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第四話 バグ、そしてバグ、虫は嫌いです!

第四話 バグ、そしてバグ、虫は嫌いです!


 セシルから手渡されたコントローラパッドを握りしめ、

星一朗は皆が見守る中でテストプレイを開始した。

いつの間にか設定されてあったタイトルにBGM、

そしていきなりフィールドマップに放り出されるキャラクター。

どこかレトロゲームを彷彿とさせる味な展開なのだが、

恐らく制作者であるセシルが意図した形ではないのだろう。


 時間的に仕方がないのだが、

【RPGツクール】でオープニングシーンを作るのは大変なのである。

自動イベント設定にしてゲームスイッチをフル動員させ、

簡潔かつ明確にこのゲームの意図を入れ込む必要があるからだ。

その辺りの作業を放棄すれば現状のように、

わけもわからずマップ画面にキャラクターがぽつんと表示されるだけで、

これから何をしたらいいのかプレイヤーに何も伝わらないのである。

この辺りの感覚が実に【RPGツクール】らしくして

妙な安心感を覚える変わったゲーマーもいたりいなかったりするらしい。

どこぞの喫茶店オーナーとか金髪の大学生とは誰も言わないが。


「ごめんなさいっ!

 あの……時間的にオープニングシーンの自動作成は止めました。

 なので、ここから南に行って街を見つけてください。」

「へいへい、っと。」


 物静かなBGMの中、

勇者セシルとその仲間達はフィールドマップを移動する。

ちなみに本作【RPGツクール SUPERDANTE】では、

フィールドマップについてはあらかじめ用意されている

4個の中から選ぶ事になる。

しばらく歩くも敵モンスターとのエンカウントはなく

平穏無事にセシル指定の街へ到着した。


「そういやフィールドでエンカウントしなかったんだけど、そういう仕様?」

「……あ、敵モンスターの出現設定忘れてた……迂闊でした。」

「いわゆる仕様外のバグだね。設定ミス系の。」

「平和でいいんじゃない?」


 ちなみに一般的な商業用ソフトで現状のような状態になったら、

まずバグと疑ってよいだろう。

開発者が意図しない形で処理が行われてしまっている事を、

”バグっている”と言い、

どんなにアレな症状でも開発者が意図していれば

それはバグではないのである。

とどのつまり、“これは仕様です”とは現代の魔法の言葉だろうか。

本来の意味である

プログラミング上の不具合(表記的なものや論理的なもの)とは

若干意味合いが異なるので、

ゲーマーが発するバグという言葉の意味には要注意である。


「ま、まあ、ダンジョンには配置したはずなので大丈夫ですって。

 そ、それより街に入って宝箱の開閉とイベント見ましょうよ!」

「セシルさんって相変わらず動揺してるって分かりやすいなぁ。」


 どうやらバイト先でも同じような事になっているようで、

その様子をよく知っている恵玲奈は珍しく空笑いをしていた。

余談ではあるが、恵玲奈とセシルのバイト先は大手書店の接客で、

残念ながらファミレスのウェイトレスや

ファストフードのレジ打ちではないので、

星一朗が彼女等の制服姿を拝むことはないだろう。

二人は学生と言うこともあり、

ある程度シフトの自由が利いて短時間でも可、

という条件で探していたら同じところに行き着いたようである。

ちなみにたまたま同じ所へ応募し同じ日に面接だった為、

仲良くなったというオチがつく。


「宝箱発見、どれどれ中身はーっと。」


― 400G てにいれた! ―


「お金を手に入れたねぇ。

 序盤の宝箱ってさ物品よりこういった現金の方が良かったりするよね。」

「……なあ、本条さん。」

「な、なんです?」


 ふいに星一朗から話しかけられ少し戸惑うセシル。

一体何かしら的な様子で耳を傾けるも星一朗の言葉はわりと重かった。


「宝箱を開けて、400Gのメッセージが出たのはいいんだけどさ。

 実際に400G増えるどころか初期の所持金が0Gになってんだけど。」

「きゃあああああーっ!

 プラス(お金を増やす)とマイナス(お金を減らす)を間違ってるーっ!」


 まさか宝箱を開けた途端、持っていた所持金を取られるとは斬新である。

メッセージだけ表示されてアイテムが手に入らない、イベントが起きない、

こういった症状は【RPGツクール】では日常茶飯事である。

特にイベントアイテム関連でこの設定を入れていて、処理を誤ってしまうと、

後の処理も狂ってしまい実にややこしいことになるのである。

テストプレイは完成してからよりも、

イベントを一つ作ってすぐに動作確認の為にも

プレイした方が良いとさえ言われている。

とは言え、テストプレイはイベント作成より楽ではあるが、

ひたすらに面倒の一言に尽きる。

何と言っても制作者自身で行うとイベントを全て把握している為、

プレイする旨味がまるでないのである。

仕方が無いことではあるが。


「……ぐすっ……すみません、以後気をつけます。

 あたしがちゃんと目視で確認して、

 基本通りの処理にしていれば良かったんです、

 でもつい時間の事とか製作環境のプレッシャーもあって……。」

「い、いやまあ、別に良くある話しだし、ねえ竜二さん。」


 涙目で言い訳と謝罪の言葉をつらつらと続けるセシルであったが、

星一朗も何故ここまで謝るのだろうと困惑していた。

この場を切り抜けるには叔父さんしかない、

とばかりに竜二にも話を振ったのだった。


「そうだよ、ゲームスイッチの設定入れ忘れて、

 何度もアイテムが手に入ったとかじゃないからまだマシだよ!」

「竜二さん、それフォローになってないぜ……。」


 気を取り直して、次はダンジョンへ行こうという事になった。

街の人(NPC)の話によると街からすぐ近くの山麓付近に

ドラゴンが住まう洞窟があるのだとか。

街の人間達はそのドラゴンの襲来を恐れて対抗策を講じているが

成果はなかなか上がらず困っているようである。

主人公達はその話を聞き、ならばとドラゴン退治を申し出るという流れである。

イベントシーンは順調に進み、妙な不具合は発生しなかった。

一人、ほっと胸をなで下ろすセシル。


「……よく短時間でここまでの“あらすじ”考えたね

 ……そこは素直にすげーわ。」

「実は昔自分で作ったRPGが元ネタです。だから凄くはないですよ。」

「でも、らしくていいんじゃね?」


 ダンジョンに入るとセシルのセンスがキラリと光っていた。

単純そうに見えてギミックや罠が豊富に仕掛けられており、

プレイヤーの心を折りに掛かる心折設計となっていた。

この頃の【RPGツクール】ではモンスターとの

エンカウント率設定をいじる事が出来ず、

割とその仕様もプレイヤーを苦しめる要因の一つとなっていた。

襲い来るスライムの群れ、妙に物理攻撃の効かないゴースト、

嫌らしい睡眠攻撃を連発してくる魔術士、

モンスターの体力設定は低めではあるが、

攻撃パターンは実に嫌らしいものだった。


「ちょ、ちょっと本条さん?

 お試しのダンジョンの敵のわりに強くない?」

「そ、そうですか?

 ちゃんと対抗手段は用意していますし、

 街で回復アイテムを買っていけば何とかなると思いますけど……。」

「星一朗君、ちょっといいかい?」


 少し離れた位置で星一朗とセシルのやり取りを見ていた竜二は、

手招きをして呼び寄せた。

竜二の只ならぬ様子を察した恵玲奈は、

セシルの感づかれないほうがいいかなと思い、セシルとバイトの話を始めた。


「な、なんすか竜二さん。」

「何となく気づいていると思うけど、

 セシルはあー見えてかなりのロールプレイングゲーム大好き人間だからねぇ。

 バランス設定やら難易度の感覚は常人のそれとは違うと思うよ。」

「それは俺も気づいていましたけど、

 竜二さんがそこまで言うって事は本当に……?」


 一呼吸間を置いて竜二は真剣な表情で語り出した。

 

「うん。【ウィザードリィ#3 リルガミンの遺産】とか

 【真・女神転生】とかやっているのを何度も見たことあるし、

 セシルが小学生の頃の話だけど

 【ファイアーエムブレム トラキア776】をクリアしてたからねぇ

 ……もちろん難易度はノーマルじゃないよ。」

「な、何者ですか貴方の姪っこさんはっ!

 小学生のそれも女子がクリアするようなタイトルじゃないって!

 イメージ的にっ!」


 思わず声を挙げる星一朗に反応して、

これまた気になった様子でセシルも竜二と星一朗を見やる。

もちろん、恵玲奈の巧妙な妨害?もあって

何について星一朗が驚いたのかは分かっていないようだが。


「そ、それにしてもセシルさんには驚いたよ!

 まさかここまでゲーム好きだったなんて。

 バイト先ではこんな話したこと無かったのに。」

「え、ええ。

 わざわざ仕事先でする話でもないですし……、

 それに恵玲奈ちゃんだってそうじゃないですか。」

「そういやそっか。

 私の場合、ゲーム自体はあんまりやらないんだけど、

 見ての通りの環境でして。知識だけはそれなりに。」

「いいじゃないですか! あたしは羨ましいです……。」


 本気で羨ましそうに恵玲奈を見つめるセシルであった。

この時、恵玲奈は思った。

あー、この人は本当にゲームが好きで好きで堪らなくて、

でも自分の置かれている状況がそれ許容できる感じじゃなくて

ジレンマがあるんだろうなあ、と。

セシル本人の仕草や立ち回り、

そして言葉使いから普通のお宅でないのだろうとは思っていたが、

恵玲奈は今日の出来事でほぼ確信したのだった。

その割に竜二さんは趣味人過ぎて、本当に血縁者なのかなとも思っていた。


「わ、わりぃ、竜二さんからアドバイスをもらっちゃってさ。

 テストプレイなんだから取り敢えずゲームを進めろ、と檄を飛ばされたぜ。」

「い、いえ、では続けましょう!」


 引きつり笑いも愛想笑い。

セシルの設定した高難度お試しダンジョンを星一朗は攻略する事になった。

絶妙に設定された被ダメージと与ダメージに、

レベルアップによる上昇値も考慮された戦闘バランス、

そしてユーザーフレンドリーという言葉の存在を

否定するかのようなダンジョンのギミック、ケレン味が効き過ぎている。


 既に星一朗の不屈だったはず心はベキベキに折られているのだが、

この心の折れ具合と敵とのエンカウント率の高さで彼の脳裏にある事が浮かんでいた。

容赦なくプレイヤーに精神的な追い打ちを掛けるダンジョンの造り、

バランスという言葉を忘れた敵パラメータ設定と攻撃パターン、

そして即死攻撃によるガクブルの博打戦闘シーン。

彼の有名な【ドラゴンクエスト2 悪霊の神々】の終盤の壁、

【ロンダルキアの洞窟】のことを。


「……ちなみにボスはいるのかな?」

「はい、ボスを倒せば取り敢えず終わりです。

 今のパーティーの実力ならきっと倒せます!」

「う、うおー、がんばるぞー。」


 ダンジョンに潜って実時間で約60分、

星一朗の精神時間で3時間が経過した頃、

ようやくボスの部屋とも言うべき開けた場所に出た。

回復アイテムはもうほとんど残っておらず、仲間のMPも半分を切っており、

ボス戦を切り抜けられるかどうかといったところだった。

ボスらしきキャラクターに話しかけると案の定、

ボス戦闘画面へ移り変わりセシルが指定した

赤色の巨大なドラゴンが現れたのだった。


「こいつがボスか。

 ……でかいな。」

「はい、やっぱボスは大きくありませんと。」

「レッドドラゴン……

 うわぁ見た目的に中盤以降のボス感満載って感じ。

 セシルさんのセンスってたまに意表を突いてきますよね。」


 星一朗とセシルの会話を聞いていた恵玲奈は、

時折星一朗が恵玲奈に対して視線を送っていたことに気づく。


「お兄ちゃんがさっきからヘルプの視線をこっちに向けてますけど、

 スルーで良いですよね。」

「あはは、そうだね。

 僕らがああだこうだ言ったってテストプレイヤーは星一朗君だもんね。」


 竜二はあごを触りながらうーんと言った後、ぽんと手を叩き解説を続けた。


「それにしてもなかなか手強いボスみたいだね、

 お試しとは言えセシルのボスはこうでないと感が出ていて

 実にあの子らしいよ。」

「うわぁ……大丈夫かなお兄ちゃん。

 さっきから顔の生気が無くなっている気がするけど。」

「逆にセシルは生き生きとしているねぇ……

 さてと、今のうち美味しいコーヒーでも準備しておこうかな。

 恵玲奈ちゃんも手伝ってくれるかい?」


 そういうと竜二は椅子から立ち上がり、階段へ向かっていった。


「喜んで。もちろん、お代は半額ですよね?」

「こいつは手厳しいなぁ、と言っても毎度のことじゃないかい?」



 術士チェスターの唱えた氷の魔法がドラゴンを直撃した後、

畳み掛けるように勇者セシルの剣と戦士エレナの斧による物理攻撃が、

徐々にドラゴンを追い詰めていた。

僧侶リュウジもタイミングを計って回復魔法をかけ状態を立て直す。

つまりはかなり苦戦していた。

戦闘前にセシルから簡単な攻略アドバイスを聞いていた星一朗だったが、

それは万全の体制であれば出来たであろう回答ばかりで、

実際の所はジリ貧による延命作戦が続けられていた。

ダメージソースは勇者と戦士の攻撃ではなく、

何とチェスターの魔法だったのだが、

MPは残り僅かとなってしまい打つ手は無いに等しかった。


「あと魔法一発分のMPしかないぞ……アイテムはもうねーし。」

「だ、大丈夫ですよ。

 今、簡単に与ダメージを計算しましたが、

 そろそろドラゴンのHPも切れる頃合いです!」

「制作者がそう言ってんだからそうなんだろ

 ……ここは信じさせてもらうよ。」


 術士チェスターの最後の魔法攻撃がドラゴンを襲い、敵の強力な攻撃を凌いだ後、

上手い具合に出た勇者セシルの会心の一撃によってドラゴンを倒すことが出来た。


「よっしゃ勝った! 俺達は勝ったんだっ!」


 ガッツポーズと思わずセシルと握手する星一朗。

まさかの大死闘に、精神的にも肉体的にも、

ぐったりとなった星一朗は思わず天を仰ぎ酷使した両目を揉んでいた。

ああ、まさかこんなに大変な事になるとはと想像していなかったと。

それだけに疲労度も普段よりも割増である。


「お疲れ様でした。チェスター君流石です!」

「何が流石なのかわからんが、取り敢えずありがとう。

 まさに死闘だった、そして勝てて良かった……本当に。」

「お兄ちゃん、セシルさん、お疲れ様。

 竜二さんとコーヒー入れてきたから、こっち来て一緒に飲もうよ。」


 恵玲奈の声に反応して星一朗はばっと起き上がると、

多少ふらつきながらコーヒーの置かれているところまでやってきた。

セシルも星一朗の後についてやってきたが、

星一朗とは異なりやはりどこか満足そうな顔をしていた。


「セシルさん、何だか嬉しそう。」

「え、そ、そう?」


 恵玲奈の言葉にはっとなり反射的に自身の頬を両手で触る。

どうやら自覚がないようで恵玲奈に言われて気づいたようである。

周り(星一朗をのぞく)は既に察していたのに。


「ええ、それはもう。」

「たぶん、自分の作ったゲームを

 他の誰かにちゃんとプレイしてもらえたからじゃないでしょうか。

 こういうのってあんまり無い経験ですし。」

「へー、そういうものなんですねぇ。」


 時計の針はいつの間にか午後7時を指していた。

ちょっとだけと言いながら結構な時間をコレクションルームで、

【RPGツクール】に費やしていたようである。

セシルが作った簡単なゲームとは言え、

星一朗を疲労させる程度のものを作ったのだから当然と言えば当然か。

今日はここまでかな、と竜二は言うと部屋を片付け始めた。

そしてコレクションルームの部屋に鍵を掛け、店の外まで皆を送りに出た。


「いやー、今日の夕暮れはなかなか幻想的だねぇ。」

「鮮やかですねぇってお兄ちゃんっ!

 肩が重い! 私の肩にもたれてこないで!

 もうしっかりと立ってよ、重いってば!」

「恵玲奈ちゃんのいけず……。」


 妹の肩により掛るもぺしっとはたかれる。

額をさすりながら星一朗は何かを思い出したように口を開いた。

古典的な手のひらをぽんと叩く仕草をして。


「そういやあのノート、竜二さんのRPGツクールの構想ノートっすよね?」

「な、なんのことだい?」

「隠しても分かりますよ、

 きっとキャラ設定やアイテム設定を書いてたんでしょ。

 誰かに見られようものなら床を転がること確定のネーミングで。」

「さ、さぁどうかな。」


 今度見せてくださいね、

と冗談のようで冗談じゃない事を言いながら星一朗と恵玲奈は、

竜二とセシルに手を振り【箱庭】を後にしたのだった。

路地裏から騒がしいメインストリートに戻る瞬間、

それは夢から現実へ戻る瞬間だ、と以前星一朗は豪語したことがある。

だからなのか分からないが、

夕焼けの雰囲気も相まって去りゆく二人の後ろ姿は、

どこか物悲しさを醸し出していた。


「ああいう姿を見てたら、

 そりゃゲーマーのみんなは彼のことをチェスターって言いたくなるよねぇ。

 渾名撤回なんていい加減諦めたらいいのに。」

「はい、あたしもそう思います。」

「セシルも友達が出来てよかったんじゃないかい?

 恵玲奈ちゃんとはもう友達だったみたいだけど。

 星一朗君はどうだったかい?」

「チェスター君は思っていた通りの人でした。

 あ、あの……おじさま、あたしもまたここに来て良いですか?」


 予想していなかった姪の一言に少し驚いた竜二だったが、

賑やかになるなと思いながら笑顔で了承のサインを出したのだった。


「ああ、もちろん大歓迎さ。

 たまに店を手伝ってくれると叔父さんは嬉しいけど。」

「はい、もちろんです。ここにくればお二人とも会えますよね。」

「そうだねぇ。

 恵玲奈ちゃんはたまにだけど、

 星一朗君はしょっちゅういるから嫌でも顔を見ると思うよ。

 ……たまに心配になるんだけど彼はちゃんと学校に行っているんだろうか。」


 セシルはくるりと竜二に向き直ると、

丁寧にお辞儀をして別れの挨拶をした。

そして去り際、誰も聞こえない小さな声で


「……だから来たいんです、おじさま。」


 と言ったのだった。


******


 セシルの【RPGツクール】騒動から数日経ったある日、

珍しく通常営業を続けていた喫茶店【箱庭】のカウンター席で

星一朗とも恵玲奈ともセシルとも異なる、

別の客が隣の椅子にバッグを置き、

ずずぃーっと竜二の煎れたコーヒーを飲んでいた。

ここ数日、恐らく単位取得関連で危険水域に達したと思われる星一朗は、

恵玲奈にもせっつかれ大学へ出ていたようでこちらへは顔を出していなかった。

恵玲奈はもちろんセシルも、学校とバイトが忙しかったのか顔を見せていなかった。

竜二が久方ぶりのオーナー業に専念しているかのように見えるが、

実はちゃんと毎日“途中まで”はオーナーをやっているので、

久方ぶりなどでは決してないのである。


「……砂糖を入れすぎだよ、もうそれで何個目だい?」

「8個目よ。

 別にいいじゃない、何個入れようが竜二君には関係ないでしょ?」

「関係あるよ、友人として心配さ。」


 カウンター席でくだを巻いているのは、

竜二の旧友であり週に一度程度のペースで来店している女性の常連客だった。

茶髪に染め上げたショートボブが印象的で、

身体のラインを強調させるガラ物のTシャツに

七分丈の白いパンツが似合っている。

赤いパンプスは片方だけ履き、片方は脱いでいた。

年の頃は竜二より少し若く、星一朗達よりはやや年上に見える。

彼女は9個目の砂糖を入れ、マドラーで素早くかき混ぜ一口含んだ。

どうやら想像上に甘かったらしく思わず

「砂糖入れすぎた」と漏らしてしまったのだった。


「仕事が忙しいみたいだね。」

「まあね。これでもライターやってるんだから当然よ。」

「雑紙の記事見たよ、阿里沙さんらしい記事だった。」

「あー、あの雑紙のヤツか。

 取材は大変だったのに先方が一癖も二癖もある人でさー

 ……あー思い出してさらに腹が立ってきた!

 スケールモデルがどうの、1/144がどうのって私が知るか!」


 彼女の名前は大上阿里沙おおがみ ありさ

【箱庭】の常連の一人で雑紙や新聞などで記事を書いているフリーライターである。

学生の頃、興味本位で雑紙社のバイトをしていたのだが、

気まぐれに書いた記事を見た編集長の目にとまりそのまま寄稿開始。

しばらくはその雑誌社で書いていたが、

何か書きたいものがあるらしく現在の道を選んだのだった。

竜二との出会いは彼女がまだ雑誌社でバイトをやっていた頃、

先輩記者と一緒に涼みに入った時である。

コーヒーの味が気に入った彼女は、プライベートでも訪れるようになり、

その習慣が今も続いているのであった。


「ははは、記者さんは大変だ。

 そんな阿里沙さんにこいつをサービスしよう。」


 そう言うと竜二は店の冷蔵庫に保冷されていた小さなカップを取り出し、

スプーンを付けて阿里沙の前に置いた。

それは竜二が喫茶店のオーナーらしく、珍しく新作を提供した瞬間だった。

メニューには載っていない事もあり、

裏メニューとして常連にだけ提供するつもりのようである。

それは黄色の物体はマシュマロのような質感で、

カラメルソースがとろっとかけてあり、

程よい甘さが特徴的な焼きプリンだった。


「へー、焼きプリンなんて竜二君作れたのね。」

「そりゃ一応、喫茶店のオーナー兼調理人をやってますし。」


 スプーンで掬い口へ放り込む。

絶妙な甘さとほのかに感じる酸味がさらに甘さを引き締めている。

カラメルソースもオリジナルレシピのようで、

今まで食べたどのプリンのソースとも味が異なっていた。

阿里沙は思わず目を丸くし、その驚きを隠せない様子だった。


「美味しい……

 今度から、コーヒーとこのプリンも一緒にお願いしようかな。」

「わかった、用意はしておくよ。」

「それはそうと、今日ここに来たのは仕事の一環でもあるの。」

「へー、それはどういうことだい?」


 そう言うと阿里沙は持っていたバッグから、

1枚のディスクケースを取り出した。所謂、様式美である。

竜二はそのディスクケースを見て、

またこのパターンかと今後の展開を想像しながら

ディスクケースを取り上げ、裏と表を確認する。


「へー、これは初版だね。」


 独特なクリアケースのパッケージングと、

巨人と対峙する若者が描かれたデザインは目を引く。

そのゲームは【ワンダと巨像】のプレイステーション2版だった。

もちろん竜二のコレクションルームにもストックはあるのだが、

何故阿里沙がわざわざこのソフトを持ってきたのか、

竜二には皆目見当がつかないのであった。


続く!

ゲームソフトの選定は作者個人の独断とプレイ経験で決定しています。

一部偏ってしまう事もありますが、何卒ご了承ください。

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