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ティップオフ  作者: 朝日菜
茶野灯 前編
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第一話 集う灯は次々と

 これは、一年前の物語。

 私がアメリカから日本に帰国して、この東雲中学校(しののめちゅうがっこう)に転校する前の話。

 今では考えられないけれど、東雲中の女子バスケットボール部は廃部寸前だったらしい。けれどその時、今はもう卒業してしまった茶野灯(さのあかり)先輩がそれを阻止しようと奮闘(ふんとう)した。

 結論から言うと、部員は見事集まり廃部の危機をまぬがれた。……ここまでなら、どこにでもありそうな話だ。ううん、この先も物語の中ならばどこにでもある話かもしれない。

 その年の女バスは寄せ集めにしては異常な強さを誇っていた。それは夏、中学最強を競う大会で彼女たちは優勝をしたのをきっかけに、多くの人に知れわたる。



 ――これは、その軌跡(きせき)の物語。









 バスケは好き。

 なんで好きなのかって聞かれると正直困るけれど、とにかく好きだから好き。だからバスケをしたいんだ。……一人じゃなくて、大勢でやるバスケを。

 だというのに


「廃部寸前だもんなぁ」


 去年卒業した先輩たちが残した、小汚ない部室の中で私は呟いた。窓を開けるとちょうど散った桜の花びらが部室に舞い降りる。

 入学式前日の今日でも部活動が(さか)んな東雲中学校(しののめちゅうがっこう)は、賑わっていた。なのに女バスだけこの()(さま)とは情けなく思える。


『明日、絶対に新入部員を捕まえなきゃ廃部だからな』


 顧問の小塚礼二(こづかれいじ)先生がそう言ったのを思い出し、私は自分に(かつ)を入れる為に両頬を叩いた。

 開けた窓から部活動に励むみんなの声が聞こえてくる。


「頑張らなきゃ」


 たった一人じゃ何も出来ない事を私は知っている。一人は無力なんだ。

 だから必要になってくる。

 絶対に全国大会に行く為の、かけがえのない仲間(チームメイト)が。


「よ~し! その為にはまずこの部室をキレイにしないとね! 頑張れ茶野灯(さのあかり)! やるんだ茶野灯ぃ!」


 自分自身に言い聞かせて、私は無造作に部室に置いてあったほうきを手に取った。どこから掃除をしようかと部室を見回すと、扉が勢いよく開かれる。


「うるさい茶野! 隣の部室まで聞こえてるぞ!」


「うわぁ! び、びっくりした~。ちょっと(はる)ちゃん、女子の部室を開ける時はノッ……」


「女子? お前が? そもそもどうせお前一人だろ」


 男バスの主将、向坂晴一(さきさかはるいち)――通称晴ちゃん――が鼻で私を笑った。


「ひど~い!」


「ひどくない。そもそも近所迷惑なお前が悪い」


「晴ちゃんのバーカ! バーカ!」


「お前それ以上言ったらここも男バスの部室にすんぞ」


 晴ちゃんが女バスの部室を見回して眉をひそめた。「なんだこれ、きったねーなぁ」と手で口元をおおう。


「私じゃないもん。これは先輩が」


「いや絶対にお前も入ってるぜ、これ。見ろよ」


 晴ちゃんが指差す方向を見ると、そこには私の名前が大きく書かれたプリンカップが大量に散乱していた。


「わぁぁあっ?!」


「ったく。こういうのをちゃんとしねーから部員も集まんねーんだよ」


 慌ててプリンカップをゴミ袋に入れ、振り向いた私は晴ちゃんに向かってべーっと舌を出す。


「事実だろーが」


「じゃあ晴ちゃんは? こんな時間に女バスに遊びに来てさ。練習サボってるんでしょ~」


「違う。俺は部室に忘れ物を取りに来ただけだ。そしたらお前が叫んでるから、何事かと思って様子を見に来たんだよ」


 晴ちゃんは腕を組んでため息を吐く。呆れた表情の晴ちゃんに私はいよいよ何も言い返せなかった。


「叫んでるって……叫んでたけどぉ」


「……なんでちょっと泣きそうなんだよ、お前」


 晴ちゃんが困ったような表情で私を見下ろした。私は唇を尖らせたまま俯く。


「だってバスケしたいんだもん」


「はいはい、わかったから。お前が部室の掃除を終わらせたら男バスに混ぜてやるから」


「ほんとっ?」


 顔を上げると晴ちゃんがそっぽを向いた。


「本当だ。だからさっさとやれ」


 それ以降、晴ちゃんは私の方を見もせずに女バスの部室から出ていった。晴ちゃんの足音は部室棟のちょっとさびれた階段を下りていく。


「……行っちゃった」


 でも晴ちゃんは嘘をつく人じゃない。私は晴ちゃんを信じて腕まくりをした。


「よーし! やるぞー!」


 すると遠くから「だからうるせぇ!」という晴ちゃんの叫びが聞こえた。晴ちゃんだってうるさいと思うけど、言わないでおこう。

 私はとりあえず、散乱している手で掴めそうなゴミを拾ってゴミ袋に投げ捨てた。いつの間にかほうきを手放していた私は、手探りで持ち直す。

 掃除をしている間も私は一人で部室には誰もいない。こんな時でも私は一人だと思い知って。

 だからこそ明日へと覚悟を決めた。




 掃除を急いで終わらせた私は部活着を着て、男バスが練習をしている体育館に向かった。女バスは半年以上前から部員がほとんどいないせいで練習にならない。

 そんな女バスに部活動を盛んにさせている学校は監督をつけなくなり、女バスは早くも廃部扱いを受けていた。だから私がよく男バスと一緒に練習をするようになったのは、必然だったのかもしれない。


「晴ちゃ~ん」


 体育館に着いて、とりあえず部長の晴ちゃんに声をかける。晴ちゃんはシュート練を中断させて汗をTシャツで拭った。


「今来たのか、茶野」


「うん。ちゃんと掃除は終わらせたよ」


「掃除はどうでもいいんだよ。お前はいつも通り、適当にどっかに混ざっとけ」


「晴ちゃんって、いっつも思うけど説明雑だよね」


 私が晴ちゃんを指差すと晴ちゃんは「うるせぇよ」と私の指を握って力をこめた。


「いだだだだ! ちょっと晴ちゃ~ん! 私バスケ部! 指は大事なの~!」


「それは悪かったな。部員無しの女バスの部長サン」


「いるよ部員!」


 私はそう言ったけれど、晴ちゃんは信じていなかった。それどころかさっさと自分の練習に戻ってしまい、私は一人取り残される。


「…………」


 一人は慣れているけれど、こうも立て続けに一人にされるとさすがにキツかった。


「また来たのか茶野ー。お前もすっかりうちの部員みたくなってんな」


「茶野、練習する場所ねぇならこっち来いよ」


 振り向くと同じ学年の男子たちが私を呼んでいた。これは今まで笑ってきた分の結果なのかもしれない。


「うん、来ちゃった~。男バス部員兼女バス部長の茶野灯で~す。って事でいれて!」


 そんなノリで入っていくと男子たちはすんなりと私を受け入れてくれた。でも、ここは私の本当の居場所じゃない。ここを自分の居場所にしたくなかった。









『一位と最下位は同時に発表!』


 ピタッと箸を持つ手が止まった。

 ニュース番組の合間にある星座占いを見るのが私の日課で、今日も最初から見ていた。けれどここに来るまで私の星座は呼ばれていない。


『一位はおひつじ座の貴方! 今日は何をやっても上手くいく日!』


「……あ!」


 やったと、心の中でガッツポーズをする。そしてさっきの占いを脳内で何度も何度も繰り返した。


「よしっ!」


 占いも聞けた事だし、ガタッと私は椅子から立ち上がった。食器を片付けていると、洗濯物をまとめている母親、茶野千尋(さのちひろ)がリビングに顔を出す。


「今日はやけに早く食べたわね」


「うんっ。今日は大事な日だから!」


 興味なさそうなお母さんの真横を通りすぎた私は、玄関に置いてあった鞄を手に靴を履く。一刻も早く家を出て、一刻も早く学校に行きたかった。


「いってきま~す!」


「いってらっしゃい」


 顔で手を振りながら家を出る私を一瞥(いちべつ)したお母さんは、さっさと洗濯機のある部屋へと姿を消した。


「早く行って準備しなきゃ」


 誰に聞かせるわけもなく私は声に出して駆け出した。

 東雲(しののめ)中の入学式を祝うかのように、外では桜が満開に咲きほこっている。

 待ち望んだ今日は晴天で、占いは第一位。絶対に部員は来ると私は早くもそう確信していた。

 東雲中の正門に到着し、自分の教室から持ってきた椅子を堂々と置く。ダンッとわざと盛大に音をたてて私は椅子の上に飛び乗った。この日の為に冬休みから作っておいたお手製のメガホンを構えて、私は息を吸った。


「来たれ、東雲中女子バスケットボール部へ~!」


 メガホンを使っても、朝の入学式の正門から聞こえるざわつきのBGMは増すばかりだった。それがちょっと予想外で初っぱなから戸惑う。


「えっと、女バスは部員が私だけです。なので、バスケットボール初心者でもだいかんげ~! バスケ好きはだいだいだいかんげ~で~す!」


 それでも私は占いを信じて喋りだす。


「何をしている、(あかり)


「あ、(たく)ちゃん」


 そんな私に(こた)えるように、新入生の人混みをかき分ける人がいた。二つ年下の幼馴染み、緑川拓磨(みどりかわたくま)は切りそろえた前髪の真下にある目で私を見上げている。

 拓ちゃんは中学一年生にしては身長が高い方なのだけれど、年上で椅子の上に乗っている私の方がまだ高かった。


「あのね、新入生たちを部活勧誘しているの~」


 私がそう答えると拓ちゃんは盛大にため息を吐いた。眉間を抑える拓ちゃんは


「入学式当日に部活動勧誘するバカがいるか。さっさと下りろ」


 と頭を抱えた。


「えぇ~。じゃあ拓ちゃんが入部する?」


「断る。そもそも俺は男子で、入部するのは男バスだ」


 呆れた表情をまったく崩さない拓ちゃんは、数歩後ろに下がる。人目を気にしているのか拓ちゃんはキョロキョロと周りを見て耳を赤らめた。


「……灯、早くしろ」


 拓ちゃんを困らせているのは痛いほどわかっている。わかっているけれど、私は昨日の出来事を思い出していた。


「…………だって、このままじゃ……本当に廃部しちゃう……」


 昨日顧問に言われた事もあった。そして(はる)ちゃんたち男バスのみんなに馴染みすぎている女バスの自分自身が嫌だった。


「あ、灯?」


 気づけばボロボロと涙が溢れていた。誰にも見せないらしくない涙に、拓ちゃんが戸惑う。


「……ッ! うわぁ、あぁ……っ」


 私の側にいた拓ちゃんは、本格的に泣き出した私を見て悔しそうに顔を歪めた。家が隣同士の拓ちゃんは、年が離れていても幼馴染みの私の苦労を知っている。

 拓ちゃんは優しい人だから、人目を気にしていても私の側にいてくれた。


「茶野! またお前か!」


 突然の怒声に驚いて振り向くと、そこには副校長と顧問の小塚(こづか)先生がいた。

 白髪が目立つ年頃の副校長は怒りと恥で顔を真っ赤にさせている。小塚先生は寝癖がついた黒髪に無精髭(ぶしょうひげ)をはやすという、今日も先生らしからぬ見た目で欠伸をしていた。辛うじて、よれよれの白衣が数学の先生だと思わせてくれるだろうけれど。

 私は慌てて涙を拭って、拓ちゃんの肩を押す。せめて無関係な拓ちゃんは逃がしてあげたかった。


「そこの新入生も校長室に来るように!」


 めんどくさそうな表情の小塚先生ではなく、またまた副校長が怒鳴って私たちは校長室に連れていかれた。




 校長室で主に副校長に説教された私と拓ちゃんは、その後無事に入学式に出た。こりずにもう一度同じ方法で新入生の勧誘をしようとした私を、小塚先生が職員室に呼びつけて


「ったく。入学式早々やらかしてくれるなぁ、お前」


 扉付近にある散らかった小塚先生の机の前で文句を言われた。コーヒーの匂いが充満している職員室の中でもひときわ匂う小塚先生の机の前で私はわざと頬を膨らます。


「だって先生が『明日、絶対に新入部員を捕まえなきゃ廃部だからな』って~」


 ふざけたように言っても内心では焦っていた。私の焦りも知らないで、小塚先生は椅子から身を乗り出す。


「それ、俺のマネか?」


 そしてムムッと眉間にしわを寄せる小塚先生に、私は出来るだけニカッと笑って「はいっ!」と答えた。しばらくして小塚先生は「やべぇ! 今のマジで似てたぜ!」とゲラゲラお腹を抱えて笑った。

 職員室の中心と言ってもおかしくない場所で、同僚の先生方の冷ややかな視線を浴びた小塚先生はコホンとわざとらしく(せき)をする。


「とにかく、あれはまずかったなぁ」


「そうですか?」


「保護者の目もあったしよぉ」


「なんとかなりますよ~」


「俺のクビがかかってんだぞ、バァカ」


 小塚先生はそう言って、ブラックコーヒーをぐびぐびと飲んだ。そして声をひそめるように手でメガホンを作る。


「茶野、これだけは言っておく。あのめんどくせぇ副校長に目ぇつけられたんだ。……この学校で部活共々生き残りたいなら、こっそりひっそり死ぬ気で部員を集めろよ?」


「イェッサー」


 小塚先生に合わせて声をひそめた私は、小さく敬礼をした。


「今度は職員室で何をしている、灯」


 振り向くと拓ちゃんが少し怒ったような表情でそこにいた。


「お、来たか。とばっちり新入生」


「……緑川拓磨です」


 拓ちゃんはゆっくりと眉をひそめた。拓ちゃんは小塚先生みたいなタイプが嫌いだから仕方がないのかもしれない。


「緑川ねぇ。茶野、お前今朝こいつに泣かされただろ」


「違います~だ」


 拓ちゃんが悲しそうな顔をする前に、私はべーっと舌を出した。


「拓ちゃんも小塚先生に呼ばれたの?」


「あぁ、多分な」


「なら良かった! こんな人放っておいてさっさと行こう」


 拓ちゃんの腕をひっぱって、私は職員室を後にする。去りぎわに「頑張れよー」と小塚先生から激励(げきれい)をもらったけれど、全然嬉しくなかった。


「あのっ!」


「っえ?」


 廊下で、職員室から出てくるのを待ち構えていたかのように話しかけられた。

 くせ毛なのか、可愛らしい橙色(だいだいいろ)の毛先が揺れる。キリッとした小さな眉の下の輝く瞳で私を上目使いに見つめてくる小動物は、両手を握りしめた。


「私を女バスに入部させてください!」


 そこでようやく、目の前にいるのが小動物ではなく少女だと気づく。


「……ダメ、ですか?」


 私が何も言わないのを見て、少女は一気に眉を下げておどおどし始めた。わかりやすくて面白い子……じゃなくて


「いいの?!」


 私の食いつきっぷりによっぽど驚いたのか、少女はたじたじになりながら「し、初心者なんですけど……」と俯く。


「何言ってるの! だいかんげ~だよ!」


 私は怯えた少女の汗ばんだ手を握って笑った。そんな私を隣の拓ちゃんは解りにくいけれど穏やかな表情をしていた。


「……良かった。私、橙乃唯(とうのゆい)です。これからよろしくお願いします!」


「茶野灯です。これからよろしくね!」


「はい。あの、隣の人は……?」


 唯ちゃんが向ける視線の先には拓ちゃんがいる。私が拓ちゃんに目配せをすると、拓ちゃんはため息を吐いた。


「緑川拓磨」


「緑川先輩ですか!」


「ううん、拓ちゃんは一年生だよ~」


 短すぎる自己紹介につっこもうかと思ったけれど、唯ちゃんの驚く顔を見たらそれで満足しちゃって止めた。


「じゃあ私、他の部員も集めなきゃいけないからもう行くね~。唯ちゃん本当にありがとう!」


「いえ! 部員を探しているんだったら、一年の教室にまだ人がいましたよ!」


「ほんとっ? ありがとう、じゃあ行ってくるね~」


 唯ちゃんと別れた私は、何故かついてくる拓ちゃんと一緒に一年の教室に向かった。一年の教室は職員室の側の渡り廊下を歩いた先にある。


「拓ちゃんついて来なくてもいいのに」


「ついていってない。お前のせいで鞄も持たずに職員室に呼び出されたせいだろ」


「ご~め~ん~」


「俺の教室はここだから、部員探すなら一人で探せ。俺はもう帰る」


 拓ちゃんは私の軽い謝罪を軽く無視して一番最初に見えた教室に入っていった。


「うん。拓ちゃんまたね~」


 その背中に呼びかけて、拓ちゃんの教室に拓ちゃん以外誰もいない事を確認してから次の教室を覗いた。その教室にも誰もいなくて、私はまた焦りを覚える。

 あと三人、そう思いながら六クラスある全部の教室を確認した。全部誰もいなくて、私は来た道を戻ろうとする。その瞬間、今にも消えそうな気配を感じた。


「!?」


 慌てて最後の教室を覗くと、ぽつんと一人寂しそうに座る少女が視界に入った。

 いつの間にそこにいたのか、いや、元からそこにいたのかもしれない。紺色の髪の少女はじっと、誰もいない教室で何もせずに座っていた。

 私は足音を消して黒板側の入り口からそっと教室に入る。正面から見ると、俯いている少女の前髪は瞳を隠していて何も映してしなかった。

 生きているのかも怪しい少女の足を確認する。足はあって、さらに近づくと遅すぎる反応がきた。


「きゃあ?!」


「こんにちは~」


 ニコッと安心させるように私は笑った。

 逃げ道を探そうとする少女に、私のさっそく本題に入る。


「ねぇ、バスケに興味ない~?」


「うっえ?」


「ふぇ?」


 顔を真っ赤にさせ、あわあわと手を動かす。「え、あ、あの……」と口ごもっている少女に


「一緒にバスケしない?」


 ゆっくり、本当にゆっくりと尋ねた。


「わ、私……バスケし……たこと、なぃ……です……」


 徐々に小さくなる声をきちんと聞き取り、私は少女の発言を考える。「したことない」は「やりたくない」には繋がらない。


「だいじょ~ぶ! 初心者だいかんげ~だから!」


「……あの」


「なぁに?」


「……こんな私でも、変われますか? みなさんの役にたてますか?」


 しっかりと私を見つめて尋ねたのはそんな事だった。


「それは貴方次第かな」


 肯定も否定もせずに返すと、ぐっと少女は唯ちゃんみたいに両手を握りしめた。


「……私で、良ければ……。是非」


 バスケ部に入部するというだけなのに、人生の一大決心をするような迫力で少女は告げた。そんな少女の人生を預かったような気持ちになった私は、さっきよりも生半可(なまはんか)な気持ちにはなれなくて。


「ありがとう。本当に」


 らしくない真面目な雰囲気で少女に告げた。

 少女は安心したように柔らかく笑う。私も喜びを表現するために笑った。


「私は三年の茶野灯だよ~。貴方は?」


「こ、紺野(こんの)です……」


「うんうん。名前は?」


「………………うさぎ、です」


 恥ずかしそうに少女……うさぎちゃんは俯いた。


「うさぎちゃんね! これから」


「うさぎって呼ばないでください!」


 突然の大声に、私は信じられない目でうさぎちゃんを見上げた。椅子に座っているうさぎちゃんに合わせてしゃがんでいた私は、ガタッと立ち上がったうさぎちゃんの顔色が赤から青に変わる様子がよく見えた。


「ごごごごごめんなさい!」


 ブンッと風圧で私がしりもちをつくほど頭を下げたうさぎちゃんは、鞄を持って全力疾走で教室を後にした。


「あ、待って!」


 私はうさぎちゃんの後を追いかける。

 何故か放っておけなくて、でも逃げ足の早いうさぎちゃんは一年生の昇降口で見失ってしまった。


「どこに行ったんだろ……」


 辺りを見回すと下駄箱に二人の少女の影を見た。

 入学式も終わり、放課後に残っている一年生なんてほとんどいないんじゃないかと諦めかけていた私にとって、彼女たちは最後の希望だった。

 いぶかしげに私に顔を向ける二人には、よく見ると何故か見覚えがあって。どこで見たんだっけと考えている間にも二人は校舎から出ようとしていた。


「あ、待って!」


 振り向く二人はちょっと嫌そうに私を見つめる。その表情で思い出した。


「もしかして、去年ミニバスの大会で優勝した……?」


 ミニバスというのは十一歳以下の子供がやるバスケットボールの事だ。少女たちはそのチームの中でも目立ったプレイをしていたから覚えている。

 初心者大歓迎とは言っているものの、全員初心者というのはご遠慮したい。そこに現れた二人は私の女神と言っても過言ではなかった。


「ねぇ、女バスに」


「嫌です」


 私が言い終わる前に口を挟んだのは、水色の髪の少女だった。彼女はインサイドからの得点を(おも)とする点取り屋で、チームの得点王と呼ばれていた。


「私もお断りします」


 次に口を開いたのは藍色の髪の少女だった。彼女は小学生にしては優秀な司令塔として、全国的に有名だった。

 その二人が今、ここ東雲中学校にそろっている。

 これは私の占いが好調だったおかげだろうと本気で思った。


「バスケ好きでしょ~? 一緒にバスケしようよ~」


 手を広げて勧誘すると、水色の髪の少女――確か名前は水樹琴梨(みずきことり)だったっけ――が眉をひそめた。


「バスケは好き。けど、廃部寸前で弱ければ話にならないでしょ」


 さすがの私もカチンとくる台詞だった。廃部寸前は否定出来ないけど、弱いわけではないと断言出来る。

 そう言おうとして、その前に藍色の髪の少女――藍沢凜音(あいざわりんね)――が口を開いた。


「私も琴梨と同意見です。それに、貴方みたいな人に従えたくもありません」


 その目は中学に入学したばかりの子にしては冷たすぎる目だった。隣の水樹琴梨も同じ目をしている。この二人にとって、狭すぎた世界はきっとつまらなかったのだろう。


「それは私のバスケを見てから言ってくれるかな?」


 なら、先輩を怒らせた罰と共にとびきりのスパイスがかかった日常をあげようか。


「一対二、しよ?」


 顔には出さずとも、声には棘があって反省する。けれど二人はさすがと言うべきかビビったりはしなかった。


「いいですよ」


「構いません」


「えへへ~。実はね、二人が入部したら五人そろうの」


 二人は何の事だか解っていないから、特に危機感みたいな感情は見せなかった。


「……だから、ありがとね」


 このとどめの一言が効いたらしく二人の表情がひきつる。それでも心が折れなかったのには評価してあげようかな。


「どっちにしろあたしは負けないから」


「その目、好きだよ」


 私はそう、妖しく笑った。

 まだ残っていた顧問の小塚先生に頼んで、入学式でまだ使えない体育館の代わりに外に設置されているコートの使用許可をもらう。部室にあったボールを回して水樹琴梨に放った。


「二人でおいでよ」


 ピクッと彼女の眉が上がった。「後悔しないでくださいよ」と唇が動く。その瞬間、ダンッとドリブルで水樹琴梨が飛び込んできた。彼女のプレイスタイルはまっすぐで解りやすい。

 ピッ


「!」


 ただ、厄介(やっかい)なのがこの藍沢凜音だ。

 水樹琴梨は藍沢凜音がいてこそ機能しているようなもので、彼女にパスを回した水樹琴梨はすばやくコートを駆け巡っている。水樹琴梨をチームの手足と例えるならば、藍沢凜音はチームの頭脳だろうか。


(欲しい……!)


 全身がそう叫んでいた。所詮(しょせん)は二人。今はまだ脅威(きょうい)でもなんでもない。

 藍沢凜音のパスが水樹琴梨に通る前に、私はそれをカットした。ドリブルでゴールへと加速する私に水樹琴梨が追いつく。

 ボールは水樹琴梨にカットされ、そのままゴール下にいた藍沢凜音に……繋がる前にすぐさまディフェンスをした。目の前で小さく舌打ちをした水樹琴梨に、私をはわざと抜かせた。彼女は抜いて当然と言いたげな表情をした。


(……せいぜい今の内に勝ち誇ってなよ)


 私はじっと彼女がシュートするのを後ろで見ていた。それは水樹琴梨が外すという賭けだった。

 ガッ


「ッ!」


 悔しそうに顔を(ゆが)め、未だに空中にいる水樹琴梨の横を通り過ぎる。藍沢凜音がすぐさまボールをとろうとするも、リバウンドをとったのは私だった。


「っな……?!」


 再びドリブルを始める。水樹琴梨が追ってくるのが気配で解った。その解りやすい気配に失笑しながら、私はスリーポイントラインでシュートを放つ。


「……まさか……」


 と藍沢凜音が声を震わせた。

 水樹琴梨は逆に何も言えなかった。いや、言わなかった。

 スパンッ

 ボールの弾む音がした。ドサッと真後ろから音がして、不審に思って振り返る。そこには驚愕(きょうがく)の表情をした二人の少女が地面に座り込んでいた。無言で二人の元に行くと力なく水樹琴梨が顔を上げた。


「ナイスファイト」


 私はニコリと笑った。ううん、目はまったく笑ってなかったかもしれない。


「……そんな言葉いりませんよ」


 藍沢凜音の声が後ろの方からした。私は眉をひそめる。


「世界は広い。近所の大会で圧勝したからって思い上がりもいいとこだよ」


 太陽の光が私にそそいだ。私の言葉がグサリと胸に刺さったように、二人は唇を噛みしめる。図星だったみたい。


「……じゃあ、もっと強くなる」


「もう、負けません……!」


 なのにそう言い返す二人の強さが無性に嬉しかった。ニコッと今度こそ私は心の底から笑う。


「ようこそ、東雲中女子バスケットボール部へ!」


 両手を広げて、私は水樹琴梨と藍沢凜音の腕を引っ張った。

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