魔性の焔 6
村長は不機嫌に眉を寄せた。昨日に続いて今日も、外からの人間が入ってきた。今度は修行僧の格好をした歳若い男二人。だが何も言わず、何も要求せずに足早に村を出て行った。まだ日が高かったからかも知れないが、彼らも村で休むと言われたら、益々動きにくくなると警戒した。
彼らを途中まで後をつけたが、変な素振りも見せず山の中へ入っていった。村へ戻ると、村の者に呼び止められる。商いの為に近くの村を歩いて周り、近くの港までの外出許可を求められた。男が引いてきた荷車の中を確認し、同行人の人数も男の息子のみと許可をした。
「贄送りまでには戻れ」
「……はい」
男は荷車を引いて、息子一人と共に村を出て行く。その背中を見て鼻を鳴らした。彼らが帰ってこなくとも、村の痛手ではない。むしろ、帰ってくるなと塩を撒きたいくらいだった。
あと十日。何事もなければ、当日にサエを大人しくさせるだけで済む。機織の小屋に戻ろうとした所で、小屋の入り口が開いているのに驚いた。旅の男がそこから出たあと、サエが見送るように、目で追う様子を見せていた。
サエが小屋に篭るときは、早朝から日が沈むまで、一切戸口は開かない。村の者が心配して声をかけても、その戸が開くことは今まで無かった。驚いて立ち竦んでいると、サエがこちらに気がついて顔を背け、小屋の戸をすぐに閉めた。
ただそれだけでも、腹立たしさに息苦しくなる。なぜ違う。あの男を見る目と、同じ村で過ごしてきた自身を見る目とが、なぜ違う。暴れ出したい衝動を押さえ、一人己の屋敷に戻る。戻れば、国司から送られてくる文がほとんどだが、極稀に商業の取引の誘いの文もある。だからといって、その誘いにのるかと言えば、そうではない。贄送りが済めば、それらよりももっと良い所から取引の商談が来る。
だが、彼らにサエを差し出す訳にはいかない。少しずつ少しずつ、この村に不必要な者を外に回し、地が固まれば取引は終わりだ。そして、もう少しで終わりが来る。数月前にサエの初潮がやっと現れ、ようやく祝言を挙げることができると分かれば、他はどうでもよくなっていた。
男達の笑い声を聞いたのは、サエだけではなかった。最初は聞き間違いと平静を装っていたが、聞き間違いではないと知ったとき、娘は母に乞うた。
「その人と話してみたい」
母は村長の酷い仕打ちを知っている。そんな事をしたら、自分も娘も固い紐で打たれたり、容赦なく身体中を蹴られたりするだろう。
母は口を震わせながら、首を横に振った。娘も分っていたのだろう、顔を伏して嗚咽を零す。
「サエが羨ましい」
その呟きを知ってか、知らずか。サエは早朝、旅の男に呼び止められる。サエが機織の小屋に行く途中、後ろから呼び止められた。
「おーい、ちび!」
サエは誰を呼んだのかと周囲を見回したが、自分以外彼しかいない。訝しげに彼を見ると、何だというように怪訝な目が落ちてきた。
「ちび。早いな」
ようやく、自分のことだと気がつくと、サエは男の腕に噛み付きたくなった。
「ちびじゃない!」
男は微かに目を丸めた。
「サエ、よ。サエ。よく聞く名前でしょ、覚えられるでしょ」
「……あ、ああ」
男が横を向いて、癪だなと呟いた言葉をサエは聞いて、余計に腹立つばかりだ。むくれていると、なぜか軽く頭を叩かれる。
「俺はカイだ。まぁ、悪かった」
「悪いと思ってないでしょう」
「謝罪は受けとけよ」
カイは持っていた反物をサエの目の前に出した。
「一着作ってくれないか?」
「え?」
「……作れないのか?金がいるなら払うが」
それに慌てて首を横に振った。
「なんで、私に?」
それには、カイも困ったような顔をした。
「お前以外の女が見当たらん。どこにいるんだ」
サエはあっと口を開ける。外から見れば、この村はそうなのだ。女は必要以上、外へ出ることは無くなった。村長が決めた規則を守ろうとすればするほど、馬鹿馬鹿しいのが分かるが、サエ以外の女は怖がって出てこない。
「……必要以上、外に出ちゃいけないの」
「お前は?」
「私、村長のお気に入りだから」
「うげっ。じゃぁ、誰か紹介してくれ」
「……それも無理な話しね、必要以上男と会う事を許されていないの」
「聞けば聞くほど、面倒な村だな。アホ臭い」
「煩いわね、好きでこうなったんじゃないわよ!」
「わかってるよ。怒鳴るな。……口噛むなよ、勿体ねぇ」
頬を思い切り引っ張られるが、痛いほどじゃなかった。驚いて見上げると、呆れたように、どこか優しげな視線がサエを見ていた。正直、吸い込まれるように惚けてしまう。
「?……なんだ?」
カイは何も気にしてないような顔になる。その差に焦って、サエはそっぽを向いた。
「なんでもない。一着作るから、あの小屋で待ってて。道具持ってくる」
カイの傍を慌てて通り過ぎる。自分の家に戻って、何度か顔を揉んだ。ほんの少し頬が熱を持っている。顔が赤くなっていただろうかと少し気になったが、自分が異性と話して、恥ずかしくなったのは久しぶりだと気がついた。
「ねぇさん……」
目を閉じれば、男女二人がサエに微笑みかけてくれる。二人を思い出すだけで、サエは緩みそうな気持ちを、引き締める。
「許しちゃだめ。許しちゃだめ」
道具箱を持ち、サエはふと足を止める。二人だけだと不安だから、一人だと時間がかかるから、せっかくなのだから、とサエは村の女を呼び集めた。