対峙
賀茂神社天満宮から駅前のショッピングセンターに戻って昼ご飯を食べ終えると、二回目の公演が始まる十五分くらい前だった。
最高の時間配分だ。
『あ~……神徳を受けちゃう子って、ホントやりにくい!』
マカゲのボヤキが、また始まった。
『次は、どんな邪魔をしてやろう……』
ブツブツと呟くマカゲにうんざりしながら、直輝と共に公演会場になっている一階の吹き抜け広場へ向かう。
幕が張られた簡単な舞台の前に、観客用のベンチが並んでいる。
まだ観覧するために座っている人はまばらで、私と直輝は最前列の中央を陣取った。
『神社に参った上に神楽なんて、ホント最悪! ねぇ、もう帰りましょうよ!』
マカゲの発言は聞かなかったことにして、カバンからスマートフォンを取り出し、ホワイトバランスを設定する。
試し撮りをしようとカメラを直輝に向けると、直輝は恥ずかしそうに笑みを浮かべた。
シャッターの音と共に、切り取った直輝の一瞬。
「色味はバッチリ」
「そりゃよかった」
アングルも気に入る出来栄えに満足していると、マイクを手にした司会者の女性が呼び込みを始めた。
言葉の途中で、キーン、ボーンというハウリングが響く。
音響の調整がうまくいかないのか、一定の感覚を空けて響く高音域に三半規管が麻痺しそうだ。
ひと際大きく、耳をつんざくようなハウリング。
反射的にギュッと目を閉じて、両手で耳を塞いだ。
すると、全ての音が消えた。
気圧の変化に対応できなくなったときみたいに、聞こえにくいというレベルではない。
全ての音が遮断され、むしろ静寂で耳が痛いくらいだ。
ハウリングの影響で、聴力を失くしてしまうことなんてあるのだろうか。
周囲の状況を確認しようと、閉じていた目蓋を持ち上げる。
自分の眼前に広がる光景に言葉を失った。
なにも見えない。真っ暗だ。
夜の闇とは質が違う、濃厚な黒。
座っていた椅子の感覚が消え、体が傾き尻餅を突く。
落下はしていかないから、それでも地面はあるようだ。
だけど、ここはどこだろう。
隣に座っていた直輝もおらず、私独り。
どっと押し寄せてきた不安と恐怖が体の自由を奪い、動くことすらままならない。
すると、どこからともなく響く甲高い鈴の音。
耳が聞こえなくなった訳ではなかったと安堵したのも束の間、真っ暗な視界の中に淡い光が生じた。
ジワジワと、淡い光は人の姿を模っていく。
人の形になった光の中から、年頃が妹と同じくらいの女の子が現れた。
淡い光はジワジワと広がり、周囲をほのかに明るく照らしていく。
自分の輪郭が認識できるだけの光源があれば、少しだけ安心できる。
光の中から現れた女の子は小さな鐘に似た金色の鈴を手にし、肩から斜めにかけたカバンの紐を握り締めて、緊張した面持ちを私に向けていた。
「初めまして! 栗原理緒と申します」
場違いな元気さで、理緒と名乗った女の子はペコリと頭を下げる。
呆気にとられながら会釈を返すと、理緒は安堵したように微笑んだ。
「あ~よかった! 叫ばれたり逃げ出したりされたら、どうしようかと思いました」
「えっと、あなたは……?」
言葉は通じるけれど、私と同じ人間か、マカゲのような人ならざる存在か……見た目では全く判断がつかない。
警戒を解かない私の前で、理緒はカバンの中から書状のような物を取り出した。
「え~とですね……この度、館田神社に祀られているアメノオシホミミノミコト様、賀茂神社天満宮に祀られているワケイカズチノミコト様と菅原道真公より報告と申請を受け、マカゲを引き剥がすための手続きが完了しました」
「あのマカゲを……引き剥がす?」
驚いて問い返すと、理緒は自信たっぷりに頷く。
『そんなのハッタリよ。できる訳ないじゃない』
不機嫌そうなマカゲの声が、頭の中からではなく耳元で聞こえる。
恐るおそる声のほうへ目を向けると、私の肩口に鉤鼻でシワまみれの顔があった。
「うわぁ!」
飛び跳ねて叫ぶと、ボサボサの髪の間から覗く皿のように円い一対の目が、私を瞳の只中に映す。
『人の顔を見て叫ぶって、失礼極まりないわね』
マカゲは不機嫌そうな表情を浮かべて腕を組み、指先で髪の毛をもてあそんでいた。
鏡や窓といった姿を映す媒体を通さなければ見ることが適わなかったマカゲが、実体を伴って私と同じ空間にいる。
目の前にいる。
マカゲから離れたくて、じりじりと理緒の元へ近付いていく。
理緒は書状をカバンにしまい、手の平サイズの経本を取り出して鈴の柄を握り直した。
「私の姉から言われました。マカゲを引き剥がす条件が整うことは、めったにない。修行の成果を思う存分発揮してきなさい、と」
「修行?」
「はい! 栗原の家は陰陽の術を駆使する家系で、私も修行中の身。ですが、今回の件を姉が私に任せたということは、私だけでも十分役目が果たせると判断したということです。だから、安心してください」
自信満々な笑みを浮かべる理緒が、とても心強く頼もしい。
キシシと笑ったマカゲは、理緒を指差した。
『こんな小娘に自分が負けると? 力量の差も分からないなんて、三下もいいとこね!』
腹を抱えて笑うマカゲに、理緒は不敵な笑みを見せる。
「じゃあ、やってみましょうか?」
理緒は経本の間から人形に切った紙を取り出し、私に渡す。
「香澄さん。これに息を吹きかけて、合掌するように両手で挟んでください」
「なんで、私の名前……」
「申請書に書いてあったので。それより、早く!」
理緒に急かされ、慌てて人形に切られた紙に息を吹きかけて両手の間に挟む。
理緒はカバンの中に経本をしまい、紅水晶の数珠を取り出した。
数珠の親玉から伸びる房は長く、理緒の手の動きに合わせて揺れる。
理緒は、鈴の音を三回響かせた。
長く短く、そして長く。
音波が重なり膨らむ鈴の音色。
余裕の表情を浮かべていたマカゲが、わずかに眉根を寄せる。
理緒は両手に数珠を絡め、印を結んだ。
すぅ……と息を吸い込むと、見かけからは全く想像もできないくらい、朗々とした声を響かせた。
紡がれる言葉がベールとなり、耳に残る鈴の音に重なって心地よく包まれていくようだ。
『ちょっと……なにしてくれんのっ!』
焦りを浮かべ、慌てたマカゲが私を目がけて飛んでくる。
眼前に迫りくるマカゲの顔は、お化け屋敷の恐怖の比じゃない。
悲鳴を上げながら合掌した手を顔の前に掲げると、マカゲの動きがなにかに遮られた。
『っ……小賢しいっ! 引き剥がすって、こういうこと?』
節くれだったマカゲの指が、私の体から数センチ先の空間を掴もうともがく。
マカゲの手は、私に届きそうで届かない。
言葉を紡ぎながら、理緒は鈴を鳴らす。
見る間に私とマカゲの距離が広がり、まるで二人の間に厚い壁が形成されたようだ。
『あぁ……憎らしい小娘が!』
マカゲは、怒りで全身をわななかせる。
私に背中を向けたマカゲは、理緒を目がけて一直線に突進した。
「危ない!」
私が叫ぶと同時に、マカゲの動きが制止する。
手足を押さえつけられたように、マカゲの体はピクリとも動かない。
声の調子を変えた理緒は数珠を片手で持ち、鈴をしまってカバンの中から瓶を取り出す。
理緒が瓶の蓋を開けると、舌打ちと共にマカゲの姿が消えた。
理緒は言葉を紡ぐことをやめ、小さく息を吐く。
瓶の蓋を閉めながら、ポツリと呟いた。
「残念です。逃げられました」
言い方は淡々としているのに、理緒の表情は冴えない。とても悔しそうだ。
「欲を言えば、この場で封印してしまいたかったのですが……さすがに、そうはさせてくれませんね」
理緒は瓶と数珠をカバンにしまい、茫然と佇む私に歩み寄ってくる。
微笑を浮かべた理緒は、合掌したままの私の両手に自分の手を添えた。
「ですが、本来の使命は達成です! マカゲは、もう香澄さんに影響を与えることはできません」
「具体的には、なにをしたの?」
私の両手を開いて人形に切った紙を回収し、理緒は考える素振りを見せる。
「そうですね……マカゲが憑りつく対象を人形に移動して、もう香澄さんがマカゲの影響を受けないように、結界の壁を作りました」
「結界の……壁」
あの包まれるような感覚が、そうだったのだろうか。
「はい。ですので、この人形は私達サイドで処分させていただきます」
理緒が手にする人形は、最初に見たときに比べて白色がくすんでいる。
人形に指先でなにかを記す理緒の様子を窺いつつ、遠慮気味に声をかけた。
「もう一つ、聞いてもいい?」
「お答えできる範囲で、ですけど」
なにかを記し終えた理緒は人形の紙をクルクルと丸め、カバンから取り出した瓶に入れて蓋をする。
「最初に言ってた、マカゲを剥がすための条件って……なに?」
理緒は瓶をカバンの中に突っ込み、顎に指先を添えて思案していたが、不敵な笑みを浮かべた。
「それは、内緒です」
「内緒……」
オウム返しに呟くと、理緒は楽しげにクスクスと笑う。
「そんなことより、香澄さんは現実世界に戻らないと」
「その前に、また一つ教えて!」
なんでしょう? と、理緒は首を傾げる。
「驚きすぎて訳分かんなかったけど……ここって、なんなの?」
理緒の言葉を借りれば、ここは現実世界ではないらしい。
無音で漆黒の闇が広がっていた空間は、なんの世界だというのだろう。
「ここは、魂だけが来ることのできる世界……だと、思っていただけたら大丈夫です。マカゲを剥がすために、香澄さんの魂だけをこの空間に引っ張り出しました」
カバンの中から鈴を取り出し、理緒は私の正面に掲げる。
「では、香澄さんの魂を戻します」
言い終わると同時に響き渡る、心地よい澄んだ音色。
一定の間隔でキーンキーンと鳴る鈴の音は鼓膜を振動させ、私の目蓋は次第に重くなる。
ゆっくり目蓋を閉じて目を開くと、そこには幕が張られた神楽の舞台が広がっていた。
「やっとよくなったみたいだね、ハウリング」
直輝の声に、もうろうとしていた頭が徐々に現実を認識する。
「直輝君、私……今なにしてた?」
「え? なにって、この一瞬で寝てたの?」
直輝が言う、一瞬が分からない。
手元のスマートフォンに目を向けても、最初の時刻を覚えていないから判断のしようがなかった。
あの空間に、どれだけの時間滞在していたのだろう。
司会者が演目の紹介をしている最中、懐中烏帽子を被って格衣をまとった男性が、幕の向うから現れた。
いよいよ、待ちに待った神楽がこれから始まる。
またマカゲが騒ぐかと思ったけれど、私がマカゲの声を耳にすることは二度となかった。




