刹那の花
港山公園へと続く横断歩道は、人の群れで黒くなっている。
自転車を押して横断歩道を渡り、大学病院の総合教育棟と納品検収センターの間に設置されている駐輪場へ自転車を停めた。
開始三十分を切っただけあって、すでに駐輪場は自転車で溢れかえっている。
自転車のカゴに入れていたカバンを肩に提げ、盗難されないようにカギをかけた私は、少しウキウキした気持ちで屋台が軒を連ねる通りを目指す。
普段は人の姿がない公園も、この日ばかりは花見シーズンと同じくらいの賑わいだ。
でこまんの屋台を探しながら歩いていると、青陵祭を満喫している人達の笑顔で溢れていることに気付く。
こんな賑やかで華やかな場所は、今の私の居場所じゃない。
でこまんを買って、さっさと退散しよう。
『あら? 自分は楽しくなってきたわよ』
ノンは楽しくても、私は楽しくない。
やっと、フルーツ飴とクレープの屋台の間に、でこまんという文字を見付けた。
でこまんはグラムで測られ、千円と五百円のどちらかを買うことができる。
カバンの中から財布を取り出し、ばらける小銭の中から見付け出した百円玉は六枚。
よかった。五百円のでこまんが一つ買える。
でこまんの屋台へ向かおうとしたそのとき、聞き慣れた声が私の名前を呼んだ。
反射的に振り向けば、見知らぬ男性と一緒にいる姉だった。
「やっぱり明香里だ。アンタも来てたの?」
姉は、一緒に選んだ半幅の博多帯と藍染の絞りの浴衣に身を包み、ミディアムヘアをアップスタイルにまとめている。
綺麗だ、と素直に思う。
化粧を覚えた姉は、年を追うごとに女子力が上がっていて、とても羨ましい。
『うふ』
ノンの笑い声が聞こえても、私の興味の対象は、姉と同じく浴衣に身を包む男性だ。
身長は、姉より頭一つ分高いくらい。茶髪に短髪で耳にはピアス。
微笑を浮かべて私に会釈をしたこの男性は、姉とどういう間柄なのだろう。
私の表情から疑問を読み取ったようで、尋ねてもいないのに姉が男性を紹介してくれた。
「お友達の直輝くん。図書館で知り合ったの」
はじめまして、と直輝は爽やかな笑みを浮かべて挨拶してくれた。
『あ~ぁ……キミは恋心に蓋をして我慢してるのに、お姉ちゃんはいいわね』
ノンの囁きに、私は激しく同意する。
姉は直輝を異性として、恋愛の対象として見ているに違いない。
ただの友達と花火を見るために、一時間もかけて真剣に浴衣を選んだりするものか。
私だって、本当は昭典と一緒に花火が見たかった。
でも……私が通う高校で恋愛をしているのは、勉強と恋愛の折り合いを上手につけられる人だけだ。
不器用で要領が悪い、私にはできない。
好意を寄せる相手と花火を見る姉が、とても羨ましい。
『うふ~ぅ、いいわね! その感情』
私は直輝に会釈を返し、姉に向き直る。
「お姉ちゃん、私のでこまん買って帰って」
「いいけど、お店すぐそこだよ? 自分で買ったほうが、すぐに食べられていいんじゃない?」
「並んでる時間が惜しいの。受験生は帰って勉強するから、ちゃんと買ってきてよ!」
言い逃げした私は、姉と直輝の表情を確認せず、来た道を逆走する。
人混みを縫うように走っていると、ノンの笑い声がした。
『あの二人、キミのこと……ポカァンってアホ面で見てるわよ』
「知らない。関係ない!」
どんな顔で見られていようが、気にするもんか。
どうせ私のことなんて、記憶に残らない。
ぶつからないように注意しながら人混みの中を走っていたけれど、体積を増していく涙のせいで視界が歪む。
「うわっ」
「っ!」
突然の衝撃に、私は跳ね飛ばされた。
反動で倒れそうになるのをギリギリのところで肩を掴んで支えられ、なんとか転倒だけは免れる。
相手に謝りたいけど、泣き顔を見られたくないから、顔が上げられない。
心配そうな声と共に、ぶつかった相手が私の顔を覗き込んでくる。
やめて、見ないで!
「大丈……夫っ」
相手は、泣いている私を見て息を止めた。
「マジで大丈夫? 舌とか噛んだ?」
慌てふためく相手に、私は頭を振る。
「ごめんなさい」
震える声で口早に謝罪を述べ、相手の前から逃げ出した。
『あいつ……』
ノンがなにか呟いたけれど、対応する余裕はない。
駐輪場に到着し、目の前に広がる自転車の群れに言葉をなくした。
『あら~。こんなに集まってたのね』
「どうしよう……」
自分の自転車へ、辿り着けない。
なんとか到達できないかと頭の中でシミュレーションしてみたものの、自転車の頭が左右に触れて、ハンドルが互いに絡み合っている。
自転車を引っ張って道路まで出ることも難しそうだ。
花火が終わるまで帰れない。
でも、花火会場に戻るのは、とても惨め。
「……最悪」
『どうすんの?』
興味がなさそうなノンに、力なく答える。
「時間の潰せる場所、探す」
『そうね。自分はどこでもいいわよ』
近くにコンビニエンスストアは在るけれど、そこで立ち読みを一時間もする根性は備わっていない。
「ここにいたくないから、とりあえず歩く」
ノンの姿は見えないけれど、一人じゃなくてよかった。
癪だけど、ほんの少しだけ気が紛れる。
『やめなさいよ。そんな感情、嬉しくないわ』
トボトボと道なりに歩いていると、賀茂神社天満宮の鳥居と大きな灯籠が見えてきた。
天満宮といえば、祭神は学問の神様として名高い菅原道真公……天神様が祀られていたはずだ。
『え~……入るの?』
「さっき、どこでもいいって言ったじゃない」
『ねぇ、解ってる? 神社は神域よ?』
食い下がるノンに、私も食ってかかる。
「なに? マカゲって、神域苦手なの?」
答える気がないようで、またノンは喋らない。
緊張した面持ちで鳥居をくぐり、続けて神門もくぐる。
向かって左側にある手水舎で手と口を浄め、後ろを振り向き見れば、大きな拝殿が目の前にそびえ建つ。
夜の賀茂神社天満宮に来たのは、初めてだ。
街灯と自動販売機、常夜燈のほのかな灯りに照らされて、夜の闇に浮かび上がる社は不思議と不気味さを感じない。
賽銭箱に五円玉を入れ、そっと両手を合わせて固く目を閉じる。
「天神様……どうか、希望する大学に入れますように!」
藁をも掴む思いで、困ったときの神頼み。
一心に祈る私の後ろで、火の花が盛大に咲く音がした。




