道化師は笛を吹く CHAPTER7 「可能性の表裏」
この物語は【箱庭でかく語りき】本編のストーリーとは一切関係ありません。
【箱庭でかく語りき】の登場人物である「鷲谷悦郎」が製作している
ゲームシナリオがこちらになります。どうやってハクスラにしたんでしょう。
アリシアは深い眠りの中で懐かしい夢を見ていた。
それは遠い記憶、それはかつて見ていた光景、それは在りし日の思い出だった。
その夢には健在だった父親と母親の姿、そして幼き日の兄の姿もあった。
アリシアは自分を探る、幼い自分は母親に髪を結ってもらっているところだった。
髪の毛が繊細で柔らかい髪質の為、
寝起きはそれもう凄いことになっていたからである。
母親も同様だったようで、微笑みながら優しくアリシアの髪を梳かしてくれていた。
『もう、髪質まで私に似ているんだから。
ほら、アリシア動かないで。』
『ぐしゃぐしゃー。』
『アリシアもお母さんみたいに短くしてみる? 似合うわよ~。』
アリシアは遠くで父親と一緒に何か話している兄・セリオの姿を追っていた。
いつも兄について後ろを歩いていた。
今にして思えば、
当時の自分の所業については迷惑極まりないものだったと反省ばかりである。
『やー、お兄ちゃんが今のほうが似合うって言ってたから、
このままでいいー。』
『あらあら、そうなの?』
セリオもアリシアと母親の会話に気づいたのか、言葉を挟む。
『まあね。
よく見てよ母さん、ほら今の方がアリシアっぽいだろう?』
『言われてみればそうね、今のほうがアリシアっぽいかな。』
優しく微笑んでくれた母親の眼差しは、
物覚えがつく前の事だったとはいえしっかりと覚えている。
アリシアは少々厳しくも兄と平等に愛してくれた父親の大きな手、
そしてその手で頭を撫でてくれた事、
朧気ながらも記憶に残る両親の暖かさを思い出していた。
だが、その記憶も15年前のあの日を境に途切れている。
両親はアエルで開業医をしており、15年前の悪夢こと、
流行病の発症の影響で連日押し寄せる患者の対応に追われていた。
疲労困憊具合は幼かったセリオとアリシアにも理解できた。
母親が疲労で倒れたと聞いたのは一度や二度ではない。
ワクチンが足りない、今までの処置では助からない、
など時折訪れる白い衣服を着た人間達と
激しい議論を交しているのを二人は知っていた。
『じゃあ行ってくるよ、セリオ、アリシアを頼むぞ。
父さんと母さんは明日まで帰れない、
しっかりと戸締まりをして寝るんだよ。いいね。』
『……ご飯は冷蔵庫に入れてあるから、レンジで温めて食べてね。』
『父さん、母さん、……その、気をつけて。』
『いってらっしゃーい。』
翌日になっても両親は帰ってこなかった。
セリオは泣きじゃくるアリシアをあやしながら連絡を待っていた。
そして翌々日の朝、両親の帰りを待ち続け一睡もしていなかったセリオの元に、
両親の知人でセリオとアリシアとも面識のある男が二人の家に現れた。
男は申し訳なそうな口調で、目を真っ赤に腫らしていた。
普段見慣れた姿よりも年老いて見えた、とセリオは後に語っていた。
『すまない、セリオ・アリシア……
俺はお前達の両親を……大事な友人を救えなかった……。』
男とは、後の調査室長グレッグその人である。
「――お父さん、お母さん!
……兄さん……ねぇどうして?
どうしてミンナいなくなっちゃったの……。」
気がつくとアリシアは病院のベッドの上で、涙を流しながら横たわっていた。
ぼーっとした頭でしばらく天井を見つめる。
カチッカチッ、壁掛け時計の秒針の音がいやに耳に障る。
久しぶりに見たあの日の夢、
決して良い夢ではないがアリシアにとっては両親の姿を見ることが出来る夢でもあった。
アリシアは、両手で涙を拭いしばらく置かれている状況の把握に努めた。
ストリートのど真ん中で倒れ込んだ事を思い出し、
壁掛け時計に目をやり、今現在の日にちと時間を確かめる。
我に返りはっとなって飛び起きベッドから降りようと地面に足が着いた瞬間、
がくっと膝の力が抜けていく。
どうやらまだ体力が戻っていないらしい。
「おいおいアリシア、まだふらついているじゃないか。
しばらく横になっていろ。」
「し、室長っ!?」
「ノックはしたんだがな、中に入るぞ。」
声のする方を見やると、調査室長のグレッグが心配そうな顔でアリシアを見ていた。
手にはフルーツの詰め合わせを持っている。
大方、調査室からの差し入れだろう。
「ったく心配させやがって。
病院に運び込まれたって連絡を受けた時は驚いたぞ。」
「す、すみません。 急に目眩と悪寒が……。」
「幸い、発見が早くて簡単な処置で済んだが……
明日にも退院していいそうだから、
今日くらいはゆっくり看護士さんに甘えてのんびりしてろ。」
「は、はぁ、しかしまだ報告書もなにもあげていませんし。」
「バカ野郎、休めるときはしっかりと休め。
くそ真面目なのがお前の取り柄なのは分かっているが限度ってもんがある。
辛いときは無理をするな……他の連中だっているんだから頼ってやれ。」
「ありがとうございます、室長。」
グレッグはベッドの近くにあった椅子に腰掛け一息つく。
「そういや例の情報屋、なんつったけっか……ああ、ディックか。
野郎、うちの事務所に来てお前宛に伝言を残していきやがった。
確か“確認したいことがあるから、家にいろ”だと。」
「家に?
連絡先知っているのに伝言ですか。」
「ああ、家ってーのはお前んところだろう。
第一被害者と思われるセリオの家でもあるしな。」
「そう……ですね、分かりました。」
グレッグは持ってきた差し入れからリンゴを取り出し、
懐に忍ばせていたフルーツナイフで丁寧に皮を剥いてくれた。
アリシアはリンゴを受け取ると、ひょいと口に頬張る。
まさか一口で食べてしまうとは予想していなかったのか、
グレッグは“それでも年頃の娘か”とツッコミの声をあげていた。
「つ、つい、昔を思い出して……。」
「ま、まぁいい。」
こほんと咳を一つ。グレッグは残りのリンゴの皮を剥きながら言葉を続けた。
「報告については今口頭で俺に言ってくれればいい。
正式な書類はマルティンあたりに言って作成してもらうといい。
やつもセリオの件があって、何か手伝えることはないかと終始言っているからな。」
「はい、有り難う御座います。」
グレッグの言われるとおり、
アリシアは今日の出来事を出来るだけ簡潔にまとめて報告した。
真面目な性格が幸いしてか、あるいは調査員としての本能か。
調査結果の情報が自身のメモ帳にはびっしりと事細かに記録されていた為、
報告書の中身について彼女の中で既に出来上がっていたのだ。
グレッグはアリシアの報告を真剣に聞き、
報告の内容について二・三質問した。
アリシアの報告要項まとめ能力もなかなかだが、
グレッグの上司としての器も大したものである。
伊達にクセのある調査員連中を纏め上げているわけではない。
「さてと、俺はそろそろ戻るが……
いいかアリシア、今日はしっかりと休むんだぞ!」
「分かってますってば!
もう、室長、私はもう子どもじゃないんですよ、
自分の体調くらい弁えています。」
「ああ、そうだったな……。」
グレッグは念を押して部屋を後にした。
たまに自分を子ども扱いするグレッグに、
アリシアはよく抗議の声をあげていた。
グレッグにしてみれば姪子のような存在だと以前言っていたが、
その通りのようである。
また、アリシアにとっても最も信頼の置ける大人の一人であり、
今では唯一心を許せる人物なのかもしれない。
********
翌日、無事退院することができたアリシアは、
ディックの伝言通り自宅に戻り彼の来訪を待つことにした。
十中八九、事件について何かしらの進展があったのだろうとの想像は容易だった。
テレビを点けると呑気な旅行番組が放送されていた。
時間は午前十一時丁度、
昼食を取りたいと思ったが買い置きはなく材料となる食材も底を尽いていた。
買い物に行きたいところだが、ディックとすれ違う可能性もあった為、
アリシアは自室のソファーに座り悩んでいた。
―― ピィィン、ピィィン
独特の甲高い音で奏でられる呼び出しベル、
ドアの覗き穴から確認するとディックが真剣な表情で立っていた。
アリシアはドアノブに手を掛け開けようとしたが反射的に手が止まった。
そして、まるでパブロフの犬よろしくで周囲の警戒を強める。
ディック以外の人影はなく、
ディック自身も以前に見た時と同じ雰囲気を醸し出していた。
アリシアは小声で“今、開けます”と呟いた。
見知った顔・見知らぬ顔問わず、
アリシアしか居ないときはいきなりドアを開けてはいけない。
セリオが以前、口酸っぱくアリシアに言っていた言葉だった。
もちろんそれはセリオ自身も含まれる。
「よ、アリシアお嬢ちゃん元気そうでなによりだ。
病院に運び込まれたって聞いていたからちっとばかり心配したぜ。」
「過労だと言われました、はははっ。」
「まあ、しゃーねぇっちゃしゃーねぇわな。
ふむ……。
大方、ここ数日ロクに休まず根詰めすぎて体調バランスが崩れてっところだろうよ。」
「ま、まるで見ていたかのような言い種ですね。」
「エンリカからも聞いてたしなぁ。
それにアンタのそのクソ真面目な性格と、
今までのやり方を聞く限りじゃ、いずれそうなるかもなと推理しただけさ。」
ぐうの音も出ないアリシアだった。
取り敢えず玄関先で話す事でもないとのことでディックを招き入れる事にした。
「あ、お茶とかはいらねぇぜ。
のんびりと談笑しに来たわけじゃねぇしな。」
「は、はぁ……そう言えばエンリカさんは今日いないんですね。」
「エンリカ?
そういやそうだな、ってなんだよその目はっ!
別に俺とアイツはいつも一緒にいるわけじゃねぇよっ!」
数日前の展開が再び、軽蔑と呆れが混じった視線がディックに突き刺さる。
ただし以前とはまた違ったニュアンスのようだが。
「彼女、ディックさんの弟子と公言していましたが……?」
「だから弟子でも何でもねぇよ、ただの気まぐれ・暇潰しだろうさ。」
「そうなんですか?
何者なんですか彼女、まだ出会って間もない私が言うのもなんですが、
何というか不思議な感性の持ち主ですよね。どこか達観したかのような……。」
「俺だって情報屋の端くれだ、
一度エンリカの素性を調べたことはあったが、
アイツが“外国人もしくは外国人とのハーフ”である
可能性があるってことしか分からなかった。」
「言われてみれば確かにそんな雰囲気もありますね。」
「アイツの赤みがかった髪はちぃーとばかり特異でな、
優性(顕性)遺伝ってわかるか?」
「ええ、遺伝子の中でも発現しやすい遺伝子ってことですよね?
メンデルの法則の。」
「ああ、簡単に言っちまえばそうだが。
アイツの髪の赤みはな、とある民族以外では
一切発現が認められない固有種みたいなもんなんだ。」
「染めたとかはないんですか?」
「もちろん、その可能性は否定出来ない。
以前に一度聞いたときには“純正品です”とか抜かしていたから、
アイツの言葉を信じるならばって話だ。」
ディックは懐から自身愛用のメモ帳を取り出し、
市長公舎の資料室から拝借してきた新聞も一緒に広げる。
一体どこに資料を隠し持っていたのかという具合に、
次から次へテーブルの上に広げた。
「っと脱線してしまった。エンリカの事は今はイイ。
こいつを見てほしいんだ。」
「その資料は? 随分と古い新聞みたいですが。」
「ああ、15年前の地元新聞社の記事だ。
ココを見て欲しい、ファレル医師の記事だ。」
アリシアはディックに言われるがまま新聞に目を落とす。
文章を目で追っていくうちに冷や汗がにじみ出しているのを感じていた。
記事に書かれていた内容は、町医者であるファレル夫妻が服毒自殺をしたというもの。
幼い子ども達に多額の保険金を残しており、
子ども達の処遇が心配されている内容だった。
「……ファレルってのは、アリシアお嬢ちゃんと同じ苗字だろ?
万が一と思って確認しておこうと思ってな。」
「確かに両親は医者でしたし、
この記事のファレル夫妻とは私の両親のことだと思います。
時期も合致しますので、両親に間違いないでしょう。
ですがディックさん、私のお父さんとお母さんは“自殺”したんですか?」
「……え? 違うのかい?」
「私は兄さんに“誰かに殺された”と聞かされていました。」
沈黙が支配する。
当時の新聞記事を信じるならば、服毒が主因による自殺なのだろう。
だが、アリシアの認識は異なっていた。
自殺と他殺では、話が大きく違ってくる。
ディックは少し混乱の色が見えるアリシアに、
悪いと思いながらも質問を続けることにした。
「ではアリシアお嬢ちゃんはずっと
ご両親は誰かに殺された、と思っていたんだな。」
「……え、ええ。
兄も室長も同じように言っていたので、
特に疑いもなくそう思っていました。」
「なるほどねぇ、それで調査員に?」
「私は単にお世話になった人達へ何かしらの恩返しがしたかっただけです。
それにもう15年も前の事です、
水に流すことは出来ませんが怒りの感情はもうありません。
兄は両親を殺害した犯人を捕まえたい、と言って調査員になったみたいですが。」
「お兄さんは犯人を捕まえた後、復讐でもするつもりだったのかねぇ?」
「さぁ、そこまでは……。
そういう事を口外するような人じゃありませんから。」
「わかった、有り難う。おかげで少しだけ真実に近づけた気がするぜ。」
「……私はやっぱり混乱しています。」
「そりゃそうだろう、
信じていた事実と周知されていた事実が違ったんだからな。」
「……(兄さん……私、分からないよ。
お父さんとお母さんは自殺したの?)」
しばらくの沈黙。アリシアはすくっとソファーから立ち上がると、
何か冷たい飲み物を持ってきますね、とだけ言ってキッチンへ向かった。
ディックはお構いなくとだけ身振りで返すと難しい顔をして状況整理に励んでいた。
バタンッ!
突如、どこかで何か重い物体が落ちる音がした。
思わずびくっと肩をふるわせるアリシア。
そして直後、急な目眩と高周波の音に襲われた気がした。
思わず用意していた麦茶を入れたポットを床に落としてしまった。
落下音の正体が気になったのか、取り敢えず落下音を鳴った方へ向かう。
ディックも同様に気になっていたようで落下音が鳴ったと思われる部屋の前に来ていた。
「ここ、お兄さんの――セリオの部屋だろう?」
「はい、兄さんが失踪してから一度も開けていなかったんですが……。」
「誰もいないはずの部屋で物音か。
窓から入ってきた風の悪戯か、タイミング悪く空気読めない泥棒の犯行か。」
「開けますよ!」
アリシアが調査員仕込みのドア開け法で勢いをつけて中に入るも、
そこには窓は閉められ風一つ入ってこない密室が待っていた。
几帳面だった兄の性格がはっきりと出た部屋だった、
綺麗に片付けられた部屋、
ジャケットやスーツはクローゼットの中に纏められ、
作業机の上にはパソコンが一台あるだけだった。
言ってしまえば生活臭のしない部屋、
だがそこには確かにセリオがいた証でもあった。
アリシアの様子を見ていたディックは、気を利かせて窓際を見に行ったようである。
窓が開いた痕跡はなく窓をスライドさせるレールの上に埃がたまっていたと告げた。
二人が床を見渡すと、本棚の側で音の正体が転がっていた。
「兄さんの捜査ファイル?
ああ、この棚から落ちたんだ……。」
「みたいだな、なんの捜査ファイルだ?
タイムスタンプは一年前になっているな。」
捜査ファイルと思われる資料を開くと、
そこには数十名分の人名とその人物の住所が記載されたリストが纏められていた。
ページ毎にその人物の家族構成・出生日・職業など事細かに記されていた。
何か重要事件のプロファイリングリストなのだろうか。
「数十人分の個人情報か……ディックさん、リビングに戻りましょう。
主がいない部屋にずっといるのはたとえ家族の私でも失礼だと思いますし。」
「ちょいと待ちな。
そのファイルのリストに記載されている人名をよく見てみな。」
ディックに言われるがままぱらぱらとページをめくる。
そこに見知った顔が載っていた。それも最近見た顔だ。
アリシアは慌てて次々とページをめくる。
「……これはっ!?」
「ああ、俺もここ数日失踪事件に関わっていなかったら、
たぶん気づかなかっただろうな。」
「どうしてこんなリストを兄さんが……。」
そのリストには、これまで失踪したと報告されている被害者の名前が載っていた。
アリシアの記憶にない名前もいくつかあったが、
ディックの調査結果と一致していた為、
このファイルを重要参考資料の“被害者リスト”ではないかと推定した。
「一体何がどうなっているの……?
こんなものがどうして兄さんの部屋に。」
「……はっきりとした事は言えねぇが、
こいつは俺達が欲していた解決への糸口、紛う事なき手掛かりだ。
本当に被害者リストなのかはまだ何とも言えねぇが、
偶然の一致にしちゃ出来すぎているし時間の問題だろう。」
「そう、ですね。」
俯いたまま空返事をするアリシア。
あまりの衝撃ゆえか、放心気味になっていた。
「おいおい、お嬢ちゃんがそんなんでどうするよ。
やっと事件解決へ事態が進展したんだぜ?
これからが本番なんだ、調査室の連中にも連絡しとかねぇとな。」
「……分かっています。」
煮えきれないアリシアの表情と返答にディックは少し苛ついていた。
彼女の性格を推し量るに事件解決の手掛かりを得たら、
速攻で行動に移すとディックは考えていただけで尚更である。
「アンタの気持ちも分からなくはないがな、
こいつはアンタだけの事件じゃねぇんだよ。
俺の知り合いだって消えちまってる、アエルの住民の何人が消えたと思ってんだ?」
「……はい、知っています。」
「結果としてセリオ・ファレルの生存の可能性は高まった。
その点だけは喜んでいいんだぜ?」
アリシアはもう少し正義感が強く、意志の強い人間だと買いかぶっていた、
とディックは過大評価していた自分に辟易していた。
目の前にいる人間は、感情だけで動いているただの子どもだ。
身体つきが大人びていても知識が豊富でも、
自分の感情をコントロールする術を持たない未熟な子どもだったのだ、
と思っていた。
ひと間置いて、ディックはアリシアの肩を掴み真剣な表情で言葉を続けた。
小さくアリシアが“痛いです”と言ったが、
ディックの耳には届いていなかった。
「もう分かっていると思うが敢えて言うぜ。
この状況により、セリオ・ファレルが犯人である可能性が
かなり高くなっている。
第一被害者という点からも今にして思えば真っ黒に見えるぜ。」
「兄さんは……犯人ではありません、証拠がないじゃないですか!」
「ああ、そうだな、犯人である証拠はないが、犯人でない証拠もねぇよな。
重なり合った可能性ってやつだ、こいつはアンタんところの信条だろ?」
アリシアはまだ顔を上げない。
少し身体を震わせていた。
怒りなのか、悲しみなのか、それとも別の何か。
そんなアリシアの様子を傍目にディックは続ける。
「俺はよ、結構アンタの事を買ってるんだぜ?
若いワリにしっかりしてるし、
アンタの目には何かしっかりとした芯が一本通っているようだった。
――だが、そいつは俺の見間違い、幻想だったみてぇだな。
今のアンタには何も見えねぇ、
俺にはただの兄さん大好きな我がまま妹ちゃんにしか見えねぇよ。」
「……。」
「いつまでもそうしていろ。
真実を求める調査員たる資格は今のアンタにはねぇ。
部屋の隅でぐすぐすしているがいいさ、
アリシアお嬢ちゃんにはお似合いだよ。」
ディックは例のファイルを手に取ると部屋から出て行った、
否、ドアのところで立ち止まり振り返りもせずアリシアに言い放った。
「俺はこいつを手掛かりに捜査を続ける。
これだけ纏まった資料は初めてなんだ、
突っつけば重要な情報も何かしら出てくるだろう。
分析結果については調査室の連中と共有しといてやるよ、
一応まだ協力体制は取っているからな。」
ディックが出て行った後もアリシアは、
一言も口を開かず兄の部屋で立ち尽くしていた。
アリシアもまたディックと同じように考えてしまったのである。
最愛の兄が今回の事件の犯人かもしれない、と。
ホンの一瞬でも脳内によぎってしまった事実に、
アリシアは悲しみを堪えるので精一杯だった。
「兄さん、会いたいよ……どこにいるの?」
続く




