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道化師は笛を吹く CHAPTER9 「野良猫は踊る」

この物語は【箱庭でかく語りき】本編のストーリーとは一切関係ありません。

【箱庭でかく語りき】の登場人物である「鷲谷悦郎」が製作している

ゲームシナリオがこちらになります。

 アリシアは自身のベッドの上で仰向けになったまま

ディックが言った言葉の意味や、

これまで自分が関わってきた事件の事について考えを巡らせていた。

いつしか陽は傾き、空を紅に染め始めていた。

窓から入ってくる太陽の光の色ではっとなる。

彼女はずっとベッドに横たわり何をしていたのか、

答えはとどのつまり落ち込んでいたのである。


 己の甘さを恥、己の身勝手さに辟易し、己の兄に対する依存度に驚いていた。

少しでも甘い事を考えた瞬間、

幻聴のようにディックの言葉が聞こえてくるような気さえしていた。

それほどディックの言い放った言葉は、

アリシアにとって心に深く突き刺さるものだった。


「……ディックさんが言っていた事は正しい、それは分かってる。」


 アリシアは自分に言い聞かせるように呟いた。

百人中百人が、あの状況を他人として客観的に見ていたら

間違いなくセリオが犯人なのでは疑いの目を向けるだろう。

だがアリシアは、あの状況下にもかかわらず

可能性の話だとは言えども兄を犯人だと考えることは出来なかった。

だからディックは言ったのだ、調査員の資格はない、と。


「ダメだね私は……調査員失格だよ……

 でもあそこで私が認めてたら兄さんは……。

 だけど……あの資料は……。」


 自己否定、そして自己肯定の繰り返し。

いい加減、いじけて落ち込んでいるのにも飽きてきたところだった。

冷静になって改めて考えを纏めたアリシアが出した結論。

それはやはりディックに協力することだった。


 ふとベッドの隣に置いてある本棚の上に目をやる。

そこには写真立てが置かれてあり、

アリシアの大切な人達の在りし日の姿を焼き付けている。

両親の写真、兄と自分が写っている写真。

どの写真も楽しそうに笑っているものばかりで、

自分はこうやって笑っていたんだ、と気づかされる。

物心がつく前とはいえ、両親の声や姿はしっかりと覚えていた。


「……(銀の弾丸か。)」


 ディックが帰ったすぐ後、分析班から連絡があり、

薄く銀色で滅金されたフルメタルジャケット弾だと判った。

しばらくした後、分析班の人間が彼女の部屋を訪れ、

分析は終わったが重要な物証になるかもしれないから保管しておくよう伝えていた。

例のメモと一緒にグレッグから手渡されたものなのだから、

ただの銀の弾丸だと考えるのはアリシアには難しい注文だった。


 アリシアは弾丸を手に取りまじまじと見つめる。

弾丸径は9mm、支給品のハンドガンで使用可能なパラベラム弾だ。

分析班も言っていたが、薄く銀色で滅金されたもので、

通常使用する分には問題なく使えるだろうとのことだった。

銀の弾丸の意味、それはある物事に対する特効薬や切り札である。

そしてもう一つは、魔を払うお守りとして側面もある。


 アリシアは銀の弾丸を無造作にジャケットのポケットへ放り込み、

手際よく外出の準備を始めた。

少し遅くなってしまったが、

今からでも調査室へ行ってディック達の作業を手伝いくらいは出来るはずである。

そこで兄が犯人でない証拠を見つけることが出来れば、

疑いを晴らすことなど容易いことだ、アリシアはそう考えていた。

だが――。


「……(とにかく調査室へ行こう、ディックさんがまだいるはずだし。)」


 アリシアが部屋のドアにカギを掛けた瞬間、

今までに聞いたことのない強烈な爆発音と衝撃が発生した。

耳をつんざくような高音、そしてその後に腹の底で響き渡る重低音。

音の数秒後に威力を伴った衝撃波が街を襲う。


「な、なに!? 何の音!?」


 薄い窓ガラスは連動するように割れ落ち、近くの家の犬や猫達もざわめいていた。

街の人間達は作業の手を止め、恐怖と動揺が入り交じった不安の視線を発生源へ向けていた。

時刻は太陽と月が入り交じる逢魔が時。

古来より昼と夜の境界線が曖昧になり、生の世界と死の世界を繋ぐ橋がかかる、

魑魅魍魎が跋扈する妖しき時刻。

普段よりも妖しげな空気が街を覆っていた。

アリシアは事の真相を確かめるべく、

調査室へ向かうはずだった足を向け直し力の限り走った。


********


 同刻、調査室にて。

 ディックは調査室員の力を借りて、

アリシアの部屋から持ち帰った“被害者リスト”をベースに事件を一から洗い直していた。

発生した時刻、被害者同士の関連性、

それこそ一度は確認して無関係と判断した要素も含め全てである。

ディックは調査室員達にこの資料を見せた時、

セリオが犯人である可能性が高い事を明言している。

無論、その発言に対して幾人から強烈な反論をもらったわけだが、

現場を取り仕切るグレッグ室長の助言もあり、

多少ギスギスした空気ながらも分析を開始したわけである。


「ったくエンリカのやつ、連絡一つ寄越さねぇでどこほっつき歩いてやがる。

 お嬢ちゃんと一緒行ったサーカス団はどうだったんだよ!」

「まあまあ、取り敢えず一服しよう。」


 ディックは湯気が立ち昇るコーヒーメーカーに手を伸ばし、

手近にあったマグカップに取り上げる。

もしかしたら誰かのものかもしれないが、

使っていないならば問題はないだろうとディックはコーヒーを注ぎながら自己弁護していた。


「あぁ~ったく全然わかんねぇ、

 どういう基準であの被害者リストは作られてんだ?」

「それを分析・解読するのが仕事さ。」

「ちくしょう、頭痛くなってきやがった。」


 ディックとマルティンは調査室の休憩室でコーヒーをちびちびやりながら愚痴っていた。

ディックの協力要請に真っ先に手を挙げたのはマルティンだった。

立場的にアリシアや犯人と疑われているセリオに近い人間でもある。

彼にしてみれば部下の疑いを晴らす為だったのだろう。

マルティンは胸のポケットに手をやり、忍ばせていた煙草の箱を取り出す。


「煙草は?」

「いや、俺はやらねぇ。

 マルティンのおっさんすまねぇな。」


 そうかい、とマルティンは呟くと煙草をポケットに戻した。

ヘビースモーカーではないようだが、

吸いたいときは我慢をしなくてもいいのによ、とディックは思っていた。


 グレッグもマルティンの捜査協力の申し出は予想の範囲内だったようで、

専用部屋を一室設けてくれた。

その様子を見ていた数人の調査委員達もいつしか自然と手伝うようになり、

分析を始めた頃のギクシャクとした重苦しい雰囲気は既に無くなっていた。


「アリシアお嬢ちゃんの兄さん、随分と人気があったんだねぇ。

 俺があの発言をした時、

 ほぼ全員から“ふざけんなよ”みたいなオーラを見た気がしたぜ……。」

「まあなぁ、アンタももう知っていると思うがあの兄妹には両親がいなくてな。

 グレッグは育ての親、いやそれは言い過ぎか。

 まあ親戚のオジさんみたいなもんだ。

 グレッグがここに室長をやっていることもあって、

 小さい時からここに遊びに来ていたから、面倒を見てきた連中も多い。」


 マルティンの話に興味を持ったディックは、

もう少し詳しい話が聞けないかと思った。

よく考えればリストを洗っても、もしそれが被害者リストだと判っても、

セリオが犯行を行った動機を決定づける証拠にはならないからだ。


「へぇ、室長とファレル兄妹はそんな関係だったのかい?」

「グレッグと亡くなったファレル夫妻は友人だった。

 夫妻の亡き後、保険金とかで揉めている親族から助けたのはグレッグだと聞いたな。」

「人に歴史在りか。

 結局、その保険金問題は解決したのかい?」

「ああ、幼い兄妹に背負わせるにはあまりに多額だったし管理者が必要だったからな。

 兄妹の親族達は兄妹を引き取ると言っていたみたいだが、

 結局はあれこれ難癖つけて保険金を欲しがっただけって話だ。」

「酷ぇ話だが、このご時世ない話じゃない。

 それも兄妹二人じゃなくてどちらか一人とか、そんなオチなんだろう?

 まあ、身寄りのないガキ一人預かるなんて話、

 保険金が無くちゃ親族でも簡単には出てこないさ。」

「ああ、まさにその通りでな。

 セリオはアリシアと離れるのは嫌だとガンとして受け入れなくてな。

 仲裁に当たっていたグレッグは兄妹の意見を重視してな、

 保険金の半分以上を当時流行病で大変だった街の医療関係に寄付したのさ。

 残りはずっと銀行へ預けっぱなしじゃないのかな。」

「寄付……ワクチン代になったってわけか。」


 流行病の具体的な規模までは分からないが、

ワクチン代を医療機関だけでは賄えない状態だったのは事実のようだ。

多方面から様々な形での支援があり、

それについての感謝文が載っていた記事も残っている。

ディックは役所で調べた記録を思い出して納得していた。


「その話を聞く限りじゃ、セリオ……つかあの兄妹は影の救世主じゃないか。

 当時のメディアがどう報道したかは分からんが、

 俺が見たり聞いたりした情報をつなぎ合わせりゃそうなる。」

「まあ、警察や調査局、医療関係者の間での認識はその通りだな。

 だが、いくらメディアでどうこう言ってもゴシップ好きな民衆と、

 拗れた人間関係はどうにも出来ん。」

「……と言うと?」

「セリオやアリシアから直接聞いたわけじゃ無いが、

 最初の一年くらいは周辺住民やゴシップ記事を鵜呑みにした人達から

 心ない言葉を掛けられたり、差別にも似た反応をされたようだ。」

「……その割には随分素直に育ったもんだな、あのお嬢ちゃんは。」

「あの子は、アリシアは強い。

 だから俺達も兄妹のことを信じているんだ。」

「そうかい、ほんじゃあ俺もちったぁ信じてみてるかね。」


 言葉とは裏腹にディックはセリオ犯人説を強めた。

セリオが過去に、そう流行病が起こったあの15年前に、

人々から受けた非道や暴言をずっと胸に秘め、

憎悪の炎を燻らせていたのなら、それは動機となり得る。

ただ犯行の手段がサッパリだった。

状況証拠で考えればセリオが第一容疑者であるが、

立証するには犯行手段の誰もが納得出来る解が求められるだろう。

さてと、ディックはまた頭を悩ませるのだった。

眉間にシワを寄せる警察でもなければ、しがない私立探偵でもないというのにと。


「ふはは、まぁそういうことだな、さて続きを始めるよう。

 さっき足を使える連中からも手伝いの申し出があった。

 フットワークが軽いのはウチのいいところだ。」


 ディックとマルティンが仕事に戻ろうとした瞬間、

窓の外に目を向けるといつの間にか夕闇ではなく、

暗黒と呼んでも差し支えない程の空が広がっていた。

そして爆発音と数秒後の衝撃波。

防弾仕様に強化されていた窓は割れずに済んだが、

衝撃波の震動は下手な地震よりも規模の大きさを感じられた。

あまりの異常さにディック達は窓を開け放った。

何人かは外に出たようである。


「なんだったんだ今の、

 爆発音っぽい音がしたワリにはどこにも火の手は上がってねぇようだし。

 それにあの衝撃波は一体!?」

「さあな、わからんがとにかく状況把握が必要だ。」


 いつの間にかディックの隣にグレッグが立っていた。

隣にいたはずのマルティンは、散乱した資料を片付けている。

ディックはグレッグを見ないまま口を開く。


「嫌な予感しかしねぇな。

 室長さんよ、どう思う?」

「最悪な予感しかしねぇよ。」

「室長! 報告です!

 現時点で判明している事だけですが、

 電灯や電算機と言った電器関連が一切使えません。

 また緊急時に使用可能である電話も使用不可の状態です!」

「分かった、至急動ける局員を集め街の状況確認を急げ。

 事態が読めん、全員に銃の携帯及び最大レベルの警戒を行うよう伝達しろ。

 数人は残って調査室の復旧作業に移る。」

「はっ!」


 暑いのか寒いのか、今の季節は春なのか秋なのか。

肌で感じ取れる感覚が、思った以上に薄れている事にディックは気づいた。


「まるで異世界に来てしまったような、そんな空気だな。

 情報屋よ、どう思う。」

「気持ち悪いねぇ、なんだいこりゃ。

 世界の終末(ラグナロク)を告げる鐘の音は聞こえなかったんだがね。」


 一瞬、ディックの脳裏にアリシアの顔が過ぎる。


「……ったく、なんだってんだ。」

「情報屋、アリシアが心配だ。

 アリシアの様子を見に行ってくれないか?」


 思わず目を見開いてディックはグレッグを見つめていた。

自分の考えを読まれているように感じたからだ。

ディックはぼさぼさになっていた頭を掻きながら応えた。


「……了解だぜ、ちっとばかりお嬢ちゃんと言い合いをした後で

 ほんのすこーし気まずかったりするが、俺は大人だ、なんでもないぜ?」

「……言い合いをしたのか、ま、原因は大体察しはつくがね。」

「ほんじゃまあ、とっとと様子を見てくるぜ。」


 雲一つない空、星が一つも瞬かない空。暗黒に支配された街、

電器がまだ発明されていなかった頃の夜はこうだったのだろうか、

ディックは異常事態の街を見ながらふと思っていた。

街の住民の姿は全く見えない。

この事態に恐怖し、家の中に閉じこもっているのだろうか。

それにしては気配そのものを感じないような。

メインストリートを走るディックの足音だけが目立って響き渡っていた。

こんな雰囲気の中、道の曲がり角から車でも走ってきたら終わりだなと考えていたが、

これまで一度も車が走っている姿を見ていないことから、それはないなと思い直した。

アリシアのアパルトメントは調査室から遠くはない、

ディックは最短距離でアリシアのアパルトメントへ向かっていた。

だが、急いている時こそ邪魔者ありである。


「俺はいつからメルヘンの世界に紛れこんでたんだぁ……?」


 ディックはそう言い放つと懐に忍ばせていたハンドガンを取りだし構える。

オートマチック式ハンドガンで装填弾丸数は15+1発、

情報屋を始めた頃から使い出した拳銃でディックの愛銃と言えるだろう。

銃の構えた先に現われたのは、今まで見たことも無い異形の影。

煙のように現われ、全身はどういう物質かは不明だが漆黒に覆われている。

どこが顔でどこが手なのか分からない、

ただ分かるのは味方ではないだろうと言うこと。

そう、ディックからすれば化物以外何者でもないからだ。


「…………ギィ…………!」


 取り敢えず反射的に銃を構えたのはいいが、この化物に弾丸は効くのだろうか。

実証するよりも早く漆黒の化物はディックに標的を定める。

いつの間にか腕部と思われる箇所を鋭利な槍状に変質させていた。

化物は槍状に変質させた腕部を振り回し、

武器の効果について疑問を拭いきれないディックへ襲いかかる。


「ちぃっ! あぶねぇっ!」


 寸でのタイミングで何とか身体を捻り刺突を回避し串刺しを免れる。

ディックは回避動作に合わせてほぼゼロ距離で発砲した。

渇いた音が数発響き渡る。

薬莢が地面に落ち、弾丸は漆黒の化物の身体を貫通する事に成功。

風穴が開いた化物の身動きが止まった後、漆黒の化物の身体は四散した。


「はぁ……はぁ……こいつが効いてなによりだったぜ

 ……急いだ方が良さそうだな。」


********


 アリシアは何か誘われるように、

まるで爆発音がした場所を初めから判っていたかのように、

真っ直ぐに歩を進めていた。

歩きなれた道であるはずなのだが、

周囲の雰囲気が違いすぎて何度かアリシアはここはどこだ、と自問していた。

そんな問答を幾度か終えた後、目的地に到着したのだった。


 アエル中央広場、時間的には”道化師の夜”の公演中のはずである。

だが観衆の歓声はおろか、サーカス団の動物達の鳴き声も街の雑踏すら、

数時間前までにはあった何もかもが消えていた。

周囲に展開されていた露店にも人はおらず、

ここ中央広場の一帯だけ他の地域よりも雰囲気が異なっている。

言うなれば波打つ水面の中で、

何故か一部分のみ静寂を保っている凪のような状態。

それほどに違和感があった。


「ここ本当にアエル……なの?」


 アリシアもまたディック達と同様、街の変化に驚いていた。

幸いにもアリシアは道中、異形の化物とは遭遇しなかったようで傷一つなかった。

念の為、携帯しているハンドガンには数発の残弾があるのみ。

この時ばかりは、射撃苦手のアリシアも弾丸の補充をしなかった事を後悔していた。


「……(あの影たちがいる)」


 アリシアは感じ取っていた。

全身の毛が逆立つような悪寒、耳障りな高周波の音。

中央広場に入ってからずっとだった。

三回目にもなると慣れてくるのか、

何時ぞやのように地面にへたり込むことは無かったが、

落ち着きっぷりとは別に両膝はがくがくと勝手に震えていた。

アリシアは身震いを押さえ込みながらサーカス団の天幕へと入っていたのだった。


********


 一方その頃、

ディックは汗だくになりながらアリシアのアパルトメント前に来ていた。

右手に持っているハンドガンの残弾数はゼロ、

左手には普段あまり使うことのない刃物が握られている。

戦闘用に製造されたダガーの一種だろうか、

通常の物より幾分か刃の部分が長いようである。

どうやらここに辿り着くまで何度か遭遇戦を繰り広げてきたのだろう。

ディックは服の中に隠し持っていた最後のマガジンを取り出し、

手際よくリロード作業を行う。


 ディックは準備を整えるとアパルトメントの階段を勢い良く駆け上がり、

部屋前に立つとこれまた勢い良くドアをノックしアリシアの名を叫ぶ。

だが、応答は無くしんと静まりかえったままだった。

それどころからアパルトメントに人の気配そのものを感じられず、

現状の異様さを際立たせている。


「……ふぅ……マジで人っ子一人の気配すらねぇな、

 心配して来てみりゃ(もぬけ)の殻かよ。

 お嬢ちゃん、どこへ行ったんだ?」


 ディックはふとエンリカの事を思い出し連絡を試みるも、

案の定、携帯は使用不能となっていた。

そう言えば今日は午前中から姿どころか報告一つ聞いていないな、と思っていた。

だが普段から神出鬼没だったエンリカである。

急に飯時に現われたと思ったら、いつの間にか消えており、

外で買い出しをしていたらいつの間にか横に立っているような存在だった。


「まあ、便りがねぇのは無事な証拠ってな。

 とにかく今はお嬢ちゃんの行方だ。」


 アパルトメントから出て、ふとディックは空を見上げる。


「星の見えない空ってのは、陰気で気持ち悪いなぁ……

 まるで俺の故郷みたいで反吐が出そうだぜ。

 この美しいアエルをこんな風にしちまったのは、お前等が原因か?」


 ディックはそう言いながらハンドガンの安全装置を外し、

左手に持っている刃物を構える。

現われたのは2体の異形の化物。

1体は四つ足の獣のような風体、

もう1体は蛇のような姿で手足と思われる部位は無かった。

無論、全身漆黒に覆われている。

異形の化物は様々な姿形をしているようで、

人間型・動物型・昆虫型と多種多様だった。

ただし対応はどれも同じ。

身動きを封じてから強烈な物理攻撃を至近距離で叩き込む、

ディックはこれまでこうやって凌いできたのだった。

ディックは鼻で笑うと同時にハンドガンの引き金を引く。

弾丸は2発、化物の身体中心目がけて発射される。

だが、正面から放たれた弾丸は化物達にあっさりと回避されてしまう。


「ゼロ距離以外で当たる気しねぇな、やっぱ。」


 無駄撃ちのつもりはないようで、ディックはその行動を読んでいた。

回避動作から復帰途中だった手足の無い蛇のような化物へ一気に駆け寄ると、

勢いをそのままに踏みつけ(ストンピング)で壁に激突させる。

コンクリート製の壁だったのにもかかわらず豪快な激突音が響き渡り、

一時的ではあるが化物の身動きを封じることに成功した。

そしてゼロ距離からの間を置かず連射、蛇の化物はあっさりと四散した。


 刹那、四つ足の化物がディック目がけて飛び掛かる。

決して油断していたわけではないのだが、予測を超えた四つ足の化物の速度に、

ディックの反射が僅かに間に合わなかった。

猛然たる勢いで体当たりを受け豪快に吹き飛び、

数メートル離れた煉瓦の壁に背中から激突する。

煉瓦は音を立てて崩れ、大量の埃を巻き起こした。


「……――っつ、煉瓦で助かったぜ……。」


 瓦礫の中でディックは呟いた。

どうやら気を失わない程度のダメージで済んだようである。


「……(あと、こいつのお陰だな。)」


 ディックの左手の刃物、それはただの武器ではない。

左手にある刃物の名は”マインゴーシュ”と呼ばれる特殊な武器である。

利き手でない側の手に持ち、

相手の攻撃の受け流す為の盾に設計思想が近い武器である。

ディックはそのマインゴーシュで辛うじて直撃を避けることが出来たのである。

ただ、勢いを殺すことは出来ず背中からは血が滲み出していた。


 まだ気配はある。

ディックは早々に立ち上がると、

襟を正して埃の煙幕の中へ飛び込み奇襲を仕掛けることにした。

これまでの戦闘経験から化物達は視覚や気配で相手を察知しているのではなく、

音で判断しているとディックは推察していた。

今なら姿は完全に消せている、音を際立たせるにはいい機会といえる。

ディックはマインゴーシュを仕舞うと転がっている煉瓦を拾い上げ上空へ投げる。

数秒の後、煉瓦は地面に落下、落下音が辺りに響き渡った。


 ディックの予想通り、四つ足の化物は落下音がした地点にすぐさま現われた。

だがそこにはもちろんディックの姿は無い。

目標の不在で四つ足の化物に一瞬の隙が生じる。

彼は四つ足の化物の背後に回ると、

サッカーボールを蹴るように右足で思い切り蹴り上げた。

ほんの僅か、四つ足の化物の身体が浮き上がり、地面との接点が途切れた。

すぐさま右足を降ろし、かかと落としの要領で地面に力強く踏みつけた。

あとはトドメとばかりにゼロ距離で鉛弾を叩き込んだのだった。


「ちっ! 化物どもがっ!」


 ふぅーっと大きく深呼吸をし呼吸を整える。


「あとで調査室に経費請求だなぁ……嬢ちゃん捜索依頼ってことで。」


 残ったのは瓦礫の山と疲弊し傷を負った男が一人。

手持ちの武装や身体の疲労や傷具合から、一時後退し出直すべきである。

だが、ディックの直感がその判断を全力で否定していた。

目的はアリシアの保護であって、突然現われた異形の化物達の討伐ではない。

ディックは戦闘を避けつつアリシアを捜すことにしたのだった。


続く

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