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ティップオフ  作者: 朝日菜
茶野灯 前編
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幕間一 飛べないホタル




 目を開ければ、変わりようのない白い天井が視界に入った。私は小さくため息を吐いて、顔をゆっくりと窓の外へと動かした。

 四角い窓から見える切り取られた世界は、びっくりするくらい季節によって顔を変えている。キレイだった紅い葉を落とした木は枯れてしまったかのように寂しくて、空から降ってくる白くて可愛い物が木を包んでいた。

 季節は、冬だった。

 銀之丞(ぎんのじょう)家の一人娘として生まれた私は、その時から病弱だった。家が財閥だったので、お金に困らなかった私は何度も何度も機械的に入退院を繰り返していた。

 そして今。小学六年生になった私は、これがつまらなくて仕方がないと思うようになる。いつか元気になったら、めいっぱい体を動かしてみたい。それがたった十二歳の私の夢だった。

 ノックの音がして扉が開かれる。扉の先の人と目が合った。


「お嬢様、起きていらっしゃったのですね」


 ただ、この一時(いっとき)だけは私の世界に色をつけた。


松岡(まつおか)……」


 松岡一真(まつおかかずま)は私の執事で、病室に縛り付けられている私の面倒をよく見てくれる家族同然のような人だ。

 ううん、私はもう私の両親を両親とは思っていないから、松岡は育ての親のような兄のような……とにかく私の唯一の家族でかけがえのない存在だった。


「ねぇ、松岡……つまらないよ……。私、どうなっちゃうの? 死んじゃったりしないよね?」


 今にも泣きそうになりながら言葉を(つむ)ぐ。そうとしか思えないくらい、私の入院生活は普通の人と比べて長かった。


「死にませんよ。ですから泣かないでください」


 すると松岡は私の顔を覗き込み、涙を指で拭った。指なのに固くて、でも私は松岡の指しか知らないからこんな物なのかなと思う。


「お嬢様の名前は(ほたる)ですが、(はかな)いホタルではありません。本当のお嬢様は誰よりも強く、何よりも美しいんです。それに、私がお嬢様を守りますから」


 そして松岡は柔らかく笑うのだった。


「……松岡」


「そういえばお嬢様、私、こういうのを持って来たんです」


 私の気を()らそうとしたのか、松岡は鞄の中から何かを取り出した。正方形のプラスチックみたいな物だ。


「それは……?」


「DVDですよ。私が高校時代の時ので申しわけないのですが……」


 松岡の高校時代と言っても、たったの三年くらい前なのに。何で申しわけないんだろか。


「なんの?」


「それは見てからのお楽しみです」


 人差し指を口元に当てて、イタズラっぽく松岡は片目を(つむ)る。そのままテレビにDVDを入れて、再生ボタンを押した。


「……!」


 明るくなった画面と、病院に不釣り合いな歓声。画面の明るさとは別に映像自体が明るいライトに照らされていた。


『続きまして、スターティングメンバーの紹介です。4番 松岡一真――』


「っあぁ?! すみません、お嬢様! 間違えました!」


 自分の名前を耳にした途端(とたん)、慌てて停止ボタンを押そうとする松岡に私は声を上げた。


「待って!」


「……え?」


「これ……これが見たい……!」


 唖然(あぜん)と私を見つめた松岡は、渋々と手からリモコンを離す。テレビに映ったのは、高校時代の松岡の"バスケの試合"だった。

 病室の大きさしか知らない私からしたら、それは大きな会場で。空いている席なんてないんじゃないかと思うほど多くの人々が松岡の登場を見ていた。今とまったく変わらない松岡がテレビに大きく映し出されて。


「松岡……!」


「はい?」


「私、中学生になったらバスケ部に入りたい!」


 恥ずかしがってテレビをまともに見ていない松岡に、私は本能的に芽生えた決意を告げた。









 鳥が窓の外を自由に飛んでいる。冬はあっという間に過ぎ去り、今は桜が舞っていた。

 コンコン、と聞き慣れたノックの音が病室に鳴る。私の病室を訪れるのは、ずいぶん前からたった一人と決まっていた。


「どうぞ」


 扉が開く。訪れたのはやっぱり松岡(まつおか)だった。

 松岡は軽く頭を下げ、ベットに横たわる私に茶色い封筒を手渡す。その封筒は意外にも大きく、薄くて軽かった。


「ありがとう」


「……いえ」


 松岡は短く答える。その表情は少し不安そうだった。


「大丈夫だよ」


 私は微笑みながら封筒を開ける。そこには私が頼んだ通り入部届けが入っていた。


「……本当にバスケ部に入部するのですか?」


「うん」


 松岡からボールペンを借りてペンを走らせる。それを黙って見つめた松岡はもう、止める気はないようだ。


「よしっ」


 書き上げた入部届けを自慢気(じまんげ)に松岡に見せる。松岡は私の行動に驚き、そして「上手く書けましたね」と褒めてくれた。


「ありがとう」


 封筒にそれを入れ、私は松岡に渡した。


「ちゃんと出してね」


「解っていますよ」


 松岡は眉を下げて笑う。松岡が出ていくのを見届け、私は起こしたベットの背もたれに体を預けた。まぶたを閉じれば、今すぐにでも松岡が見せた試合の風景が浮かび上がる。

 松岡が楽しそうにドリブルしている姿を見て、松岡の固い指の理由が解ってしまうほど彼はバスケが好きみたいだった。


「いつか私も、あのコートに立ちたいな」


 めいっぱい体を動かしたい。それはいつの間にかめいっぱいバスケしてみたいに変わっていた。

 まだバスケットボールにも触れていないのに、手がそわそわする。足がむずむずする。

 松岡、早く帰ってこないかな。

 帰ってきたらバスケのルールを教えてほしいな。

 切り取られた世界に視線を向けると、枯れたような木の枝から新緑が()えていた。

 それは色のない私の世界が色づいたようにも見えた。

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