第十二話 灯る灯は次々と
1
全中、リーグ戦の第一試合。
久留米第一中学校対、東雲中学校。
「いいですか。さっき見せたデータにも書いてありましたが、向こうは"秀才"のメンバーばかりです」
緊張感漂う控え室で、凜ちゃんが声をひそめながら私たちに耳打ちした。
「特に、笹倉柚――五番の選手は主将ではありませんが一番強いですからね」
「そうなの? じゃあ主将は?」
我がチームの主将、唯ちゃんが焦ったように尋ねた。
「あの一番、暁香です」
「あかつきかおる? うわ、二文字なんだ」
凜ちゃんのデータを覗いた琴ちゃんが、ボソッと呟く。
「二文字でも立派な名前です。馬鹿にしてはいけません」
そんな琴ちゃんをお母さんのように叱る凜ちゃんは、データを小塚先生に預けた。小塚先生はらしくもなく大事そうにそれを抱きしめて、「行くか」と声をかける。
「それ、私の台詞なんですけど〜?」
心の底から憎らしく声を振り絞った。
最初から最後まで、最高の先輩であり最高のカントクでいたい。言ってないけれど、小塚先生はそれがわかっていなかった。
「俺も顧問っぽいことしたいんだよー。させてくれよー」
「嫌ですぅ〜」
「お二人とも、子供ですか。早くしてください」
「な、なんか、凜音ちゃんが一番偉い人みたいだね……!」
「ちぃちゃんが一番グサッとくること言うよね……」
無意識だったのか、何度も何度も謝られるのもまた辛かった。
2
キュッと、バッシュの小さな音がコートに満たされる。
私たちは真ん中のセンターラインと呼ばれる線に立って、相手校の選手を見据えた。
「よくこんな少人数でここまでこれましたねぇ」
一番の背番号を背負うユニフォームを着た暁さんが、感心したような素振りを見せて笑った。けれど、内心では絶対にバカにしている。
この人は私と同じで表裏の性格が激しく違う。そう、本能が言っていた。
「に、人数なんて関係ないわ!」
そんな暁さんに、唯ちゃんがない胸を張って反論した。私は向こうのメンバーを横目で見て、目を覆いたくなるような現実を改めて知る。
「よく言うよ。こっちは東雲の三倍だって、見てわかんないの?」
背番号五番の笹倉さんがバッと左腕を広げてメンバーを差した。確かに人数では敵わない。けど――
「それはこっちの台詞ですぅ〜。秀才は天才には敵わないんですよぉ〜?」
――私たちは弱くない。
ピクッと笹倉さんの頬がひきつった。暁さんは雰囲気でわかったのか、笹倉さんを見ないままなだめる。
「こんなの安い挑発だよ。例えここまで来れたのがまぐれではないとしても、発展途上の天才は秀才には敵わない」
ピキ。
私ではない小さな音がして、まさかと思って右横を見ると琴ちゃんがあっさりと挑発に乗っていた。
その瞬間にブザーの音が鳴って、私がフォローする間もないまま試合が始まってしまった。
迷っている暇はない。
私はジャンプボールで出ていった凜ちゃんに、信じてるとアイコンタクトをすることで精一杯だった。
「向こうのチームはできてから日が浅いからね。私と柚ちゃんの絶対的な信頼関係には手も足も出ないよ」
歯を見せて暁さんは笑う。
近くにいた笹倉さんは暁さんを一瞥して「私、そこまで香のこと信じてないけど?」と言い放った。
「え?!」
「……半分嘘。試合でのプレーは信じてる」
「もー。そこは全部って言ってよ」
――信じてる。
それは、どのチームも共通のようだった。
よくよく見ると、暁さんは笑顔の下に秘めた鋭い視線で、味方であるはずの笹倉さんを観察していた。ううん、味方だからこそ今日の調子を見ているんだろう。
そして、笹倉さんの言っていることは本心なんだろう。確かに、私のようなタイプは日常生活でも信じていたら騙され続けることになる。それでも試合の時は嘘をつかない。
それがよくわかる会話だった。
『試合開始!』
高く上げられるボールを目で追う。
凜ちゃんは……高く飛んで手を伸ばしていた。
「奪え凜音ぇ!」
琴ちゃんの叫び声がやけにクリアに聞こえて、凜ちゃんの目付きが変わるのを私は視認した。それは確かに、奪うかのようなプレイだった。
ロボットのように正確で繊細なプレイの凜ちゃんからは、想像もできないプレイ。今の凜ちゃんはロボットではなく、勝利を欲するケモノに見えた。
「先輩! 行ってください!」
「ッ! ごめん!」
凜ちゃんのプレイについ目を奪われて、自分のするべきことを見失うところだった。叫んでくれた唯ちゃんが思っていたよりかは冷静で、ゴールに向かって走っている。
私は唯ちゃんとは反対側のゴールに走り、ボールがリングにくぐる音を聞いた。
(もう……?!)
振り向くと、ダンッと琴ちゃんが着地したところだった。
「これが東雲の速攻……!?」
相手の選手がそう漏らしたのが聞こえた。
ゴール下の唯ちゃん、コートの隅にいるちぃちゃん、センターラインの凜ちゃん。三人の中心にいる琴ちゃん。
四人とも、味方の私から見てもひるむほどの威圧感を放っていた。
「……嘘」
私だって声が漏れる。
みんな強いって知ってたけど、ここまでだとは思わなかった。
恐ろしいなぁ、と自分でもそう思う。
敵に回したくないとも思った。
……ううん。こんなの、私のキャラじゃないよね。
「もう一本!」
今のみんなには必要ないかもしれないけど、私はそう叫んだ。そう叫んで、一番自分を奮い立たせたかった。
「させない」
ダンッ
そう呟いて、暁さんがドリブルを開始した。
「行かせない!」
そう返したのは琴ちゃんだった。
琴ちゃんは一歩ずつ暁さんに近寄り、そして止める為に走った。暁さんは冷静に琴ちゃんを見据えて、ポンッと軽やかにパスを回す。その先にいたのは笹倉さんだった。
「……秀才、か」
なんとなく呟いてみる。
今のパス回しは完全に凡人のそれとは違い、滑らかだった。同い年なのに、プレイの完成度が違うとも感じる。
なのに悔しいな、全然危機感なんてない。
それは、思ってしまったからだった。
「ッ!」
バンッ!
誰かが必ず止めてくれるって。
試合中なのに、何度も何度も思う。
私はこのままじゃ駄目だ、と。
凜ちゃんが私も天才だ、的なことは言ってくれたけど、もし仮にそうだとしてもプレイでは違う。カントクだけど教えているのは基本と、こんなプレイがあればいいという思いだけ。
そんな思いを実現してしまう四人は私を追い抜かしていくだろう。私は置いていかれるだろう。
願わくばそれは、中学ではなく高校であってほしい。
いつか四人の内の誰かが高校で私を本当の意味で倒してくれる日を、今、強く思い描いた。
「っしゃあ!」
元気な声で琴ちゃんがガッツポーズをする。
唯ちゃんやちぃちゃんは嬉しそうだったけど、なんとかそれを胸に押し留めていた。
「琴ちゃんも体力の無駄遣いは止めてね〜」
明るく言えたかな。
琴ちゃんはコートの端から端までの距離があっても、私の中に裏の私を感じたらしくあわあわと敬礼をした。
第1Qが終了し、ひとまずは東雲が優勢となった。
水分補給を主に私以外のみんなにさせて、私はマネージャーに徹する。
「おいおい茶野、お前も飲め。そして汗を拭け」
すると、小塚先生が気をきかせてタオルを私の頭にかけた。私は……言いたいことはあったけれど、素直に受け取っておいた。
「とりあえずは勝ってるけど、先輩。作戦に変更は?」
「……え? あ、あぁ。作戦ね」
私はたいして掻いてない汗を素早く拭って、スポーツドリンクを流し込んだ。
「相手はわた……みんなの動きについてきてる。だから次のQはディフェンスに重点を置いて、唯ちゃんとちぃちゃんは無理しないで休んでね」
「は、はい!」
「了解です!」
二人にはあまりディフェンスの練習をさせて来なかったのもあるが、さっきのでだいぶ体力を消耗していたのも要因の一つだった。
ブザーが鳴って、私たちはコートに出る。
こっちは当然、向こうのメンバーチェンジはなかった。
私は首を鳴らす。
さっきまではあまり役に立たなかったからこそ、ここからは先輩の意地を見せなくてはならなかった。
「香!」
笹倉さんがボールを暁さんに回した。
唯ちゃんとちぃちゃんはマークをしっかりとつけられていて、動けない。動かないのがベストだけど、マークが外れてオフェンスに回らない為に上手くサボるように教えてあった。
「……あら」
暁さんが息を漏らした。
同じポジションで、さっきあまり攻撃に参加していなかった凜ちゃんがディフェンスをしていた。
「私もいるよ〜!」
未だについていたマークを振りきって、暁さんの死角から私は姿を出す。それでもボールを奪うことはまだしなかった。
暁さんがどう出るか観察する。
凜ちゃんは笹倉さんにマークされ、私をマークしていた人は琴ちゃんにマークされた。そして暁さんは少し驚いたように目を見開いて、私をその瞳に宿した。
私は……私も、天才じゃないかもしれない。
それでも三年間女バスに所属していたプライドが、先輩としての意地が、その時私を動かした。
人数不足で男バスと練習をしていたあの日々を思い出す。男子と女子の体格差があった中での練習を――。
「ッ!」
バァンッ!
ボールを暁さんから奪った私は、一直線にドリブルする。センターラインを越えて、見ていただけのゴール下へと来た刹那、普通のシュートを決めた。
びっくりしている唯ちゃんとちぃちゃんに笑いかけ、密かな夢だったハイタッチを交わす。勝負は、まだまだこれからだった。
試合終了のブザーが鳴った。
スコアボードに初めて視線を投げて、頬をほころばせた。
私は詰めていた息をできるだけ長く吐いて、酸素を欲する。自分も随分疲れてはいるけれど、唯ちゃんとちぃちゃんに至ってはギリギリの状態で立っていた。
これでも成長した方だろうか。
私はそう思って、また微笑むように口角を上げた。
「整列!」
きちんと五人並んで、目の前の"秀才"と呼ばれるチームを見つめ返す。勝ち誇ったような表情はみっともないから、しなかった。
「――ありがとうございましたぁ!!」
声を振り絞る。
疲れると言うよりはむしろ、清々しい気分だった。
「やりました、ね! 先輩!」
整列を解いた後、琴ちゃんが息を切らしながら話しかけてきた。私はわしゃわしゃと琴ちゃんの頭を撫でる。それを他の三人にもして、大きく息を吸い込んだ。
「東雲中初戦突破! みんな、初戦突破だよー!」
「そんなに何度も言わなくてもわかってますよ」
喜びを噛みしめる私に凜ちゃんはそっけなく返して、それでもニヤニヤしているのを私は知っていた。
「……よ、良かったです! 本当に!」
唯ちゃんが熱さで顔を真っ赤にさせながら拳を握りしめる。同じく真っ赤なちぃちゃんは頷いて、私は二人にタオルを差し出した。
「ちゃんと汗を拭いて、風邪をひかないようにね」
「すぐに体を冷やさないでしたっけ?」
「そうだよ〜」
荷物を小塚先生に持たせた私たちは撤収して、控え室へと戻る。水分補給をさせて時間ギリギリになるまで休ませた。
「茶野先輩もしっかりと休んでくださいよ?」
あまりにも真剣な表情で凜ちゃんが言うものだから、私はふざけた台詞を言えなかった。代わりに親指をたて、「もちろんだよ」と素で笑った。