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ティップオフ  作者: 朝日菜
藍沢凜音 前編
13/24

第九話 凜然




 全中予選まで、時間はない。

 私はそれをわかった上で作戦を練っていた。

 戦力になれるのは五人。普通に考えて普通に負ける。けれど、そうならない為に私がいる。私は脳をフル活用させて考えていた。

 その結果がこれ、この表だった。


「……待っててください。必ず全中に連れて行きますから」


 誰に聞かせるまでもなく呟く。

 その言葉は魔法の呪文みたいで、いつまでも私を頑張らせてくれる気がした。


「なるほどね〜。これがりんちゃんの考えたメニュー表かぁ」


 茶野さの先輩が腕を組みながら、貼ったメニュー表を眺める。


「いかがでしょうか?」


 私は緊張しながらそれを尋ねた。


「いいと思うよ。予選まで時間がないのに、よく頑張って考えてくれたね。……ありがとう」


 驚いて見上げると、微笑んだ茶野先輩がいた。

 それは猫を被っている茶野先輩ではない、素の茶野先輩だ。それでもこの人は、こんなに優しそうに笑えるんだと。


「……当然のことをしただけです。私はあまり、試合では役にたたな」


「それ以上自分を卑下ひげするなら殺すよ」


「ッ?!」


 茶野先輩は一瞬にして、冷たく私を見下した。


「……え?」


 その茶野先輩の目があまりにも"本気"すぎて、私は腰を抜かしかける。怖い、立っていたくないと本能が叫ぶ。


「私は自分の可能性を潰す子が嫌いなの。自分の可能性を否定して潰すなら、私はその子を許さない」


 瞳が私に語っていた。許さない、と。ずっと。


「せ、せんぱ」


「なーんてねっ」


 にこっと笑った茶野先輩は、いつもの猫被りな先輩だった。茶野先輩は右足を少し上げてプラプラさせる。


「な、なんだ。驚かさないでくださいよ」


「殺すってのはオーバーだったね。うん、それはごめんね? …………けど、最後のは本音。冗談じゃないよ」


 茶野先輩は意味深に笑って、バスケ部の部室から出ていった。


「……茶野先輩」


 茶野先輩はいつもそうだ。

 裏と表の差がありすぎて、それでも本当に本当の自分を誰にも見せない。


「――先輩はこのままでいいんですか?」


 そんな呟きは誰も聞いてない。

 私はわかった上で言葉にして、そして時間をあけて部室を出た。




 体育館に行くと、時間を惜しむようにシュートの練習をする琴梨ことりが真っ先に視界に入った。そして、その隣には茶野先輩がいる。


「ん〜。ことちゃんはまず、軸のブレが激しいよね〜」


「ブレ? ……すか?」


「そうそう」


 そういえば、茶野先輩は監督だっけ。忙しくて忘れていた。

 琴梨にシュートを教える姿はまさしく監督で、そして表の茶野先輩だった。


「……う、やっぱわかんないです!」


「そっか〜」


 わからないって言われても茶野先輩は何も変えない。

 茶野先輩はただ、琴梨のやる気に満ちた瞳を、琴梨の諦めない姿勢を見ていた。


 ……あの人はもうわかっているんだ。


 琴梨の本当の姿を。

 琴梨は器用貧乏で、特にあんな瞳をする時は……必ずできると。琴梨に手本を見せて見守っているだけの茶野先輩は、私に気づかずにゆいとちぃの初心者組を見る。


「ちぃちゃ〜ん。その走り方は効率悪いよ〜」


「……っはぁ! ……え?」


 ニコニコと笑顔をくずさない茶野先輩は、ちぃを後ろから抱きしめて手足を動かす。


「わわわわ?!」


「どう?」


「……あ」


 最初は戸惑っていたちぃだけど、最後は何かに気づいたような表情をした。


「それにしてもちぃちゃん、いい匂い〜」


「ふぇぇえ?!」


 バタバタと暴れるちぃだけど、本気で茶野先輩を引きがそうとはしていなかった。ちぃは裏の茶野先輩を知らずに純粋に慕っている。それは幸せなのかもしれない。

 けれどいつか、唯とちぃの前でも冷たい表情をする。

 そんな予感がした。

 今じゃない。数ヵ月先でも、一年後でもない。

 数年後、茶野先輩が二人を"認めた"その時に。


「先輩先輩! 私はっ?」


「大丈夫。唯ちゃんは今のままでいいよ」


「ほんとですか?! ありがとうございます!」


 輝く唯の笑顔は、その時が来たらどんな表情をするのか。知りたいような、知りたくないような。

 少なくとも絶望だけはしないだろう。私はそう思った。


「あれ? 凜ちゃん、そんなとこで突っ立ってどうしたの〜?」


 ようやく私の存在に気づいた茶野先輩は、手招きしながら私を呼ぶ。


「……なんですか」


「そんなに警戒しないでよ。だいじょ〜ぶだから」


 茶野先輩は転がっていたボールを拾い、私にパスをした。


「……っ!」


「抜き打ちテストだよ〜」


 スキップで体育館を移動して、茶野先輩は手を広げる。要するに正確にパスをするテストと言いたいのだろうか。

 しかも様々な練習をする人を避けながら、というのは相当な技術を必要としていた。

 私はダムッと一回だけドリブルをさせる。

 茶野先輩は器用に逃げ回って笑っていた。


「……私が、貴方の言う可能性のある人間なら」


 ボソッと呟く。


「抜き打ちテストなんて怖くありませんね」


 茶野先輩との距離、およそ十メートル。障害となるものは、琴梨がゴールを外して跳ね返ってくるボールのみ。

 冷静に分析した私は、三秒以内にボールを先輩へと"繋いだ"。


「――!」


 茶野先輩はボールを見て驚き、そして"避けた"。


「……っえ?」


 避けられたボールは壁に当たって跳ね返る。

 まさか、ボールが怖くて逃げたわけじゃないだろう。


「言うの忘れたんだけど、これ、パスの練習は練習でも私は"受けとるつもりはない"からね? ……あぁそれと、今のはさすがにびっくりしたなぁ」


 茶野先輩はそう言いつつも走って私から距離をとる。


「えぇっ?!」


 私は驚きの声を上げて、逃げる茶野先輩を目で追った。


「琴ちゃん、コツ掴めてきたんじゃない? いい感じだよ〜」


「マジすか?! ありがとうございます!」


 目で追う。


「唯ちゃんちぃちゃん、そろそろ水分補給してね〜」


「了解です!」


「っあ、は、はい!」


 目で追って、この人には敵わないんじゃないかって私は思いはじめた。抜き打ちテスト云々の前に、精神的に。


「凜ちゃんはやく〜。試合だったら三秒ルールなんだからね〜?」


「……わかってますよ!」


 私は、今度は茶野先輩の動きを予測してパスを出した。と言っても見事に避けられる。茶野先輩はボールを拾って私に戻した。


「うわっ! 今日も面白いことやってるんですねー!」


 思わず視線を向けると、男バスの赤星あかほしさんがネット越しに私たちを見ていた。


「いーなぁー」


「なら、君も女バスに入る〜? 今からでも大歓迎だよ」


「ッ、茶野先輩?! 止めてください、歓迎なんてしませんよ!」


「いやいや俺も入る気ないからそんな拒絶しないで!?」


 赤星さんが首を真横に全力で振った。

 すると黄田きださんが、「なら俺が代わりに入ってもいいよねー?」なんて言って同じく駆け寄って来た。


「黄田、赤星。何度も言わせるな、練習に戻れ」


 緑川みどりかわさんはいつも冷静だった。

 私が言うことなんかもうなくなって、口を閉ざす。


拓磨たくまさん、ごめんってば! 俺別に練習サボってたわけじゃ……って直也なおや! そんな睨むなって!」


「琴梨、はしたないですよ」


 と思えばいつの間にか青原あおはらさんと一触即発状態となっていた琴梨を引き剥がすことになってしまった。


「ちょっと! 僕を巻き込まないでよ、ナオ!」


「?」


 青原さんとネットに挟まれた少年は、犬歯をむき出しにしながら青原さんの手の甲に噛みついた。


「いってぇ!」


「僕よりも背が高いから見えてなかったって言い訳は通じないよ!」


「ざっけんな紫村しむら!」


「ふざけてんのはナオでしょ!」


「直也もこうも止めて! 向坂主将さきさかキャプテンが怖いから!」


 私はつい落としたボールを拾って、ケラケラと笑う茶野先輩にボールを投げた。


「あいたっ!」


「注意力が散漫していますよ、茶野先輩」


「ちょ、今のはパスじゃなくて暴力……! 暴力だよ!」


 頭を抱えた茶野先輩の声を無視して、私は片手で掴んでいた琴梨を解放した。









「ただいま帰りました」


 私は広い玄関でそう呟く。

 誰も答えてはくれなかったが、それはいつものこととして割りきった。

 鞄を部屋に置いて、動きやすい服に着替える。自宅の庭にあるバスケットコートで練習をしようと思ったからだった。


「帰ってたのか、凜音りんね


 低い声が上から聞こえた。

 顔を上げると手すりに手をかけたお父様、藍沢金蔵(あいざわきんぞう)がいた。


「はい、お父様」


「バスケをするのか?」


「そうです。しばらく練習しようと思って……」


 お父様は深く頷いて、「風邪に気をつけてな」と言葉だけ残して仕事に戻ってしまった。

 名家の重荷をたった一人で背負っているお父様に頭を下げて、私は家から出た。

 私がバスケを始めたのは保育園の頃で、お父様からの影響だった。その後お父様は仕事で忙しくなり、私の練習を見てくれなくなった。

 寂しいと思っていたのはつい最近までだ。

 一人での練習ほど辛いものは私にはなかった。

 けれど今は違う。

 頑張ろうと本気で思える理由があるから。

 練習は一人でも、いつもみんながいてくれると思えるから。


「…………だから、私は頑張ります」


 誰に聞かせるまでもなく私は呟いた。

 私には私のやり方がある、そう思ったから。

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