4つ選ばれた割り符ハンココピーが今朝受け取った暗号コード(アンヘルは0.01秒未満で解読したが彼はそれを知るよしも無い)の順番で並んでいるのをハインリッヒは一応確認する。このセキュリティだけでも破るのは至難であるし、日常業務の範囲でこれ以上のセキュリティを導入すれば仕事が立ちゆかなくなるからだ。


 ハインリッヒは卓上の端末で捜査状況を確認する。最終的な決済と記録がアナログ・ローテクに偏重しているだけで、現場ではある程度、こうしたシステムが利用されているのだ。


 ――やらかしちまったのは……ああ、あいつらか。可哀想に。


 同僚ふたりの顔を思い浮かべてハインリッヒは天井を仰いだ。


 ――ま、1年か2年で復帰できるだろ。

   それまで頑張って奇形魚の目玉を数えてくれや。

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