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第二十七話 深淵はこちらを見ている

「……(やばっ、今目をつむったら即寝できそう)」

「お疲れ黒瀬!って……メッチャ疲れてね? マジ大丈夫?」

「あー……ごめ、今は無理。」

「ん、じゃあこれ置いとく。

やっすい栄養ドリンクだけどさ、何もしないよかマシっしょ!」

「あんがと。」


 某大型書店のスタッフルームで、

恵玲奈はテーブルに突っ伏しその灰色がかった愛らしい双眸を閉じていた。

全身から漂う疲労感満載のオーラに、

シフトが一緒だった同僚達は皆心配げに声を掛けていた。

普段の恵玲奈であれば決して見せないその姿に、

フロア長は珍しく重い腰を上げ事情を聴きにきたのだった。

ここのフロア長、優しい物腰といつも笑っているような表情の持主で

一見人当たりは良い。

事実、新人スタッフには高評価だ。

だが、手慣れた仕事に対して疲れたねぇと言いながらすぐに手を抜く悪癖があり、

真面目なスタッフ達の間での評判は芳しく無かった。

フロア長はスタッフルームでテーブルに突っ伏している

恵玲奈の隣に腰を降ろすと、

周囲の様子に配慮して声のトーンを落とし話し掛けた。


「黒瀬さん、少しお話しいいかい?」

「は、はぁどうぞ。」


 声の主に反応して恵玲奈は起き上がり姿勢を正した。

一瞬、恵玲奈の表情が険しく曇る。

何でこの人が私の隣にいるの?という様子だ。

余談であるが恵玲奈はこの人物を苦手としている、

その点で考えれば当然の反応と言えよう。

だが、冷静に考えれば上長の人物、

体調不良の部下がいれば当然の応対である。


「随分疲れているようだけど、大丈夫かい?

 周りからも心配の声も出ているし、

 こっちはシフト大丈夫だから早退するかい?」

「いえ、少しぼーっと出来れば大丈夫です。」

「うーん、と君が大丈夫と言ってもね

 ……お客様相手だし風邪とかなら尚更だよ。」

「風邪じゃないんです、

 ただちょっとプライベートが忙し過ぎて……

 思った以上に疲れてしまったというか。」

「そう……

 ならいいけど、もしもっときつくなるようなら直ぐに言ってくるんだよ。」

「はい、ありがとうございます。」


 そう言ってフロア長は上長の責務を果たし

満足げにスタッフルームを後にした。

恵玲奈は再びテーブルに突っ伏し両目をマッサージしながら、

フロア長と話のは疲れるのよねと思っていたのだった。


「……

 (流石に二足の草鞋はキツイなぁ。

 竜二さんとこの手伝い、ワリがいいから続けたいんだよね、どうしよ?)」


 恵玲奈には兄にも言っていない彼女にとっては大きな目標がある。

それは実家を出て一人暮らしをすることである。

その事を以前両親に話した結果、

とある条件が提示されクリア出来れば認めるとの事だった。

母親曰く、自分でちゃんと生活費稼げないんじゃダメとの事である。

当然といえば当然の事で、恵玲奈はその条件を飲んだのである。

そして、母親から提示された条件とは

貯蓄額100万を一年以内で達成すること。

普通にバイトをして無駄遣いさえしなければ貯められる数字である。


「一人暮らしの為とはいえ、

 身体が資本と言うし、今日は大人しく帰っちゃうか。」

「そうしなよエレなん。

 アンタ、根が真面目なんだから、すぐに根込めて仕事しちゃうでしょ?

 そういう風に息抜きも大事だよ。」

「みずっち、いつの間に……。」

「ちょっと前から♪」

「もー、居たんなら声掛けてよー……ビックリするじゃないの。」


 突っ伏す恵玲奈の背後から優しく声を掛けたのは、

恵玲奈の同期で年齢は少し上の女性だった。

名を”緋河ひが 水希みずき”という。

おっとりとした口調で諭すように恵玲奈に対している。

恵玲奈曰く、水希は近所に住んでいる歳の離れた

お姉さんポジションとの事で、

プライベートでも一緒に遊びへ行ったりしているようだ。


「ほら早退届。」

「準備いい~さっすがみずっち!

 お言葉に甘えて今日はとっとと帰ります。」

「目標のアレ、達成まであと少しなんでしょ?

 どーせ無理するんだから、体調の管理と睡眠だけは忘れないでね。」

「うん、わかってる。

 ウチには反面教師がいるから、真似は絶対にしないよ。」


 そう言って恵玲奈はスタッフルームから出ると、

売り場で新刊の整理を行っている新人スタッフに

付き添っているはずのフロア長を探した。

案の定、フロア長の姿はそこにはなく、

恵玲奈はしばらく売り場をウロウロする羽目になったのである。

数分後、バックヤードにある椅子に腰掛けていた

フロア長を発見した恵玲奈は、

早速書類を手渡して早退に至った理由を説明した。


「はい、了解しました。

 今日の分のシフトについては補填しなくて良いから、気にしないでいいよ。」

「……それはどうもです。

 じゃあお先失礼します。」

「はい、お疲れ様。」


********


 一方その頃、【箱庭】の地下【コレクションルーム】では

星一朗がくしゃみを連発していた。

見事10連発の大型くしゃみで、

部屋に常備していたティッシュが数十枚は失われたのである。

セシルはその様子をくすくすと笑いながら、

コントローラパッドを握ったままゲーム画面から目を離すことはなかった。

テストプレイとしてかれこれ触って二時間、

ゲーマーである彼女にとってシステムの把握など余裕だった。

無論、開発からシステムの資料も渡されている。

星一朗も鼻をぐしぐし言わせながらソファーに戻ると、

悦郎から渡されていたハクスラモードの資料を読み始めた。

表計算ソフトを使って作られたシステムを形作るマトリクスが並ぶ。

決して理系ではない星一朗が嫌な顔を一つせず見ていられるのは、

ゲームという背景があるからだろう。


「なんだってんだ?

 誰か俺の噂でもしてんのかね。」

「あははは、どうなんでしょうか。」

「ゲームシステムの把握は大方済んだけど、

 これ、経験則から言って結構マズイ感じがする。」

「え? マズイってどういう意味ですか?」


 セシルの顔が一瞬曇る。

星一朗もまた険しい顔をして資料を見ながら続ける。


「素人作品にしてはなかなかのシステムだと思うし、

 オリジナリティだってある。

 ノベルモードは尖ったものはないから問題はないと思うが、

 ハクスラの方が問題だな。

 思った以上にプログラムが複雑化している。

 上手く修正していかないとバグがバグを呼ぶぞ……。」

「うわぁ……で、でも今のところはそんなには。」

「まだグラフィックが完全に乗ってないし、

 バランス調整だって大味だろう?

 ……バグがゼロってのは期間的に難しいかもしれんが、

 限りなくゼロにはしたいだろうしな。

 悦郎達と俺達の正念場はこっからさ。」

「ですね、頑張りましょうチェスター君!」


 星一朗は渡されていた別の資料、

ゲーム中のスクリプトを見ながら校正をしていた。

元々はデータで渡されていたのだが、

それではゲーム確認用のパソコンを占有してしまう

と言うことでプリントアウトしていた。

枚数はA4で数百枚にも及ぶ。

パラパラめくるだけでも滅入ってくる物量だが、

星一朗は慣れた作業とばかりに右手に赤いマジックペンを持って、

まるでマシンの用にチェックを入れていった。

これは仮チェックで、後で実際にゲーム中でも表示を確認する。

現時点ではデバッグモードも導入されている事も有り、確認は容易である。

ちなみにデバッグモードとは、

デバッグ作業用に実装されている便利機能のことで、

簡単に説明すれば任意のイベントを出したり、

パーティーメンバーのステータスを自由に強化出来たり、

序盤では手に入らないアイテムを手に入れたり出来る。

通常、市販されているゲームにこの機能は実装されておらず、

マスターアップの前までに取り除かれる為プレイヤーは使用できないが、

意図してか意図しないでかデバッグモードが残ったまま

発売されたゲームもある。

それが何らかの形で外に漏れ【裏技】として知られる事になるのである。


「あの野郎……誤字脱字多すぎんだろっ!」

「そんなに?」

「うむ、スクリプト上で見ても一枚当り5~6個はあるなぁ。

 システム面はどう?」

「そうですねぇ、あたしが分かる範囲で今のところ10個ありました。

 フリーズが1回とダメージ計算が変だったのが2回と、

 アイテム取ったら違うアイテムになってたのが1回。

 あとはゲーム中のテキストがぐちゃぐちゃになってたのが6回です。」

「まあ、最初はそんなもんだろうなぁ。」

「デバッグって思った以上に集中しておかないとダメですね、

 気を抜いていると見逃しそうになって。」


 セシルは座ったまま両手を上に挙げうーんと言いながら背伸びをする。

どうやら集中してデバッグ作業を行っていたようで

全身の血の巡りが悪くなっていたようである。

星一朗はプレイはその辺一旦止めて別のことしようかと言って、

別に用意していたネットブックを指さす。


「そのパソコンには、

 俺式バグレポートを仕込んでおいたので、

 ファイルを開いてレポートを入力してみて。」

「い、いきなり出来るかな……。」

「普通に文字入力出来るなら大丈夫だってば。

 俺はちょっと上に行って飲み物貰ってくるよ。」

「はーい、いってらっしゃーい。」


 【コレクションルーム】から出て階段を昇りながら

星一朗は真剣な表情で、今後のデバッグ作業の展開を想像していた。

正直なところで、星一朗は自身が予定していた

デバッグ作業計画を見直すことを検討していた。

予想を遥かに上回る出来の悪さのせいだ。

ゲームが面白い面白くないというレベルの問題ではなく、

ゲーム以前という状態なのである。

デバッグを依頼していくる以上、

ある程度出来ているのかと思っていたが、

どうやらその目論みは甘い幻想に過ぎなかったのであった。


「……

 (思った以上にデータの実装具合が悪いし、バグが多すぎるな。

 本条さんにはああ言ったけど、相当な修羅場が待っている予感がする。)」

「ありゃ、星一朗君。

 どうしたんだい?

 こんな階段の真ん中で立ち止まって。」


 竜二の声がした。

星一朗ははっとなって見上げると階段の入口で、

竜二が微笑みを浮かべて立っていた。

両手は二人分のペットボトルと

お手製のパンプキンドーナツが乗ったお盆で塞がっていた。


「あ、竜二さん。

 いやちょっと考え事を……。」

「どうやら予想よりも高い壁が待ち受けていたみたいだね。

 はい、これ。

 丁度欲しくなってくる頃合いだろうと思ってね。

 ドーナツは頑張っているみたいだからオマケだよ。」

「うわ、いいんですか!

 本当にありがとうございます!

 作業中はペットボトルのほうが良いんでマジ助かりますよ。」

「そうだ、ちょっと思い出したことがあるんだけど、

 それを星一朗君に伝えておくよ。」


 竜二はこほんと小さく咳を一つ入れて、有名な哲学者の言葉を言った。


「”怪物と戦う者は、

 その過程で自分自身も怪物になることのないように

 気をつけなくてはならない。

 深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。” だよ!」

「フリードリヒ・ニーチェですか。

 ってか何でいきなり?」

「ラジオで特集をやっていたなんては置いとくとして。

 デバッグ作業は自分自身との戦いでもあると思うんだ、

 決して自分を見失わないよう、

 コミュニケーションを大事にするんだよ。」

「ええ、分かっています。

 それはそうと、竜二さんも実は経験者です?」

「……昔、ちょっとだけね。」


 竜二はそう言って遠い目をする。

どうやら思い出すには辛い記憶のようだ。


「あはは、やっぱりね。

 竜二さん、言おうか迷ったんですが、

 そのニーチェの言葉の解釈、微妙に違うような気がするんですけど

 深淵の下りってミイラ取りがミイラにならないようにって事じゃ……?」

「気にしない、ちゃんと意味が伝わっているんだからいいんだよ!」


 了解ですと星一朗は竜二に言った後、

二段飛ばしで階段を降りていき【コレクションルーム】へ戻ったのだった。


 ちなみに本日、喫茶店・【箱庭】は臨時休業である。

連日の忙しさに竜二が根負けした事と、

手伝いをしていた恵玲奈の疲労が目に見えていた事から、

開店日のところをやむを得ず休業対応にしたのである。

店の前には開店していると思って訪れた客が、

あれ今日は開いている日じゃなかったっけ?という表情をして

何度か現われていた。

だが、ドアの張り紙を見ると仕方ないかという表情を浮かべて

皆素直に帰っていったのだった。

だがそんな客ばかりでないのが世の中。


「あれ? 今日は休業日だっけ?」

「あ、すみません、

 今日は臨時休業でお休みをもらって……って何だ阿里沙さんか。」

「なんだとは何よ、せっかく人がお土産引っさげて来たってのに。」

「久しぶりだね、どうしてたんだい?」


 休業の張り紙なんて、

そんなものは無かったとばかりにドアを開けて入ってきたのは

竜二の友人でもある記者の大上阿里沙だった。

最近はあまり顔を見せていなかったようである。

阿里沙の手には布製のバッグを持っていた、

中には何やら重そうな物体が見え隠れしている。

彼女が動く度に中の物体からガラス特有の接触音が聞こえてくる。


「ちょっとね。

 ほら、そんでこれがお土産!

 竜二君、お酒飲む人でしょ?

 好きなお酒の種類聞こうと思ったけど、

 こういうのってほら勢いじゃない?

 だから勝手に見繕って買ってきたわよ。」

「へぇ、ワインにウイスキー……ジンにバーボンか。

 見事に洋酒ばかりだね、外国にでも行っていたの?」

「まあいいじゃない、今日休業日なら今からでも飲めるじゃ無い。

 ほら、グラスとアイス持ってきて!」

「し、しようが無いなぁ阿里沙さんは。

 あ、アイスはちょっと少ないかも。」

「あるだけでいいわ、どうせストレートで基本は飲むんだから。」


 そう言いながら凄く嬉しそうな顔をして竜二は戸棚から、

どう見ても喫茶店には似つかわしくないグラス類を取り出す。

竜二専用の酒飲みグラス群である。

竜二はワイングラスの一つを阿里沙に手渡し、

高級そうな雰囲気を漂わせるワインを手に取る。

ワインはコルクで栓がされていたので、

竜二が隠し持っていたコルク抜きを取り出して豪快に開封させる。

小気味よい音を立ててコルクを抜き、

ワイングラスの半分程度までワインを注いだのだった。


「じゃあありがたく。」

「ちゃんと香りも楽しんでよー、

 結構なお値段だったんだからさ。」



続く!

ゲームソフトの選定は作者個人の独断とプレイ経験で決定しています。

一部偏ってしまう事もありますが、何卒ご了承ください。

デバッグ作業・バグの内容については架空の症状です。

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