第四十二話 新たなる世界へ
日向は疑問符顔の面々の前に進み出て、
こちらへどうぞとソファーとテーブルと椅子が並ぶスペースへ案内した。
星一朗、恵玲奈、泪の三人は本条親子の
微笑ましいやり取りを余所に椅子へ腰を降ろす。
三人が椅子へ座ったことを確認した日向は、
ペコリと一礼し三人の労いの言葉を口にしたのだった。
「今回はお忙しい中、社長の依頼を受けてくださり有り難う御座いました。
後日、正式な書類でのレポート提出を
お願いさせて頂く予定では居りますので、
それまでお付き合いくださいませ。」
「日向さん、めっちゃ仕事モードっすね。
礼なんていいですよ、だって俺達が好きでやったことだし、
それに楽しかったし。」
「だよねー。」
黒瀬兄妹は柔やかな笑顔で日向に返答した。
恵玲奈の隣に座っていた泪は一人憮然とした表情を浮かべていた。
彼女の目は聞きたい事が山とあるのだけれど、と語っている。
日向も泪の視線に気づいていたようで、
泪の方を見やるとほんの少しだけ目を細めた。
「真野様の疑問、私に答えられる範囲であればお応えしますよ?」
「あら、お察しがいいのですね。」
「誰だってそんな顔してたら、
何か言いたいことがあんだろーなくらい分かるっつの。」
泪は肩を竦める。
泪は日向へ向き直ると今まで疑問に思っていた事を捲し立てたのだった。
星一朗や恵玲奈も黙って聞いていたが、
兄妹も同じような事を疑問に思っていたのだろう。
遠くでその様子をチラチラと見ていたセシルは、
あたしも聞きたいですと言って環に加わってきた。
「今すぐにでも聞きたい事を言わせて頂くわね。」
「ええ、どうぞ。」
泪はありがとう、と言ってコホンと咳を一つ入れる。
「一つ、”あの世界”は一体どういうことなの?
魔物がいたり、呪文が使えたり、私達自身も強くなっていたり
……まさか”この世界”だって言わないですよね?
一つ、少なくとも私はあの世界で数日の時を過ごしたはずなんだけれど、
どうして私達がゲームに参加してから
一日どころか数時間しか経っていないのかしら?」
日向はちらっと仁衣奈にお仕置きされているエイジを見やる。
どこまで話していいかの確認をしたかったのだろうか。
白目を剥いて仁衣奈に締め上げられている状態では無理なのは明白であるが。
「一つ目の疑問についてお答えしますと、
もちろん”あの世界”は私達のいるこの世界とは別のものです。
映画のVFXやゲームのCGとは違いますよ、
凄く現実感の伴ったものだったと思います。
皆様は、【クラインの壺】をご存知でしょうか。」
「私が知っているのは、表裏の区別を持たない曲面の一種としか……。
デザインの勉強で興味があって調べたんだけれど。」
「ああ、ゲームを題材にしたあのSF小説だろ?」
「ふふふ、どちらも正解ですが、
私が申した【クラインの壺】は小説の方になります。」
泪は何その小説といった顔をして星一朗を見やった。
泪の視線に気づいた星一朗は、少し偉そうに説明を始めた。
星一朗は【クラインの壺】とは、
バーチャルリアリティを題材にした体感ゲーム開発がテーマで、
主人公はその体感ゲームの原作者として関わっていく
ミステリー要素を含んだ物語だと言った。
小説の詳細については、
自分で読んだ方が絶対に面白いと言ってネタバレはしなかったのだった。
「二つ目についてですが、
先に続いて皆様は【胡蝶の夢】をご存知でしょうか。」
「なんだい、随分と小難しい話ばっかりだなぁ。
荘子の説話だろ?蝶の夢を見たけど本当にそれは蝶になった夢を見てたのか、
今の自分は蝶が見ている夢なんじゃないのか、みたいなヤツ。」
「正解です、流石は星一朗様。
今回、皆様に体感して頂いたゲームの根幹は【クラインの壺】と
【胡蝶の夢】をベースにしたシステムを用いております。
これで真野様が疑問に持っていた二点について
説明出来たのでは無いかと思います。」
「ちょっと待ってっ!」
泪はダンっとテーブルを強く叩く。
ぼーっと話を聞いていた恵玲奈はびくっと身体をふるわせる。
泪は厳しい表情を浮かべていた。
怒っているのではない、自身が思い描いていた答えとは
別の意味で違う答えが返ってきて戸惑っている様子だった。
星一朗も柔やかな表情から一変、
欠伸を一つ入れ暇そうな素振りで頬をかいてはいたが、目は一切笑っていない。
いつの間にか星一朗の隣に立っていたセシルも同様に、
今まで見た事がないほど真剣な表情を浮かべていた。
恵玲奈は一人あわあわして、どういうことなのと宣っていた。
「ゲームねぇ。
もうゲームとかいう枠超えてないすか?
言っちまえばオーバーテクノロジーだぜ。」
「えっと……日向さんのお話を総合して推測すると、
”夢を自在に操れる”という結論に至るんですけど……。」
「ねぇ、皆。
ゲームを開始する直前って何したか覚えてる?
どの部屋にいた?
スタッフの人数は?」
泪が突然、星一朗達に向かって質問を飛ばす。
すぐに答えが返ってきそうな質問だったはずだが、
誰として即答できる者は居なかった。
「……俺達はどうやって”あの世界”に行ったんだ?
そして戻ってきた?」
「もう!
もっと早く気づくべきことじゃないの!
はぁ……今頃になって怪しむなんて私も落ちたものだわ……。」
「お父様!」
娘に呼ばれて白目を剥いていたエイジは、はっと我に返る。
傍らでは仁衣奈が怖い顔をしていたが、
エイジが耳打ちで何やら話して仁衣奈を下がらせた。
仁衣奈はセシルに少し席を外すとだけ告げて部屋を出て行った。
エイジは椅子から立ち上がり背伸びをし、軽く柔軟をして身体を解した。
その流れで未だ立ち直っていなかった竜二にも声を掛ける。
竜二は義兄の肩を借りて立ち上がり、フラつきながらソファーへ向かった。
エイジはワザとらしくコツコツと足音を立てながらソファーまで歩いてきた。
エイジはぽんっと日向の肩を叩き言った。
「日向、説明ご苦労。」
「はい社長、では私は仕事へ戻ります。
皆様、失礼致します。」
そう言って日向は一礼した後、部屋を出ていった。
しばしの沈黙、皆は今回の首謀者たる本城エイジの言を待っていた。
今回の件で間接的に関わっていたと目される竜二は、
皆の突き刺さるような視線を受け疲労の色を見せていた。
「どうだったかい? 我が社の最新作のゲームは。
今までに無かった凄いシステムだっただろう?
開発中は”バタフライ”と呼んでいたんだが……
そうだ、デイドリーム・システムとでも呼称を改めようかな。」
デイドリーム、つまりは白昼夢か。
「仰る通り、技術面やインフラ面では素晴らしいものだと感じました。
体感できるゲームでありながら、肉体的なダメージは無い……理想です。
さらにシステム側でデータの修正や第三者の介入も可能、
恐らく日向さんや竜二さんがその役割を担って居られた。
……そうですよね?」
エイジはそうだ、と首を縦に振った。竜二も同様に頷く。
星一朗は今になって一つ理解した。
街の酒場にいたマスターは、見てくれはともかく
変装した竜二さんだったのだと。
そう言えば飲んだコーヒーの味も近いモノだった気がすると。
そんな星一朗の考えはともかく、泪はエイジの問いに対して苛烈に答えていた。
言葉遣いそのものは丁寧だったが、
声の調子や間の取り方に普段との差異が見えている。
言葉の勢いに竜二は気圧されていた。
「言葉とは裏腹に、口調は厳しいものがあるね。
結構結構。」
「先程、娘さんが仰っていましたけれど”夢を自在に操れる”
……この驚異の成果について否定はされないのでしょうか。」
「ノーコメントだ。」
ちょっと!といきり立つ泪を星一朗は手を彼女の前に出して制した。
彼の表情は何を言っても無駄だと言っていた。
キッと睨むように泪はエイジを見た後、ふぅっと深く深呼吸して言葉を返した。
「……今後どうされるおつもりですか?」
「ノーコメントと言いたいところだが、
このままだと娘が口をきいてくれなくなりそうだから、
答えようじゃないか。」
ナイスアシスト・セシル、泪はセシルを見て親指を立てた。
「期待に添えず申し訳ないが、
デイドリームシステムは残念ながら当面凍結する予定さ。
システムの根幹であるメイン・フレームに重大かつ深刻な不具合が見つかってね。
デバッグもさることながら、機器の再設計も必要な状態なのだよ
……はぁぁぁ……また国家予算級のプロジェクトが……ブツブツ……。」
渇いた笑いが起こる。
少なくともこのシステムを使った何かが、
近年のうちに市場に出回るという事は無さそうだと星一朗と泪は安堵していた。
一体どういう経緯で技術的な問題をクリアしたのだろうと興味はあったが、
危険な領域に踏み込みそうで聞く勇気は誰にも無かった。
様々な疑問点はまだまだ氷塊に至っていないが、
体験会の疲れも残っていた事もあり報告は終了となった。
星一朗達テスター一同は、
社長室から出ていくと部屋の外で待機していた日向に案内され
別室へ向かったのだった。
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社長室に残ったエイジと竜二は窓を見ながら、
コーヒーカップ片手に一息入れていた。
コーヒーは竜二が社長室に備え付けられていた
コーヒーメーカーで煎れたものである。
コーヒー豆は独自焙煎だったようで、
手順はエイジから聞いて煎れたようである。
「ふぃ~……あの鋭い意見をバンバン言ってた真野ちゃんだっけ?
彼女は怖いねぇ、若い頃の仁衣奈ちゃんみたいだったよ。」
「言われてみれば確かに。
学生の頃の姉さんを見ているようでしたよ。」
「……しかしテストで動かしてみたはいいが、
やっぱり色々と未熟で危険なシステムだねぇ。
こんな単純なツールでハッキングされるようじゃ商品なんてならないよ。
彼等にはあんな風に誤魔化したけど、
実際正直に話しても良かったんだけどね。
そこは社長としてのプライドかな。」
そう言って、エイジは胸ポケットに忍ばせていた
小さなメモリーカードを取り出す。
形状はごくごく普通の数GB記録できるメモリーカードで、
それをぽんと指で弾いて竜二へ飛ばす。
竜二はそれを無事キャッチする。
「社長自らやることじゃないと思うんですけど……
ところでこのツールどこから手に入れたんですか?」
「なぁに昔私が組んだものだよ。
プログラムをかじったばかりの頃にお遊びでね。」
「なんてもん作ってんですか!」
「ともかくだ、開発陣には私から口酸っぱく言っておくさ。
時間を掛けてもいいから、”新しい世界を創れ”とね。」
「……出資者は無理難題を仰るのが仕事、ですかね。」
「なぁに彼等なら出来るさ。
出来やしないことをやれなんて言うつもりはないし、
そんなものに投資なんて絶対にしないよ。
実用化となるともっと時間が必要だ。
遅々としか進まないのは玉に瑕だが、それも致し方なしさ。」
クリスマスを数日後に控えたこの日、
ひっそりと世界を震撼させる程の巨大なプロジェクトが凍結された。
陽の目を見る日が来るのはいつになるのだろうか、
それは開発陣と神のみぞ知る。
続く!
ゲームソフトの選定は作者個人の独断とプレイ経験で決定しています。
一部偏ってしまう事もありますが、何卒ご了承ください。
※【クラインの壺】は岡嶋二人先生著作の小説です




