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二度目の天使の幸福  作者: 右枝
本編
8/19

8

 茫洋とした心のまま、故郷の街に帰った。

 無為の日々を過ごしてきた俺を、領民も父も、誉と、誇りと言って温かく迎え入れてくれる。

 これでいい。

 ここでこの人たちの役に立ち、街を守って一生を終えられたらそれでいいじゃないか。

 しかし、身体の中心に大きな穴を穿たれたように、力が入らない。

 誰と戦っても負けはしないが、何の高揚もなかった。…このままここで朽ちていくのか。


 瞼を閉じるといつも、無感動なあの眼が浮かんでくる。


 ――――天使族


 いつの間にか教会の中に立っていた。

 薄暗い壁の隅に掛けられた聖教画の中で、天使族の白い羽根がぼんやりと浮き出ている。

 荘厳だったが、人間を愛しげに見守る天使族たちに、強烈な違和感を覚えた。

「これが天使族であるものか」

「…完全に間違っていますね」

 …?


 いつの間にか隣に小さな少女が立っていた。


 暗くて分かりづらいが黒に近い紺の髪を伸ばしており、質素な服を覆うほど長い。教会の孤児か見習いだろう。小奇麗な顔をしている。大きな眼には子供らしからぬ静謐があった。

 少女の気配に気がつかなかったことに驚きはしたが、なぜか警戒心は生まれなかった。

 …衰えたのだろうか。

 それよりも少女の言葉が気にかかった。聖画を否定するなどおよそ教会の子供らしくない。

「何を知っている」

 少女は首をかしげる。

「え?」

「教会の子供だな。先ほどの言葉は?――何を知っている」

 少女はためらったようだった。

「あの、天使族はもう少し………勇壮な気がして」

 この娘、もしやわずかなりとも天使族のことを知っているのか?


「何故だ?」

「…勝手にそう想像していました」

 少女の表情からは真意が読めなかった。

「…天使族を、見たことがある」

 そう切り出すと、少女は多少ながら興味を示した。

「どこでご覧になったんですか?」

 あれはどこだったのか。壁のように切り立った山肌、山頂の雪、…どこかの国境沿いだったか。

「遠く、…遠い国の山の上で」

「旅をしておられたんですか?」

「…ああ」

「ご領主のご子息の、ランドラム様ですか?」

「…ああ」

 これまで会話をすることさえも憂鬱に感じていたが、不思議と今は苦痛でなかった。

「また旅にでられるんですか?」

 少女はなんのためらいもなくそう尋ねてきた。

「いや…もう、旅には出ない」

 旅は彼等を見たときに終わった。


 絵の中の天使族をもう一度見る。

 俺が見た天使族はこのようなものではなかった。

 一振りの剣だった。鋭く尖っていて、凍るように冷たかった。


 いつまでもぼやけることのない記憶に浸かっていると、遠くより声が聞こえて少女は走り去っていった。

 絵に覚えた違和感が、ふと口からあふれ出る。

「やつらは神の使いなどではない」


 クスクスクス…


 笑い声が聞こえたような気がしてふり返るが、もう少女の姿はなかった。

 俺は、本当にあの少女が存在していたのか、確信が持てなくなった。






 記憶の中で生きてきた。

 あの人が生きていた世界。

 覚えている限りのあの人との一日を頭の中で繰り返した。

 何度も何度も何度も……あの人の腕の中で目覚めて、あの人の手からものを食べ、あの人にしがみついて眠った日々。

 ただ少しずつ記憶が変容しているような気もしている。あの人を犯したのは現実だったか…?


 あの人と暮らしたこの神殿は、全てそのままに置いているのに、もはや何もかもが違っている。

 あの人がいない。

 ここにはもう澱みしかなかった。

 でもまだ何かあるはずだ、きっとまだどこかにあの人がいる。

 面影を求めて神殿を這うと、落ちていた紫紺の髪の毛を見つけた。

 泣いたのは久しぶりだった。


 記憶の中だけは幸せだ。

 いつもあの人が微笑んでいる。

 僕はただ泣いているだけでよかった。

 白い胸元に顔を埋めて、子供のように恐かったと言えば、あの人は微笑んでキスをして慰めてくれる。


 クロティラ、クロティラ、クロティラ、クロティラ。

 助けて。

 死にたい。

 でもその前にもう一度あなたに逢いたい。


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