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ティップオフ  作者: 朝日菜
茶野灯 前編
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第二話 希望の灯




 心臓がばくばくした。

 昨日のうちに集めなければいけない部員は一応集まったけれど、今の人数だけでは公式試合に出られない。おまけに顧問の小塚礼二(こづかれいじ)先生は適当ダメ人間で、自分で言うのもあれだけれど図太い神経を持つ私でも、どうしようもないこの状況に不安になった。

 職員室の前で息を整えて、私はゆっくりと扉を開ける。


「……し、失礼します」


 元気よく言う気力さえも今の私にはなかった。

 小塚先生はいつものように、扉付近にある自分の席でコーヒーを飲んでいる。私に気づいた小塚先生はすぐにカップから口を離した。


「おう、どうした茶野(さの)。元気ないな、生理痛か?」


「ち~が~い~ま~す~! っていうかそれ、セクハラですよ!」


 同僚の先生方の冷ややかな視線に慣れてしまった(あわ)れな小塚先生は、私が必死に集めた入部届けを机の上で無造作に掻き寄せた。


「セクハラじゃねぇーよ。それよりもお前、まさかマジで一日に四枚集めるとはなぁ。これでお前を入れて五人……だったか? すげぇじゃねぇか」


「でも……」


 言葉を詰まらせる私を、小塚先生は(いぶか)しげに見上げた。


「……でも、最低でも六人いないと公式試合には出られません」


 出来る事なら唇を噛みしめたかった。ただ、誰かにそんな姿を見られたくはない。どうしようもないこの状況がどうしようもなく悔しかった。


「……ついさっきな」


 すると小塚先生は、おもむろに口を開いた。ゴソゴソと色んな物が入っている汚い机の引き出しの中をあさって、一枚の封筒を取り出す。


「それは?」


「見ればわかる」


 ニヤッと口角を上げて小塚先生が取り出したのは、入部届けだった。しかも記入済みの真新しい入部届けだ。


「先生……!」


 小塚先生は腕を組んで、わざとらしく渋い表情をした。感動で胸がいっぱいになった私の心は、それで急激に冷めてしまった。


「……私、もう行きますね」


 小塚先生の返事も聞かずに、私は扉をスライドさせて職員室から出る。やる時はやる人だけれども、そのやる時がなかなか訪れない小塚先生はやっぱり役立たず同然だった。




 今日は部活動体験の初日で、体験する前から入部してもらった五人には少しだけ申し訳ない気持ちになる。

 初心者もいる事だし、ルールの説明も含めて3on(オン)3でもさせようかと私は頭に描いた。その前に入念にストレッチをさせなければと考えていると、ちょうど部室に到着する。

 ガラッと部室の扉を開けると、ある程度は片付いた部室のパイプ椅子に(こと)ちゃん――水樹琴梨(みずきことり)――が座っていた。


「あ、先輩。遅かったな」


「琴ちゃん、先輩にはもちろん目上の人には敬語を使おうね~」


「……先輩遅かったデスネー」


 肝心の後半が棒読みだったけれど、まぁ良しとしよう。これからたっぷり教えてあげるからね。それよりも私には気になる事がいくつかあった。


「琴ちゃん、(りん)ちゃんは?」


 初めて出逢った日に琴ちゃんの隣にいた凜ちゃん――藍沢凜音(あいざわりんね)――がどこにもいなかった。部室には琴ちゃん一人だけ。


「凜音は確か、まだ教室だった気が……。凜音に何か用ですか?」


「ううん、特には。いつも一緒ってイメージだったから」


 同じ小学校で同じチーム出身だから、という理由で私は勝手に思い込んでいた。中学も同じとなると運命的な物を感じざるを得ない…………これは大げさかな。


「ッ!? い、言っときますけど、凜音があたしの腰巾着なんですからね!」


「……誰もそんな事までは言ってないよ」


 琴ちゃんは顔中を真っ赤にさせて、握りしめていた手を開いて大きく振った。私が思っている以上に恥ずかしかったみたいだ。


「そういえば琴ちゃんさぁ、前のチームのポジションはどこだったの?」


 話題を変える為に、もう一つ気になっていた事を尋ねる。


PF(パワーフォワード)です!」


 すると張りきった表情で教えてくれた。


「へぇ……。凜ちゃんは?」


「あいつはPG(ポイントガード)です」


 今度は冷静に答える。琴ちゃんは何でもわかりやすかった。


「こんにちはー」


 すると、ギィッと音をたてて扉が開いた。立て付けが悪いのは昔からだから私は気にしてないけど、(ゆい)ちゃん――橙乃唯(とうのゆい)――は思いきり眉をしかめる。

 その後ろにいた紺色の髪が揺れ、もう一人顔を出した。


「こ、こんにちは!」


「クラス一緒だったんで連れてきましたー」


 よく見ると、唯ちゃんはうさちゃんの手を引っ張っていた。うさちゃんはいまだに運動部に入るのを渋っているのだろうか。


「無理してない? うさちゃん」


「あ」


 私の台詞に何かまずい事があったように、唯ちゃんの顔が凍りつく。


「うっ、うさちゃんって呼ばないでください!」


 耳が痛くなる程の大音量を発したのは、やっぱりあの紺野(こんの)うさぎちゃんだった。


「ごめん……なさい」


 その迫力に負けて、思わず敬語になってしまった。息を切らせた彼女は、顔中真っ赤にさせながら私に謝る。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」


「ううん、こっちこそごめん……。そっか、"うさぎちゃん"もダメ、"うさちゃん"もダメかぁ~……」


 紺色の髪が激しく上下して、下がりきるところまで下がって止まった。唯ちゃんに説明を目で求めると、彼女は両手を軽く上げて苦笑いをした。


「この子、自分の名前嫌いみたいなんですよ。だから私、"ちぃちゃん"って呼ぶ事にしたんです」


「えぇ〜、いい名前じゃん。もったいないよ〜」


「……ありがとうございます、先輩。でも嫌なんです!」


 最初と最後の勢いがまったく違った。そんなところが少しだけ、後ろで目を見開いている琴ちゃんみたいだ。


「じゃあ私も、ちぃちゃんって呼ぶね」


 長い前髪の隙間から見えたちぃちゃんの目は、涙目だった。蚊の鳴くような声でもう一度礼を言う。ちょうどその時、凜ちゃんが部室に顔を出した。


「何事ですか。声が部室棟の外から聞こえてきましたよ」


「あ~……。ここ、立て付け悪いからね~」


「そんな理由で個人情報が漏洩(ろうえい)されたのですか?」


 凜ちゃんが不愉快そうに顔をしかめた。


「個人情報漏洩? 何それ、どういう事だよ凜音」


「会話が丸聞こえなのは個人情報漏洩と同義です」


「うはぁ。凜ちゃんスケールおっきいねぇ~」


「そんな事はありません。大事な事です」


 真面目な表情で事の重大さを熱弁する凜ちゃんを琴ちゃんが無理矢理押さえつけ、ポカンと突っ立っていた唯ちゃんとちぃちゃんはクスッと笑った。









 最後の一人が来るまで五人で自己紹介をしていたけれど、いつまで経っても来ないので私たちは体育館に行く事にした。

 体育館に到着すると男バスがコートを全面を使ってたので、混ぜてもらおうと交渉するとあっさり了承される。


(……ていうか、そもそも半面は女バスが使う事になってたはずなんだけどな)


 静かな怒りをなんとか消化させ、部活着に着替えた私たちは入念なストレッチをし始めた。(こと)ちゃんと(りん)ちゃんには追加のストレッチ方法を、(ゆい)ちゃんとちぃちゃんには一から教えた。


「二人とも柔らか〜い!」


「っひゃあ?! 先輩、どこ触ってるんですか!」


「あわわわわ!」


 小さくて可愛くて柔らかい。これだから世の中から"ロリコン"というものは消滅しないのだ。まったく。


「止めなさい!」


 スパーンッ、といい音が体育館中に響いた。唯ちゃんとちぃちゃんの背中に体重をかけたまま、私は何事かと顔を上げる。見れば顔を真っ赤にさせた凜ちゃんが、どこから持ってきたのかお手製のメガホンを握りしめていた。


「いった〜い! どこから……って、それ私が作ったメガホンじゃん!」


「そんな事はどうでもいいでしょう! 貴方の行いは、は、ハレンチですっ!」


「えぇ~」


 わなわなと体を震わせる凜ちゃんに私は唇を尖らせてみせる。凜ちゃんは何がダメなのかさらに顔を真っ赤にさせた。


「元気だせよ、唯ちぃ」


 凜ちゃんの隣では、琴ちゃんが唯ちゃんとちぃちゃんを励ましている。奥の方では、男バスの大部分が食い入るようにこっちを見ていた。


「……うわぁ」


 生まれて初めてドン引きをした瞬間だったかもしれない。

 よく見ると、その大部分の中に仮入部中の幼馴染み、(たく)ちゃん――緑川拓磨(みどりかわたくま)――がいて、呆れた表情で私を見ていた。目が合うと何事もなかったかのように視線を()らされる。


「…………」


茶野(さの)先輩も、彼らとは何一つ変わりませんよ。自覚してください」


 私の視線の先を確認した凜ちゃんが、腰に手をあてた。

 私は凜ちゃんに視線を戻して、唯ちゃんとちぃちゃんに体重をかけるのを止める。二人は安堵(あんど)したように息を吐いた。


「あのね凜ちゃん、女子と男子の間には越えられない壁があるんだよ。女子が女子に何をしたって平気なの。わかった?」


「ちなみにパワハラは別問題ですよ」


「何で今それを言うの?!」


「女のカンです」


 顔色を元に戻した凜ちゃんは私を見下ろして鼻で笑った。無性に蹴っ飛ばしたいという衝動に駆られるけれど、大人としてここは我慢だ。


「なんか凜音が先輩みたいだなー」


 琴ちゃんの台詞には地味に傷ついた。




 ルールを把握(はあく)させる為にミニゲームをやろうと思っていたけれど、五人では3on(オン)3が出来ない。しかも半面さえ使えないから、男バスの仮入部生と一緒に基礎を教わる事にした。というのも先ほどわかったことなのだけれど、どうやら私には人に何かを教える才能がないらしい。

 唯ちゃんとちぃちゃんは混乱するだけだし、琴ちゃんと凜ちゃんには呆れられたのだ。

 男バスの人数は六十人くらいだから、今五人しかいない私たちが練習に加わったところでなんの問題もなかった。

 それに初心者の唯ちゃんとちぃちゃんには申し訳ないけれど、一番の基礎である体力作りの為にも男子と一緒に練習をする事は悪くない……と私は考えを改めていた。

 さらに言えば、東雲(しののめ)中の男子バスケットボール部は全国的にも有名な強豪校で、全国に行く為には盗まなければならない技術がたくさんあった。

 要するにバスケの練習をするなら、男バスと一緒にやった方が身につくという事だ。


「おい、茶野」


「なぁに~?」


 私に話しかけてきたのは、新入生を教えていた男バス主将の向坂晴一(さきさかはるいち)だった。


「お前んとこの新入生、あれ、どうしたんだよ」


 少し興奮気味に(はる)ちゃんは聞いてくる。どうしたと聞かれても、何の話だかさっぱりわからなかった。私が不思議がっているのを見て、晴ちゃんはもどかしそうに唯ちゃんとちぃちゃんを指差す。


「気づいてないのか? あの二人、才能あるぞ!」


 以降、晴ちゃんは隠そうともせずに


「しかも残りの二人はミニバスで有名な奴らだし、実力は噂通り……いや、噂以上だ! 今年の女バスは逸材(いつざい)ぞろいじゃねぇか!」


 と笑顔で言うものだから、照れくさかった。


「あ、別にお前は褒めてねぇよ」


 真顔で晴ちゃんは手のひらを細かく横に振った。


「晴ちゃん嫌い」


「おう、俺もお前嫌いだ」


 ガンッと晴ちゃんの(すね)を思いきり蹴る。

 すると馴染み深い視線を感じて、私は振り返った。私の予想通り、また目が合ったのは拓ちゃんだった。拓ちゃんはボールを持ったままドリブルをする列に並んでいて、いつものように無愛想な表情で突っ立っている。

 そんな顔をしていたら友達が出来ないんじゃないかと心配になるけれど、拓ちゃんが視線を逸らした先の男子が話しかけてくれた。

 拓ちゃんも淡々とだけど同じ新入生っぽい彼との会話を成立させている。


「……頑張れー、拓ちゃん」


 呟いて、女バスの方の新入生に視線を向けた。

 悶絶(もんぜつ)するように目の前をのたうち回る晴ちゃんを無視しつつ、私は考えを巡らせる。


(そっか、やっぱり晴ちゃんから見ても才能があるように見えるんだ)


 力を秘めた四人の新入生たちは、私たちのそんな思惑(おもわく)も知らずに休憩をとっていた。


「……つ、疲れたぁー」


 息を切らせて床に寝そべっているのは、唯ちゃんだった。ちぃちゃんは喋る気力すらないのか、無言で唯ちゃんの隣に寝そべっている。ちぃちゃんは前髪が長いせいで寝ているようにも見えた。

 さすがに経験者の琴ちゃんと凜ちゃんは立ったままだったけれど、汗の量が私の比じゃなかった。


「みんな、だいじょ~ぶ?」


 唯ちゃんとちぃちゃんからは生返事が、琴ちゃんと凜ちゃんはしっかりとした返事がくる。


「じゃあ、今から十分休憩ね〜。唯ちゃんとちぃちゃんはボールの感触に慣れておくこと」


「はぁい」


 と、言葉になるかならないかの声が床から聞こえた。やっぱり一番の課題は体力作りからだと強く思った。

 のろのろと立ち上がる晴ちゃんは、恨めしそうに私に視線を向ける。強豪校と名高い男バスの主将を務めているだけはあった。


「晴ちゃん、今日はありがとね」


「……は?」


 晴ちゃんは一瞬だけ、私に何を言われたのかわからないという表情をした。


「お、おぉ……。別に今に始まった事じゃないしな。……それよりもなんかお前、来た時よりも生き生きしてんな」


「そう?」


 そりゃ、新入生の可能性と"のびしろ"を考えたらワクワクが止まらない。変わらなかったつまらない毎日が壊されたら、生き生きだってしてしまう。


「瞳が輝いてんぞ、バカ」


「ふふっ」


 つい声に出して笑った。

 それが原因なのか、晴ちゃんに頭を軽く小突かれた。


「……良かったな」


「ん? 何が?」


「バカ、女バスに決まってんだろ。これでお前が卒業するまで女バスは廃部じゃなくなるんだからな」


「私が卒業しても廃部にはなりませーん。男バスみたいに強くなるんだから」


 べーっと晴ちゃんに舌を出す。


「へいへい。頑張れよ」


 晴ちゃんはそう言って練習に戻っていった。

 女バスの練習再開まで、まだ時間はある。仕方なく男バスを見ていると、思っていたより近くに拓ちゃんがいた。


(あかり)


「拓ちゃん! び、びっくりさせないでよ~」


「お前が主将と話していて俺に気づかないのが悪いんだろ」


 拓ちゃんははぁ、と短くため息を吐いた。


「私のせい~?」


「そうだ」


「うぅ……謝るから怒んないでよ~……」


「別に怒ってない」


 嘘だ。何で拓ちゃんはそうやってさらっと嘘をつくのか。


「もう。それで? 何か用?」


「特にない。お前が楽しそうに部活をやれているなら、それでいい」


拓 ちゃんは私が何かを言う前に、背中を向けて行ってしまった。まぁ、どうせ一緒に帰る事になるだろうから特に今言う必要はないと思うけど。


「先輩」


「ッ! こ、今度は凜ちゃん? も~、心臓に悪いよ~」


「知りませんよ。それよりも、あと五秒で十分です」


「細かいなぁ」


 ていうかそれよりもって。返すタイミングを逃したから言わないけど。


「わかったよ。ほらみんな~、始めるよ~」


 私の周りに(つど)った少女たちは、強く頷いた。

 私は私の希望の灯に感謝して


「ねぇみんな、円陣組まない?」


 と提案してみる。

 それぞれ違った反応が返ってきたけれど、結局は円陣を組む事になって。



「東雲中女子バスケットボール部~、始動ッ!」



 私の合図でそれぞれの声が体育館に響いた。

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