初詣
一回目の神楽公演は、午前十一時から。
立体駐車場に車を停めてスマートフォンで時間を確認すると、十五分も過ぎている。
今から観ても、公演の途中だから楽しくないかもしれない。
それよりなにより、せっかくだから最初から観たい。
『神楽自体、観ることやめにしましょうよ』
姿を消しただけで、まだマカゲは私に憑りついている。
時間に遅れた理由がマカゲのせいだと思うと、とても悔しい。
「香澄ちゃん、神楽公演って昼の二時からもあるよね?」
もちろん二回目の公演はある。
けれど、観たいと思ったタイミングで観られないのは、気分がいいものじゃない。
「提案なんだけど……観るのは二回目の公演にして、今から一緒に初詣行こうよ」
「初詣?」
「そう。近くだし、賀茂神社天満宮がいいと思うんだけど……どうかな?」
賀茂神社天満宮は、明治時代に取り壊された城の跡が在る賀茂三笠山を神体山とする最も古い神社の一つ。
雷を別けるほどの力を持つ神であるというワケイカヅチノカミと、天神様として名高い菅原道真公を主祭神に、他五社が合祀されている。
「妹さんのセンター試験もうすぐだよね?」
「試験日は、一月の半ばだったと思う」
だから正月二日目の今日も、妹は部屋に閉じこもって勉強している。
賀茂神社天満宮なら、妹の合格成就を願う場として最適だ。
「でも……直輝君って喪中だから、神社にお参りできないでしょ?」
尋ねると、直輝は朗らかな笑みを浮かべる。
「初詣できるよ。まだ喪は明けてないけど、神社にお参りできないのは、忌中だからね」
「忌中?」
眉をひそめて言葉を繰り返した私に、直輝は頷いた。
「仏教でいう四十九日が終わるまでの約五十日間が、穢れを祝いの席に持ち込んだり殺生しちゃ駄目な忌中の期間。約一年間の喪中は、死者を偲ぶ期間」
神道でいう穢れは、汚いという意味ではなく、身内が亡くなって悲しく気力がなくなっている状態であるという、気枯れを意味する。
古来より気枯れは伝染すると考えられ、祝いの席へ赴くことや神社の鳥居をくぐることはタブーとされていたのだ。
「そっか……忌中と喪中って言葉は似てるけど、穢れの期間と故人を偲ぶ期間じゃ全然違うね。よかった~! 教えてもらって」
喪中が穢れの期間だと、ずっと勘違いしていた。帰ってから、妹にも訂正しておこう。
「まぁ俺も……忌中と喪中の違いを知ったの、つい最近なんだけどね」
「そうなんだ! でも、どうして調べようと思ったの?」
賀茂神社天満宮へ向かうべく車を発進させた直輝に目を向けると、正面を向いたまま頬を掻いている。
「せっかくだから、どこか一緒に初詣行けたらいいなぁって思って……調べた」
どうしよう。
凄く嬉しいのに、恥ずかしくて直輝の顔が見られない。
「……ありがと」
早口の小声で礼を告げ、赤くなっているであろう顔を隠したくて、マフラーに鼻から下を埋める。
立体駐車場を出て外を走る車中には、雲間から降り注ぐ冬の陽光が差し込み、ほのかな温かさをもたらしてくれた。
◆◇◆◇◆◇◆
駐車場に車を停め、直輝と並んで賀茂神社天満宮の鳥居の前に立つ。
二人揃って鳥居の前で会釈をし、同時に一歩を踏み出した。
鳥居をくぐって神門もくぐると、右側に拝殿と社務所が見えてくる。
正月の二日目だから参拝者が多いかもしれないと危惧していたけれど、昼前という中途半端な時間のお蔭で列を作らずにすみそうだ。
手水舎に進み、手と口を浄める。
拝殿へ体の正面を向ければ、立派な社殿の背後には賀茂三笠山。
人目に触れないよう、ひっそりと設置されたスピーカーからは、龍笛の音が流れていた。
賽銭箱の左側に在る絵馬殿には、ピンクの桜が描かれた五角形の可愛い絵馬がいくつも掲げられている。
私の視線が向く先に気付いた直輝が、巫女さんが待機している社務所を指差した。
「絵馬、書く?」
「必要なら、自分で書かせる。私は、お参りとお守り買うだけにしようと思って」
「そうだね。神さんも、そのほうがいいって言ってる気がする」
まるで本当に神様と会話をしたような直輝の言葉に、私の唇は自然と弧を描く。
そんな気がする、という直輝の言葉が、本当だったらいいなと思うから。
二人揃って拝殿の前に立ち、軽く会釈をして賽銭箱に小銭を入れる。
正面に向き直り、腰から折る深い礼を二回した。
両手を合わせて右手を少しだけ下げ、心を静めて意識を集中する。
二回叩く拍手の、一回ずつに気持ちを込めた。
右手を元の位置に戻して、拝殿におわす神様に、まずは今日お参りできたことを感謝する。
そして、妹の大学受験の合格祈願。
遊びたい気持ちや恋愛したい気持ちを押し込めて、目標としている大学に入るため、食事や眠る時間以外の全てを勉強に費やしてきた妹の努力が報われますように。
ついでに、私と直輝の関係も……一番いい方向に導いてください。
『神頼みかぁ……』
鳥居からこちらは神様の領域なのに、頭の中でマカゲの声がする。
神社は神域なのに、なんでいるんだろう。
マカゲには、影響がないのだろうか。
『影響がない訳ないじゃない。キミって馬鹿? こんな所、早く出ましょうよ!』
我慢せずに、さっさと逃げればいいのに。
『営業実績上げなきゃならないのに、怖いからやめました~とか言えないわよ!』
神様、マカゲ退散お願いします。
『神頼みはやめなさいよ! 今ので、余計に睨まれちゃったでしょうが!』
なにとぞ神様、マカゲ退散!
『キミ、いい根性してるわね……』
マカゲの声には怒気が宿る。
私の邪魔をするマカゲが嫌がる行為は、なんだか楽しい。
『Sっ気目覚めさせてんじゃないわよ!』
小さな声で、祓い給い清め給え守り給い幸い給えと、略拝詞を三回唱えて拝殿のさらに先へ想いを馳せた。
マカゲはともかく、妹の願いは叶えてほしい。
神様、心の底から宜しくお願い致します。
小さく息を吐き、深く一回礼をする。
顔を上げて隣を見上げれば、直輝は私の祈願が終わるのを静かに待っていてくれた。
「もういい?」
「うん、しっかり気持ちは込めた!」
私が妹のためにしてやれることなんて、本当にこれくらいしかないのだから。
「大丈夫。一途な気持ちは、届くから」
「ふふ、ありがと」
賽銭箱の両隣には、種類の違うおみくじが箱に入って並んでいる。
天然石入りのおみくじ、普通のおみくじ、トンボ玉のストラップが入ったおみくじと、実に多様だ。
「直輝君、おみくじ引く?」
「俺は引かなくていいや。香澄ちゃんは?」
「……どうしようかな」
おみくじは、吉凶よりも書いてある教えや和歌に興味が向く。
和歌だけしか書いてないおみくじは意味を想像して自分なりに解釈を付けるのが面白く、意味が書いてある和歌は、歌の納まりのよさや美しさに心が震えるのだ。
だけど今日は、おみくじを引く気になれない。
「気が向かないのなら、やめておこう」
直輝の提案に頷き、二人でお社を時計回りに歩き始めた。
絵馬殿の前を通って、赤い鳥居の稲荷神社に手を合わせる。
続いて武内神社にも手を合わせ、本殿の後ろを歩いてお社を一周する。
賽銭箱の前に戻り、二人揃って会釈した。
「やっぱり俺、おみくじ引く……」
「じゃあ私、妹のお守り買ってくる」
どのおみくじを引こうか悩む直輝をそのままに、私は巫女さんが待機する社務所へと向かう。
社務所には、御神札や絵馬を始め、数種類のお守りが並んでいる。
左端からお守りを眺めていると、お目当ての合格守りを見付けた。
錦の袋に神紋が刺繍されている学業御守と、短冊に合格守と書かれた、小さな鈴が付いているストラップタイプのお守りが二種類。
明香里が持ってくれそうなのは、どちらかと言えばストラップタイプのお守りだろう。
色は、ピンクと白と青の三種類。
妹が好きな色は、青だった気がする。
選んだお守りを手に取り、他のお守りにも目を向けた。
交通安全、健康守り、厄除け守り、学業成就に身代わり守り。
それから、今の私が欲しいと思ったお守り。
「これ、お願いします」
微笑を湛えて対応してくれる巫女さんに、合格守りの蒼いストラップと縁結びのお守りを手渡す。
振り向いて直輝の姿を捜せば、おみくじを結び付けているところだった。




