第十六話 唯一不二の少女
1
準決勝の勝利を喜ぶ暇もなく、私たちは控え室へと集められる。いつものように凜音が決勝戦の相手の分析結果をまとめ、私たちに見せた。
「最後の対戦校は、谷垣中学校を破った星森女学園です。主将は幹栞、副主将は茎津春です」
「ナニコレ」
凜音の分析を初めて目にする白樺先輩は、目を細めてまじまじとそれを見つめた。すると、ちぃちゃんが白樺先輩に見方を教え始めた。
……なんでか知らないけど、ちぃちゃんは白樺先輩をすごく尊敬してるっぽい。確かに白樺先輩はすごかったけど、今まで試合をすっぽかしてた人をそこまで尊敬するかな普通。
「唯、なんかぶさいくな顔してるけどどうした?」
「なんでもないわよ」
そっぽを向くと、茶野先輩に笑われた。
「いや〜。それにしても、谷垣の大津棗と中原歩はダメだったか〜」
「向こうも強豪校ですからね。両校とも念入りに調べておいて正解でした」
「まさか、谷垣も調べてたの?」
「当たり前じゃないですか。どちらが勝ち上がるのかわからないんですよ?」
驚愕の表情を張りつけて、白樺先輩はふらふらとベンチに座る。それをいつの間に来てたのか猫宮くんが「大丈夫ですか?」と心配そうに覗き込んだ。
決勝戦が行われるコートに行くと、星森女学園も同じタイミングでコートに入ってきた。
茶髪の幹さんや黒髪の茎津さんは凜音のデータ通りの人で、それは白樺先輩も気づいたのか「へぇ」と感嘆の言葉を漏らした。
「藍沢凜音、気味が悪いな」
「あ、なっちゃんわかる〜? 凜ちゃん気味悪いよねぇ」
「なんなんですか! それ以上言うならもう二度と分析しませんよ?!」
珍しくキレた凜音をちぃちゃんがなだめながら、私たち東雲はベンチにたどり着く。そこでは顧問の小塚先生や《全中》での疲労感が少ない白樺先輩がマネージャーの仕事をやってくれた。
「みなさ〜ん!」
顔を上げると、二階席にいる猫宮くんが私たちに向かって手を振っていた。
昨日の今日だけど、猫宮くんも私たちのマネージャーで仲間だ。それは猫宮くんに向かって手を振り返す私たち全員が証明している。
「ねぇねぇみんな〜! 円陣組まない?」
「いいじゃんそれ! やろう!」
テンションの高い琴梨に押されて、私たちは小塚先生も含め円陣を組まされる。合図はやっぱり茶野先輩……
「じゃ、唯ちゃんよろしく」
「っえ?!」
……と思ったら指名された。
「え、わ、私ですか?!」
「あったりまえじゃん。唯ちゃんが主将なんだし」
「……は? 主将って、橙乃唯が?」
茶野先輩が笑って、白樺先輩が眉をひそめた。
「そうです。先に言っておきますが、茶野先輩はカントクですよ」
「んで、エースがあたしです!」
「違います」
凜音に向かって琴梨が頬を膨らます。
そういえば考えたことなかったけど、うちのエースって誰なんだろう。
「――そう。エースは、ここにいるみんなだよ」
珍しく茶野先輩は落ち着いた声だった。
琴梨が納得した表情をするから、茶野先輩の言うとおりエースは私たち全員なんだろう。
「え、エース……。私も、エース……」
肩を組むちぃちゃんの体温が上がる。
「ちぃちゃん?!」
慌ててちぃちゃんを見るけれど、ちぃちゃんは大丈夫とでも言うように微笑んだ。
「えーっと、こほんっ。じゃあ行きます!」
ちゃんと全員肩を組んだか確かめる。
白樺先輩だけはちょっと居心地が悪そうに見えたけれど、しっかりと茶野先輩と琴梨の肩を掴んでいた。
「絶対勝つわよ!」
私は息を吸い込んで声を張り上げる。
「お〜!」と茶野先輩。
「おー?」と白樺先輩。
「……? あっ、おー!」とちぃちゃん。
「おう!」と琴梨。
「おー!」と凜音。
見事にバラバラだった。
「おいおい。円陣バラバラでどうすんだよお前ら」
そう言いながら、小塚先生が苦笑しながら私たちを指差す。
「う、え……?」
どうして合わなかったのか戸惑っていると、白樺先輩を含む全員が吹き出した。
「えぇ?!」
「いや、『絶対勝つわよ』って言うとは誰も思わなかったんだって」
琴梨だけが笑いの中理由を言う。
「だ、ダメなの?! 絶対勝つわよって……!」
恥ずかしい。穴があったら本当に入りたい。
「ダメというか安直すぎません?」
「私個人としては『東雲〜ファイト〜!』だと思ってた」
「それはないです」
凜音と茶野先輩のやり取りに、白樺先輩は顔を手で覆って震えている。指の隙間から見えた表情は、わずかに笑みが溢れていた。
「え、えと、いいんじゃないかな? 私は好きだよ」
ちぃちゃんだけが、私に優しいフォローをしてくれる。本当にちぃちゃんは女神様だ。
「それに、肝心なのは試合で息が合うかだと思うな」
ちぃちゃんのその言葉で、今まで笑っていた全員が笑うのを止めた。
「それもそうだな! よく言ったちぃ!」
琴梨がちぃちゃんの背中をバシバシと叩く。
言わなかったが、その中には一回だけ白樺先輩も入っていた。
2
『これより決勝戦、東雲中学対、星森女学園の試合を始めます』
決勝戦というアナウンスに胸が熱くなった。今日という日は、茶野先輩に出逢った入学式の日では想像もできない未来だ。
白樺先輩は、ベンチではなくスタメンだった。決勝戦だから、茶野先輩はあまりデータのない白樺先輩で速攻を決めたいらしい。
ベンチはというと、凜音がそれだった。
データがものすごく精密で作戦を考えるのが上手い凜音は、既に私たちも研究されていると言っていた。だからこその判断でもあった。
『礼!』
「よろしくお願いします!」
ジャンプボールは、いつもやっている凜音の代わりに白樺先輩が出た。対して前に出たのは、凜音のデータにも書いてあった副主将、茎津さん。
今か今かと待ち続けるその瞬間、空気が揺れた。
『試合開始!』
バッと二人が同時に飛ぶ。
白樺先輩のジャンプボールを見るのは初めてだったけれど、必ずとってくれるという確信があった。現に白樺先輩は、相手よりも高く飛びボールを私にパスする。
「ナイスです!」
私は白樺先輩がとったボールを絶やさないように、相手をドリブルでかわす。そして
「ちぃちゃん!」
影が薄いちぃちゃんにパスを出した。
ちぃちゃんは見た目に似合わずの怪力で、周囲を圧倒させる。琴梨にはマークがきちんとついていたけれど、ちぃちゃんは迷わなかった。
「琴梨ちゃん!」
まっすぐなボールは手足の長い琴梨に届いて、琴梨はマークを高速ドリブルでかわす。すぐさま放ったボールはリングをかすらずに入った。
「っしゃあ!」
いつものように琴梨がガッツポーズを披露する。
「ナイス水樹琴梨」
「琴梨でいいですって、白樺先輩!」
白樺先輩は短く頷いただけだった。
本当にわかっているのか怪しい白樺先輩は、ダンッとドリブルをして琴梨から視線を逸らした。琴梨をよく見ると、琴梨には二人マークがついているのがわかる。
白樺先輩はそんな琴梨を無視して自分で得点を決めた。
「…………ぁ」
漏れた声の正体を探すと、これにはベンチの凜音も複雑な表情を浮かべた。
「ナイスです白樺先輩!」
声を張った琴梨は、私たちの空気を換えるように叫んだ。
「ありがと、"琴梨"」
決して大きくはない声量だけど、よく通る……アナウンサーみたいな声で白樺先輩は微笑んだ。
二人はハイタッチを交わしてそれぞれ走る。
もう一度凜音を見るとちょっぴり悲しそうな目をしていて、目が合うと「試合に集中しなさい」的に睨まれた。
白樺先輩は強かった。
ちぃちゃんと凜音が交代して、さらにキレのあるプレイになる。
「一点! 大事にね!」
幹さんが笑うと、星森女学園のみんなも笑った。茶野先輩はカントクだから、主将らしいことはあえてしない。
「……私……」
主将は私だ。
私は主将だ。
「……まだっ!」
だからつい声を出した。
「もっと突き放そう!」
一歩足を踏み出す。
その瞬間、ズキッという痛みが足を中心にして走った。
「おう!」
「えぇ!」
みんなが走る中、私は徐々に足を止める。点数では今のところリードしているけど、余裕が無くなってきた。痛むのは、昨日やった怪我の部分だった。まだ治ってなかったんだ……って、そう簡単に治らないか。
「白樺先輩」
「何」
「もし、私が役に立たないと先輩が判断したら……遠慮なく交代してください」
白樺先輩は私の足に視線を移した。
「……橙乃唯、お前の覚悟は受け取った」
「唯でいいですよ。ありがとうございます、白樺先輩」
何故かフルネームで呼ぶ白樺先輩に告げて、私は深呼吸をした。足の痛みには波があって、痛い時とそうでない時がある。
ならば波が消え去るまでプレイをするまでだ。
私の人生に色をくれたバスケに、
大切な仲間に、
私を捧げる。
それは過言ではなくて。
「唯、さっき止まってたけど大丈夫か?」
「平気よ。それより琴梨は?」
「あたしも平気だ! 白樺先輩が入ったおかげで、まだ疲れもないしな」
琴梨は「無理するなよ」と言って消えた。
二戦目、しかも決勝戦だと言うのに、まだ疲れもないって無理があるんじゃない? なんて思って少し笑った。
3
「はぁっ!」
第4Qになっても、淡々と白樺先輩がシュートを放つ。白樺先輩は私を見て、しらばくして視線を逸らした。
何も言わないってことは、私がまだ選手として使えるってことなのかな。
白樺先輩や状況を察したらしいみんなにカバーをしてもらって、たいした無茶をせずに第1Qから第3Qまでまるまる乗り切ったけれど。
ビー!
「ッ!」
その瞬間、選手交代のブザーが鳴った。
さっきので白樺先輩は私を不要と判断したのだろうか。いや、もしかしたら茶野先輩かもしれない。
私は出ようとして、だけど先に出たのは白樺先輩だった。
「……え?」
「唯。私はお前を信じた茶野先輩の"目"と"感"を信じる。だから結果的には……お前の秘めた力を私は信じてる」
「白樺先輩……」
「私よりも長く茶野先輩とプレイして来たお前たちに、最後は託そう。お前はまだ戦える。私のお墨付きだ」
託すも何も、白樺先輩も最後まで一緒に戦えばいいのに。最後まで一緒に、幽霊部員を含めた部員七名と顧問一名と仮マネージャー一名の合九名で戦ってほしいのに。
私は白樺先輩と交代で入ってくるちぃちゃんと視線を合わせた。
「唯ちゃん、私……唯ちゃんの影になる」
「え?」
「だから頑張るね!」
「え?!」
試合終了まで、あと五分。
白樺先輩の代わりに入ったちぃちゃんは、よくわからないことを言ってコートに立った。
「全力出しきろうな!」
「悔いの残らないようにやりましょう」
そう言って琴梨と凜音が微笑む。
「――みんなはちゃんと強いよ。信じて」
振り向くと茶野先輩が側にいた。
小塚先生は俯いたまま手を組んで祈っている。白樺先輩は真顔で瞳はまっすぐだった。
「行こう!」
私の声にみんな頷いて、そして試合は再開した。
星森女学園のメンバーは、私たちに追いつこうと必死になっている。それは引き離したい私たちも同じで、このコートに立っている人たちはみんな必死だった。
「琴梨ぃぃぃぃ!」
喉が痛くなるくらいに叫ぶ。
「春!」
シュートフォームに入っていた琴梨は、幹さんの呼び声通りブロックをする茎津さんに目を見開いた。
パァンッ
ブロックされたボールは幹さんに渡り、どこまでもコートの中を突き進む。そしてちぃちゃんを、凜音を、琴梨を、最後に私を抜かして茶野先輩の前に躍り出た。
「やっぱ主将だねぇ〜」
茶野先輩がペロッと舌を出してブロックに飛ぶ。
決してバカにしていたわけじゃない。余裕のない表情だった。
「なんてね」
口角を上げたのは幹さんだった。
幹さんは真後ろにパスを出してすぐさま右側に避ける。受け取ったのは、私がマークしていた選手だった。
(遅れた……!)
けど、ボールを奪うのは得意分野だ。
なのに、まるで私とちぃちゃんの連携みたいにすばやくパスを出される。
「なんちゃって」
「研究済みだよね」
受け取ったのは、幹さんだった。
フリースローラインからスリーポイントラインに戻っていた幹さんは、そこからスリーを決める。茶野先輩は前に出すぎていてそれに間に合わなかった。
点差は、たったの五。
「唯ちゃん代わって!」
「えっ、ちぃちゃん?!」
「唯ちゃんが必要になる時は絶対に来るよ! だから今は任せて!」
ちぃちゃんは全身で自分を主張して、コートに戻るボールを奪いにかかる。そんなあからさまな行為に気づかない人はおらず、すぐに捕まってしまった。
「"なんちゃって"、かな」
「やられてばっかじゃないし!」
「まさか……囮?!」
ちぃちゃんを犠牲にして琴梨がボールに手を伸ばした。
「幹さん!」
それなのにファウルはなく、パスがまた繋がれる。
洗練された、まるで黄田くんのような堂々としたシュートは吸い込まれるようにリングをくぐった。
点差は、もう二。
あともう一度スリーが入れば逆転してしまう。
「唯」
「凜音!」
「よく見ていてくださいね」
凜音は微笑んで、私よりも前に進んだ。
東雲のメンバーがほとんど自陣に固まったせいで、星森のメンバーも固まってくる。密集地帯になってかなり危険になっていた。
ボードを見ると、残り時間があと一分だった。
私たちは追いこまれている。
きっと次が最後のシュートだと思った時、コートの中は緊張で包まれた。と同時に、星森の視線が一気に琴梨に集中したのがわかる。そんな中、凜音がドリブルで切り込んでコートを撹乱させた。
(……これ、よく凜音が練習でやってた)
東雲のメンバーは全員散り散りになって、星森のメンバーは東雲を追うしかなくなる。
それを確認した凜音は、流れるようなパスを回した。
「ッ!?」
バシンッと手中に感じた感触はボールだった。
「行けぇ唯ぃぃぃぃ!」
私と同じように声を張り上げて、琴梨は叫ぶ。
ちぃちゃんに託された。
茶野先輩に託された。
白樺先輩に託された。
凜音に託された。
琴梨に託された。
たくさんの想いを巡らせてシュートを放つ。
「決まって……!」
ボールは弧を描き、私の想いに答えるようにリングをくぐった。
「……ぁっ」
ガクンッと膝が折れた。
力が入らない。
でもまだ試合は終わっていない。
タイムアップを待つほど星森は諦めていなくて、鳴ったブザーは交代のそれだった。
「しら、かば、先輩……」
「任せて」
肩を叩かれた。
私はほっと息を吐いて頷く。
遠くの方で試合終了のブザーと
『勝ったのは東雲中学校ー!』
歓声に紛れたアナウンスだった。




