#31 我らが人生、泥船クルーズ
魔物騒ぎが収束し、怪我人がぼったくり救急隊に運ばれていき、水辺は平穏を取り戻した。
大河に浮かんだ船の上では、ガスマスクを付けたオッサンがカメラを構えていたり、暇そうな爺様が釣り糸を垂れていたりする。
川岸には魔物退治に参加しなかった周辺住人による長蛇の列が出来、ひとりひとり役人に言い訳をしては賄賂を払い、功徳点のマイナスをまけてもらうというディストピア日常風景。
……もっぱら成否は賄賂の金額に左右されるようだ。
その光景を見ながら、船縁のシャルロッテは呟いた。
「……教法(注:この場合は特に宗教的な分野に関わる公法を指す)第二百十一条には功徳点の扱いが定められておる」
俺に聞かせる気で言ってるのかは微妙な所。
特に相槌を打たなくても、シャルロッテは勝手に話し続けた。
「点数の変更には多くの歯止めが存在する。上位者の承認、異議申立制度……
そのはずじゃ。じゃが、これは……」
シャルロッテは眉間に皺を寄せた難しい顔で水面を睨んでいる。
……これってショック受けてる?
「のう。新たな神を、そなたはどう思う」
唐突にシャルロッテは問いを投げかけた。功徳点の話と繋がっているのか繋がってないのかよく分からない。
と言うか新たな神である当人がこれを聞くのか。
話を振られたのは、俺でも榊さんでもなく、ガイドのレオン氏。
ちょっと考えてから彼は答えた。
「神の不在が埋まるのはめでたい話だよ。それに、ほら、今度の神様は……なんとかって街の雷泉が直ったって話題だ。世の中、良くなるんじゃないか」
やっぱあの事件、伝わってるのか。教会の神、すなわちシャルロッテの手柄として。
俺は一瞬視線をやって、榊さんの不穏で悔しげな歯ぎしりを止めさせた。聞こえるから、聞こえるから。
しかしレオン氏も無難な答えって感じだ。
と言うか、実際どう思ってようがこう答えるしかないんじゃないか?
批判的なことを言ったりしたら密告されてハイサヨウナラってなるに決まってる。
そういうのを怖がる庶民の機微っての、この偽神様は分かってるんだろうか。
レオン氏の無難な返答はお気に召したのかどうなのか、シャルロッテの難しい顔は相変わらずだった。
「神とは……何なのじゃろうな」
「え……?」
さらなる危険球を放られて、あからさまに堅くなるレオン氏。
こんな迂闊な答えを返したらえらいことになる質問をぶつけられたら、そりゃあテンパる。
さすがにシャルロッテも気が付いたようで慌ててフォロー。
「無論、神は万民にとっての祝福であろうとも! されど、いかように祝福的であるかは、ひとりひとり違うのではないか……な?」
「神とは」
割り込んで口火を切ったのは榊さんだ。
なんかこう寒色系のオーラを漂わせてるような雰囲気。一瞬、雪女を連想した俺を許してほしい。
「私の全て。私が全てを捧げる方。最高の祝福であり、最高の呪い。この世を導く者、希望であり未来。……ただ、それだけのこと」
やばい、重い……
なんか『いかがでしょう?』みたいな感じにチラッと見られたんだけど。
迫力に気圧されたように、レオン氏もシャルロッテ様も息を呑む。
と、と、とにかく榊さんの言い回しが冷たいのは、本物の前で偽神がこんな事聞いたからだろう。教会にとっては理想的な神の狂信者……のようでありながら、内実では痛烈な皮肉だ。
もっとも、シャルロッテの方は俺が神様だなんて知らないわけで、榊さんの言葉は強烈なラブコールに聞こえているはず。
奥歯を食いしばって空気の重さに耐えているような顔だった。
「神様かあ。そうだなー……俺らみたいな下々の暮らしにゃ、縁遠い御方って感じだけどさ」
榊さんが先に喋ったからか、ちょっと口が軽くなったらしいレオン氏。
言葉を探すように青い空(のホログラム)を見ながら答える。
「俺達の暮らしをよくして下さるってんなら、ご立派でしょうとも。なんだっけ、あまねく恩恵をなんたらーって……ほら、そういうお祈りがあるだろ」
うーん、やっぱり無難。
シャルロッテの反応は、一見、なんともない感じなのが、逆に気になる。
その張り付けたような『何食わぬ顔』の下で何を考えてるのか、うかがい知ることはできなかった。
……ところで、これもしかして俺も何か言わなくちゃならない流れ?
榊さんもレオン氏もひとこと言ったし……いやでも、神当人たる俺に何を言えと。適当にお茶を濁すべきか……?
とか考えていたその時だった。
『……賢様。緊急事態ですので、魔晶石を通した電子的通信によってメッセージをお送り致します』
頭ん中に直接、アンヘルの声が響く!
『どうかしたのか?』
うまく言葉になってるか不安だったが、なんとか俺も思考で返事をしてみる。練習したと言えどまだあんまり慣れていない。
『ボートの発着場に、先ほど、警官が二名ほど到着致しました。建物内に隠れて機をうかがっております』
『マジかよ。何しに来たんだ。神様捜索隊か?』
『武装の程度からして、目的は我々ではないようですが…………失礼、ちょうど会話が。
人相が云々という言葉を確認。屋内に入ってしまったため詳細不明ですが、画像データを確認している模様。なんらかの事件の容疑者を確保するためと推測』
俺は船着き場の方をちらっと見る。
特に変わった様子は無い、のだが、元から閑古鳥状態だからなあ。KEEP・OUTにされてても分からないぞ。
『いかが致しましょう』
『目的が俺らじゃないんなら、騒ぎを起こさず穏便に抜けたいとこだな……』
警官は避けたら避けたで追ってくるから、やましい事があっても目の前を堂々と通るのが一番良いとは二番目の父さんの言葉。今にして思えば子どもに何教えてんだあいつ。
『榊さんにも伝えてくれ。どうしようもなくなったらレオン氏も抱えて三人で飛んで逃げる。シャルロッテは……まあほっといても大丈夫だろ』
『かしこまりました』
すぐにアンヘルがテレパシー(と言うか通信)で伝えたようで、緊張の面持ちになった榊さんと俺は目配せする。
何も無いことを祈りつつ、何かあったときのために戦闘態勢。
シャルロッテはまだ何か考え込んでいる様子で、幸いにも、俺は神についての所見を述べずに済んだ。
* * *
そして川を一回りして戻って来た俺達の方へ、警官ふたりはずかずかと近寄ってきた。
……明らかにこっち来てるんですけど?
「おいアンヘル……」
警察どもは、シャーロックホームズのマンガで見た、ヴィクトリア朝のスコットランドヤードみたいな格好だった。
黒のコートにヘルメットみたいな帽子、ただし腰にはレーザースタンガン。
俺らが目的じゃないんじゃなかったのかよ、と抗議しかけたが、確かにこいつら俺やシャルロッテには目もくれない。
彼らがレーザースタンガンを構えつつまっすぐ近づいて行ったのは……観光ガイドのレオン氏だった。
………………え? そっち?
「な、なんだ、おい、なんだお前達」
「レオン・マイヤール。貴様を反逆的思想扇動罪で逮捕する!」
逮捕状(らしきもの)を突きつけられたレオン氏は、怒ってるのか絶望してるのか微妙な顔になった。
「反逆罪だって!? バカな! 俺が何をした!?」
「ネットワーク上の掲示板に、税制改定に絡めて教会を毀損する内容の書き込みをし、さらに、自らの批判に同調するよう呼びかけた。これは反逆的思想扇動罪第三項に該当する行為である」
「嘘だ! 何かの間違いだ!」
必死で潔白を主張するレオン氏を見て警官達は冷笑を浮かべる。その表情の冷たさに俺はぞっとした。どれだけ相手を見下せば、こんな顔ができるんだ?
レオン氏が何をしたか、本当にやったのか俺には分からないけれど……レオン氏に向けられていたのは正義の怒りですらなく卑下だった。
「連行するぞ」
「おい、待て! やめろ!」
「黙れ! 話は『真実の電気椅子』の上で聞いてやる!」
「やめてくれーっ! あれは無罪が証明される前に感電死……ぎゃっ!」
Zap!
レオン氏が抵抗の素振りを見せた瞬間、警官は即座に銃を発射!
電撃を浴びせられたレオン氏は、気を失ってその場に倒れ込んだ。
あんまりな出来事に呆気にとられていた俺は、そこでようやく我に返る。
……いやいやいや、おかしくないかこれ。まるっきり思想犯の取り締まりとかそういうアレじゃん。
あの人これからどうなるの? 死刑? いや、死刑ならまだマシで、取調中に拷問されて裁判の前に死ぬとか、そういうありがちな展開?
「助け…………」
なきゃ、と動き掛けた俺を、榊さんが軽く手をかざして即座に制した。
警官は片方が、なんか謎の原理で宙に浮いてる反重力のタンカみたいなものにレオン氏を縛り付けている。そしてもう片方は、雷泉の街で見たチンピラ兵士と同じような顔をして、のしのしとこちらへやってきた。
「貴様ら、この反逆者と一緒に居たな。何者だ?」
威圧的な質問だった。生活指導教師を単位にして数えるなら3.5教師くらいの威圧感。
しかし、榊さんは全く怯まなかった。
「私達はパレードにて神様のお姿を拝見する栄誉を賜りまして後、見聞を広めるためこの街の観光をしておりました。
その男は観光ガイドを名乗っており、市の資格も持っておりました。不案内な土地であります故、規定の料金を支払い、道案内をさせていたところです」
よどみなくスラスラと、原稿でも読み上げるように警察官に応対する榊さん。
普通は緊張してそれどころじゃないでしょ、これ。俺だったらつっかえる自信がある。
しかし、そう言ったところで、はいそうですかと引き下がってはくれない。
警官は不良がガン付けるような姿勢で榊さんを睨み付けている。
「本当かーぁ? まあいい、まずは荷物と身体検査だ。手を上げてそこの壁際に……」
「あの、失礼。これを」
手の甲に隠すようにして、榊さんが何かを取り出すと、それを極めて自然な動作で警官の手に押しつけた。
一瞬、驚いた顔をする警官。だが、手の中の感触を確かめると、にやっと、かなり下品な笑いを浮かべた。
ちらっと見えたのは、USBメモリーみたいな小さなガジェット。お金を物理的な媒体で手渡すためのクレジットチップだ。いつの間にそんなもん用意してたんだ。
榊さんはその間に寄ってきた警官の脇をすり抜け、反重力的な拘束具を操作していたもうひとりの警官にもそれを手渡す。
こうかはばつぐんだ。瞬く間に警官ふたりの態度が変わる。今はもう0.1教師くらい。
「勘違いをするところだった。貴様らは祝福的だ」
「お分かりいただけましたようで、何よりです。私も、反逆者が捕縛されて素晴らしく祝福的な気分です。おつとめご苦労様です」
「うむ、図らずも反逆者と行動を共にしてしまったようだが、貴様らが無事で何よりだった。では、本職らはこれにて!」
拘束具に縛り付けられたレオン氏を牽引して、驚くほどあっさり警官達は去って行った。
後には、怒濤のような一連の出来事にまだ気持ちがついて行っていない俺と、愕然としているシャルロッテ。そして、直立不動のアンヘルだった。