嘘
二月の十四日。
私の隣には、目の下にクマを作った昭典がいる。
「明香里ちゃん、入試お疲れ」
「うん……お互いにね」
彼の入試は、昨日終わったばかり。
通い慣れた塾の近くに在る公園のベンチに並んで座っていても、二人してもぬけの殻。
予想していたとおり、茫然自失の状態だ。
高校一年の夏から本格的に始まった受験戦争の爪痕は、思っていたよりも深くて大きい。
カバンの中に手を突っ込むと、指先に触れるラッピングの感触。
さて、なんと言って渡そうか。
昭典の様子を窺えば、白い息を吐きながら高い空を眺めている。
この横顔も、好き。
固唾を呑んで意を決し、カバンの中からラッピングした生チョコトリュフを取り出す。
精一杯さり気なさを装いながら、私と昭典の間に置いた。
「これ食べて、疲れ癒して!」
私は膝頭を見つめたまま、彼の言葉を待つ。
二月十四日のバレンタインデー。ラッピングした生チョコトリュフ。
好きですと、口に出しては言っていない。
聡い彼なら、気付いてくれるだろうか。
それとも、やっぱり言わないと伝わらない?
好きです。お付き合いしてください、って。
昭典の様子を窺えば、生チョコトリュフを手に取り、言葉もなく見つめているだけ。
脈打つ心臓が、時の流れを遅く感じさせる。
彼の反応が怖い。
言え! 言うんだ、明香里!
「長瀬君!」
「これは……バレンタイン?」
囁くような声で問う昭典に、私は言葉を喉の奥に押し込めて頷く。
「義理だったら……俺は受け取れる」
「……えっ?」
今のは、どういう意味?
義理だったら受け取れるなんて返され方は、全く想像も想定もしていなかった。
マフラーで鼻から下が隠れているために、彼の感情は、前髪の間から覗く双眸からしか判断できない。
そして今、昭典の目は伏せられた。
感情が、全く読み取れない。
「大学に合格したら……俺は、県外に行くよ」
付き合い始めたとして、遠距離恋愛になることが不安ってこと?
「電話やメッセージやSNSで繋がりが保てるけど、離ればなれになっている時間に感じてしまう不安は……完璧には拭えないと思う」
付き合ってみなきゃ分からないことなのに。
はっきり答えを口にせず暗示させる言い方は、なんか卑怯だ。
私が好きになった長瀬昭典は、こんなに臆病な男だったの?
『義理って言っちゃいなさいよ。そしたら、今の関係は維持できる。心の傷も浅いわよ?』
嫌だ。もう、ノンの囁きには耳を貸さない。
自分の言葉で自分の想いを伝えなかったら、私の気持ちが可愛そうだ。
だって、どんなに投げ出したくても塾に通おうと思えたのは、塾に行けば彼がいたから。
彼の頑張っている姿を見て、私も頑張ろうと思えたの。
今は情けないと幻滅してしまった昭典だけど、私は彼を凄いと思っていた。
昭典に助けられたのは、紛れもない事実だ。
だって、お姉ちゃんと打ち解けられてきたのは、昭典のひと言があったから。
ノンは嫌っていたけれど、私は……私が憧れて、好意を抱いた彼みたいな考え方ができるようになりたかった。
あぁ、そうか。
私が彼に抱いていた感情は、恋心じゃない。
憧れだ。
受験勉強に追われて逃げ出したかった現実の中で、心を保つために創り上げた甘い幻想。
憧れと、恋心は違う。
私はベンチから立ち上がり、昭典に精一杯の笑みを向ける。
「そのチョコは……義理。ありがとうっていう、感謝の気持ち」
昭典の指先に力がこもったようで、ラッピングがかすかな音を立てた。
私は、強張る笑顔を懸命に維持する。
「試験の結果はまだだけど、お互いに目標が達成できてるといいね」
マフラーの下に隠していた顔を出し、申し訳なさそうに微笑んで、昭典は頷いた。




