アイの手記 雨のち曇り
そもそも、人格が一つとかいう話が無理なものだったんだと思います。
人間は場面によって性格が変わると思うのです、そしてそれは決して異常ではないと思います。よく考えてください。例えば、ネットです。現実の友人と話すときの人間と、ネットのSNS等で知り合った人と話すときの自分、すべて一致する人はいるのでしょうか。いえ、いないでしょう。中にはいるかもしれません。しかしその人でさえ、友人や家族、全く知らない人、その関わったすべての人間に、なにも変わりなく接する人はいるのでしょうか。
友人の前では明るく気立てがいい、でも家族を前にすると途端に苛立ちを人にぶつけてしまう、そんな人はざらにいるのではないでしょうか。中学時代の私もその傾向がありました。私には年上の従姉妹がいますが、彼女がニコニコ笑いながら「性格悪くなってきたねえ、アイ」と私を客観的に分析したためにこのような考えが身に付きました。思えばあの時の従姉妹もそこそこ性格が悪かったと思います。
私のような誰かなどたくさんいるのです。
ちょっと怖いのは、その誰かはそのことに気づいていないときです。
無知ほど愚かしいものはない。
ミイコが何かの本に影響されたのかそんなことを言っていました。彼女がよく読む本がライトノベルが多いので、もしかしたらその言葉は、ちょっとカッコいいキャラがそれを言ったかもしれませんね。
でも的を得ていると私は思います。
馬鹿が蔓延れば理解しあえません。
だから教育というものがあります。
おっと、なんだか説教のような、へんな学術論文のようなものになってしまいましたね。
では、とりあえずあの後のことをきちんとまとめていこうと思います。
雨が上がった翌日のことです。
雷が鳴るほどの荒れ模様で、しかも風も強かったので、各所に雨が降りこんでいました。学校は窓を完全に閉めきっていたからいいものの、下足箱は屋根が一枚敷いただけの簡素な建物にあったので、入れ物は無事なようですが床が水浸しでした。
学校から下足に関する指定はあまり厳しくなく、水たまりの心配もあったので靴底の厚いものを履いていました。正解でした。こんなところで上履きと履き替えたら上履きのほうが被害に遭うのは目に見えていましたので、上履きを取って、持ってきたビニール袋に下足を入れ、安全なところで履き替えることにしました。なに、濡れなければいいのです。それに下足を校舎に持ち運んではいけないなどという校則はありません。
不愉快な思いはすることはありませんでしたが、ちょっと驚いたことがあります。
以前書いたことなのですが、所謂昔のクラスのリーダー的女子のことですが、彼女の下足箱がなんと、わざとらしく水浸しになっていました。現在彼女を学校で見ることはほとんどなくなりました。今日も学校に来ているか怪しいです。彼女の指定された下足箱は段の一番下なので振り込んだ雨水のせいかとも思いましたが、両隣の下足箱は何の変哲もない限り、故意にやったことは目に見えています。憶測ですが、近くに掃除用具入れがあるので、そこからバケツをとり、水を彼女の下足箱目がけてぶっかけたのでしょう。
なんてことでしょうか。
典型的ないじめ現場のように見えます。直接的でないにしろ、悪意は目に見えています。
彼女に悪意のあった者の仕業なのでしょうか。
茫然としていると、足元にバケツが置いてあるのに気付きました。中にはまだ少量の水が残っていました。あのバケツで靴箱に水をぶっかけたのだと容易に予測できました。
それにしても故意な行動だったんだと思います。
これを見て見ぬふりをした、と思って、なんとなくきまりが悪くなって、まだ誰もいないことをいいことに、不自然が無いように、まるで雨が降りこんでこうなってしまったのだという状況を作るために、私はバケツに水を汲みました。
その後のことはご想像に、なんて。
だりいな、やってらんね。
男の子が使いそうな言葉を、河合理那はまた言っていました。
時間は、そうですね、昼休みでしょうか。
前述したと思いますが、私はちょうど女特有の生理現象が起きています。共学の高校でのこういった事情は、女子でも知られるのは気恥ずかしい感じがします。後に知り合った女子校出身の方は大してこういうのは気にしない、むしろ人前で生理用品を誰かに手渡すこともしていたといいます。すべての女性が私のようではないとは思いますが、それにしてもデリカシーとか恥じらいとかないのでしょうか。私は恥ずかしさでトイレの場所すら気にします。なので、昼休みはめったに人が通らない廊下沿いにあるトイレを使用することが多いです。
入ろうと廊下を歩いていると、廊下に響いたのが、男口調の声だったのです。
恐る恐る近寄ると、洗面台にいたのは河合理那だったのです。
また表情がコロコロ変わります。
先日、河合理那が二重人格であることが判明しました。あの時はあのまますぐに河合理那が立ち去ったので、深いことは聞けませんでした。
しかし、よく考えてみたら、よく私はあのとき無事でいたものです。
憶測ですし後から知ったことですが、河合理那のもう一人のほうは、言動ばかりでなく行動も乱暴です。暴力行為を振られるかもしれなかったのです。よく無事でいられたのもでした。
河合理那は、一人芝居のように体を振り乱したりしていました。はっきり言って奇妙この上ない行為です。
だから私ははっきり言ったのです。
「それもっと静かにできないの」と。
河合理那はすぐに振り返り、私を見つけ驚きました。
先日と同様の気持ちだったのかもしれません。私が、彼女の秘密を知ってしまったときのと、同じ顔でした。
「どうして」
目の前にいる河合理那はそう言っていたと思います。しかしすぐ態度が変わりました。
「どうしてもなにも、しゃあねえよな。そりゃあ気になるだろ」
河合理那は恍惚とした表情を浮かべて言ったのです。
「昨日てめえが言った通り、河合理那は二重人格さ。表裏をつけるなら、アタシが裏で、あのビビりが表ってわけさ」
知りたいとも言ってないのになぜこんなにベラベラと話しているのか、と疑問に思いました。それからの会話は、すみません、もう過去のことなので詳しいことは覚えていません。断片的にですが、当時の彼女の喋り方を思い出し、少し誇張した表現を使いながらも、再現しようと思います。意味は特にありません。ただ、思い出を語るにあたり、少し気分が高揚しているからなのだと思います。だから誇張したくもなるのです。
「どうよ、この性格の変わり様は。ははっ、てめえも目から鱗だったろ。なんせ、あの、ビビりで、人の顔色伺いながら生きるしかない、頭の可哀そうな、馬鹿な女が、こおんな口悪いアマになってんだからよ」
そうそう、こんなセリフです。
品がないにもほどがあります。
「ま、こっちのほうが気が楽だけどなあ。なんであんな、媚び諂うようなキーキーした音で話さんといかんのだか」
気持ち悪い、と彼女は悪態をついていたのを覚えています。
そしてすぐに、
「ちょ、ちょっと、何勝手に話しているの!? 挟間さん、ちがうの、こんなの私じゃなくて、えっと、違うの!」
と河合理那は否定しました。指摘されてから気づきましたが、たしかに女子の中でも高い声です。わたしの地声は低めのようで、カラオケに行っても男性の歌う曲を難なく歌えます。女子らしくて高い声の人はうらやましい気もしますが、違うのですかね。
「っるせえなビビり。お前もっとよく考えろよ、このあほ」
「あほってなによ!?」
「あほはあほだろ」
「あほあほ言わないでよ!」
一人二役とは大変ですよね。見てて滑稽でした。
でも品がないほうの河合理那は分かっているようでした。
「大体、二重人格者相手に動じないこの女もおかしいだろ」
それから二つの人格は大人しくなりました。
一人は説きふせ、もう一人は反論できず、といった感じでしょうかね。
私はちょっと笑っていました。
たしかに、おかしかったですよね。
私は言いました。
「×××(ボールペンで黒く塗りつぶされている)で慣れた」
そう言うと彼女は目を大きく開きました。驚いたのでしょう。私もやり返してしまったというわけです。最低なやり方ですけれど。
「同類がいるってのかよ」
難儀だな。それも彼女の言っていた言葉だったと思います。
「あなただけだと思ったの」
私はそう言いました。
「そういうのにあったことのない奴にとって、世界はちいせえんだよ」
自分のことを言っているにしては、自虐的な言葉です。
私は彼女の目を見ました。
秒単位で表情が変わる中、彼女の目は揺れていました。
「別に誰かに言ったりしない」
河合理那の本当が何であれ、私には関係なく、私の考えていたことを彼女に言いました。
「私はあなたにさして興味があるわけでもない。だから、もし誰かに言っても私に何かメリットがあるわけじゃないし、それに本当のことだったとしても二重人格だとかいう話を誰かが信じると思う?」
私は正論を言ったのだ、このときそう思いましたし、今でもそう思っています。
ただ心痛まることにはなりました。
酷いよ、と河合理那は泣いていたのです。
私は元来涙というものが苦手です。悲しいという感情なのか、それとも演技なのか、という疑問が出てくるからです。女優でも泣こうと思えば悲しくなくても泣けます。演出上のことであれば人間泣けるものなのです。だから河合理那の涙の意味をくみ取る作業を必要となった状況が非常に不味いことでした。
そもそも、河合理那の『どちら』が泣いているのかすら疑わしい。
「私に何を求めているかなんて知らないし興味ない。けど、私から言えることは一つ」
泣いている彼女をよそに、私は非情だったかもしれませんでしたが、言い切りました。
「このままで終わると思わないことよ」
二重人格というものが精神病か何かであるのはともかく、私にその時いえた言葉はそれだけでした。このまま人格が二つで一つの体を支配し続ける、そんなことが続くとは思いませんでした。
彼女の人格が二重であることは分かりましたが、それでも本質的に彼女が見えるかと言えば違います。何が言いたいかというと、このまま彼女が私に危害を加えないことは断言できないのです。私は少し怖かった。
それでも言い残せられる言葉は、こうした忠告だけでした。
「アイは根本的に優しいよね」
ミイコはお弁当の卵焼きを美味しそうに食べていました。ミイコのお弁当は彼女の母が作るのですが、かなり料理好きなようで、卵焼き一つでもチーズやカニカマをいれたりするなどの工夫がされており、とてもおいしそうに見えました。分厚い卵を箸で一口大にわけるのが彼女の食べ方です。
「なんでそう思うの?」
その時、ミイコが食べていた、チーズとネギとハムを混ぜた厚焼きの卵焼きのレシピを教えてもらい私がえたく気に入ったため、ミイコが卵焼きを食べていたのは覚えていましたが、私が食べていたものは思い出せません。
「河合理那を今気にかけてるでしょ」
「そう見えるの?」
「あんたがどうでもいい子を朝からチラチラ見ているわけないじゃない」
ミイコの観察眼は鋭いです。私の動向を全て察知できます、とは言いすぎですが、それでも私の変調に気づくのが早いです。
「あの子が可笑しいってやっぱり思ってるでしょ」
ええ、可笑しいですね。今でもそう思います。あの時の彼女は、深く考えれば可笑しかったと。
そしてそれに気づくミイコもまた可笑しかったですよ。
それを言わない私も十分可笑しかったですがね。
私は優しくなどないのです。
ここでもう一人、私の友人的存在であった男を紹介しましょう。
不慈衛存です。読みにくい感じですね。これで「不慈衛」で「ふじもり」と読みます。「存」はそのまま「そん」です。ソンとここでは書きます。
ソンは所謂熱血タイプというのでしょうか、曲がったことが大嫌いな人でした。何事にも必死に打ち込み正当な結果を出す、それが彼でした。人一倍周囲に気を配る優しさも持っていました。それを鬱陶しがる、調子に乗った生徒もいましたが、それは一部であり、優しいソンはクラスでは正当な評価を得ていました。
ソンはミイコと幼馴染で、ミイコは彼を鬱陶しがっていましたがよく一緒にいました。きっと話が合うのでしょう。通っている学習塾が同じだったという理由もあるかもしれませんが。
そんなソンがある日ミイコに言ったそうです。
「河合理那ってクラスメイトだよな? 塾のクラスが一緒なんだが、昨日来ていなくてさ。しかもその前も来てなかったから心配になってきた」
ミイコは塾が河合理那と同じことは知っていましたがクラスまでは知らなかったそうです。しかしソンと同じということは、少しばかり厳しいクラスにいたと言っています。塾は3段階にクラス分けされており、ソンは2段階目にいました。上のクラスに行かせたがる先生はすごく多く宿題を出すし遅刻欠席に非常に厳しい一面を持つと聞きました。そんな中河合理那は何度かたまに無断で休むそうです。以前はなかったようですが、その時期はなんだか多かったようです。
その話は後から知りましたが、その時期の河合理那のことは私も耳にはさんでいました。というのも、実は河合理那のことが少し気になっていたためかたまに人気のないトイレまで行って探したことがありました。そのときにもう一人の人格と話していたという場面に出くわすことは少なくなかったのです。
所謂表の人格と裏の人格の河合理那はうまくやれているようでした。男っ気のある河合理那の意見を大人しい河合理那がひたすら依存して頼りまくって幸福感に浸っているようにしか見えなかったですが。
ばかばかしかったので呼び止めたことはありませんでしたが。
そして放課後、駅に隣接しているショッピングモールや駅に近いカラオケ店に寄る河合理那の目撃は多くなりました。
今までの河合理那からしたら考えられない行動だったように見えました。
でもミイコは言いましたがね。
「解放されようとしたらああなるのは自然だよ」
一体何から解放されたがっていたのか、このことが終わった今でも、私はつかみ切れていないように思います。