第七話 小鳥の芽
1
東雲中とあんまり変わらない大きさの体育館を、端から端まであたしは眺める。今日、あたしたちはここで練習試合をするんだ。そう思ったら無性にワクワクした。
「あーあ。早く始まんないかなぁー!」
「……気が早いですよ、琴梨」
「いいじゃん別に」
凜音とのこんな会話は久しぶりだった。小学生の頃、ミニバスをやっていたのが遠い日のように感じる。不思議だ。
「今回もよろしくな、あたしの"頭脳"っ」
「こちらこそ。私の"手足"」
あたしは技術はあるけれど、試合になると周りが見えなくなるという欠点がある。凜音は頭は回るけれど、それを実行する技術がないという欠点があった。
そんな欠点を持つあたしたちは、昔から相性抜群だった。
「……で、問題はこの二人なのですが」
凜音はそう言って無意識に唯とちぃを怯えさせる。この二人は本当に、小動物かよってつっこみたくなるんだよなぁ。
「問題とか言うなよ、たいした事じゃないしさ」
「え、そうなの?」
「何を言っているのですか。重要ですよ。つまりは、まだ決めていなかったポジションの事です」
唯の表情は和らいだが、ちぃは視線を伏せた。唯の言う通り、ちぃのあれはガッチガッチに緊張しているヤツだ。
「簡単に言うと、私が司令塔で琴梨が点取りです。茶野先輩が守備で、唯とちぃは二人でコートを突っ走ってください」
凜音が手を上手く使って、ポジションの説明をする。さすが凜音。めちゃくちゃわかりやすかった。
「わかったわ!」
「あ、言っとくけどドリブルでだよ〜?」
いつから話を聞いていたのか、向こうの主将と決める事を決めていた茶野先輩が人差し指を立てた。
「っど、どどどドリブル?!」
びくっと肩を震わせ、ちぃが一歩身を引く。そういえばあまり得意ではなかったような……ま、いっか。
「まぁ、大丈夫だろ!」
「む、無理!」
「決めつけんなって!」
ちぃの肩を叩くけど、ちぃは完全に沈んでいて手遅れだった。あれ? と首を傾げるあたしの変わりに、茶野先輩や凜音がフォローに回る。
「ほんのちょっとだけボールに触れて、唯に戻せばいいんですよ」
「うんうん。ちぃちゃんはやれば出来る子だって、私知ってるよ?」
ちぃとは対称的に、ドリブルが上手いのが唯だった。
始めたばかりなのに、あたしに負けてない。それがちょっと悔しかったりするのだけど、まだシュートで勝ってるからいい。
「そうそう。あたしが絶対決めてあげるからさ! だから信じてよ!」
だから、安心していいんだよ。そんな意味を込めた。
「ちぃちゃん!」
「……ゆ、唯ちゃん」
「――私たちなら出来る!」
ぐっと拳を握りしめて、唯が笑った。
それを見て、ちぃはようやく落ち着きを取り戻している。やっぱ、こういうところが唯を主将にさせたんだろうか。
「終わったら絶対ハイタッチだからね!」
「うん!」
ちぃの方がなんとかなったからか、凜音が手を叩く。全員が凜音に注目して、凜音は小塚先生から借りたボードを取り出した。
「まず、二人共。ルールは把握してますか?」
「勿論!」
「お、覚えたよ!」
満足そうに頷いて、凜音はペンを持つ。
「……では、私の"作戦"を聞いてください」
試合が始まる前から、凜音の"頭脳"としての役割は始まっていた。
2
「それではこれより、東雲中学校対、西大和中学校の練習試合を始めます!」
キュ、とバッシュの音が鳴る。この音。試合前の緊迫した空気。あたしは全部大好きだ。
「よろしくお願いします!」
一礼してジャンプボールの為に出てきたのは、東雲からは茶野先輩。西大和からは主将の種島サンが出てくる。あたしは自分たちの入れるゴールに足を向けて、その時を待った。
ピーッ
笛の音と共に垂直に投げられるボールを最初に取ったのは
「――唯ちゃん!」
茶野先輩が手加減なく唯にボールを回す。唯は目を見開いて、それでも上手くボールを全身で取った。
ダムッダムッとドリブルの音がコートに響く。その間にもあたしたちはゴールに向かって走っていた。いや、茶野先輩だけは反対のゴールに向かっている。そして
「ちぃ?!」
何故かちぃが"何処にも"いなかった。
「なんっ……で」
その間にも、唯がさっそく二人のマークに捕まった。茶野先輩が反対のゴールから動かず、そのせいで唯に二人分のマークがつけられたんだ。
逆に凜音は二人の相手選手のマークについている。
あたしだって一人、凪沙って奴のマークにつかれていた。
(さっそくピンチじゃん……!)
「ゆ……」
「――"ちぃちゃん"!!」
パァンッ。
気持ちいい音がしたボールは、あり得ない方向へと向かい……
「ッ!」
……いつからそこにいたのか。
ちぃの手に収まって、次の瞬間にはボールがちぃの手から離れていた。
そしてこっちもいつからそこに移動したのか、さっきとはまったく違う場所から唯がボールを受け取る。
「琴梨ぃ!」
あたしは唯の叫びで、咄嗟にゴールに向かって走りシュートのリズムを刻んだ。ボールを持たないまま、ゴール下であたしは飛んで。すぐさま通ったパスがあたしの手の中に収まる。
「っらぁ!」
そして、ゴールに向かってシュートを放った。
てんてんとボールが床に転がり、早くも笛の音が鳴る。わぁっとした歓声が聞こえて、振り返れば唯とちぃが抱き合っていた。……ハイタッチは、まだしないらしい。
「よくやりました! 琴梨!」
「……!」
凜音の弾けるような笑顔が、そこにはあった。
小学校の頃はあれほど笑わなかった凜音が……。
「あったりまえだ!」
だからあたしは精一杯胸を張って答えた。
ヤバい。始まったばかりなのに、もうクライマックスって感じがする。っていうか、涙出てきた。
「みんな、しゅ〜ちゅ〜!」
「はいっ!」
茶野先輩のおかげであたしたちは表情を引き締める。さっきも言った通り、まだ始まったばかりだから。
「チッ」
小さく舌打ちをして、凪沙が転がったボールを取りに行った。今度は西大和が攻める番なんだけど……あれ?
そういえばディフェンスの練習してたっけ、あの二人。
思い出す暇もなく、凪沙がボールを味方に投げた。 ヤバい、反応が遅れた。あたしは全力で走るが、唯とちぃは困惑ぎみに棒立ちしている。
(やっぱり……!)
ボールに追いつくが、中々カットが出来ない。その内に、スリーポイントの射程距離内に入られた。
選手がボールを構え、シュートの体勢になる。あたしと凜音はというとマークに捕まり、唯ちぃはまだ棒立ちをしていた。
シュッ
バァンッ
投げられ、そしてブロックされる音。
「せんぱぁい!」
ゴール下には、最初っからゴール下にいた茶野先輩がいた。
「ッ! な、なんで……!」
凪沙がギリギリと奥歯を噛んであたしを睨む。
種島サンは呆然と、スコアボードを見ていた。
「……東雲は、貴方が一年の頃から強豪ではなくなったって思ってたけど」
茶野先輩はじっと種島サンを見据える。種島サンは茶野先輩に視線を移して
「恐ろしいね」
そう呟いた。
茶野先輩はニイッと、"ホンモノの先輩"を表に出して笑う。
「それはどうも〜」
種島サンは無表情でボールを取りに行った。その瞳には、あたしのカンだけど怒りみたいなものが宿っていた。
「ほ〜ら! みんな、気を抜いちゃダメ!」
一応監督は茶野先輩だから、頻繁に後ろから声をかけてくる。
それが妙に頼もしく思えるのは、あたしの気のせいじゃないはずだった。