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ティップオフ  作者: 朝日菜
水樹琴梨 前編
11/24

第八話 小鳥の巣




「ありがとうございました!」


 頭を下げつつ、あたしはスコアボードを見つめる。


 東雲しののめ40 ― 西大和にしやまと39


 結果はこうなっていた。

 したたり落ちる汗を拭いながら、凪沙なぎさが恨めしそうに差し出す手を右手で握る。正直言うと、気を抜けば今にも倒れそうだった。


琴梨ことり!」


「っ、凜音りんね


 挨拶が終わった途端とたん、凜音があたしを支える。振り払おうと思ったが、そんなことさえ出来ないほどあたしは疲れていた。


「よくやりました。……ありがとうございます」


「何言ってんの、当たり前のことをしただけじゃん」


「そうは言いますが」


「それに、"作戦通り"だったでしょ?」


 凜音は申し訳なさそうに口をつぐんだ。


 今日の試合は

 茶野さの先輩だけがゴールを守り

 ゆいとちぃがコート中を走り回り

 あたしだけがシュートを決めて

 凜音が全員のミスをカバーしていた。


 ギリギリだった事はあたしも承知だった。


「あたしよりも問題なのが、あの二人でしょ」


 凜音があたしの視線を辿たどる。

 視線の先には、先輩に支えられた唯とちぃがいた。二人とも、立っていられないほど疲弊ひへいしていた。

 練習と言えども初めての試合だった。しかもそれはフル出場で走り回るという内容で。

 茶野先輩はまだ立っていたが、笑顔とは裏腹な荒い息が不自然だった。

 凜音は音もなく唇を噛み締める。

 試合には勝ったが、それを喜ぶ体力があたしたちにはなかった。こんなこともあるのか、信じられないがあたしは実感してしまった。

 凪沙が、なんとも言えない悔しげな表情であたしたちを見ていた。


「それが勝者の顔なのだ?」


「あ、はは……」


「……次は勝つのだ」


 凪沙はあたしをにらんで吐き捨てて、種島たねしまサンの元へと駆け寄った。









「……ただいま」


 ヨロヨロと靴を脱いで、あたしは玄関に倒れる。

 母さんの秋穂(あきほ)が慌てて出てきて、「どうしたの?!」と焦った声を出した。


「疲れた」


 あたしはいつもの調子を出せないまま言う。

 それを心配した母さんが、階段から上に向かって声を上げた。


琴季(ことき)ー! 琴羽(ことは)ー! 琴梨ことりを助けてー!」


 それを母親が言うか。

 あたしは横たわったまま、二人とも高校生である兄が降りて来るのを待った。しばらくして足音が聞こえる。


「助けてって言うからなんだと思えば。琴梨、こんなとこで寝るなバァカ」


 長男で高三の琴季が、暴言を吐きながら降りてきた。


「バカじゃねぇし、アホ」


 あたしもつい同じ口調で返す。あたしの口調は全部琴季譲りだ。


「アホっつったら禿げるぞボケぇ」


 あたしの頭を足で踏みつける琴季に、母さんが悲鳴を上げる。ふざけんなバカ兄貴。あと母さんはうるさいって。


「琴季! 琴梨をいじめないでぇー!」


「わかってて呼んだんだろ、秋穂」


 琴季はいつも母さんを呼び捨てで呼ぶ。恋人か。


「……ねぇ。玄関で茶番しないでくれる?」


 迷惑そうな表情で降りてきたのは、次男の琴羽だった。琴羽は高一で、水樹みずき家唯一のインテリバカだ。というのは、琴羽以外は何かしらのスポーツをしているから。


「それに、母さん。そろそろ父さんが帰ってくるんじゃない?」


「あ、そうね! 琴季、琴羽。二人で協力して琴梨を部屋に連れて行ってあげて」


 あからさまにブーイングしてくる兄貴たちだったが、なんだかんだであたしを担いでくれる。なんだかんだで、あたしたちは仲がいいんだ。なんだかんだで。




 翌日。久しぶりの筋肉痛があたしを襲った。

 部室で眉をしかめて肩を動かしていると、凜音りんねが入ってきて大きな紙をホワイトボードに貼った。


「凜音? 何それ」


「昨日の練習試合の結果を考慮して、新たに作ったメニュー表です」


 淡々と答える凜音の隣に立って、そのメニュー表とやらを眺めると


「うげ」


 その通常ではない量に、あたしはさらに眉をしかめた。けれどよく見ると一人一人が違ったメニューで、結構単純に作られていた。


「あんた、これを一晩で考えたの?」


「えぇ。そうですが?」


「マジかよ!」


 しげしげとメニュー表を眺めていると、あたしのメニューだけがおかしな事になっているのに気づいた。


「……なんであたしだけ、スリーポイント"百本も"しなきゃいけないの」


「"百本も"って、少ない方だと思いますけどね。琴梨はいつもレイアップシュート(成功率が高い、基本のシュート)しかしていなかったので、得点が伸びなかったのを忘れたんですか?」


「傷口に塩を塗り込むな! 凜音のバカ!」


 そんなことを言われたって、あたしは"レイアップシュートしかできない"のだから仕方ない。けれど、あたしの場合はそれこそ百発百中だ。それでも得点が伸びないのは、点数が低いからで。


「一点に笑う者は、一点に泣きますよ」


「うぐ」


「琴梨、我慢です。チームのためにも、自分の為にも、今こそプレイスタイルを変えるべきなんですよ」


 凜音の言葉が、あたしの中に染み込んだ。

 ミニバスの頃は今までのプレイスタイルで良かった。けれど、これからは違う。

 試合になれば中学三年生もいるし、このまま高校に入れば、あたしは一番弱い選手になるだろう。

 凜音の言う通り、ここは我慢の時期なのだ。


「……わかったよ、凜音」


「目標は高く、です。そうですね、"どんなシュートも百発百中"にしましょう」


「あたしを殺す気かっ!」


 しれっと言った凜音につっこむと、「とんでもない」と真顔で返された。このポーカーフェイスめ。


「冗談ではなくて、本気です。この短期間でゆいとちぃのシュート率を上げるよりも、琴梨のシュート率を上げる方が効率がいいんですよ。その代わり二人には体力の向上とドリブル、パスの上達を優先させます」


 確かに、唯ちぃのシュートの得点率はひどかった。

 あたしは改めて、色々考えている凜音のことを凄いと思った。凜音は短所と言うけれど、それは立派な凜音の武器だった。




 ガンッ

 ガンッ

 ガンッ

 周りからの視線が辛い。

 唯とちぃは、あたしの命中率の低さに呆気にとられていた。茶野さの先輩は、心なしか笑っている気がする。凜音は多分、怒るっていうより焦っていた。


「凜音がそんな顔するなってのー」


 あたしが唇をとがらすと、凜音は謝った。謝られると余計腹立つ。あたしはもう一度、離れた場所からシュートを放った。


「……あ」


 外れる。

 ガンッ

 ボールの軌道を見ただけでわかった。外れる、と。

 あたしは沈黙していたが、男バスのドリブルの音が体育館に響いていた。茶野先輩は男バスに混じって、シュートされているボールを片っ端から叩き落としている。

 リバウンド(シュートされたボールが外れた時、掴み取って入れること)はあてにならない。それは最早もはやわかっているのに、あたしは無力だった。


「唯、ちぃ。自分たちの事に集中してください」


 唯とちぃはただひたすらドリブルとパスを練習していた。ノルマを達成すると、茶野先輩と同じで男子に混じって試合をする。

 相手が男子で、しかも強豪だから本番では有利なのだと凜音は言った。


「……らしくないですよ、琴梨」


「何が」


「琴梨が落ち込むのは似合いません」


 似合うとか、似合わないとか、勝手に決めんなよ。

 あたしの勝手じゃん。止めろよ、そういうの。


「凜音に何がわかるのさ」


 つい、冷たく凜音にあたってしまった。

 しまったと思ってももう遅い。


「わかるも何も!」


 急に凜音が叫んだ。心臓が飛び出そうなほど驚いて、あたしは思わず振り返る。


「……わかるも何も、小学生の頃、何も出来ずに落ち込んでいた私に貴方がそう言ったんでしょう」


 泣いた凜音は、「覚えてませんか」と切なそうに声を振り絞った。


「…………覚えて、る」


 あたしはうつむいた。

 器用貧乏のあたしと違って、凜音は人一倍努力しないと何もできない不器用な奴だった。逆にあたしは人との付き合いが上手くいかなくて、上部だけでもすぐに打ち解けられる凜音がうらやましかったのだけど。

 そんな凜音は泣いていた。

 どうして自分だけ上手くできないのかと。

 どうしてあたしは上手くできるのかと。

 そんな凜音にあたしは言ったんだ。



「『らしくねーじゃん? 凜音が落ち込んでるなんて』」



 小学生の頃から琴季の口の悪さの影響を受けていたあたしは、ちょっときつめに言ってしまったかもしれない。

 それでも当時の凜音は何かが吹っ切れたらしく、その後すっごい成長をあたしに見せた。だから今の凜音がいるんだ。

 嬉しそうに笑う凜音は、時を越えて同じ事をあたしに言ったのだ。


「……だね。ごめん。ありがと、凜音」


「いいえ。こちらこそ、あの時はありがとうございました。私は、本当にあの言葉が嬉しくて嬉しくて仕方がなかったんですよ?」


 照れ隠しなのか、そっぽを向く凜音は。

 今よりもちょっと幼く見えて、それが当時の凜音だと気づくのにそう時間はかからなかった。

 あたしは精一杯笑って、凜音から的確に回されたボールを受け止める。

 そして、シュートを放った。

 放たれたシュートは綺麗な弧を描いて、あたしも、凜音も確信する。


 ――入る。


 スパァンッ

 ボールは、ネットにかすりもせずにゴールに入った。


「っあ……!」


「おおっ、入った入った!」


 側にいた凜音よりも喝采かっさいの拍手を送ったのは男バスの奴だった。その男子の隣には黄田きだもいて、同じく拍手をしながら笑っている。それがなんかめちゃくちゃ腹たった。


「黄田のクソ野郎! バカにしてんのかぶん殴るぞ!」


「なんで俺だけなんだよー、コト。照れ隠し?」


「違う!」


 敵意むき出しにして叫ぶと、黄田の隣にいた男子が声に出して笑った。


赤星あかほしくん、元気だね。そんなんじゃコトにぶん殴られるよ?」


「お前だけだよ殴んのは!!」


 猛ダッシュでネットまで駆け寄ると、檻の中の動物を見るかのような目で「怖い怖い」と黄田はあたしを見下ろした。


「黄田、赤星。さっさと練習に戻れ」


「あ、拓磨たくまさん。ごめんな、この子すっごく頑張ってたからさ」


 赤星と呼ばれた奴は、黄田を引っ張るようにして練習に戻る。その様子を同じく男バス側にいた茶野先輩は「たくちゃんおっとな〜」とあおった。


あかりぃ!」


 煽られて怒鳴った奴は、確か茶野先輩がよく気にかけていた緑川みどりかわだった気がする。唯とちぃがよく話しているのは黄田と赤星で、なんというか……


「……めっちゃ馴染んでる!?」


「ですね」


 凜音が呆れたような声であたしに同意した。


「おい、お前」


 ネットの奥から近づいてきた青髪に、あたしは眉をひそめた。初対面でお前呼びなんて失礼な奴だ。


「さっきからうるせぇ。黙れ」


「はぁ?!」


 カッと体が一気に熱くなった。

 胸の奥からわき上がる怒りを押さえつけることなんてできない。


「ああああ! 直也なおや! 何言ってんだよー!」


 ネットに指を絡めてあたしを見下ろしていた奴は、慌てて駆けつけた赤星に羽交はがい締めされる。「お前もうるせぇ赤星!」と奴はあたし以上に暴れ始めた。


「あぁもう、お前ら一年なんなんだよ! 次から次へと騒ぎやがって……! 赤星、青原あおはら離すんじゃねぇぞ」


「うぃっす、向坂主将さきさかキャプテン!」


 終いには向坂サンが出てきて、あたしふくむ黄田と青原は怒られた。









 あの後は本当によく入った。

 自分が自分じゃないような感覚。あたしはそれを、この身に刻むように覚えようとした。

 けどまぁ、上手くいかない。

 別に今はいい。

 だって、始めたばかりなんだしな。それでも全中の予選が始まったら普通にピンチだ。

 あたしはそれを理解しないといけない。

 なんて事を考えながら、あたしはギターを弾いていた。ギターの名は"エンペラー"。琴季こときのお下がりだ。


「〜♪」


 ガチャッと扉が開かれる。


琴梨ことり。てめぇギター弾いてんのか」


「バカ兄貴! 自分のだったギターの音色くらい覚えとけ!」


「いやそこかよ。別にいいけど」


 琴季は後頭部をいて、あたしの部屋に入ってきた。


「……な、なんだよ」


「お前さぁ、ちゃんとバスケできてんの?」


「できてるし!」


「あっそ」


 琴季があたしのベッドに寝そべった。なんなんだ、今日の琴季は。


「頑張れよ、マジで」


「え?」


 琴季の台詞にあたしは耳を疑った。


「色々噂で聞いた。お前ら六人しかいねぇんだろ?」


 実際は五人しかいないんだけど、あたしは黙る。


孝介(こうすけ)も心配してたぜ」


「父さんだろ、孝介じゃなくて」


 琴季は「いーんだよ細かいことは」と、あたしの部屋から出ていった。なんだかんだで優しいから、あたしは琴季も琴羽ことはも嫌いじゃない。


「……ありがと」


 負けられないって、本気で思った。

 まずは自分に勝たなきゃいけないとも思った。

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