第十四話 凜乎の音
1
私は首を回してソファに腰をかけた。
SNSを開いてチームメイトのメッセージを見ると、それぞれが喜びと共に互いの体を心配している。私は逡巡してメッセージを残した。
《お疲れさまです。本日はみなさん必ず体を休めること、たんぱく質がとれる夕飯を食べること、ストレッチを忘れないことを心がけてください。明日の対戦相手の分析を載せておきますので確認お願いいたします》
「……あ」
すぐに返事をしたのは琴梨だった。
《ネットでもお固いのかよ笑 もっと楽にしていいのに》
《凜音ちゃんらしいです》
《凜音ありがと!》
《凜ちゃん分析細かすぎて怖ーい》
続いてちぃ、唯、茶野先輩がメッセージをくれる。
顔が見えなくてもみんなの声で文字が再生された。文章の上でもそれぞれの人柄が変わらないことに、ちょっとだけ私は安堵する。
私は短く息を吐いて指を滑らせた。
《SNSをしている暇があるのなら、上記のことを早くやってください》
《凜音もな笑笑》
《離脱します》
私は携帯を閉じて、使用人に作らせておいた夕御飯を口に運んだ。自分で考えたメニューだから、特に心配することなく楽に食事を進める。
通知を知らせる音がなり、飲み込んでふと見るとみんながメッセージを送っていた。
《凜音ちゃん了解です》
《凜音の離脱しますに吹いた笑》
《凜ちゃんホントに浮上してこない笑 私もりだーつ!!》
私は携帯の画面を下に向けて、黙々と一人で食べ続ける。このメッセージを最後にして通知は途絶えた。
2
翌日、私たちは再び会場に足を運んだ。
対戦する学校は盛岡中学校で、秀才と双子に続いて厄介な相手がいる。それは秋田から来た茅野空という少女だった。
「ちゃんと分析データを見ましたか?」
私がチームメイトに尋ねると、みんな大きく頷いた。
「すっげーわかりやすかったな!」
「琴梨のために作ったようなデータですからね。レギュラー全員分ないのが申し訳ないですが」
「いやいや、何言ってるのよ。マネージャーじゃないのによくやってるって」
唯のフォローにちぃも同意して、茶野先輩と小塚先生もそんな二人に激しく頷いた。
「そう言ってくださると嬉しいです」
私が笑うと、琴梨に肩を軽く叩かれた。
「凜音はほんと真面目だなぁー」
「不真面目よりかはマシでしょう」
「真面目すぎも困ったモンだって」
何故か吹き出した琴梨の頬をひねる。「いたたたた!」と暴れ出す琴梨を他人事のように笑いながら、茶野先輩は腕を組んだ。
「まぁ、その真面目さが私たちのチームには欠かせないんだけどね」
「あ、みなさんおはようございます〜」
聞き覚えのある声に振り向くと、猫宮さんが重そうな荷物を持ちながら駆け寄ってきた。
「早いですね。僕も早めに出たつもりだったんですけど……遅れてしまいました」
そしてしゅんとマネージャー(仮)さんは落ち込む。
「全然大丈夫だよ〜。それよりも桃ちゃん、重そうだね。どれか小塚先生に持たせようか?」
「俺?!」
何故か彼を気に入っているらしい茶野先輩は、小塚先生の肩を押した。
「いっ、いいえとんでもないです! これは僕の仕事ですので!」
「そっか。ま、そう言うかなぁとは思ってたよ。今日は男バスの方も試合でしょ? お互い頑張りたいよね〜」
茶野先輩は笑いながら控え室へと足を向ける。
私たちはいつでも唐突に行動する茶野に慌ててついて行った。
「ところで猫宮さん、そちらの荷物は?」
「っあ、差し入れです」
「差し入れ?!」
「藍沢さんみたいに細かい分析はできないんですけど、レモンのはちみつ付けならたくさん作ってきました。これ、柴村くんが大好きなんですよ〜」
「……男バスのマネージャーってほんとなんなんだ……女バスと全然違う……」
昨日あれほど猫宮さんに対して否定的だったというのに、琴梨は衝撃を残したまま茫然とした表情を見せた。
すると途中で会場の入口が見えて、唯とちぃが脱線する。
ようやく会場の熱気や雰囲気に慣れた唯とちぃは、平気そうな表情で会場の入りを確認し始めた。
「……あ、お姉ちゃんだ」
「え、うそどれ?!」
ちぃの言葉に唯が素早く辺りを見回す。
「あ、あそこ」
ちぃが指を差した場所には、ちぃとは似ていない女性が座っていた。隣には茶髪の女性が座っているが、彼女ではないのは確かだ。
「へぇー! 名前は?」
「…………こがめお姉ちゃん」
「こがめ?」
きょとんと唯が聞き返す。ちぃは恥ずかしそうに頷いた。
「妹が紺野うさぎで、姉が紺野こがめですか。並べてみるとずいぶんユニークな名前ですね」
「……ハッ、兎と亀だ……!」
「うぅ……。わ、私の両親がちょっとおかしいだけなの」
琴梨が茫然としていなかったら余計にいじられていたと思う。そういう点では幸運だった。
「そろそろ行きましょうか」
「そ、そうだね! 唯ちゃん行くよ!」
「ぐへ」
「あ。じゃあ僕は観客席に行きますね」
正式にマネージャーとして登録されていない猫宮さんは、クーラーボックスを私に預けて声援を送った。
「了解です。応援、よろしくお願いしますね」
ちぃは猫宮さんをまったく見もせずにバカ力で唯を引っ張り、そのまま控え室まで連れて帰った。
3
「じゃ、行こうか」
茶野先輩が何度目かの笑顔を浮かべた。
私たちは頷きあって、コートへと歩き出す。
そんな茶野先輩の目の前には、黒髪を一つにまとめたいかにも真面目そうな茅野空さんが立った。
対戦相手とはいえ茅野さんは好感が持てる。けれどそのチームメイトはなんだか好きになれそうにない雰囲気を持っていた。
「なんか仲悪そーだな」
琴梨がボソッと私に耳打ちをした。
鈍感な琴梨でも気づいたという驚きと、それを隠そうとしないチームメイトへの呆れが私の中でない交ぜになった。
「……えぇ。仲は良くなくても実力でここまで上がって来たチームです」
「なんかそれ、昨日の双子みたいだ」
「え?」
「双子が言ってたんだ。『嫌われてる』って。そういうの、あたしは好きじゃない」
琴梨は唇を尖らせる。
この子のココロはいつだってまっすぐだった。
『それではこれより、東雲中学対、盛岡中学の試合を始めます』
「よろしくお願いします!」
茶野先輩も、唯も、ちぃも、琴梨も、全員が絶好調なのがわかる。
会えなかった半日を何に費やしてきたのかがわかる。
「凜音! ぶっ飛ばせ!」
「ダメでしょ! ジャンプボールなんだから!」
琴梨と唯の声が聞こえる。
「当たり前です」
とは言ってみたけれど、向こうもそんな表情をしていた。どっちが当たり前になれるのか、それは私の全力が決めること。
笛の音が鳴って私は飛んだ。
身長は、このメンバーの中だったら茶野先輩の次に高いだけだ。ジャンプ力だって一番ではない。けれど、タイミングを合わせることだけは得意だから。
バァンッ
「唯ぃ!」
唯は笑って、私からボールを受け取った。
「よしっ!」
唯は笑顔のまま、ドリブルをしてゴール下へと向かう。
着地した私はマークを徹底してその音を待った。
バゴッ
けれど待っていた音は、不快な音だった。
集中を乱しながら振り向くと、唯が倒れている。
「唯?!」
誰よりも早く駆け寄ったちぃは、唯を起こして必死に話しかけていた。審判は試合を中断させて唯の様子を確認しに行く。
私と茶野先輩も駆け寄って、倒れる唯を囲んだ。
「一体何があったんですか!」
唯は目をこすって私を見上げた。
「……凜音。大丈夫、ちょっとこけただけよ」
「こけただけ……ですか?」
唯の膝は擦れていて痛々しかったが、唯は平然と立ち上がって審判と言葉を交わした。
「だっさ」
場違いな言葉が投げられた。
見るまでもなくそれは、盛岡中の人のものだった。
「ちょっと! そんなこと言わないで!」
けれど琴梨よりも先に声を荒らげたのは、意外なことに盛岡中の茅野さんだった。彼女は他の四人のメンバーを叱っている。多分、全員唯にそんな事を言ったのだろう。
「本当に一体何が……」
「さっき、盛岡中の五番の人が唯ちゃんに足をひっかけたの……」
ちぃが、しゃがみこんだまま呟くように言った。
ちぃは唯と同じ速攻だから見ていたんだろう。
「それじゃあ審判が何か……まさか見えないように?」
私は言いかけた言葉を中断してちぃに尋ねた。
「……多分、そうだと思う。茅野さんもそれを見てたんじゃないかなぁ」
振り向くと茅野さんは苦々しげな表情を浮かべていた。私は、少なくとも彼女だけは善良な心を持っている事に安堵する。
すると唯が戻ってきて、ちぃに手を差しのばした。
「いつまで座ってるの、ちぃちゃん。ほら立ってっ!」
「……唯ちゃん」
「唯、あんた本当に大丈夫か?」
琴梨も来て、心配そうに唯を見つめる。
唯は照れくさそうに「大丈夫大丈夫!」と笑った。
「それでは、そろそろ試合を再開させたいと思います」
審判がそう言ったせいで、私たちの話し合いは中断された。
「唯ちゃん、みんなも一瞬だけ聞いて」
茶野先輩の言葉に、戻ろうとしていた私たちは足を止める。
「私たちには替えの選手がいないから、怪我をしたらその時点で負けるの」
「……!」
唯とちぃが息を呑んだ。
そんなこと、私と琴梨は重々承知のつもりでいる。
「だから、無理をさせてしまうかもしれない。でも、力を貸してほしい」
けれど茶野先輩の瞳に熱がこもるのを私は見た。
「お願いね」
言葉は終わって、私たちは位置についた。
またたくような早さだった。
唯は平気だと言うけれど、誰も信じていない。だからこそ私はちぃと琴梨の連携で点をとった。
「……まったく、茶野先輩はひどい人ですね」
呟いて笑う。
茶野先輩があぁ言ったからこそ、私たちは限界を超える覚悟ができたから。
「突き放せ!」
琴梨の叫びはよく聞こえた。
私はボールをファウルすれすれで取り、誰もいない場所に投げた。バランスを崩してお尻からコートに落ちる。
「ッ……、ちぃ!」
ちぃは誰もいない場所に素早く現れてボールを拾った。盛岡中の人もボールを取ろうとしていて、二人はぶつかりかける。
「唯ちゃぁん!」
ちぃはバカ力を振り絞って唯にパスした。
いつもより遅いスピードで走る唯は、琴梨にパスを出すと見せかけて
「先輩!」
ゴールまで走ってきた茶野先輩にパスをした。
完全に琴梨だと判断した盛岡中の人は、茶野先輩に対応出来ずに連続得点を許した。
もっと考えなきゃ。
私はためていた息を吐いた。
「凜音、その調子でもっと頼れよなっ!」
「えぇ、貴方はちゃんと動いてくださいね?!」
唯を休ませるのならちぃもあまり使えない。
昨日に続けて琴梨を頼ってしまうけれど、なりふりかまってはいられなかった。
脳がはちきれるくらい、考えて考えて考えて。
糖分が欲しくなって、そういえば猫宮さんがいろいろ持ってきていたのを思い出した。
「行きますよ!」
自分の"手足"を思う存分に使う。
――そうすれば、いつだって道は開けていた。




