お父さんのほろ苦い×××
お父さん×バレンタイン企画
「お父さん。明日は×××ですから、必ずうちに寄ってくださいね」
エアターラはある日、末の娘にそう告げられた。
「義理ですけどやっぱりお渡ししたいですから」
エアターラは末の娘がなにか熱心に作っていたことを知っていたので、おそらくオゾウニが食べられるのだろうとふんで、翌日の早朝、娘の柱を訪れた。
一人静まり返った神殿に入っていく。
以前一族が集まっていた部屋に足を踏み入れたが、誰の姿もなく、オゾウニも見当たらない。
別の部屋に行くべきかとエアターラが思案していると、天使族の気配が近づいてきた。
「あれ…おじいちゃん、どうしたんですか」
白い生き物だった。
寝ぼけたような顔で長い布をひきずり、眼をこすりながら近づいてくる。
白い生き物に入口をふさがれたエアターラは、急遽窓から脱出した。
充分に飛行して距離をかせぎ、追って来ていないことを確認してから空中で静止する。危なかった。
あの場所にいたならば白い生き物と会話をする必要にせまられたかもしれない。やはり娘の居所には、三番目が到着するのを待って踏み込むのがよさそうだ。
エアターラはその有り余る魔力を用いて上空で静止し続け、そしていつしか天に太陽が昇った。
遠目に三番目の息子が降下していったのを確認し、素知らぬ顔で息子のそばへと着地した。
「あれ、あんたも?」
三番目が問いかけてくるが無視する。エアターラは白い生き物の動きに神経をとがらせていた。
「イコおじさん、おじいちゃん。こんにちは」
案の定、部屋に入ると白い生き物がよってきたが、三番目の周囲を鳥のようにぐるぐるまわり、まとわりついている。
これならば大丈夫そうだと、エアターラは人知れず安堵した。三番目から距離さえとれば問題ない。
白い生き物が視線をむけてきた際には、エアターラは咄嗟に逆方向をむいた。
「おじさん、僕今日の朝、おじいちゃんがこの部屋に立ってる夢をみました」
「へぇ。それでお前に会った親父は?」
「すごい速さでそこの窓から出ていかれました」
「はははっ! まんまじゃねぇか。本物だったんじゃねぇの」
「なんだかそんな気もするんです」
エアターラは室を見回したが、娘はいない。オゾウニもない。
帰ろうかと思った刹那、近くで攻撃的な魔力が膨れ上がった。
回廊のむこう、銀の髪の男が歩いてくる。
そして男は、明らかに殺気立っていた――なにがあった?
もとより男が狂っていることは承知だが、今ここにいる男は極限まで飢えた獣のようだ。
しばらく睨み合った後、男が口をひらく。
「いいですか? 今日クロティラが渡すものを、絶対に受け取らないでください」
男の言葉が理解できず、エアターラは眉をよせた。三番目も怪訝そうに口元を歪め、男にむき直る。
「はぁ?」
対する銀髪の男は、瞳孔が完全にひらいていた。
「絶対に受け取るな。全て僕のものだ」
男の言葉に三番目が舌打ちを返す。
「…なに言ってんだお前」
銀髪の男は無言のまま羽根を広げ臨戦態勢に入った。
…間違いない。銀髪の男はオゾウニを独占するつもりだ。
エアターラは魔力を練り上げながらも冷静に勝機を探る。銀髪の男は頭こそおかしいが、その魔力の量と獰猛さは並はずれている。殺せるか?
「お父さん、心がせま…」
白い生き物が三番目の影からなにか言いかけたところで、男の狂った気配が急速に薄らいだ。ついで末の娘が現れる。
「あれ…みんな立ってどうしたんです?」
末娘は長い髪を紐でしばり、その細い首筋をさらしていた。魔力もほとんど感じられず、相変わらず今にも死にそうな弱さだ。
「どーせとーさんだよ」
末娘とともに現れた金髪の子供は、左手に黒髪の子供ひきずっており、腕をつかまれた黒い子供はぴくりとも動かない。
そして逆の手にはなにか黒い塊を持っていて、それをばりばりと噛み砕いている。
エアターラは子供が咀嚼する黒いものを注視した。なんだあれは。
三番目が、足にしがみついていた白い生き物をはがしながら娘に告げる。
「クロティラ、ガキの躾けはしっかりしとけよ。いつまでたっても危なくて仕方ねぇ」
「え、レイリアが危ないことをしたんですか?」
「そっちじゃねぇよ」
「僕じゃないです…」
白い生き物が小さく呟き羽根をたらした。末娘は首をかしげながらその頭を二、三度撫で、かたわらの男を見上げる。
「ルイトベルトさん?」
銀の男は気味の悪い表情を娘にむける。
「うん、×××の説明をしてたんだ。素敵な習慣だねって」
「そう? ありがとう」
末娘は腑に落ちない様子で腕に持った籠に手を入れたが、その手を銀の男がおさえた。
「クロティラ……×××は素敵だけど……僕は強欲だから、全部欲しいんだ」
「そ、そんなにチョコレートが好きだったんですか?」
「うん。大好き」
「甘党だったんですね」
末娘は納得したように頷いているが、男の眼は末娘の肌とその奥の肉しか見ていない。
「でもオトウサンとイコ兄さんはそうじゃないかもしれないよ」
その言葉に末娘は少し考えるそぶりを見せた。
「そう言えば…お父さん、かなり甘いですけど食べられますか?」
娘が差し出したのは、手のひらにのるような小さな包みだった。青い木の葉の上から細い紐がかけられ、中になにかが入っている。
末娘がなにか続けて言っていたが、エアターラの頭は一つの事柄に占められていた。
これは、オゾウニではない。
エアターラとて伊達に二百余年を生きているわけではなかった。鬱陶しい殺気を送ってくる男がこれを受け取らせまいとしているのは理解していたし、引くべき時も知っている。これがオゾウニでないならば命を賭して奪い合う必要もなかった。
エアターラは青い包みを一瞥して、男の方へ放り投げた。
「やる」
それは放物線を描きながら部屋を横ぎって、銀の男の手に納まる。
小さな呟きが部屋に落ちた。
「え?」
娘がエアターラを見て、そして銀髪の男を見た。
娘はもう一度エアターラを見てから、男の手の中にあるものに視線を移した。
「え?」
娘は今度は、震える指で訝しむエアターラを差し、そしてその指を銀の男にむける。
「ええっ?」
その時の娘の顔を、エアターラは忘れられなかった。
驚愕と混乱と、そしてなぜか悲哀のにじんだ眼をエアターラにむけた娘は、よろめきながら部屋を出て行く。
「ク、クロティラ……?」
呆然とその後姿を見送った銀髪の男は、弾かれたように突如叫びだした。
「――クロティラ、クロティラクロティラ!!」
あれほど執着していた包みを放り出し、銀髪の男はおぼつかない足どりで部屋からとび出した。
男の叫びがしだいに小さくなり、部屋に沈黙が訪れる。
意味がわからない。
三番目の息子が、首をひねって白い生き物に問うている。
「なぁ、これはどういう意味なんだ?」
白い生き物は首をふるだけだった。
「………僕の口からはとても……」
エアターラは竜に遭遇したときをも上回る――ひどく嫌な感じがした。
エアターラが答えを探すように周囲を見回すと、娘が二番目に生んだ金髪の子供と眼が合った。子供は口を動かしながらエアターラに告げる。
「うまいよ?」
やはりあの黒い物体は食物であるらしい。
エアターラは包みを拾い上げ、紙を破ると中の黒い物体を取り出した。
半分をかじる。
オゾウニのように、それは恐ろしい効果を舌に及ぼした。花の蜜や果実を数十倍にしたような強烈な刺激だ。
嫌いではない。
だが、舌に少しの苦みを感じた。