3 ルイトベルトさん
「え」
呆然として、すぐ我に返りました。
私は柱から飛びおります。
赤ん坊は声もあげず落ちていき、じわじわと地面が迫ってきて――――空中で追いつきました。
両手でキャッチし、振動を与えないようにゆっくり地面に着地します。
よかった……まだ心臓が飛びはねています。びっくりした。
羽根が痛いですが、それどころではありません。顔をのぞきこむと、ぱっちりと眼をひらいてこちらをみていました。
「ぴぃ」
よし、怪我はなさそうです。
親を呼ぶときの独自の声で鳴いています。
その子は青みがかった銀髪で、瞳は薄い水色の中に金が混ざり、瞬くたびにうるうると輝いています。
私の両手にすっぽり入るほど小さくて、白くて、柔らかいです。
「ぴぃ」
「よしよし、いい子…」
私は地面の上から、空を見上げました。
遥かに上に、お父さんの柱よりもさらに高い柱があります。そこからこの子は――誰かに放り投げられたのです。
「よしよし、いい子ね。もう怖くないからね」
天使族は多産ですが、その総数はとても少ないのです。
それはいっぱい途中で死ぬから…殺されるから。
一族が続けてきたこの慣習が正しいのか、そうでないのか、私にはわかりませんし、例え否定してみても現状を変えることもできません。
でも私はこの子を立派に育てて、生まれてきてよかったと思わせてみせる。
お母さんの命と引き換えに生まれてきた私は、そうしなければならないと思うのです。
自分の神殿に戻り、きれいな布を集めて、そこに赤ん坊を寝かせます。
かつての自分と同じように衰弱しながら、それでも小さな手を宙にのばして必死に鳴いているこの子。
手をとって抱きしめて、頬にキスをし、羽根でくるみ治癒を施しました。ああ、私はきっとこのために治癒の力を持って生まれてきたのです。
おそらくこの子は生まれつき身体が弱くて、そのせいで捨てられたのでしょう。
でも大丈夫。私が必ず健康で、強い身体にしてあげる。
果物をすり潰してゆっくり口に運びます。
少しずつ吸っていくので、気長に与えていきます。
抱きしめて治癒をかけて、そのままいっしょに眠ります。
そんな日々が何年か続きました。
「く、クー、クー」
三歳になったルイトベルトさんは、私の名前のクロティラを正しく発音できずに、クーと呼んでいます。
ルイトベルトさんの名前は、本に出てきた昔の偉人からいただきました。
ちなみに私に名前をくれたのは、お父さんではなく三番目のイコ兄さんです。
「どうしましたルイトベルトさん」
「あみ」
「雨?」
こんなに晴天なのに?と空を見上げると、私たちの神殿の上にだけ雨雲が浮いていて、あれあれと思っているうちに大粒の雨が降ってきました。
神殿も、緑も、みるみるうちに濡れて色を変えていくのに、私たちだけが濡れません。
雨が小さな水球になって、私たちの周囲でぷるぷると空中で止まっています。
「この雨、ルイトベルトさんですか?」
「あい!」
虚弱だったこの子も、治癒術をかけ続けるうちにすっかり丈夫になり、今では雨を降らせるまでになりました。この感動を誰かと共有したいものですが、周りには血に飢えた脳筋しかいません。
「だっこ」
小さな羽根でぱたぱたと飛んでくるので、手を広げます。
かわいい声をあげるルイトベルトさんを抱きしめて、その上から羽根で包んで、雨で冷えるといけないので、治癒術もかけます。
「あみ。クーにあみ。あげる」
「はい、ありがとうございます」
もしも天使族的美少年コンテストがあったら、間違いなくこの子が最優秀賞でしょう。
儚げな美貌、青銀の髪に真っ白な肌、透き通った水色の瞳、なにより穏やかで人懐っこい性格。
完璧です。天使。天使族じゃなくて、天使。
その外見と関係があるのかはわかりませんが、彼は水の魔法をよく使います。ときたま雷をおとしたり、風を吹かせたりしているけれど、ほとんどは水です。
こんなに幼いのに上手に術をつかいます。きっと才能があるのです。この子はたぶん天才です。
治癒術をかけていると、彼の瞼が落ち、うっとりと眠ってしまいました。
彼にとって治癒術は第二の食事のようなものなのです。よしよしいっぱいあげるからね。
寝顔も最強にかわいいなぁ。
今日もあの人の骨を抱いて眠る
ひんやりした白い骨に、覚えているかぎりのあの人の笑顔を思い浮かべた
笑い声
優しい手
優しい力
あの人と見た夕暮れの空の夕闇に、紺の髪が溶けていって、あの人が微笑みかけてくれたこと。
あの人の柔らかい腕と羽根に包まれながら、声をかけてもらって目覚めたこと。
この世の何より美しいあの人は、塵のように捨てられたこの身を慈しみ、身を削るようにして生かしてくれた。あの人はいつも温かかった。
あの人の骨を抱いているだけで、この地獄の中でほんの少しだけ救われる。
でもふと、思った。
あの人の骨なのに、どうしてこんなにつめたいんだろう。