正解のご褒美は
しゃ、と、赤鉛筆が斜めに走る。翔太は苦々しい表情でそれを眺めていた。
「はい、またはずれ~」
「なぁ、おい……いつ休憩取るんだよ……」
「だから、十七ページまでやるって言ったでしょ?ほらほら、あと三ページ」
がんばって、と数学のワークを突き出してくる和葉に、当初のハイテンションはどこへやら、ぐったりした翔太は嫌々シャーペンを握る。
中間試験が近いということで、学年指折りの成績不良児である翔太は、幼なじみ且つ恋人でもある和葉に頼み込んで、勉強を教わることになった。
初めは、「絶っっっ対やだ!翔太、理解力ないんだもん」と一刀両断されもしたが、低姿勢を貫き通し、なんとか部屋まで来てもらった。
自分から誘っておいてなんだが、“恋人同士が部屋で二人きりで勉強”という、なんだか桃色なシチュエーションに今更ながら興奮を覚えた翔太だったが、
「やるとなったらバッチリやるからね!はいはい、さっさとワーク開く!」
と、まるで体育教官のような熱血指導を前に、みるみる興奮と期待は萎んでいったのだった。
「全く……なんでここまで丁寧に教えてんのにわかんないかなぁ?やる気あんの?」
「そりゃ、頼んどいてやる気ねぇとは言わねぇ!だが、この数字ばっか見てっとどうも……ある種、頭ん中が空になるっつーか……」
渋い顔をして、全然シャーペンを動かすことの出来ない翔太を見て、和葉は「ここまで出来ないのも、才能かもねぇ……」と、ため息。
それから、数分後。
「……っだぁ──────!!無理だ無理!!やめだやめ!!」
「るさいなぁ……ってちょっと、なにシャーペン放ってんの?」
突然の、翔太の絶叫。二人が向かい合わせに座るテーブルの上を、使い古したシャーペンが勢い良く転がる。
翔太は大きく伸びをして、凝り固まった筋肉を解すようにストレッチをした。
「ダメだ!こんなことばっかしてっと身体が腐る!!もうやめるぞ!!」
「やめるぞって、あんたが呼んだんでしょうが……。いいの翔太?そんなこと言ってると、また数学赤点だよ?」
「知るか!数学がなんだ!それが出来ねぇからって死ぬわけでもねぇだろ!!」
極端な屁理屈を垂れ始めた翔太を、きかん坊な子どもを持つ母親のような目で和葉が見やる。翔太はそんな視線なぞお構い無しに、そっぽを向いた。
こうなってしまっては、翔太は頑固だ。よほど彼の心を動かす素晴らしい格言でも放たなければ、再びシャーペンを握らせることは難しいだろう。
しかし、和葉にはいとも容易く彼を操る術があった。
「……翔太、いいからこっち向きなって」
「…………」
「翔太」
「ちッ……なん、っ……!?」
不意打ち──────。
振り返った翔太の唇に突然、和葉のそれが触れた。
柔らかな感触に、翔太の動きが止まる。
和葉が顔を離した時も、翔太は目を見開いたまま、固まっていた。
「……これから、問題一つ正解するごとにこうしてあげる。だからほら、始めるよ?」
面倒見のよさそうな笑みを浮かべる和葉。
それまで一切の動きを停止していた翔太は、その笑顔を見て我に返る。
「……ぃよおおぉぉぉおおし!!!始めるぜ!?お前、今の言葉絶っっっ対忘れんなよ?!」
「はいはい……。っとに、単純なんだから……」
俄然やる気を出した翔太は、放り出したシャーペンを再び強く握り直し、かつてないほどの集中力を顔に滲ませながらペンを走らせていく。
和葉は、そんな翔太に呆れながら──────でも、ちょっとの苦笑を口許に浮かべながら、数字で埋まっていくページを眺めていた。
だがしかし、当然ながらやる気と正答率は比例しないもので、翔太はやはり間違いを連発し、容赦なく赤色の斜線と、「正解じゃないから、まだご褒美はナシね♪」と小悪魔のように可愛らしい和葉の笑顔に、頭を抱えて部屋を転げ回ったのだった。