9 お父さん
今日は屋根の上に登ってみました。
天使族飛んでないかな、と思って。
そしたら空に変なものを見つけましたよ。
?
うすぼんやりした光の中に…眼? のようなものが見えます。むしろ巨大な眼球が飛んでいると言ったほうが近いでしょうか。気持ち悪いです。
それは街の上をふよふよと飛び回り、街の様子を観察しているようでした。
街をじぃーっと見ています。
それはさらに続けて街をじーっと見てから、しばらくしてビクビクッと震え消えてしまいました。
いったいなんだったのでしょうか。
中庭の回廊で偶然出会った、おじいさん神官様にきいてみることにしました。
「神官様、空に浮いているぼんやりと黄色いものってなんでしょうか」
神官様は眼鏡を持ち上げて、
「ふむ、太陽かね」
とお答えになります。いえ、すみません、なぞなぞではないんです。
「もっと小さい…だいたいこれくらいで、真ん中に眼があって、空中を飛び回るものです」
神官様が持っておられた本をばさばさと落とされました。
あー神官様の足の上に本が…。
「ど、どこで見たんだね」
「え? さっきそこで」
神官様にがしっと腕を掴まれ、引きずられるように教会の奥へ連れていかれました。
…なにかまずかったですかね。
あわただしく教会にいる全ての神官様が呼ばれました。
私がおじいさん神官様に促されるまま、先ほどの話をすると、堰を切るように声が飛び交います。
「間違いない、偵察だ」
「妖精術だな」
「協定を破って術を使ったということは、もう取り繕う段階ではないのでしょう」
「…また戦になるのか」
「今ならまだ残滓を辿れるぞ」
「調べるまでもない。グラドールだ」
「グラドールだろう。妖精術の本家だ。…先だっての遺恨もある」
「文書にて抗議するのが先ですね。ご領主どのに警告いたしましょう」
この教会には神官様が全員で十人おられて、そのうち三人は女性です。女性でも能力があれば出世できるのが教会のいいところですね。
ところで帰っていいですか。
「急ぎ結界を張らねば…ランドラム殿が帰っておられるのは、僥倖だった」
「結界はわたくしが張ります。本山への連絡はお任せいたしますわ…本山へのご連絡、お好きでいらっしゃるでしょう?」
おお。白髪の女性神官様が薄く笑いながら、若い神官様に嫌味をおっしゃいました。
お若い神官様は眉ひとつ動かさずに
「ええ」
とお応えに…こわいよー。
神官様になるまでには見習いからはじまり、神官補佐、下級神官など八つも段階があるので、この男性のように二十代で神官様というのは、都の本山に呼ばれてもいいぐらいのエリートなのです。
なんだか神官様たちがそろったところをあんまり見ないなーと思っていたら…いろいろあるんですね。
子供だし何もわかんなーい、という顔をします。
それから皆さんあわただしく立ち去られ、私はようやく帰っていいと言われたので、とぼとぼ歩いて中庭に戻ります。
なんというか…口止めされませんでしたね…まあ言いませんけど。
戦がはじまるようです。
ちなみにさっき敵国と言われていたグラドールというのは、この国よりもちょっと大きな隣国で、林檎みたいな果物が特産品で美味しいです。
この街ユヒテリアとグラドールの国境までには、自国の街を二つ挟んでいたと思うので、きっとこちらからその二つの街に援護の兵を出すのではないでしょうか。
遠い都の国軍がどう動くのかは知りませんけど。
私の身の振り方は考えるまでもありません。
周りに合わせます。
だって七歳だもの。できることって少ないのです。
戦がはじまればこの教会からも何人か出されるでしょう。
もしかしなくても私も戦地に行くのかもしれません。吹けば飛ぶようなこの身ですが、治癒力がありますからね。
まあみなさんの傷を治すのは望むところですが、私、まだ死ぬわけにはいかないんですよね……。憂鬱です。
とりあえず、無くなる前に林檎みたいなアレをこっそり買っておくことにします。
こっそり貯めていたお金で、まぁものすごくささやかな金額ですが、赤い実を買って、街の端っこをふらふらしていたら、ちょっと遠くによさそうな木を見つけました。
木陰が気持ちよさそう。
人がいませんが獣も魔獣もこのあたりなら出ないので、ちょっと休憩。
しゃりしゃり…
前の前の人生で知っていた林檎よりも、もうふたまわり大きいです。
この果物の名前なんだったかな…確か、アー…
バサッ
あれ、うっそー、口をもぐもぐさせていたら目の前に天使族が降りてきました。
あれあれあれ…見覚えのあるこの顔は――
「お父さん?お久しぶりです」
お父さんは相変わらずの鋭い眼差しで、私の上から下まで何度も見てから言いました。
「……………………………………八番目?」
戸惑っておられます。それはそうですけど。
「はい。お元気にしておられましたか」
「………人間なのか?」
私はうなずきます。
しかし外見がほぼ幼児化しただけとはいえ、羽根もないのによく私だと気づきましたね。死んではじめてお父さんと親子の絆を感じるなんて背筋が寒くなりました。
気を取り直してお父さんに微笑みます。
「ちょっと生まれ変わってみました」
「そうか……変わってるな……」
この人意外にユーモアのセンスがあった…いえ、今はそれどころではありません。
「お父さん、お願いがあるのです」
「なんだ」
私は緊張を押し隠して言いました。
「ルイトベルトさんに逢いたいんです。どうか連れて行ってくださいませんか」
お父さんが顔をしかめました。
沈黙が肌に突き刺さります。
あの子は絶対に生きていると信じていますけど…でも、まさか。
「嫌だ」
「どうしてですか…?」
「…面倒だ」
……えー!? そんな理由ですか!
「お父さんお願いします」
お父さんは不機嫌そうに羽根を動かしました。
「お前はわかっていない。アレは…面倒だ」
「? 私を連れて行ってくださるだけでいいんです」
「……………………面倒だな」
お父さん!
昔から、横のものを縦にもしない方でしたけど!
「じゃあ、ルイトベルトさんに、私がここにいると伝えてください」
お父さんは無言でしたが、例の「面倒だな」の顔をして、さっと飛び上がりました。
あっ、逃げた…。
お父さんは私を見下しながらゆっくり上昇すると、ふいっと、飛び去って行きます。
えー、お父さんのばかー…。
せめてルイトベルトさんが元気でいるのかだけでもきいておけばよかった。
私は小さくなるその背中へ祈りました。
「お父さんがハゲますように」