如月の恒例行事
受験だろうがなんだろうが、毎年必ずバレンタインデーはやってくる。
友チョコ、義理チョコ、本命チョコ。
チョコレート会社の策略に嵌まり、今年も女子はチョコレートに殺到するのだ。
そして私も、その一人。
立ち寄ったスーパーで手作りの材料を見るけれど、自分で作れそうな物は、生チョコトリュフかブラウニーくらいだろうか。
綺麗に包装された既製品のチョコレートが見た目も味もいいけれど、やはり私も、手作りしたい。
『手作りしながら、怨念でも籠めるつもり?』
キシシと笑うノンに気分を害され、手にしていたココアパウダーを棚に戻す。
『これでキミがフラれたら、彼も標的に加わるのかしら?』
相手が誰であろうと、二度と契約行使なんかしない。
もう、あんな後悔はコリゴリだ。
『あら、遠慮は無用よ』
遠慮もなにも、早くノンと契約解除して、心の底から縁を切りたいと願っているのに。
『寂しいこと言わないで? 契約解除は、いい加減諦めなさいって』
ろくに契約内容の確認もせず、ノンと契約を交わした当時の自分が憎たらしい。
拳を握った右手で腿を殴り、心の中で渦巻き暴れる感情を放出させようとした。
それでもまだ、苛立ちは消えない。
深呼吸を一つして、勉強の合間に自分で食べる目的でチョコレートをひと箱選び、列が途絶えたレジに並んだ。
◆◇◆◇◆◇◆
玄関を開けると、甘い匂いが漂ってきた。
キッチンを覗けば、お菓子作りに集中している姉の姿が見受けられる。
そうか……姉は、直輝君とやらにあげるお菓子の試作を作っているのか。
頭の中で、小さな舌打ちが聞えた。
ノンの姿が確認できないから、どんな表情をしているのか分からない。
近頃、姉に対するカウントが減ったせいで事が上手く運んでいないのだろうか。
だとしたら、最高だ。
『ねぇ、ちょっと。ウザいんじゃないの~? あんな姿』
以前の私だったら、ノンの言うとおりウザいと思っていただろうけど、今は見方が違う。
「もう、ウザくない」
姉は姉で、一生懸命なのだから。
『キミさ……どうして、そんなに思考パターンが変わっちゃったの?』
ノンの声は、ひどく落胆している。
この調子で頑張れば、ノンのほうから離れてくれるかもしれない。
私には、とても嬉しい反応だ。
『そんな訳ないでしょ。マカゲの粘りを甘く見ないでちょうだい』
こんなセリフも、もはやノンの負け惜しみにしか聞こえない。
喜ばしさにほくそ笑みながら、お菓子を作ることに集中している姉に声をかけた。
「お姉ちゃん、クッキー作ってるの?」
「うん。絞り出しにしようか迷ったけど、粘土みたいに作ることにした」
クッキングシートが敷かれたオーブンの板を覗き込めば、すでにハートや人形の型にくり抜かれたクッキー生地が並んでいる。
作業を続ける姉の手元を覗き込み、私は目をみはった。
「それ……漢字だよね?」
伸ばした生地を継ぎ接ぎし、姉は《忍》という一字を丁寧にバランスよく作り上げようとしている。
「そう! 忍耐の忍」
「なに? なんかの試練を与えようとしてるの?」
ふふっと、姉は不気味に笑う。
「いや~。よく耐えてる人だから、最適な一字だと思って」
姉のそのセンスは、よく解らない。
「せめて《愛》にしたら?」
「恥ずかしいから嫌よ」
姉はフライ返しを二つ使って《忍》を持ち上げ、オーブンの板に敷いたクッキングシートの上にそっと置く。
歪んだ部分を直してから、刷毛で艶出しの卵黄を塗り始めた。
「明香里も作る? 二次試験が終わるの、バレンタインの前でしょ?」
姉の言うとおり、私の二次試験はバレンタインデーの二日前。
作ろうと思えば作れるかもしれないけれど、張り詰めていた気が緩み、緊張の糸も途切れ、茫然自失の状態になりかねない。
「試験が終わってから考える」
「ギリギリになると材料品薄になっちゃうから、作るなら先に買っといたほうがいいよ」
姉は余熱をしていたオーブンの蓋を開いて板を容れ、焼き時間をセットする。
「明香里とは恋バナしてないから分からないけど……今もし好きな人がいて、チャンスがあるなら、後悔しないようにね」
「……後悔?」
掴まれたように胃が縮み、心臓が鼓動を強くして自己主張を始める。
ある意味、今の時季に一番聞きたくない単語だったかもしれない。
姉はおもむろに、椅子の上に置いていたポーチをあさり始めた。
「もし突然、死に直面したとき自分の人生を悔やみたくないでしょ? だから、私は今回頑張るの」
私に向けられた姉の手中にある物は、錦の袋の縁結び守り。
「用意してもらった縁も、掴むか手放すかは自分の選択次第だし」
自分に理由を付けて諦めても、心の奥には後悔が残る。あのとき、こうしておけばよかったと、さいなまれるのは辛い。
「お姉ちゃん、それは……私に当たって砕けろってこと?」
「さぁ、どうでしょう」
姉は苦笑いを浮かべながら、縁結び守りをポーチにしまう。
「でも、もし砕けちゃったら……そのときは一緒にカラオケ行こう」
「料金は、お姉ちゃん持ちね」
姉は私から目を逸らし、言葉を探しながら頬を掻く。
「う~ん……考えとく」
「ちょっと、そこは即答してよ!」
笑ってごまかす姉に呆れた眼差しを向け、私は自分の部屋に入った。
さっそくスマートフォンを取り出し、長瀬昭典にメッセージを送る。
《十四日だけど、塾行く?》
まだ既読は付かない。
さて、どうなるか。
これで賽は投げられた。




