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束の間の再会

 盆の初日である十三日の夕方に苧殻おがらを燃やして迎え火を焚くと、煙を目印にした先祖達がキュウリの馬に乗って戻ってくるという。

 盂蘭盆までに四十九日を終えた祖父は、今年が初盆。

 何年も何十年も何百年も前の先祖達に混ざって、祖父があの世からこの世に一時帰宅しているのか……僕には知る術がない。


『教えて差し上げましょうか?』


 電源を切って黒くなったノートパソコンの画面いっぱいに、いびつに顔を歪めたマカゲのナンが浮かび上がる。

 ボサボサの髪から覗くギョロリと円い目も、鉤鼻でシワまみれの顔も、見慣れてしまえば突然現れても驚かない。

 パチパチと瞬きを繰り返すナンを眺めた僕は、そっとノートパソコンの蓋に手を添えて、無言のままパタリと閉じた。


『ちょっと~! なんですか今のっ? 見て見ぬフリですか? ひどくないですかっ?』


 間髪をれずに頭の中で盛大に喚き立てるナンの声は、さすがに無視しようがない。


『おじいさんが帰ってきているか知る術がないって感傷に浸ってるから、わざわざ親切心で教えてあげようと思ったのに!』

「なっ、感傷になんか浸ってない!」


 第一、マカゲに属するナンに、親切心なんてものが存在するのか。

 半信半疑で再度パソコンの蓋を開くと、背後から恨めし気に僕を見るナンの視線とかち合った。

 暗い画面に不貞腐れているナンの顔が映ると、パソコンを通じて会話をしているような錯覚を覚えてしまう。

 半眼になったナンは顎を突き出し、フンッと鼻で息を吐いた。


『信頼を得るための親切心ならありますよ!』

「それは一般的に、下心ってヤツじゃ?」


 キシシと笑ったナンは、そうとも言いますね、と開き直る。

 僕は呆れて、そっとノートパソコンの蓋に手を伸ばす。

 パソコンの蓋に指先をかけると、まぁお待ちなさい! と、ナンは慌てた。


『キミは知りたいのでしょう? 興味がないフリをしている、コチラ側の世界のことを』


 思わず手が止まる。

 パソコン画面に目を向ければ、キシシと笑っていびつに顔を歪めたナンは、節くれだった手を僕に向けた。


『少~し覗いてみましょうよ。キミが拒否反応を示す、コチラ側の世界』

「コチラ側って……」


 僕の戸惑いなど気にも留めず、ナンの手が僕に向かって伸びてくる。

 パソコンの画面に映る僕の肩口に、ナンの指先が添えられた。

 固唾かたずんで固まっていると、暗いパソコンの画面で僕に触れたように映っている部分からナンの指先が消え、手首が消え、肘から肩が順に消えていく。


「うえっ!」


 なにかがズズズ……と、肩口からヘソの辺りに向かって入り込んでくる感覚。

 腹の中で動いている贓物や筋肉の感覚が、融けるように消えていく。

 まるで、僕の中身を全て抜き取られていくようで気持ちが悪い。

 ナンが映るパソコンの蓋を閉じようにも、指先の感覚まで消えていく。


 やめろと叫びたいのに、声が出ない。


 徐々に視界も霞み、残った感覚は聴覚のみ。


『どうぞ~。コチラの世界へ、いらっしゃ~い』


 僕の聴覚が機能を失いながら捉えたのは、ネットリとまとわりつくような、しわがれたナンの楽しそうな声だった。


◆◇◆◇◆◇◆


 気が付けば、僕の周囲には物がなく、一面に乳白色の世界が広がっている。

 手足はあるけど、感覚がない。

 水に浮いているときとも違う浮遊感に戸惑いを覚えた。


 ここは、どこだ。ナンは、どこにいる。


『ねぇ、いかがです? 楽しいでしょう? 肉体から抜け出た魂のみの感覚は』


 魂のみの感覚、ということは……。


「僕は、死んだの?」

『いいえ。魂の緒は繋がっていますので、肉体のほうは仮死状態みたいな感じですかね』

「じゃあ、これは臨死体験ってヤツ?」

『まぁ、そんなものです』


 眼前に広がる乳白色の一部が凝縮を始め、人の形を作っていく。

 眺めていると、キシシと笑いながらナンが姿を現した。

 そしてナンの後ろには、僕の見知った顔。


「じいちゃん……」

将斗まさとか!』


 死んだ人間が、僕の前に現れた。

 しかも葬式のときに着せた死装束ではなく、ボロ布を腰に巻いた祖父は、目が落ちくぼんで腹が膨れている。


 眼光のみが異様にギラギラとしている祖父を前に、僕は恐怖を覚えた。


『ちゃんと盆で帰省されていたので、ここにも連れてきやすかったですよ~』


 満足そうなナンに、憤りを覚える。


 どうして、祖父を連れてきた。


 盆で帰省しているかなら、ひと言そうだと告げればいいだけなのに。

 第一、僕は祖父に会いたかった訳じゃない。


 それに……こんなにもみすぼらしい祖父の姿は、見たくなかった。


 祖父は不思議そうにナンを見てから僕に視線を戻すと、細い首を傾げた。


『どうして、マカゲが……将斗を?』


 祖父の口から出た言葉に、思わず息を呑む。


 なぜ祖父が、マカゲの存在を知っているんだ。


 答えを求めてナンに目を向けても、ナンはキシシと笑うのみ。


『もしかして、将斗。お前、マカゲと契約を交わしたのか?』

「じいちゃん、なんで契約のことまで……」


 泣き出しそうに顔を歪めた祖父は僕に歩み寄り、骨と皮だけの手で僕の二の腕を掴んだ。


『ワシのせいか!』

「えっ?」

『ワシが、直輝や近所の子達と比べたから、将斗はマカゲに好かれるような捻くれた人間になってしまったのか……?』


 祖父は震える声で、すまん、と告げた。


「もしかして、じいちゃんもマカゲと契約を……?」


 祖父は悔しげに顔を歪める。

 その表情が、僕に答えを伝えていた。

 奥歯を噛み締めた様子の祖父は、僕の二の腕を掴む指先に力を込める。


『お前、もうマカゲと契約を結んだのか? どうなんだ!』

「ま、まだ……契約は結んでない!」


 生前の祖父を彷彿とさせる迫力は健在だ。

 僕の答えに祖父は頷き、ナンを一瞥してから声をひそめた。


『いいか、将斗。絶対、マカゲの囁きに耳を貸すな。なにが起きても、なにを言われても、絶対に契約を結ぶな!』

「それって、どういう……」


 祖父は力強く僕を引き寄せ、耳元に顔を近付ける。


『契約を結べば……こんなふうに、じいちゃんみたいになるぞ! マカゲと契約したら、死んでから――』

『あぁ、それ以上はいけません』


 言うが早いか、ナンが腕を一振りすると、祖父の姿が乳白色に融けて消えた。


「じいちゃん!」


 マカゲと契約したら、いったい死んでからどうなるんだ。


『それはね、契約したら分かりますよ』


 ナンはキシシと笑い、僕に書類を向ける。


『さぁ、どうなるか知りたければ……是非とも契約を結びましょう』


 ナンの目と書類を交互に見て、僕は固唾を呑んだ。


 マカゲのナンと契約を交わすということは、僕が劣等感やマイナス思考といった負の感情を抱く原因となった人間に害を与え、その人間の幸せを邪魔するということ。

 僕が一方的に抱く負の感情のせいで、人様に迷惑はかけられない。


 それに、あの祖父が……小言しか言わなかった祖父が、僕に謝罪を述べて、絶対に契約を交わすなとアドバイスをくれた。

 ナンが引き合わせた祖父の姿が、マカゲと契約を結んだ人間が辿る結末を現しているのだと思う。


 拳を握り、ナンを見据える。


「僕は……契約なんて、絶対しない!」


 ナンは不満気に唇を尖らせた。


『親切心が、裏目に出ましたかね?』


 目論みとは逆の結果にナンは落胆し、おもむろに宙を見上げて肩を竦める。


『残念ながら、タイムリミットです』


 僕に左右の手の平を向け、キシシと不気味に笑う。


『キミのお兄さんが、お呼びですよ~』

「兄貴が?」


 乳白色の世界に、一陣の風が吹く。

 とっさに閉じた目を開けると、怪訝な表情を浮かべる兄貴の顔が眼前にあった。


「……あれ? 僕……」


 今のは、夢だったのか?


 状況が把握できない。


「椅子に座ったまま寝てたの?」


 床に横たわっていた僕の足元には、座っていたはずの椅子が転がっている。

 状況のみで判断するなら、兄貴の推測が妥当だろう。


 起き上がると、節々が固まって動かしにくい。目の奥が重たいし、頭痛も少しある。

 魂が体から抜けた、後遺症みたいなものだろうか。


「……なんか、用?」

「送り火の準備ができたから、呼びにきた。庭に来いってさ」


 そうか。盂蘭盆で家に帰っていた祖父は、また地獄に戻るのか……。


「分かった。先に行っといて」


 机に手を置き、動きが鈍い体を支えて、なんとか立ち上がる。

 真っ暗なノートパソコンの画面に目を向けると、そこにはなにも映っていなかった。



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