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ティップオフ  作者: 朝日菜
橙乃唯・紺野うさぎ 後編
24/24

最終話 奏ではじめる歌




『勝ったのは東雲しののめ中学校ー!』


 大歓声と共に私は思わず立ち上がった。

 眼下に広がる光景は、今まで見たどんな美しい景色よりも色づいて見える。


「やった……! 勝った、勝ったよお母さん!」


「……ッ! 嘘、信じられないわ……!」


「でもほら! 勝ってるよ! 本当だよ!」


 その瞬間、お母さんがボロボロと涙を流した。

 手で顔をおおい、嗚咽おえつまでし始める。


「お、お母さん……?」


「良かったっ、本当に良かった……!」


 ハンカチを軽く頬に当て、お母さんはふふっと笑った。


「ごめんね。実はお母さん、東雲女バスのOGなの」


「えぇ?!」


「私の世代は、全中まで行っても優勝したことなんて一度もなかったから……」


 そう言って、お母さんは東雲の応援団や選手の関係者に混じって「おめでとー!」と叫ぶ。その中でも一番はしゃいでいたのは、応援団の反対側に座っている少女だった。

 少女は車イスに座っていて、隣の執事服の青年が慌てて少女を落ち着かせている。でも、一番はしゃいでいたのはもちろん中の選手だった。


「ぜんぱぁい!」


 タイムアップ直前で交代した東雲の主将は、膝をつきながらも前に進もうと足掻あがいていた。そんな主将に、四人がまっすぐに抱きついていく。

 バスケ選手としても同級生としても小さな身長の主将なのに、折れることがないまま四人を抱きしめて


「うっ、あぁぁあ〜!」


「ひっく、ううう〜!」


「あぁぁぁぁぁぁぁ!」


「うぅっ、くぁ〜〜!」


 こっちまでもらい泣きしてしまうような、嬉し涙を流す。


「ありがどぉ〜! みんなっ、本当にありがどうっ!!」


 もしかしたらカントクが一番泣いているかもしれない。ただ、途中でベンチ入りした白樺しらかばという先輩は、泣きもしないまま少し離れた場所から五人を見つめていた。


「なっちゃん!」


「白樺先輩!」


「えっ、は?」


 バッと、全員が腕を広げて白樺先輩を待つ。

 白樺先輩は頬を赤く染めて、ぷいっとそっぽを向いた。


「なっちゃんが来ないならこっちから行くよ〜!」


「い、いやいいから! 私は……」


「なんで遠慮するんですか! 白樺先輩も仲間なんですからっ!」


「だからそういう問題じゃなく……ぎゃあああ?!」


 なのに、一気に駆けつけてきた四人に抱きつかれて真後ろに転ぶ。遅れて主将が抱きつきて、六人がそろった東雲の女バスは照れくさそうに笑いあった。


「ほらお前らっ、いつまでそうしてるんだよぉぉ! 挨拶挨拶!」


 そう言いながらもちゃんと生徒を待ち、顧問の先生は男泣きをする。そんな顧問の先生に急かされて、六人は整列をしに駆け出していった。


奏歌そうかもいつまでも立ってないで座りなさい」


「あ、うん!」


 座ると、また違った景色が見えた。

 東雲の六人と星森せいしんの十五人が並ぶ。


「ありがとうございました!!」


 その声は会場全体に伝い、誰もがこの二つのチームに拍手を送った。


「モモ!」


 よく通る高い声に振り返ったのは、隣の席の少年だった。横目で見れば、ふわふわの髪質の――あの時の東雲の少年だった。


柴村しむらくん! みなさん!」


「ほんとに?! ほんとに東雲が勝ったの?!」


「はい! あっ、ほら来ますよ!」


 隣の通路をバタバタと駆け下りて、東雲のジャージを来た少年たちは身を乗り出す。応援席に挨拶に来た六人は少年たちに気づき、大きく手を振った。


「勝つから! 俺たちもこの後絶対勝つから! 見ててくれる?!」


「えぇ〜。赤星あかほしくん、俺らベンチスタートだよ? スタメンじゃないのに見てほしくないなぁ〜」


「馬鹿者、一年でベンチに入れただけでもありがたく思え」


「ありがたいも何も俺らの実力だろーが、緑川みどりかわ


「ちょっとナオ。それってまだベンチ入りさえしてない僕へのいじめ? 殺すよ?」


「し、柴村くん! 僕と応援席で一緒に応援しましょうね!」


 そんな少年たちに。


「見る! 絶対に見るよっ!!」


「が、頑張ってね!」


「あたしらが優勝したんだ! あんたらも勝たなきゃ握りつぶすぞ!」


「最善を尽くすと信じていますよ!」


たくちゃん、はるちゃんにも伝えて! 一緒に天下をとろうね〜って!」


「天下ではないと思いますけど」


 少女たちは答える。


「じゃ、整列!」


 カントクの掛け声と共に背筋を伸ばした六人は、


「応援ありがとうございました!!」


「ありがとうございました!!」


 主将のかけ声と共に頭を深く下げた。


「……お母さん」


「何? 奏歌」


 見れば、お母さんはまた泣いていた。



「――私、あそこにいるみんなとバスケがしたい」



 私がそう言えば、お母さんはさらに泣く。


「あはは。泣かないでよ〜」


 お母さんの涙を、化粧が変に崩れない程度に拭う。

 むせ返るような熱気を忘れて、私は今目の前に広がる光景を焼きつけ続けた。









 半年ぶりに空から見た日本は灰色だった。

 少し白く見えるのが桜だと、お母さんは私に教えてくれる。

 全色盲ぜんしきもうなのは相も変わらずだった。

 空港に降り立って新居に行き、私は一人だけこの春から通う東雲中学校しののめちゅうがっこうへと足を運ぶ。白い木々の桜は満開で、ずっと変わらないままなんだろうなと思っていたけれど風が吹けば花びらは散っていった。


「……失礼しまーす」


 そう言いながら校門をくぐる。

 アメリカでは中途半端な時期に転校したけれど、日本ではまだ入学式が始まっていないらしい。そのズレはちょっとだけ面白かった。

 俗に言うマンモス校の東雲は、敷地地図を見ないと迷いそうで。実際に何度も道を間違えながら私は体育館へと辿たどり着いた。


「…………」


 ゆっくりと体育館の開け放たれた扉を覗く。

 刹那にガァンッと音がしたのは、バスケットボールが壁に当たった音だった。


「っあ、あぁ〜!」


「お嬢様、そんなシュートフォームではダメですよ」


 一瞬、体育館を間違えたのかと思った。

 そこにいたのは、執事服の青年と体操服姿の少女だけだったから。


(……あ、そういえばあの二人、準決勝と決勝戦の時に反対側にいた人たちだ)


 こんなところで何をしているんだろう。ううん、体育館はここだけじゃないから間違えたのかもしれない。

 私は慌てて体育館から離れ、もう一度地図とにらめっこをした。


「あ、あの」


 無理だ。そう諦めて人に聞いた。


「は、はい?」


 驚いて振り向いた少女は、制服姿だった。

 春休みで今の時間はみんな部活をしているのに、この人は一体何をしているんだろう。


「女バスがどこで活動をしているかわかりますか?」


「あ、すみません……。私、そういうのよくわからなくて……!」


 少女はペコペコと頭を下げて私に謝った。


「い、いえ! こちらこそ急にすみませんでした!」


 だから私もつい謝る。

 アメリカではこういう人がいなかったから、新鮮だった。自分も同じ日本人だけど、この子はあまりにも謙虚すぎる。

 ふと見えた鞄につけられていたお守りに、南田奈みなみだなな々と書かれていた。これがこの子の名前なのだろう。一応覚えておこう。

 私は少女と別れて、新しい体育館を探した。


「ここかな?」


 と思い覗けば、女バレだった。


「す、すみません……」


 また別の人に声をかける。


「女バスってどこで活動してますか?」


「女バス? ねぇ葉月はづき、わかる?」


 少女は近くで練習していた少女に話しかけたけど、その少女もまた首を傾げた。


「さぁ? 沙織さおりがわからないならなんとも。千恵ちえは?」


「ん〜……、女バスかはわからないけど、バスケ部なら第三体育館だよ」


「ほんとですか?!」


「あ、でも男バスだったかも。まぁ、男バスの方が知ってる可能性もあるし……」


「男バスがわかっただけでもありがたいです! ありがとうございました!」


 私はそのまま去ろうとし、慌てて頭を下げる。

 そして目指した第三体育館では、予想通り男バスが練習していた。


(……多いなぁ)


 女バスよりも選手層が厚い男バスも、あの日全中で優勝した。

 つまり、私のこれからのチームメイトと約束をした少年たちは、それを果たしたことになる。その人たちを探そうとしたけれど、後ろ姿しか記憶になかったせいで見つけられなかった。

 何度目かはわからないけれど、地図とにらめっこをする。


(職員室に行った方が早いかな)


 そう思って、私はへとへとになった足を目印を頼りにしながら歩いた。

 職員室に隣接している校長室の前で私はその足を止める。視界に入ったのは、ケースの中に飾られていた全中の優勝トロフィーだった。

 部活動がさかんな東雲中には、様々な運動部があり、そのほとんどが実績を残している。それに埋もれそうになっていたけれど、女バスの優勝トロフィーはこの中のどの部活よりも貴重で尊いことを私は知っていた。


(あ)


 ちょっと首を動かすと、優勝トロフィーに隠れるような形で女バスの集合写真が飾られていた。

 ほこりなんて被っていない、この中で一番真新しく輝く笑顔と写真。その中で笑っている一人、カントクの人はもう卒業してしまっている。


「ひどいだろ、その写真」


「……え?」


 顔を上げると、女バスの顧問の先生が私を見下ろしていた。


「だってよ。こいつらは本当にすげーことをしたのに、その写真を優勝トロフィーの奥にやっちまったんだぜ? もっと前に出して欲しいよなぁ〜」


「……そうですね。あの、私もそう思います!」


「お、自分で言っといてあれだけど、それマジで言ってる?」


「はい! 私のお母さん、女バスのOGだったみたいなんですけど、一度も優勝したことないんですよ?!」


 そう言うと、顧問の先生は興味深そうに頷いた。


「そっか。なら、こいつら俺が思ってる以上にすげーんだな」


「はい!」


「教えてくれてありがとな。……えーっと、それで誰だお前? うちの生徒……じゃないよな?」


 顧問の先生が首を傾げ、不審そうな目つきをする。私は慌てて手を振って、自分の存在を告げた。


「っあ、私、黒崎奏歌くろさきそうかって言います! この春にここに転校して、女バスに入るつもりですのでよろしくお願いします!」


「おー、そっか。お前が噂のアメリカからの転校生か。金髪かと思ったらがっつり日本人なんだな」


 顧問の先生は「なるほど」、と手をポンと叩いて頷いた。


「……はい。変な期待させてすみません」


「や、別に俺は期待してねぇよ。黒崎はさっき俺に『よろしくお願いします』っつったけどな。実は俺、この春で異動なんだわ」


「え?」


「だから、黒崎は来年も俺が顧問だって思ってるかもしれねぇけど、それはない」


「……そ、そうなんですか。すみません」


 私は自然と頭を下げていた。

 顧問の先生は笑って、「顔を上げろって」と私の肩を叩く。


「なんか、こっちこそ期待させて悪かったな。期待するつっつったら、黒崎ってバスケ経験あんの?」


「はい、ストバスをやってました」


「おおっ、これこそ期待しちゃうじゃねぇか。今年はあいつが卒業してって、色々ダメになってるから心配してたんだよ。でも、お前がいれば百人力だな」


「えぇ?! や、やめてくださいよ! それこそ変な期待です!」


 顧問の先生は大きく笑って、私の頭を撫でた。


「悪い悪い。じゃあそこそこ期待しとくわ」


「そこそこもなんかアレなんですけど……。あの、私なんかがあのチームに入って大丈夫でしょうか?」


「ん? もしかしてお前、こいつらの試合見た?」


 私はこくりと頷いた。


「あー……、そっかそっか。まぁ、その心配はまったくないから安心しろ。学校のチームなんて毎年毎年変わるんだぜ? いちいち心配しなくてもいーんだよ。いつだって当たって砕ければいいさ」


「砕けちゃダメですよね?!」


「ふふん、まーな。でも、そのつっこみができるなら大丈夫だろ」


 つられて私も笑った。




 これは、一年前の物語。

 私がアメリカから日本に帰国して、この東雲中学校に転校する前の話。

 今では考えられないけれど、東雲中の女子バスケットボール部は廃部寸前だったらしい。けれどその時、今はもう卒業してしまった茶野灯さのあかり先輩がそれを阻止しようと奮闘ふんとうした。

 結論から言うと、部員は見事集まり廃部の危機をまぬがれた。……ここまでなら、どこにでもありそうな話だ。ううん、この先も物語の中ならばどこにでもある話かもしれない。

 その年の女バスは寄せ集めにしては異常な強さを誇っていた。それは夏、中学最強を競う大会で彼女たちは優勝をしたのをきっかけに、多くの人に知れわたる。



 ――これは、いつまでも終わらない軌跡きせきの物語。



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