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真夏の選択

 晩飯が、今日も昨日も一昨日も、三日続けてそうめんだった。

 忙しい時間を割いて食べる物を用意してくれる母には申し訳ないが、さすがに厭きる。

 両親は今日も揃って外出中。

 台所で一人そうめんをすする僕は、咀嚼しながら鼻で長々と息を吐く。

 普段は食べるのが一番遅いのに、兄貴は今日に限って急いで完食し、慌ただしく部屋へ戻ってしまった。

 一人で食べる晩飯は、とても味気ない。


『いやはや、そのとおりです』


 もう驚きもしない。

 食器棚にはめ込まれたガラスに目を向ければ、マカゲのナンが僕の隣に座っている。

 ナンの出で立ちも、だいぶ見慣れてきた。


『嫌ですよぉ、自分のことを化け物みたいに言っちゃ』

「どう見ても化け物だろ」

『違いますよ! 自分は、化け物ではなくてマカゲです!』


 僕にとってみれば、化け物もマカゲも同じ部類で違いがない。


『え~っ! 全然違いますよ。それって、犬と猫を一緒にしちゃうようなもんですよ?』


 ナンの言い分を聞き流し、箸を置いて手を合わす。


「ごちそうさまでした……」


 使った食器の汚れを軽く洗い流し、食洗器に入れる。

 自分の時間を有効活用するべく、僕も部屋へ戻った。

 ドアノブを捻って手前に引けば、部屋の中で蒸された生温かい空気が漏れ出てくる。

 窓を開けて網戸にしていたけれど、空気の通り道を作っていなかったばかりに、室内は天然のサウナ状態。

 部屋の電気を点けて扇風機を回し、停滞している生温かな空気を追い出そうと試みる。

 布で覆う面積を少なくしたくて、Tシャツと短パンを脱ぎ、肌布団を丸めて隅に追い遣ったベッドの上に寝転がった。

 シーツの冷たさが気持ちいい。

 ふと視界に入った鏡状態になっている窓ガラスには、無表情で佇むナンの姿。網戸には、ナンの目のような模様をしている羽を持つ蛾が、大きな羽を広げて止まっていた。


「うわっ!」


 お化け屋敷で驚かされたときみたいに、ゾワゾワと鳥肌が立つ。


『君が言う、化け物のように佇んでみました』

「いらんわ! そんな演出」

『蛾……お嫌いなのですか?』

「だって、この気持ち悪い目玉みたいな羽の模様? 好きなヤツの気がしれないね!」


 けれど、よく考えてみればヤツがいるのは網戸の向こう。網戸さえ開けなければ、僕に害はない。


『網戸、開けましょうか?』

「反射した物を介さないと姿も見えないのに? 物理的に無理だろ」

『おや、君はポルターガイストを御存じない? 自分ぐらいの実力派ならば、人間界の物を動かすくらい集中すれば可能ですよ。ムンッ!』


 気合いと共に、ナンは網戸に手を向ける。

 黙って様子を見ていると、網戸がカタカタと動き始めた。

 蛾の触角が、ピクリと動く。


「ストップ! 分かった! 分かったから、そこまで!」


 慌てて制止するも、ナンはやめない。

 網戸が一ミリ動く。

 僕はベッドの隅に丸めていた肌布団を無造作に掴み、ナンが映る窓ガラスに投げつけた。

 振動に驚いたようで、飛び去る蛾。

 残念そうに、ナンは溜め息を吐いた。


『もぅ、そんなに嫌ですか?』

「キモいっつってんだろ!」

「一人で喚いてる将斗がキモいわ」


 突然の声に、僕とナンは顔を見合わせ息を詰める。

 声のほうへ目を向ければ、開けたままのドアから半分だけ顔を覗かせている、兄貴と視線がぶつかった。

 ナンの姿が見えない兄貴には、僕が一人芝居をしているように見えていたかもしれない。

 アスファルトに焼かれて熱気をまとった生温かい風が吹き込み、ゆらりと揺れるカーテンが網戸を叩く。

 窓ガラスに映るナンは、兄貴を睨みながらベッドに腰を下ろした。

 僕は平静を装い、兄貴に向き直る。


「黙って覗き見する人も、どうかと思うけど?」

「覗き見たんじゃなくて見えたんだ。恥ずかしいなら、エアコン付けてドア閉めとけ」


 間髪を容れず兄貴は答え、僕の部屋に足を踏み入れた。

 床に散乱する雑誌や教科書を退けて勝手にスペースを作り、ベッドの脇に胡坐を掻く。


「ちょっとさ、相談に乗ってよ」


 僕の返事を待たず、兄貴は手にしていた物を広げ始める。


「浴衣と甚平、どっちがいいかな?」


 しぶしぶベッドから身を乗り出し、床に広げられた甚平と浴衣を観察した。

 どちらもシックな感じのグレーが主体。

 浴衣は全体が幅の違う縦縞だけど、甚平は部分的に格子柄だ。


「どっちでもいい」

「それじゃ答えになってない。どっちが俺に合うと思う?」


 どっちもなにも、脛から先が出ているか出ていないかの違いじゃないか。


『そうですよ。気にするのは本人だけです』


 たいがい、どちらがいいか助言を求める人間の深層心理には、すでに結論が決まっているとも言われているが……あの説は本当だろうか。

 浴衣と甚平、どちらを多く見ているか分かれば判断材料になるだろうけど、兄貴はちょうど中間地点を凝視している。

 兄貴の気持ちがどちらに傾いているのか、僕にはサッパリだ。


「もぅさ……兄貴が好きなほう着たらいいと思うよ?」

「決められないから聞いてんのに」


 面倒臭ぇ! と口をいて出そうになり、寸前のところで喉の奥に押し止める。

 兄貴が自分で結論を出すまで辛抱強く待つのも手段だけど、僕は早くアプリのゲームがしたい。

 早急に結論を出す、いい案はないだろうか。


「あ、兄貴! あれで決めたら? どーちーらーにーしーよぉかーなって」

「天の神様の言うとおり?」


 僕が頷くと、兄貴は険しい顔をする。


「あれは神様の言うとおりじゃなくて、右と左のどっちからスタートするかで決まるから却下!」


 瞬殺の撃沈。じゃあ、どうしろって言うんだ。

 キシシと笑うナンがいるはずの空間を睨み、頬杖を突いて解決策を考える。


「あ、分かった! 僕が、あみだくじ作る!」


 阿弥陀如来の後光が起源となるあみだくじは、確率的な結果ではなく、神のみぞ知る結論を導き出してくれるに違いない。


「え~? それもどうなの?」


 不満げな兄貴を無視し、僕は机の引き出しから紙とペンを引っ張り出して、あみだくじの作成に取りかかる。

 縦に六つ線を描き、甚平と浴衣に対応する《じ》と《ゆ》の平仮名を心の向くままに書いていく。

 下を折って書いた文字を隠し、横線をランダムにたくさん描いた。


「おっし。ほら、好きなの選んで!」


 兄貴は僕が手にする紙を睨み付け、緊張した面持ちで一つを選んだ。

 あみだくじに真剣な眼差しを向け、兄貴は線を慎重に辿っていく。

 紙を折った位置まで指先が到達すると、兄貴は固唾を呑んで、ゆっくり広げていった。


「ゆ、って……浴衣?」

「そうだね。浴衣だね」


 僕が答えると、兄貴は難しい表情のまま、広げていた浴衣と甚平を片付け始める。

 コンパクトに畳み終え、兄貴は深々と侍のような所作で頭を下げた。


「ありがとう。とても助かりました」

「はいはい、どういたしまして」


 しかし、浴衣なんか着てどこに行くというのだろう。

 選ぶのに付き合わされたのだから、尋ねる権利くらいはあるはずだ。

 部屋を出ようと立ち上がった兄貴の背中に、疑問を投げかける。


「ねぇ。浴衣着て、どこ行くの?」


 僕に背中を向ける兄貴の耳が、心なしか赤みを帯びていく。

 葛藤があるのか、逡巡する兄貴はなかなか答えない。


「兄貴?」

「……青陵祭の花火」


 催促した僕に早口で答えた兄貴は、さらなる追求から逃れるように、急いで部屋を出ていった。

 大きな音を立ててドアが閉まる。


「花火……花火? ん?」


 青陵祭の花火と聞いて、頭の隅に妙な引っかかりを覚えた。


 なにか忘れている。


「あれ? なんだっけ?」


 アプリを開いて、送られていたメッセージを遡っていく。


「あ! これだ」


 花火に行こうと誘われ、既読無視の苦痛を味わえばいいと思って放置していた友人からのメッセージ。

 祖父の法事の日に届いていたから、何日も前だ。


「やば、放置しすぎた……」


 こんな対応を繰り返していたら、僕は本当にぼっちになってしまう。


『あぁ、キミって本当に最低な人間ですね』


 嬉しそうなナンに構っている余裕はない。

 急いで文面を作成する。


《返事遅くてごめん! 花火、一緒に行く》


 謝っている顔文字と共にメッセージを送れば、すぐさま《おせぇよ! 十九時に大学病院の第二駐車場集合な》と返事があった。


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