お父さんの初めての×××
まさかのお正月企画×お父さん
「お父さん、明日は×××ですから、必ずうちに来てくださいね」
エアターラはある日、知らぬ間に人間に変わっていた末の娘にそう告げられた。
「×××は家族で過ごす日ですから」
末の娘はそう言ったが、エアターラは興味がなかったので娘の居所へは行かなかった。
×××という言葉もきいたことがなかったのですぐに忘れた。
しかし翌日、末の娘の柱の上を偶然通りがかったために運悪く娘に呼びとめられ、強引に連れこまれてしまった。
久々に足を踏み入れた娘の住処は彼の記憶の中と大きく乖離していて、瓦礫が散らばっていた床は輝き、崩れていた壁も修復されている。娘に先導され入った部屋には青いラグが敷かれ、その中央に巨大な卓がある。
卓の周りをエアターラも見知った血族が囲んでいた。
なんだこれは?
エアターラは入口で棒立ちとなったが、とりあえず座ればいいのだろうかと一歩を踏み出してみた。
「おじいちゃん」
三番目の息子の隣にいる白い生き物が手をふってきたので、エアターラは慎重に距離をとって、最も遠い位置へと腰を下ろした。
「おい、お前あれの膝にのってみろ。いけ」
「でもなんか僕怖がられてません?」
よくあの不可思議な生き物と会話ができるものだと、エアターラは三番目の息子を半ば感心しながら眺める。エアターラは触るのも遠慮したかった。
白い生き物と眼が合わないよう視線をそらした先に、奇妙な髪色の子供が座っていた。その顔は末の娘を犯して卵を産ませた男に瓜二つである。
エアターラの不明瞭な記憶によると末の娘の長男であるその子供は、微動だにせずじっと半眼で卓の中心を見ている。前に置かれた深皿からは湯気が立ち昇っていたが、手をつける様子もなくただ静かに座していた。
変な髪の色だという以外に感想はない。
逆隣を見ると、末娘の次男が何か汁のようなものを二本の細い棒を使って食べている。
その子供はエアターラが見ていることに気づくと、口の中のものを嚥下して言った。
「どーも」
そしてまた何かの汁をすすりだす――…あれはなんだ?
そもそも熱した食物など天使族は口にしないのだが、子供は高温の汁を当然のように口に入れている。
奇妙に思っていると末の娘が近づいてきて、その汁が入った器をエアターラの前に置いた。
「お父さん遅くなってごめんなさい。熱いから気をつけてくださいね。あ、お匙使えます?」
エアターラは眉をひそめた。
なんだこれは?
汁の中になにか食物らしきものがいくつも沈んでいる。いやこの白いものは食物なのか?……ただ、匂いはよかった。
エアターラは渡された深皿を前にしばらく動きを止めていたが、ついに平たい木の棒を手にとり、隣の子供をまねてゆっくりと口をつける。
どう言っていいのかわからなかった…――だがそれは恐ろしい効果を舌に及ぼした。
「これはなんだ?」
娘が三番目の息子の前にそれを置きながら答える。
「え? お雑煮です。そうですね、こっちふうに言うならスープですね。本当はもう少ししてから食べるんですけど」
エアターラはあまり容量の大きくない頭へ「オゾウニ」を刻み込んだ。
無言で飲みこみ、汁をすする。さらに熱い汁をすすった。
これではすぐに無くなってしまうと思った。
「お口に合いました? 料理をするときはいつもそうなんですけど、道具も材料もないのでルイトベルトさんと下に買いに行くんですよ」
娘の話の中に銀の髪の男が登場したので、エアターラは耳を疑った。三番目の息子も驚愕の面持ちで末を見ている。
「え、嘘だろ。ガキが人間に混ざったらただの虐殺だろ。羽根どうしたんだよ」
「イコ兄さん、子供の前でそういう冗談はやめてくださいね。羽根をたたんで上からローブを着たらなにか荷物を背負ってると思われるみたいです」
「へぇ…人間のコインはどうしたんだ?」
「エルタの実がとってもいいお値段で売れるんです。エルタは高い場所にしか実らないから、下では珍しい果物なんですよ」
「ふーん…それで人間のふりな」
前触れもなく白い生き物が卓上に手をついて声を出したため、エアターラは若干身を引いた。
「おじさん僕も。僕も行きます」
「お前いたら目立つからイヤだ」
三番目の息子が渋面で切って捨てたのを見て、末の娘が笑う。
「イコ兄さんもすごく目立つと思いますよ」
「なんでもいいですけど僕らにはついてこないでくださいね」
出た。
銀の髪の男だ。いつの間にか入口に立っていた。
末の娘が拾ったときは成体まで育たないと思われた脆弱な個体だったが、今では王族を靴底で踏みにじるような化物となった。
エアターラにとって白い生き物以上に理解できないのがこの男だ。
何を考えて行動しているのか全くわからない。今も何故、娘の腰を抱いているのか判然としなかった。その男はエアターラに眼をむけふらりと近づいてくる。
「オトウサン、僕とはお久しぶりですね」
男の言葉に嫌悪感で羽根が逆立った。
「まさかいらっしゃるとは思いませんでした。またクロティラに会いにきたんですか?」
「……」
無言でいると、銀の男は口の端を歪めて哂う。
「まぁ、ごゆっくりどうぞ」
卓のむこうから三番目が笑いながら声を上げた。
「おい、それに皮肉は通じねぇよ」
「イコ兄さんもわかっているなら遠慮してくださいよ」
「俺はわざとだ」
そして男はまたふらりとクロティラのそばに戻っていった。結局何が言いたかったのか不明瞭なままだ。
「かあさん、おかわり」
隣から上がったその言葉にエアターラははっとした。
まさか次を要求できるのか?
目の前で金髪の子供のカラの器が娘の手に渡される。もし可能ならばエアターラもそうしたかったが、しかし方法がわからない……奪いとるべきか?
逡巡していると、末の娘が何かに気づいたようにふりかえって微笑んだ。
「お父さんもおかわりはいかがですか」
エアターラは無言で器を差し出した。
娘が銀の男と共に室から消えた後、エアターラはさりげなく隣を観察する。
気になっていたのだが、黒い子供はいつまでたっても器に手をつける様子がない。相変わらず半眼で前を見据えている……食べる気がないなら奪いとってもいいのでは?
さらに少しの間をおいてからエアターラは気づいた。
これは――――寝ているのだ。
「……」
完全に意表を突かれ、エアターラはまじまじと黒い子供を見つめる。剣を刺してみることを思いついたときに、外で巨大な魔力が動く気配がした。
ゴーン…
……なんだこれは?
さらに膨大な魔力が動き、鈍い音はなり続ける。
室の外の回廊から、かすかに銀の男の声がきこえてきた。
「クロティ―、こ――でいいの?―れをあとひゃく――い鳴らせば、いい――でしょう?」
「は―、あり―とうご――ます」
音は一定の間隔を置いて鳴り続ける。意味がわからない。
三番目の息子も首をひねって、白い生き物にむかって問うている。
「…なぁ。なんだこれ」
「この音はですね、煩悩を打ち払うために鳴らすんですって」
「ぼんのーってなんだ?」
「お父さんを形作るものです」
「ふーん」
よくわからなかったが、エアターラはそれならば銀の男が消えればいいと思った。鳴らしているのがあの男である以上そうはならないだろうが。
戻ってきた娘が、あのいい匂いがする汁が並々と注がれた器を目の前に置いた。
「はい、お父さんおまたせしました」
「……ああ」
エアターラは×××が割と気に入ったので、明日も×××でいいと思った。